訪問日:平成28年12月10日(土)
出 発:「みのおキューズモール」
到 着:阪急電車「箕面駅」
「箕面」といえば「紅葉」。しかし紅葉シーズンは大混雑する。あえて紅葉が終わったこの季節に歩いてみた。コースとしては「旧西国街道」から「勝尾寺旧参道」を通り、「勝尾寺」から「箕面大滝」へ。そして「滝道」から箕面駅へ抜ける。「勝尾寺旧参道」は完全な山道(登山)なのでそれなりの装備で。今日から新しい「歩数計」を持つ。
今日のスタート地点は「みのおキューズモール」。大阪市と北摂を結ぶ大動脈「新御堂筋」の突き当たり「箕面トンネル」に入る手前にある。千里中央駅から「みのおキューズモール」行きシャトルバス(220円)で約10分。阪急「箕面駅」からも阪急バス(220円)がある。

平成15年「カルフール」を中心に「箕面マーケットプレイスヴィソラ」としてオープンしたが、その後「東急」に経営権が移り今は「イオン箕面店」を中心に100を越える店舗や飲食店・シネマなどが入るショッピングモールとして生まれ変わった。


私が愛用する「モンベル」もある。

ショッピングモールの中を流れる「千里川」は親水公園として整備されている。午前10時「みのおキューズモール」をスタート。

「みのおキューズモール」の南側、国道171号線と新御堂筋が立体で交差する「萱野交差」の北東角に「木戸ケ池緑地」。

その畔には「旧西国街道」から「箕面山」への「道標」が立つ。「旧西国街道」と「箕面山」へ向かう三叉路にあったものが「新御堂筋」の工事に際しここへ移されたという。箕面市で最古の道標らしい。こういう道標があるということは、当時の日本人の識字率はかなり高かったんだろうな。東へと進む。

すぐに「西宿西交差点」で国道171号線を渡り、さらに東へと進んでいく。

「旧街道」らしい風景が残る。

立派なお屋敷があったので振り返るとまるで「天守閣」のようだな。

平行して国道171号線が走るので少しザワザワしている。

しかし所々田畑も見られる。

細い道が「旧街道」の雰囲気を残しているが、家は結構新しく建て替えられている。

右に「箕面墓地公園」を見ながら進む。関東地方には平野の霊園は多いが、関西では霊園はほとんどが山間部に造成されており平野部の霊園は珍しい。

墓地公園を過ぎると「郷之久保川」という小さな流れを渡る。

橋を過ぎて最初の三叉路の左に鳥居が。「勝尾寺大鳥居」だ。

「大鳥居」の足下には「勝尾寺」までの「町石」が。「町石」とは寺社への道案内と距離を示す石の道標。1町は約109m。「丁」ともいう。勝尾寺まで「36町」およそ4,000mか。4kmといえば「1里」だな。

「大鳥居」をくぐればすぐに国道171号線を渡る。交差点名は「勝尾寺口」。その名のとおり、ここは「西国街道」から「勝尾寺」への入口なのだ。交差点の奥に「鳥居」が見える。

神社への参道の角にも「町石」。

参道を進めば「春日神社」。かつてこの辺りは「藤原家」の領地であったらしい。お寺にお参りするのだが神様にも今日の安全を祈願する。

元の道に戻り北へ。すぐに右に「ピーコックストアー」。給水ポイントだ。

さらに北へ進むと消防署の前にも「町石」らしき石標。

そのまま進めば左に「高野山真言宗帝釈寺」。寺の縁起によると、この後訪れる「勝尾寺」に清和天皇がお参りした際「勝尾寺」を内院、そして当寺を「外院」と称したことから、この辺りの地名を「外院(げいん)」と呼ぶそうだ。

聖徳太子の御神告により建立されたと伝わる。毎年節分の時期に行われる「護摩焚き」と「火渡り」の「節分会福護摩祭り」が有名だ。

本堂前の石灯籠は寛政10(1798)年の造立である。

ここでも安全を祈願してお参りする。「帝釈天」「毘沙門天」「弁財天」の「三天」を祀る。

そして境内にも「町石」。

お寺の前には立派な旧家。

境内を出る。お寺の東向かいには「新池」という池の土手下に「地蔵尊」。

池の北側には「皿池公園」という公園がありトイレも。

すぐ角は「帝釈寺北交差」。左側をのぞき込むと「サークルK」。最終の給水・トイレポイントである。

交差点を渡ればすぐに分かれ道。ここにも「町石」が立つ。案内表示に従って左へ。

畑の中を進んでいく。

右の草むらの中にも「町石」。「二十七町」と読める。

左に「奥土池」というため池の土手を見ながら進む。

ここにも「町石」。「二十?」。

坂を進めばすぐに「獣除けの扉」に突き当たる。

ここから約1時間の山歩きになる。「さあ、山に入るぞ。」必ず扉を閉めること。

池の横に「町石」。「二十三」と読める。

坂道を登っていく。

「旧参道」を進む。

「獣除けの扉」から10分ほどで眺めの良い高台に出る。

そしてその後ろが「旧参道」と「古参道」の分岐。町石が立つ「古参道」(左)へ進む。

道はしっかりとしている。

「町石」と赤いテープに従い進んでいこう。

ここにも「町石」。一町(109m)進んだんだな。

途中左に道が現れるが案内表示に従って真っ直ぐ進む。

どんどん進んでいこう。

前方に「旧参道」が見えてくるが階段を登り左へ。

すぐに「旧参道」との合流点。右から「旧参道」から来たハイカーが。分岐点から45分ほどかかった。

「古参道」と別れ「旧参道」に合流して初めての「町石」。

「旧参道」は「外院尾根」という尾根伝いに続く。

西にある「ウツギ谷」という谷底に沿った道もあるようだ。

時々展望の効く場所がある。

イノシシが掘り起こした跡だな。

ひときわ立派な「町石」が現れる。

先の「案内地図」の手前の標識には「後方・しらみ地蔵」の文字。

脇道にそれて2~3分で右手に「しらみ地蔵」が立つ。
元の道に戻り「勝尾寺」方向(左)へ。

坂を登ると「町石」。ほとんどの「町石」は風雨にさらされ文字は読めない。

「しらみ地蔵」の分岐から5~6分で林の中に佇む「勝尾寺旧境内傍示八天石蔵」。鎌倉時代に「勝尾寺」の寺領を表す傍示として設置。8ヶ所に仏像8体を信楽焼の器に納めて埋め、その上に石檀を組んだものの1つである。

ここから石組みに沿って「旧参道」を進む。左には「四町石」。

続いて「三町石」。

少し進むと左に小さな「道標」が。

「自然研究路」との分岐を過ぎると「二町石」。「旧参道」は石段となっている。

「一町石」を見ながら石段を下る。ただ「四町石」から「一町石」まで間隔が短かったように感じるのだが・・・気のせいだろうか。

長い石段の向こうに大きなお寺が見えてきた。

「勝尾寺」だ。山岳宗教のころより聖地として崇拝されてきたようだが、貞観年間(859~877年)、清和天皇の時代に「勝王寺」となり「王に勝つ」とは畏れ多いとして「勝尾寺」と改められたそうだ。そのため「勝尾寺」と書いて「かつおうじ」とも読む。

右に「花の茶屋」というお休み処がある。

お土産屋さんや庭園を眺めながら食事などが楽しめるコーナーがある。


時間は午後0時20分「きつねうどん」(550円)で昼食とする。発泡スチロールの容器で出てきた。食事はきつねうどんくらいで、あとは喫茶メニューが中心である。

そして「花の茶屋」が入山受付口となる。

入山(参拝)料(400円)を納め境内へ進む。「山号」を「應頂山」と言い「西国三十三ヶ所」の「二十三番札所」でもある。

「山門」をくぐる。

振り向けば「勝王寺」の扁額。

まず、まっすぐと「本堂」方向に向かう。

突き当たりには「多宝塔」。

左に曲がる。「勝尾寺」は「勝」の字から「勝運の寺」として信仰を集め、たくさんの「勝ちダルマ」が奉納されている。

「本堂」へ続く道。

立派な「石垣」を過ぎ右に曲がれば「本堂」が見えてくる。

ご本尊は「十一面千手観世音菩薩」である。

「本堂」前では願掛け用の「勝ちダルマ」が売られていた。「勝運」もお値段次第か?

境内を「東海自然歩道」が横切っているようだ。

奥へ進むと「二階堂」。「法然上人第五番霊場」。「勝尾寺」は「高野山真言宗」の寺院だが、ここだけは「浄土宗」として「法然上人」を祀る。

「二階堂」前のモミジがきれいだ。ちょっと時期は過ぎているが、ここは「紅葉」の名所。11月の紅葉シーズンには多くの人が訪れる。しかし「桜」「シャクナゲ」「アジサイ」「新緑」「雪」など四季折々の風景が楽しめるそうだ。

順路に従い山を下る。「勝ちダルマ奉納棚」を通り過ぎ「弁天池」へ。池には「弁財天」が祀られている。

「鯉の餌やり場」があり鯉が大きな口を開け餌をねだっていたが、今は冬眠前で餌やりは休止しているそうだ。

一巡し「花の茶屋」から境外へ。府道を右へ進む。

右手には「応頂閣」。宿坊のほか法話や研修などの施設がある。

「勝尾寺」を後に、途中「茶長阪川」という川を左に見ながら府道を進む。

今年に入って、この辺りで「クマの目撃情報」が数件あったなぁ。

10分ほどで三叉路に出るので右に進む。

「自然研究路」の歩道橋をくぐり坂を上る。

しばらくすると左に「箕面川治水ダム」。洪水調整用のロックフィルダムで堰堤の高さは約47m。豊能から流れる「高山川」などいくつかの川を堰き止め、昭和58年に完成した。

そして正面に「箕面隧道」。トンネルをくぐれば、今年ローマ法王から「福者(ふくしゃ)」に認定されたキリシタン大名「高山右近」の里、豊能町高山へと続く。

トンネルの手前で左折する。堰堤を渡りきれば右に展望台がある。ガードレールで塞がれているが簡単に越えられるので中へ。箕面川ダムの人造湖は「ゆうゆうレイク」と名付けられているそうだが一般的には知られていないなぁ。

堰堤脇の公園から「クマ注意」の張り紙を見ながらダム下の「自然研究路」に進む。北摂はツキノワグマの生息地ではないが行動範囲内らしい。


階段に突き当たるので左へ。

階段を下って行く。

トイレのある「政の茶屋園地駐車場」を抜ける。

東屋を右に見ながら進めば、そこには「箕面ビジターセンター」。剥製や標本で周辺の自然を紹介している。


裏から入ったので見学後、正面玄関から出る。

昼食は「うどん一杯」でやや物足りなかったので、「政の茶屋園地」のベンチで途中「ピーコック」で買った「一口いなり」(105円)で補食。

ダム湖を水源とする「箕面川」と先ほどの「茶長阪川」が合流するところで「もみじ橋」を渡り、しばらく「箕面川」に沿って歩く。


小さな滝が続く。


「箕面ビジターセンター」から15分ほどで左に駐車場が現れる。

「大日無料駐車場」。箕面の滝で唯一の駐車場であり普段は無料なのだが紅葉シーズンになれば有料に。トイレと自販機がある。

府道に沿って歩き、これより「箕面公園」へ。

「紅葉滝隧道」の横を抜ける。

結構紅葉が残っているな。

コンクリート舗装の坂を下り、2つ目のカーブを曲がらず展望台の左を真っ直ぐ進む。

正面には「箕面大滝」。

「箕面」といえば「滝」と言われ「日本の滝100選」にも選ばれている。

滝壺前の「瀧見橋」から、落差33mの滝を眺める。

特に「鮎」が泳いでいる訳ではないが「鮎の塩焼き」。

お土産屋や食堂が並び、観光地の雰囲気が漂う。
ここからは「滝道」と呼ばれる整備された遊歩道を下り、ゴールの「阪急箕面駅」を目指す。

店を抜けると右に何やら石碑が。

「箕面町警察長 故警視正 合田百一氏殉職之碑」。碑文を読むと、昭和26年7月の集中豪雨の際、避難誘導のため指揮にあたっていた当時の「合田百一箕面町警察長」が、ここで濁流に吞まれ殉職したという。

この淵は「釣鐘淵」と呼ばれるようだ。

「釣鐘淵」を過ぎ「戻岩橋」という橋を渡れば、遊歩道に大きな岩がせり出している。

かつて唐の貴人が「箕面大滝」の評判を聞きここまで来たが、あまりの険しさで引き返したとの伝説があり「唐人戻岩」と呼ばれる。当時「箕面大滝」は秘境だったのだろう。

「滝道」を下る。

しばらく歩くと「修業の古場休憩所」。トイレとお食事処がある。

2~3分で「落合橋」という橋を過ぎると右にトンネルが現れる。トンネルをくぐると池田の「五月山」へと続く。

トンネルの奥には石仏が。

そのまま「滝道」を下る。ここが駅から滝までのちょうど中間点になるんだな。

そして山の上を見上げれば「像」が佇む。そして「野口英世像」の表示。

大正4年アメリカから帰国した「野口英世」が、帰国を待ちわびていた老母とともに箕面を訪れたのを記念するとともに、博士の功績を讃え昭和30年11月に建立されたそうだ。

お土産屋さんを過ぎれば左の川沿いに「山本珈琲店」。ヨーロッパ風のカフェである。

すぐ向かいに何やら「お寺」があるので入っていく。「瀧安寺大辨財天尊」。裏口からの参拝となったが、裏にも「手水舎」があったので身を清めてから参拝した。

竹生島(滋賀県)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島県)と並ぶ「日本四弁天」のひとつだそうだ。

境内を抜ける。

「観音堂」前に出る。ここは約950年前の藤原兼隆の歌に「箕面富」というものがあり、富札の数字が合えば「大福御守」が授けられたことから「富くじ(宝くじ)」発祥の地と言われている(諸説あり)。

前方に見える赤い橋は「瑞雲橋」。橋を渡れば「本寺」に続くが境内は公開されていない。

元に戻り真っ直ぐ進んで門をくぐれば「瀧安寺前広場」。トイレがある。

「滝道」と「箕面川」をはさんで「本寺」である「瀧安寺」。白雉元(650)年、「役行者」が創建した修験道の道場で「空海」や「日蓮」「蓮如」なども修行をしたそうだ。先ほどの「瑞雲橋」が見える。

すぐ下流の「紅葉橋」を渡る。

ここから約400m、合計380段の階段と急な坂道を登る。

今回のコースで一番の難所だろう。

息を切らせ約10分で「望海丘展望台」。眺めが素晴らしい。

眺めを楽しみ先ほどの「紅葉橋」まで戻る。京都・貴船では夏になれば「川床(かわどこ)」が組まれるが、ここ箕面でも夏になれば「川床」が2つほど組まれ「かわゆか」と呼ばれる。

道には「ガス燈」風の街路灯が設けられている。

少し下れば右に「箕面公園昆虫館」。入園料270円を払って中へ。

箕面は「昆虫の宝庫」と呼ばれ多くの昆虫が生息する。巨大なゴキブリも。これは海外のものだろう。

奥の「放蝶園」では、たくさんの蝶が放されている。


珍しい昆虫や海外の昆虫の標本が飾られている。


昆虫館を出てさらに「滝道」を下り、お土産屋さんの前を過ぎる。だいぶ陽が傾いてきたな。

「森秀次」という人の銅像の前で道が分かれるが、すぐに合流するのでどちらでもOK。

道が合流した後、少し進めば左に「梅屋敷」。

中は休憩所になっており、観光パンフなどが置かれている。

隣には「川床(かわゆか)」。

すぐ右に「音羽山荘」。古い佇まい。

宿泊や食事・宴会、結婚披露宴などで利用されている。

「箕面」と言えば「滝」のほかに「サル」が有名だ。昭和30年ころ餌付けに成功し国の天然記念物に指定されたが、人慣れしたことから「猿害」が問題化。現在は山奥で餌付けされ、ほとんど見られなくなった。時折「離れサル」を目にする程度だ。

すぐに「一の橋」。「箕面駅」から来ればここが「箕面公園」への入口となる。一般車両はここまでしか入れない。

「一の橋」を渡れば左に「橋本亭」。明治43年に建てられた旅館でカフェやギャラリーとして利用されていた。

しかし今年5月の集中豪雨で裏の崖が崩れ、現在は閉鎖され鉄板の壁で覆われている。復旧の目処はたっているのだろうか。

「橋本亭」を過ぎると左に「聖天宮西江寺」への道があるので進んでみよう。

少し進めば左に鳥居が見えるので境内へ。

毎年10月境内では「天狗」が「ササラ」と呼ばれる竹のハタキの様な物で人を追いかけ回す「天狗まつり」が行われる。「ササラ」で頭を叩かれれば賢くなり、おしりを叩かれた女性は子宝に恵まれるという。

ここは斉明天皇4(658)年、「役行者」によって仏教の修行地として開かれたそうだ。一時廃れた時期があったが、現在は「高野山真言宗」の寺院となっている。象頭人身の「大聖歓喜天」や「大黒天」などをお祀りする。

紅葉も少し残っている。

「滝道」まで戻り少し進むと右に「ゆずるの足湯」。ここは「大江戸温泉物語」が運営する「足湯」。無料で利用できる。

そしてその奥に「箕面温泉スパーガーデン」。経営破綻し現在は「大江戸温泉物語」に経営権が移っている。泉質は「炭酸水素泉」。宿泊のほか「日帰り湯」「宴会」なども楽しめる。

「足湯」の裏には「ケーブル跡」。かつて「箕面スパーガーデン」までを結んでいたそうだが、今はエレベーターに変わり「廃線」となっている。

「大江戸温泉物語」を過ぎると左に「MINOH KAJIKASOU(箕面河鹿荘)」。古い木造旅館をリノベーションしたイタリアンレストランで、ここも結婚披露パーティーなどで利用されている。

道の両側に「お土産屋さん」が並ぶ。観光地らしい雰囲気だ。

お土産のメインは「もみじの天ぷら」。歴史は1300年前の「役行者」までさかのぼると言われる。

塩漬けにして保存した「もみじ」の葉っぱを砂糖を加えた衣で包み菜種油でカラッと揚げる。

「天ぷら」と思って食べると「何?この味」と思う。どちらかと言えば「かりん糖」かな?お菓子であり「ビールの肴」にはならない。

「滝の道ゆずる」君。箕面市のいわゆる「ゆるキャラ」であるが、過去3回ゆるキャラグランプリで「近畿・大阪第1位」に輝いた。全国でも上位にランキングされているそうだ。箕面名物の「滝」と「柚(ゆず)」そして「道をゆずる」にかけて命名されたのだろう。

ここの店頭には「箕面ビール」。結構有名な地ビールで、世界のビールコンテストで「金賞」を受賞しているそうだ。

箕面市内の飲食店や酒屋、コンビニなどで売られている。

お土産屋さんが終われば、目の前には今日のゴールである「阪急箕面駅」が見える。

だが「交番前」を左に曲がろう。角には「萱野三平邸」への道標(「野里町歩き~摂河泉をゆく~箕面から豊中『てしま野』を歩く」参照)。

道なりに進まず脇道を左に入ると、すぐに立派な「旧家」が現れる。

そしてその軒先を湧き水なのだろうか川なのだろうか清流が流れる。

昔は野菜を洗ったりしたのだろう。

その向かいには古い道標も。この道は先ほど訪れた「西江寺」から続く「中の坂」と呼ばれる道だ。

坂を下っていくとすぐ左に雰囲気のある町家が現れる。ここは「役行者」ゆかりの高級抹茶を練り込んだ「行者そば」を扱う「花畑商店」。店で食べるのではなく「生蕎麦」を売る店だ。

そのまま進めば右に本日のゴールである「箕面駅」前のロータリーに出る。

午後4時ゴールの阪急電車「箕面駅」に到着。本日の歩紀「27370歩」(18.61km)。そして駅舎には「箕面交通・観光案内所」。そこに「もみじの足湯」という「足湯」が併設されている。

オリジナルタオルが付いて150円。営業時間は平日午前10時から午後4時(受付終了:午後3時40分)。休日午前9時から午後5時(受付終了:午後4時40分)だ。入口は駅の外なので利用する方は改札を入る前に。

「箕面駅」ホームから山の中腹にそびえる「大江戸温泉物語(箕面温泉スパーガーデン)」を望む。ここから「梅田駅」まで約25分(270円)。大阪からすぐ近くだが「寺」あり「山」あり「谷」あり「滝」あり「湯」ありの一日だった。
出 発:「みのおキューズモール」
到 着:阪急電車「箕面駅」
「箕面」といえば「紅葉」。しかし紅葉シーズンは大混雑する。あえて紅葉が終わったこの季節に歩いてみた。コースとしては「旧西国街道」から「勝尾寺旧参道」を通り、「勝尾寺」から「箕面大滝」へ。そして「滝道」から箕面駅へ抜ける。「勝尾寺旧参道」は完全な山道(登山)なのでそれなりの装備で。今日から新しい「歩数計」を持つ。
今日のスタート地点は「みのおキューズモール」。大阪市と北摂を結ぶ大動脈「新御堂筋」の突き当たり「箕面トンネル」に入る手前にある。千里中央駅から「みのおキューズモール」行きシャトルバス(220円)で約10分。阪急「箕面駅」からも阪急バス(220円)がある。

平成15年「カルフール」を中心に「箕面マーケットプレイスヴィソラ」としてオープンしたが、その後「東急」に経営権が移り今は「イオン箕面店」を中心に100を越える店舗や飲食店・シネマなどが入るショッピングモールとして生まれ変わった。


私が愛用する「モンベル」もある。

ショッピングモールの中を流れる「千里川」は親水公園として整備されている。午前10時「みのおキューズモール」をスタート。

「みのおキューズモール」の南側、国道171号線と新御堂筋が立体で交差する「萱野交差」の北東角に「木戸ケ池緑地」。

その畔には「旧西国街道」から「箕面山」への「道標」が立つ。「旧西国街道」と「箕面山」へ向かう三叉路にあったものが「新御堂筋」の工事に際しここへ移されたという。箕面市で最古の道標らしい。こういう道標があるということは、当時の日本人の識字率はかなり高かったんだろうな。東へと進む。

すぐに「西宿西交差点」で国道171号線を渡り、さらに東へと進んでいく。

「旧街道」らしい風景が残る。

立派なお屋敷があったので振り返るとまるで「天守閣」のようだな。

平行して国道171号線が走るので少しザワザワしている。

しかし所々田畑も見られる。

細い道が「旧街道」の雰囲気を残しているが、家は結構新しく建て替えられている。

右に「箕面墓地公園」を見ながら進む。関東地方には平野の霊園は多いが、関西では霊園はほとんどが山間部に造成されており平野部の霊園は珍しい。

墓地公園を過ぎると「郷之久保川」という小さな流れを渡る。

橋を過ぎて最初の三叉路の左に鳥居が。「勝尾寺大鳥居」だ。

「大鳥居」の足下には「勝尾寺」までの「町石」が。「町石」とは寺社への道案内と距離を示す石の道標。1町は約109m。「丁」ともいう。勝尾寺まで「36町」およそ4,000mか。4kmといえば「1里」だな。

「大鳥居」をくぐればすぐに国道171号線を渡る。交差点名は「勝尾寺口」。その名のとおり、ここは「西国街道」から「勝尾寺」への入口なのだ。交差点の奥に「鳥居」が見える。

神社への参道の角にも「町石」。

参道を進めば「春日神社」。かつてこの辺りは「藤原家」の領地であったらしい。お寺にお参りするのだが神様にも今日の安全を祈願する。

元の道に戻り北へ。すぐに右に「ピーコックストアー」。給水ポイントだ。

さらに北へ進むと消防署の前にも「町石」らしき石標。

そのまま進めば左に「高野山真言宗帝釈寺」。寺の縁起によると、この後訪れる「勝尾寺」に清和天皇がお参りした際「勝尾寺」を内院、そして当寺を「外院」と称したことから、この辺りの地名を「外院(げいん)」と呼ぶそうだ。

聖徳太子の御神告により建立されたと伝わる。毎年節分の時期に行われる「護摩焚き」と「火渡り」の「節分会福護摩祭り」が有名だ。

本堂前の石灯籠は寛政10(1798)年の造立である。

ここでも安全を祈願してお参りする。「帝釈天」「毘沙門天」「弁財天」の「三天」を祀る。

そして境内にも「町石」。

お寺の前には立派な旧家。

境内を出る。お寺の東向かいには「新池」という池の土手下に「地蔵尊」。

池の北側には「皿池公園」という公園がありトイレも。

すぐ角は「帝釈寺北交差」。左側をのぞき込むと「サークルK」。最終の給水・トイレポイントである。

交差点を渡ればすぐに分かれ道。ここにも「町石」が立つ。案内表示に従って左へ。

畑の中を進んでいく。

右の草むらの中にも「町石」。「二十七町」と読める。

左に「奥土池」というため池の土手を見ながら進む。

ここにも「町石」。「二十?」。

坂を進めばすぐに「獣除けの扉」に突き当たる。

ここから約1時間の山歩きになる。「さあ、山に入るぞ。」必ず扉を閉めること。

池の横に「町石」。「二十三」と読める。

坂道を登っていく。

「旧参道」を進む。

「獣除けの扉」から10分ほどで眺めの良い高台に出る。

そしてその後ろが「旧参道」と「古参道」の分岐。町石が立つ「古参道」(左)へ進む。

道はしっかりとしている。

「町石」と赤いテープに従い進んでいこう。

ここにも「町石」。一町(109m)進んだんだな。

途中左に道が現れるが案内表示に従って真っ直ぐ進む。

どんどん進んでいこう。

前方に「旧参道」が見えてくるが階段を登り左へ。

すぐに「旧参道」との合流点。右から「旧参道」から来たハイカーが。分岐点から45分ほどかかった。

「古参道」と別れ「旧参道」に合流して初めての「町石」。

「旧参道」は「外院尾根」という尾根伝いに続く。

西にある「ウツギ谷」という谷底に沿った道もあるようだ。

時々展望の効く場所がある。

イノシシが掘り起こした跡だな。

ひときわ立派な「町石」が現れる。

先の「案内地図」の手前の標識には「後方・しらみ地蔵」の文字。

脇道にそれて2~3分で右手に「しらみ地蔵」が立つ。

元の道に戻り「勝尾寺」方向(左)へ。

坂を登ると「町石」。ほとんどの「町石」は風雨にさらされ文字は読めない。

「しらみ地蔵」の分岐から5~6分で林の中に佇む「勝尾寺旧境内傍示八天石蔵」。鎌倉時代に「勝尾寺」の寺領を表す傍示として設置。8ヶ所に仏像8体を信楽焼の器に納めて埋め、その上に石檀を組んだものの1つである。

ここから石組みに沿って「旧参道」を進む。左には「四町石」。

続いて「三町石」。

少し進むと左に小さな「道標」が。

「自然研究路」との分岐を過ぎると「二町石」。「旧参道」は石段となっている。

「一町石」を見ながら石段を下る。ただ「四町石」から「一町石」まで間隔が短かったように感じるのだが・・・気のせいだろうか。

長い石段の向こうに大きなお寺が見えてきた。

「勝尾寺」だ。山岳宗教のころより聖地として崇拝されてきたようだが、貞観年間(859~877年)、清和天皇の時代に「勝王寺」となり「王に勝つ」とは畏れ多いとして「勝尾寺」と改められたそうだ。そのため「勝尾寺」と書いて「かつおうじ」とも読む。

右に「花の茶屋」というお休み処がある。

お土産屋さんや庭園を眺めながら食事などが楽しめるコーナーがある。


時間は午後0時20分「きつねうどん」(550円)で昼食とする。発泡スチロールの容器で出てきた。食事はきつねうどんくらいで、あとは喫茶メニューが中心である。

そして「花の茶屋」が入山受付口となる。

入山(参拝)料(400円)を納め境内へ進む。「山号」を「應頂山」と言い「西国三十三ヶ所」の「二十三番札所」でもある。

「山門」をくぐる。

振り向けば「勝王寺」の扁額。

まず、まっすぐと「本堂」方向に向かう。

突き当たりには「多宝塔」。

左に曲がる。「勝尾寺」は「勝」の字から「勝運の寺」として信仰を集め、たくさんの「勝ちダルマ」が奉納されている。

「本堂」へ続く道。

立派な「石垣」を過ぎ右に曲がれば「本堂」が見えてくる。

ご本尊は「十一面千手観世音菩薩」である。

「本堂」前では願掛け用の「勝ちダルマ」が売られていた。「勝運」もお値段次第か?

境内を「東海自然歩道」が横切っているようだ。

奥へ進むと「二階堂」。「法然上人第五番霊場」。「勝尾寺」は「高野山真言宗」の寺院だが、ここだけは「浄土宗」として「法然上人」を祀る。

「二階堂」前のモミジがきれいだ。ちょっと時期は過ぎているが、ここは「紅葉」の名所。11月の紅葉シーズンには多くの人が訪れる。しかし「桜」「シャクナゲ」「アジサイ」「新緑」「雪」など四季折々の風景が楽しめるそうだ。

順路に従い山を下る。「勝ちダルマ奉納棚」を通り過ぎ「弁天池」へ。池には「弁財天」が祀られている。

「鯉の餌やり場」があり鯉が大きな口を開け餌をねだっていたが、今は冬眠前で餌やりは休止しているそうだ。

一巡し「花の茶屋」から境外へ。府道を右へ進む。

右手には「応頂閣」。宿坊のほか法話や研修などの施設がある。

「勝尾寺」を後に、途中「茶長阪川」という川を左に見ながら府道を進む。

今年に入って、この辺りで「クマの目撃情報」が数件あったなぁ。

10分ほどで三叉路に出るので右に進む。

「自然研究路」の歩道橋をくぐり坂を上る。

しばらくすると左に「箕面川治水ダム」。洪水調整用のロックフィルダムで堰堤の高さは約47m。豊能から流れる「高山川」などいくつかの川を堰き止め、昭和58年に完成した。

そして正面に「箕面隧道」。トンネルをくぐれば、今年ローマ法王から「福者(ふくしゃ)」に認定されたキリシタン大名「高山右近」の里、豊能町高山へと続く。

トンネルの手前で左折する。堰堤を渡りきれば右に展望台がある。ガードレールで塞がれているが簡単に越えられるので中へ。箕面川ダムの人造湖は「ゆうゆうレイク」と名付けられているそうだが一般的には知られていないなぁ。

堰堤脇の公園から「クマ注意」の張り紙を見ながらダム下の「自然研究路」に進む。北摂はツキノワグマの生息地ではないが行動範囲内らしい。


階段に突き当たるので左へ。

階段を下って行く。

トイレのある「政の茶屋園地駐車場」を抜ける。

東屋を右に見ながら進めば、そこには「箕面ビジターセンター」。剥製や標本で周辺の自然を紹介している。


裏から入ったので見学後、正面玄関から出る。

昼食は「うどん一杯」でやや物足りなかったので、「政の茶屋園地」のベンチで途中「ピーコック」で買った「一口いなり」(105円)で補食。

ダム湖を水源とする「箕面川」と先ほどの「茶長阪川」が合流するところで「もみじ橋」を渡り、しばらく「箕面川」に沿って歩く。


小さな滝が続く。


「箕面ビジターセンター」から15分ほどで左に駐車場が現れる。

「大日無料駐車場」。箕面の滝で唯一の駐車場であり普段は無料なのだが紅葉シーズンになれば有料に。トイレと自販機がある。

府道に沿って歩き、これより「箕面公園」へ。

「紅葉滝隧道」の横を抜ける。

結構紅葉が残っているな。

コンクリート舗装の坂を下り、2つ目のカーブを曲がらず展望台の左を真っ直ぐ進む。

正面には「箕面大滝」。

「箕面」といえば「滝」と言われ「日本の滝100選」にも選ばれている。

滝壺前の「瀧見橋」から、落差33mの滝を眺める。

特に「鮎」が泳いでいる訳ではないが「鮎の塩焼き」。

お土産屋や食堂が並び、観光地の雰囲気が漂う。

ここからは「滝道」と呼ばれる整備された遊歩道を下り、ゴールの「阪急箕面駅」を目指す。

店を抜けると右に何やら石碑が。

「箕面町警察長 故警視正 合田百一氏殉職之碑」。碑文を読むと、昭和26年7月の集中豪雨の際、避難誘導のため指揮にあたっていた当時の「合田百一箕面町警察長」が、ここで濁流に吞まれ殉職したという。

この淵は「釣鐘淵」と呼ばれるようだ。

「釣鐘淵」を過ぎ「戻岩橋」という橋を渡れば、遊歩道に大きな岩がせり出している。

かつて唐の貴人が「箕面大滝」の評判を聞きここまで来たが、あまりの険しさで引き返したとの伝説があり「唐人戻岩」と呼ばれる。当時「箕面大滝」は秘境だったのだろう。

「滝道」を下る。

しばらく歩くと「修業の古場休憩所」。トイレとお食事処がある。

2~3分で「落合橋」という橋を過ぎると右にトンネルが現れる。トンネルをくぐると池田の「五月山」へと続く。

トンネルの奥には石仏が。

そのまま「滝道」を下る。ここが駅から滝までのちょうど中間点になるんだな。

そして山の上を見上げれば「像」が佇む。そして「野口英世像」の表示。

大正4年アメリカから帰国した「野口英世」が、帰国を待ちわびていた老母とともに箕面を訪れたのを記念するとともに、博士の功績を讃え昭和30年11月に建立されたそうだ。

お土産屋さんを過ぎれば左の川沿いに「山本珈琲店」。ヨーロッパ風のカフェである。

すぐ向かいに何やら「お寺」があるので入っていく。「瀧安寺大辨財天尊」。裏口からの参拝となったが、裏にも「手水舎」があったので身を清めてから参拝した。

竹生島(滋賀県)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島県)と並ぶ「日本四弁天」のひとつだそうだ。

境内を抜ける。

「観音堂」前に出る。ここは約950年前の藤原兼隆の歌に「箕面富」というものがあり、富札の数字が合えば「大福御守」が授けられたことから「富くじ(宝くじ)」発祥の地と言われている(諸説あり)。

前方に見える赤い橋は「瑞雲橋」。橋を渡れば「本寺」に続くが境内は公開されていない。

元に戻り真っ直ぐ進んで門をくぐれば「瀧安寺前広場」。トイレがある。

「滝道」と「箕面川」をはさんで「本寺」である「瀧安寺」。白雉元(650)年、「役行者」が創建した修験道の道場で「空海」や「日蓮」「蓮如」なども修行をしたそうだ。先ほどの「瑞雲橋」が見える。

すぐ下流の「紅葉橋」を渡る。

ここから約400m、合計380段の階段と急な坂道を登る。

今回のコースで一番の難所だろう。

息を切らせ約10分で「望海丘展望台」。眺めが素晴らしい。

眺めを楽しみ先ほどの「紅葉橋」まで戻る。京都・貴船では夏になれば「川床(かわどこ)」が組まれるが、ここ箕面でも夏になれば「川床」が2つほど組まれ「かわゆか」と呼ばれる。

道には「ガス燈」風の街路灯が設けられている。

少し下れば右に「箕面公園昆虫館」。入園料270円を払って中へ。

箕面は「昆虫の宝庫」と呼ばれ多くの昆虫が生息する。巨大なゴキブリも。これは海外のものだろう。

奥の「放蝶園」では、たくさんの蝶が放されている。


珍しい昆虫や海外の昆虫の標本が飾られている。


昆虫館を出てさらに「滝道」を下り、お土産屋さんの前を過ぎる。だいぶ陽が傾いてきたな。

「森秀次」という人の銅像の前で道が分かれるが、すぐに合流するのでどちらでもOK。

道が合流した後、少し進めば左に「梅屋敷」。

中は休憩所になっており、観光パンフなどが置かれている。

隣には「川床(かわゆか)」。

すぐ右に「音羽山荘」。古い佇まい。

宿泊や食事・宴会、結婚披露宴などで利用されている。

「箕面」と言えば「滝」のほかに「サル」が有名だ。昭和30年ころ餌付けに成功し国の天然記念物に指定されたが、人慣れしたことから「猿害」が問題化。現在は山奥で餌付けされ、ほとんど見られなくなった。時折「離れサル」を目にする程度だ。

すぐに「一の橋」。「箕面駅」から来ればここが「箕面公園」への入口となる。一般車両はここまでしか入れない。

「一の橋」を渡れば左に「橋本亭」。明治43年に建てられた旅館でカフェやギャラリーとして利用されていた。

しかし今年5月の集中豪雨で裏の崖が崩れ、現在は閉鎖され鉄板の壁で覆われている。復旧の目処はたっているのだろうか。

「橋本亭」を過ぎると左に「聖天宮西江寺」への道があるので進んでみよう。

少し進めば左に鳥居が見えるので境内へ。

毎年10月境内では「天狗」が「ササラ」と呼ばれる竹のハタキの様な物で人を追いかけ回す「天狗まつり」が行われる。「ササラ」で頭を叩かれれば賢くなり、おしりを叩かれた女性は子宝に恵まれるという。

ここは斉明天皇4(658)年、「役行者」によって仏教の修行地として開かれたそうだ。一時廃れた時期があったが、現在は「高野山真言宗」の寺院となっている。象頭人身の「大聖歓喜天」や「大黒天」などをお祀りする。

紅葉も少し残っている。

「滝道」まで戻り少し進むと右に「ゆずるの足湯」。ここは「大江戸温泉物語」が運営する「足湯」。無料で利用できる。

そしてその奥に「箕面温泉スパーガーデン」。経営破綻し現在は「大江戸温泉物語」に経営権が移っている。泉質は「炭酸水素泉」。宿泊のほか「日帰り湯」「宴会」なども楽しめる。

「足湯」の裏には「ケーブル跡」。かつて「箕面スパーガーデン」までを結んでいたそうだが、今はエレベーターに変わり「廃線」となっている。

「大江戸温泉物語」を過ぎると左に「MINOH KAJIKASOU(箕面河鹿荘)」。古い木造旅館をリノベーションしたイタリアンレストランで、ここも結婚披露パーティーなどで利用されている。

道の両側に「お土産屋さん」が並ぶ。観光地らしい雰囲気だ。

お土産のメインは「もみじの天ぷら」。歴史は1300年前の「役行者」までさかのぼると言われる。

塩漬けにして保存した「もみじ」の葉っぱを砂糖を加えた衣で包み菜種油でカラッと揚げる。

「天ぷら」と思って食べると「何?この味」と思う。どちらかと言えば「かりん糖」かな?お菓子であり「ビールの肴」にはならない。

「滝の道ゆずる」君。箕面市のいわゆる「ゆるキャラ」であるが、過去3回ゆるキャラグランプリで「近畿・大阪第1位」に輝いた。全国でも上位にランキングされているそうだ。箕面名物の「滝」と「柚(ゆず)」そして「道をゆずる」にかけて命名されたのだろう。

ここの店頭には「箕面ビール」。結構有名な地ビールで、世界のビールコンテストで「金賞」を受賞しているそうだ。

箕面市内の飲食店や酒屋、コンビニなどで売られている。

お土産屋さんが終われば、目の前には今日のゴールである「阪急箕面駅」が見える。

だが「交番前」を左に曲がろう。角には「萱野三平邸」への道標(「野里町歩き~摂河泉をゆく~箕面から豊中『てしま野』を歩く」参照)。

道なりに進まず脇道を左に入ると、すぐに立派な「旧家」が現れる。

そしてその軒先を湧き水なのだろうか川なのだろうか清流が流れる。

昔は野菜を洗ったりしたのだろう。

その向かいには古い道標も。この道は先ほど訪れた「西江寺」から続く「中の坂」と呼ばれる道だ。

坂を下っていくとすぐ左に雰囲気のある町家が現れる。ここは「役行者」ゆかりの高級抹茶を練り込んだ「行者そば」を扱う「花畑商店」。店で食べるのではなく「生蕎麦」を売る店だ。

そのまま進めば右に本日のゴールである「箕面駅」前のロータリーに出る。

午後4時ゴールの阪急電車「箕面駅」に到着。本日の歩紀「27370歩」(18.61km)。そして駅舎には「箕面交通・観光案内所」。そこに「もみじの足湯」という「足湯」が併設されている。

オリジナルタオルが付いて150円。営業時間は平日午前10時から午後4時(受付終了:午後3時40分)。休日午前9時から午後5時(受付終了:午後4時40分)だ。入口は駅の外なので利用する方は改札を入る前に。

「箕面駅」ホームから山の中腹にそびえる「大江戸温泉物語(箕面温泉スパーガーデン)」を望む。ここから「梅田駅」まで約25分(270円)。大阪からすぐ近くだが「寺」あり「山」あり「谷」あり「滝」あり「湯」ありの一日だった。
