「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

「 放送大学 」キャンパスライフ最終章

2024-02-27 20:58:02 | 日記
 平成14年度第1学期は、
  放送授業  1科目  2単位(累計 125単位)
を修得しました。4年以上在学、124単位(うち面接授業20単位、外国語科目6単位、保健体育科目2単位)以上修得。すべての卒業条件をクリアーしました。5年の学生生活と言ってきましたが実際には5年と1学期です。

最強の女神「韓国語」
 私は外国語科目2単位のため涙を飲んできました。しかし何と平成14年度から放送大学の外国語科目に「韓国語Ⅰ、Ⅱ」が追加されることになったのです。そして実は私、韓国語が「ペラペラ」とまでは言いませんがかなり喋れるのです。その理由については機会があればお話ししますが「在日コリアン」というわけではありません。きちんとした学校で2年間学習しました。特に検定等は持っていませんがレベル的には職場で通訳をしたり、これまで4度の渡韓歴がありますが入国から出国までそれぞれおよそ1週間、入出国手続きからホテルでの宿泊手続き、買い物、食事、観光そのための公共交通機関の利用など何不自由なくできます。一度ぼったくられることもなく居酒屋で泥酔したこともありました。後は単位認定試験の日に仕事が入らないことを祈るだけです。

秋の卒業式
 そして無事仕事が入ることもなく平成14年7月28日(日)「韓国語Ⅰ」の単位認定試験を大阪学習センターで受験しました。実はテキストは「パラパラ見」はしましたが、一度も放送授業は視聴していません(スミマセン)。そして後日送られてきた成績通知ではもちろん「マルA(100~90点)」で合格でした。自己採点では満点です。外国語科目で最後まで泣かされましたが、最後はあっけない幕引きでした。これで放送大学を「卒業」です。
 放送大学の全体的な卒業式は年度末の3月、東京で行われるようですが、私は平成14年9月22日(日)大阪学習センターで行われたささやかな「卒業証書・学位記授与式」(実はこの日も仕事だったのですが無理を言って休みました。日曜日なのに)に出席。「教養学士」の学位を授与されたのです。長い道のりでした(特に誰からも祝われたわけではありませんが自分自身では「涙」「涙」)。



 私が放送大学生当時、放送大学の英訳は「THE UNIVERSITY OF THE AIR」でした。これは「一般に開かれた大学」という「目的」の英訳ではなく「放送による大学」という「手段」を訳したのでしょうね。確かに当時は「首都圏」の人にしか開かれていませんでしたから(笑)。しかし今では「THE OPEN UNIVERSITY OF JAPAN」と訳されています。BS放送やインターネットにより正にすべての人に公開されました。また国によっては通学制の公開大学もあるそうですから授業媒体にこだわる必要もありませんね。日本で「どこの大学を卒業されましたか?」と聞かれ「放送大学です」と答えたところ「何それ?」と言われることが多いと思いますが、海外で「OPEN UNIVERSITYを卒業しています」と答えれば「へー、そうなんですね」と言われるのでしょうね。早く日本もそんな時代が来れば良いのですが。


再入学
 実は私は令和の時代に入ってから一度「選科履修生」として放送大学に再入学しています。前職を定年退職後、縁あって「小学校」で働くことになりました。これまでとは全く異なる職種だったので3年間在籍し、主に特別支援教育関係4科目8単位を修得しました。これまでのように机上の学習ではなく、教育現場に身を置きながらの学習でしたのでとても勉強になりました。余力で「韓国語Ⅱ」も修得しています。


 長らくお付き合いくださりありがとうございました。参考になれば幸いです。参考にならなければ無視してくださいね。放送大学については今回で終わりです。歩紀の合間にまたいろいろと「思いつくままに」綴りたいと思います。ただ私のブログは思想・信条や政治・社会問題について論議する場ではありませんのでよろしくお願いします。ありがとうございました。  おわり
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「 放送大学 」キャンパスライフ16

2024-02-22 17:23:34 | 日記
 平成13年度第2学期も
  放送授業  0科目  0単位(累計 123単位)
です。放送大学での学生生活も5年が過ぎました。しかしこれは「中国語Ⅰ」が不合格だったということではありません。あえて受験しなかったのです。その理由は?

女神降臨
 「中国語Ⅰ」が合格であれば栄えて卒業なのですが、万一不合格の時に備えて次学期の科目登録、私の場合は外国語科目を登録しておかなければ学籍を失います。しかしここで「女神」がほほ笑んだのです。しかも最強の女神が。次学期の単位認定試験が仕事で受けられないということでもない限り確実に卒業できることになりました。そのためあえて「中国語Ⅰ」を受験しなかったのです。私の放送大学での学習もこれで終了しました。  つづく
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「 放送大学 」キャンパスライフ15

2024-02-21 21:15:03 | 日記
 平成13年度第1学期は、
  放送授業  0科目  0単位(累計 123単位)
です。「中国語Ⅰ」はまたしても仕事のため単位認定試験が受けられませんでした。

留年状態
 放送大学は10年間在籍できるので「留年」という概念はありません。しかし卒業に必要な単位が取れなかったのですから留年状態です。
 幸い放送大学の制度として学籍があれば次学期に限り再試験が可能であり、私の場合他の科目を履修する必要もありませんでしたので授業料は発生せず経済的なダメージはありませんでした。これが放送大学の素晴らしいところです。履修する科目だけ授業料を納めればいいのです。授業料(当時1科目8,000円)といっても放送授業は誰でも視聴することができます。結局検定料・テキスト代のようなものです。授業料「タダ」の大学ってすごいですね。  つづく
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「 放送大学 」キャンパスライフ14

2024-02-17 09:57:57 | 日記
 平成12年度第2学期は、
  放送授業  3科目  6単位(累計 123単位)
を修得しました。

外国語科目~その4
 6科目登録し3科目6単位を修得しました。あと1単位です。しかし私の場合、外国語科目を2単位修得しなければなりません。そして前学期未受験だった「中国語Ⅰ」の試験を受けたのですが見事に不合格でした。これまで何回かあったチャンスを逃さなければ、当時卒業率5%と言われた最短の4年間で卒業することも夢ではありませんでした。

 しかし仕方ありません。気を取り直し来年度は外国語科目に1点集中です。いろいろ悩んだのですが放送授業15回分を東京で録音したカセットテープを持って帰ってきましたので、やはり「中国語Ⅰ」を再々登録することにしました。これなら学習センターに通ったりカセットテープの貸し出しを受ける必要もありません。  つづく
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「 放送大学 」キャンパスライフ13

2024-02-14 20:42:25 | 日記
 平成12年度第1学期は、
  放送授業  3科目  6単位(累計 117単位)
を修得しました。

帰阪
 この年の3月、3年間の東京勤務を終え帰阪し「大阪学習センター」に所属変更をしています。平成10年から放送大学は全国化されましたので大学卒業資格が得られる全科履修生が地方の学習センターでも受け入れられるようになったのです。


外国語科目~その3
 今学期5科目登録し2科目を落としました。というか仕事が忙しく単位認定試験が受けられなかったのです。そのうち1科目が「中国語Ⅰ」でした。来年の追試どうでしょうか。

 これまでと環境はがらりと変わり、振り返れば土日や夏休みはそれなりに休んでいるのですが、前日にならなければ明日休めるかどうかわからないような環境であり長期的な計画はまったく立てられません。年休などは病気か冠婚葬祭くらいで、自分のために取得したことなどほとんどありません。そんなブラックな職場でも何とか受験した3科目6単位を修得しました。頑張ったと思います。

 放送大学は全国化されたとはいえ地方では「スカパー」と契約しなければなりません。今であればインターネットはもちろんケーブルテレビなど比較的簡単・安価に契約できるのですが、当時では結構費用がかさみ、あの鍋蓋のようなパラボラアンテナも購入しなければなりませんでした。私は残り数科目だったので契約はせず学習センターのビデオ・カセットテープの貸し出しで乗り切りました。結構苦労しましたよ。
 またこんなことになることはわかっていましたので面接授業だけは東京での3年間で規定の20単位をクリアーしており、後は放送授業の単位認定試験日に仕事が入らないことを祈るばかりでした。あと7単位です。科目数的には4科目ほどですが問題は「外国語科目」です。  つづく
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マダムの街から下町商店街へ「芦屋市」を歩く

2024-02-11 02:05:19 | 日記
訪問日:令和6年2月10日(土)
出 発:阪急電車「芦屋川駅」
到 着:阪神電車「打出駅」

 極寒の2月。木々や草花は枯れ、どこを歩いても彩りは薄いと思います。かと言って冬ごもりをするわけにもいきません。町を歩きましょう。ということで今回は大阪と神戸の中間に位置する「兵庫県芦屋市」。南北に細長い市の阪急神戸線以北は六甲山地の一画ですので南部の市街地を歩きます。芦屋市は「芦屋マダム」という言葉があるように関西一の高級住宅街として知られています。さてどんな町でしょうか?市街地を歩くので給水・トイレには全く困りません。特にトイレ。


 今日のスタートは阪急電車「芦屋川駅」。「関西5珍名山」で「ゴロゴロ岳」に登った時のスタート地点です。「大阪梅田駅」から約20分(290円)。午前9時15分、公衆トイレがある駅北口の「芦屋川駅前広場」でウォーミングアップをし、今日も元気に出発です。


 阪急神戸線以南を歩くと言っておきながらとりあえず北に向かって歩きます。前回のゴロゴロ岳同様、橋を渡って芦屋川の左岸を北に進みます。前回は「開森橋」から「ライト坂」を真っ直ぐ上りましたが、今回は右に曲がり交番の前を通り過ぎて東へ進みます。


 狭い道の左右には低層マンションや邸宅が並びます。


 この道は「芦屋神社参道」と呼ばれています。歩紀ですので真っ直ぐ進みます。


 高級住宅街の向こうに「海が見えるぞ」


 この街には「おベンツ様」がよく似合います。


 そして坂を上れば左奥に鳥居が。


 「芦屋神社」に着きました。「天穂日命(あめのほひのみこと)」など多くの神様をお祀りします。(午前9時30分)


 明治時代に入り付近にある多くの神社を合祀し、芦屋村総鎮守として創建されたそうです(同社ホームページより)。今日一日の安全を祈願しましょう。


 境内の「水神社」は古墳時代後期に造られたと思われる円墳の横穴式石室内に祀られており、かつてこの辺りを支配する強大な勢力が存在したことがうかがわれます。


 鳥居の横には「印章塚」。役目を終えた印鑑の供養碑だそうです。


 参拝を終え東に隣接する「東芦屋公園」との間の坂道を上って行きます。公園内に公衆トイレがあります。


 100mほどで左に「山手緑地」と書かれた石柱。後ろの立派な門を入って行きましょう。


 ここは旧藤井邸の「松風山荘」という屋敷跡で蔵や庭園が残されています。




 ここにも出るんだな。


 見学を終え先ほどの門を一旦右へ戻ります。すぐ右に路地がありますので入って行きます。地図を頼りに高級住宅街を抜けます。


 右にこの階段が見えれば上ります。


 突き当りの生垣を左に曲がれば「芦屋市立山手小学校」。昭和8年創立の古い小学校だそうです。


 山手小学校を抜ければ「ライト坂」に出るので左折。ちょっと坂を下れば右に「ヨドコウ迎賓館」の入口が見えます。ゴロゴロ岳登山の時に前を通り過ぎました。午前10時から公開されているので中に入って行きましょう。(午前9時56分)


 ただ2月10日から4月7日まで「雛人形展」が開催されており完全事前予約制のため入館することができませんでした。


 外から国の重要文化財に指定されている「旧山邑家住宅」を撮影させてもらいました。


 そのままライト坂を下れば先ほど通った「開森橋」。橋を渡って左に曲がります。


 すぐに右の路地に入り坂を下って行けば今日のスタート地点である芦屋川駅のすぐ西側に出ます。そこには古い病院が。(午前10時7分)


 病院を右に見ながら狭い一方通行路を西に進み「安楽寺」というお寺の前を通り過ぎます。


 さらに進めば。有名なプリン屋さんなんだろうな。


 その先には「芦屋廃寺址」の石碑。


 100mほどで左に「八幡神社裏参道」という看板が見えてきますが先を左折して正面に回りましょう。「三条八幡神社」です。小さな川(溝?)を跨ぐ石橋には「昭和6年5月」と刻まれています。(午前10時14分)


 参拝を終え目の前の阪急神戸線ガードをくぐり、これまで神戸歩紀で何度も歩いている「山手幹線」という大通りを渡ります。


 さらにJR神戸線の踏切を渡って右に曲がれば左に「清水公園」という公園が見えてきました。入って行きましょう。(午前10時25分)


 住宅街の小さな公園ですが川が流れています。


 ビオトープもあるようですね。ビオトープとは単に池を配した公園ではなく、水生動植物が自生できるように造られた池のことを言うそうですね。


 公園を抜ければ国道2号線に出るので左に曲がります。一応「西国街道」のようですが面影はありませんね。


 郵便局を過ぎ「前田交差点」を渡ってから左折すれば右に「前田公園」。公衆トイレがあります。(午前10時34分)


 六甲山系の湧き水でしょうか、ここも住宅街の小さな公園ですが川が流れています。


 公園内には縄文時代から弥生時代にかけての複合遺跡である「前田遺跡」があります。これは水田跡に残っていた弥生人の足跡らしいですよ。


 25.5cmの私の足と比べてみてください。


 公園から北に進みJRに突き当たれば右へ。少し歩けば芦屋川に突き当たるのですが、その手前角には「芦屋仏教会館」という鉄筋4階建てのレトロな建物が立ちます。(午後10時41分)


 昭和2年に建てられ戦災や震災も乗り越えてきたそうです。国の登録有形文化財に登録されています。


 左に曲がりJR神戸線を越え「大正橋」で芦屋川を渡ればこの道は「駅前通り」。どこの駅に続くのでしょうか。


 「JR芦屋駅」でした。(午前10時52分)


 駅北口は「大丸」などが入る駅ビルが駅前通りを挟んで「ラポルテ」という商業施設と陸橋で結ばれており、お洒落なショッピングモールになっています。


 セブンイレブンが入る「ラポルテ北館」と「みなと銀行」の間を北に進んで行きます。


 角にキリスト教会と「芦屋甲陽幼稚園」という幼稚園が見えれば右へ。この幼稚園も結構レトロですね。(午前10時59分)


 東へ真っ直ぐ歩いて行けば「宮川」という川に出るので右折。川沿いを歩いていきましょう。


 200mほどで「親王塚橋交差点」を左折。この道は山手幹線です。その先で山手幹線本線の左にある側道に入ります。そこには「阿保親王塚古墳」。第15代平城天皇の皇子である「阿保親王」の墓に治定されており宮内庁の制札が立っています。(午前11時10分)


 そのまま進めば自然に山手幹線と合流するので左折。「西宮市」に入っちゃいました。先に見える信号を右に曲がりましょう。


 住宅街の狭い道を抜ければJR神戸線に突き当たりますが、そこには何やら古いトンネルが。当然入って行きますよ。(午前11時20分)

 
 昭和初期に改修されたそうですが東海道本線開業当時(明治時代初期)からあるそうです。


 煉瓦に見えますが実際には「煉瓦様」のシールだそうですよ。


 30mほどのアンダーパスをくぐり振り返れば「大谷道」と書かれていました。「まんぼう」とも呼ばれているそうです。以前「猪名川」沿いを歩いた時「黒まんぶ」という古いトンネルを訪ねましたが「まんぼう」「まんぶ」とは小さなトンネルのことだそうですね。


 まんぼうを背に真っ直ぐ進めば「郷免町交差点」で国道2号線に出るので信号を渡らずに右折します。「フォルクス」と「ジョリーパスタ」の間を抜ければ芦屋市に戻っています。そしてさらに250mほど進むと「楠公園前交差点」角に「大楠公戦跡碑」。建武3(1336)年2月、ここで楠木正成と足利尊氏が激突、楠木勢が勝利した「打出合戦」という戦いが繰り広げられたそうです。


 時間は。ちょっと早いですが昼食にしましょう。


 今日は交差点を挟んで斜め向かいにある「マクドナルド芦屋打出店」。休日のお昼時は家族連れで込み合いますが、ちょっと早かったのと「お一人様」だったので何とか席を確保しました。


 アプリのクーポン利用で「スイートチリえびフィレオ」(税込690円)を注文しました。私の小さいころはマクドナルドといえばハンバーガー屋さんで若者が集まる場所。「年寄りがハンバーガーなんて」と言われていましたが、今ではどこのお店でも老夫婦の姿が見られますね。店員さんも結構な「お婆ちゃま」でしたよ。


 午後0時10分、食事を終え出発。マクドナルド前の狭い道を南に下り2つ目の交差点を右折します。この道は西国街道です。


 すぐ先の信号を越えれば右のコインパーキング奥に何やらこんもりとした丘が。「金津山古墳」という古墳時代中期(5世紀後半)に造られた全長55mの前方後円墳です。芦屋市最大の古墳だそうですが前方部は鎌倉時代に削られ今はこの後円部が残るだけです。(午後0時16分)


 その先の信号がある交差点角には先ほど訪れた「阿保親王廟道標」。右に曲がりましょう。


 1つ目の四つ角を過ぎれば右に「打出天神社」。(午後0時20分)


 その向かいに「市立図書館打出分室」。


 このレトロな建物は昭和5年に建てられた「旧松山家住宅松涛館」だそうです。国の登録有形文化財に登録されています。


 図書館南の「打出公園」を右に見ながら西に進みます。地図では公園内に公衆トイレがあるようですが工事中のようです。信号を越えれば左に「徳本上人名号塔」。江戸時代後期の浄土宗高僧だそうです。


 その先にある橋の手前には「白露地蔵尊」。初めての仏様にお参りした後、「西国橋」で宮川を越え左へ。川に沿って歩きます。


 阪神電車のガードをくぐり「打出保育所」を過ぎて右に入れば何やら古い家屋がありました。「宮田砕花旧居」です。宮川砕花は明治・大正・昭和にかけて活躍した詩人で、昭和14年から同59年に93歳で亡くなるまでここに住んだそうです。その前には谷崎潤一郎も住んだことがあるそうですよ。水曜日と日曜日の午前10時から午後4時までが開館日です。(午後0時36分)


 さらに西に進み「兵庫県立芦屋高等学校」校門前を通過します。


 芦屋高校のグランド角の横断歩道を渡り次の交差点を右に曲がります。阪神電車のガードをくぐり信号のある交差点を過ぎて100mほど歩けば左にレトロな建物が現われました。(午後0時46分)


 「芦屋モノリス」といい「旧逓信省芦屋別館」として昭和4年に建てられ、国の登録有形文化財に登録されています。


 今はレストランや結婚式場として利用されています。


 店舗内以外のオープンスペースに入り館内を撮影させてもらいました。




 正面玄関前を西へ。突き当りを右に曲がって次の交差点を左に曲がれば、正面に教会でしょうか十字架が立つ建物が見えます。スロープ右の階段を上がります。


 ぐるっと回れば「カトリック芦屋教会」。昭和28年に建てられたそうです。


 目の前の芦屋川に沿って南に進めば次の交差点角に「兵庫県芦屋警察署」。今はこちらが正面玄関のようですが次の交差点を左折しましょう。


 何とそこには重厚な造りの旧正面玄関がありました。電信柱と電線は「日本の原風景」ですね。


 昭和2年に建てられた石造りのアーチ上にはミミズクがあしらわれています。「夜も見張る」という意味でしょうか。


 「芦屋警察署前交差点」を南に進み阪神電車「芦屋駅」の踏切を渡れば右に「芦屋市役所」。芦屋市は神戸市と隣接し人口約9万3千人。900m級の六甲山最高峰付近から大阪湾にかけて南北に細長い市域は兵庫県で2番目に狭い市町村だそうです。(午後1時2分)


 市役所南側の歩道橋で「浜手幹線」と「阪神高速道路神戸線」を越えれば右に「芦屋公園」。芦屋川にそった南北に細長い公園です。公衆トイレもたくさんあります。


 公園を横切る道路を渡れば「阪神・淡路大震災慰霊碑と復興モニュメント」。芦屋市では444名の方が亡くなっています。「合掌」


 そのまま進み交番の隣には「ぬえ塚」という石碑が立ちます。ぬえ(鵺)とはサル・タヌキ・トラ・ヘビが合体した化け物で、夜な夜な御所に現れ宮殿を騒がせたそうですが、源頼政により射られた死骸が芦屋の浜に流れ着きここに葬られたそうです。この手の伝説は各地にありますね。


 この先はテニスコートになっているので一旦芦屋川沿いの道路に出ます。


 テニスコートを過ぎれば再度公園内に入りましょう。公園の南端にも何やらレトロな建物がありました。「旧芦屋遊園乗合バス待合所」というそうです。


 公園を出てカーブを左に進みます。500mほど歩けば左に「市立美術博物館」が見えます。(午後1時26分)


 美術博物館の前には「小出楢重」という大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家のアトリエが復元されています。裏はカフェになっているようですね。


 内部は無料で公開されています。


 カフェの前には「芦屋廃寺塔心礎」。芦屋廃寺は7世紀末に創建されたそうですが、この心礎は長らく個人宅で保存されていたそうです。江戸期には大坂城の石材として使用しようしたのか上面には九州島津家の刻印があります(芦屋市教育委員会説明文)。見えますか。


 その裏には「芦屋市谷崎潤一郎記念館」。


 谷崎潤一郎は一時期、神戸・芦屋・西宮で過ごしたことから縁の地として建てられたそうです。


 隣接する市立図書館を過ぎて次の信号を渡ったところに「芦屋浜の大阪城残念石」。以前、ゴロゴロ岳や甲山を歩いた際、大阪城の石垣に使われた巨石の採石場を見ましたが、やはり浜まで転がし舟で大阪まで運んだんですね。六甲山系は山からすぐ海に沈むので効率が良かったのでしょうね。(午後1時35分)


 交差点の向こうには大きな公園が。「芦屋中央公園」です。入って行きましょう。本格的な野球場やサッカー場があります。公衆トイレもたくさんありますよ。


 梅林の梅がほころんでいました。


 ツバキも見頃のようです。


 公園を抜けてカーブを進めば「中央緑道」への階段がありますので上りましょう。


 階段を上れば「潮見東公園」を左に見ながら西へ進みます。


 大阪市ではこのような石畳は大抵「市電」の敷石なのですが神戸市はどうなんでしょう。


 その先には「西浜公園」。近くに下水処理場があるので処理水でしょうか川が流れています。(午後1時47分)


 東屋のある池を配した緑地です。公衆トイレがあります。


 遊歩道は「潮見西公園」に突き当たるので左折しましょう。


 正面は「芦屋川」の河口です。ここも電線がすごいですね。遠くには以前歩いた「六甲山系」が。


 遊歩道はそのままカーブしながら進みます。そして芦屋には「島」があるのです。といっても人工島(埋立地)ですが。カーブは「潮風大橋」という橋で島に渡ります。下は川ではなく海です。(午後2時)


 特に愛称は付けられていませんが島に上陸し、阪神高速道路をくぐれば「芦屋市総合公園」。ここも立派な競技場があります。


 そのほか芝生公園やバーベキュー広場もある大きな公園です。もちろん公衆トイレもあります。


 そして突き当りは「海」。(午後2時9分)


 人工ですが「潮芦屋ビーチ」という白砂の海岸です。


 結構きれいな水です。


 北東のテラスから砂浜を後にします。信号はありませんが「南浜町」という大きな交差点を渡ってから左折。そのまま進めば左右に公園が開けます。右に見える「親水中央公園」に進みましょう。(午後2時22分)


 しばらく土の上を歩きます。これまで結構山を歩きました。山行は最低限の装備や着替えを持たなければなりませんが、町歩紀はとりあえずカードを持っておけば安心です。気分が楽ですね。ただアスファルト舗装は足にきますし夏は照り返しもきついです。土の上って本当に楽ですね。


 公衆トイレの脇から上がれば交差点が。真っ直ぐ「モンテベロ通り」という道を進んで行きます。左右にはホームセンターやスーパーマーケットが並びます。


 そして突き当りを右に曲がりロータリーを過ぎれば、その先はヨットハーバーになっていました。たくさんのクルーザーやヨットが係留されています。


 なんだか「地中海」っぽい風景ですね。地中海とは大陸に囲まれた海のことを言うらしいですね。島国である日本は大陸ではありませんが、四方を陸に囲まれた瀬戸内海は地中海です。


 ロータリーに戻り日帰り温泉「SPA水春」の前を通り過ぎます。


 通りに出れば右折。何とそこには「足湯」がありました。「潮芦屋げんき足湯」というようです。(午後2時36分)


 案内板を見れば泉質は「ナトリウム-塩化物泉(低張性、中性、高温泉)」で温湯は42度の「かけ流し」だそうです。午前10時から午後4時まで無料で利用できます。


 筋肉痛や疲労回復に効くそうなので歩紀の疲れを癒しましょう。このためにタオルと替えの靴下を持ってきました。


 さて10分ほど「入浴」した後、通りをそのまま進めば「浜風大橋」で海を渡り「本州」に戻ります。橋の左手前に公衆トイレがあります。(午後3時3分)


 そのまま海に沿って歩きます。海の向こうは「西宮市」です。


 通りはそのまま「海浜公園」へと続きます。公衆トイレがあります。「芦屋マリンセンター」と言うんですね。


 そして公園の奥は「芦屋港」。神戸港・大阪港・堺泉北港を合わせた「阪神港」の一部らしいですが「ちょっとした漁港」という感じですね。(午後3時18分)


 芦屋港から「芦屋市立打出浜小学校」のグラウンドを左に見ながら進み、通りに出れば横断歩道を渡ってから左折。「南宮浜公園」の前を通り過ぎます。公園内に公衆トイレがあります。


 次の「南宮ポンプ場前交差点」を右折しましょう。郵便局を過ぎ左前にローソンプラスがある交差点に出れば右へ曲がります。


 「妙福寺」というお寺の前を通り過ぎます。


 「南宮公園」。こんな小さな公園にも公衆トイレがありますよ。公園前の四つ角を過ぎ次の四つ角を左折します。 


 正面に阪神高速道路の高架が見えますが、その手前には「阪神高速道路兵庫県南部地震慰霊碑」。門は閉ざされていました。(午後3時36分)


 あの地震では横倒しになった阪神高速の映像が今でも目に焼き付いていますが、高速道路を通行中の16人の方が亡くなったそうです。


 高速道路の下は「国道43号線」。防音壁に沿って西へ進みます。間もなくゴールです。


 次の「打出交差点」の信号を渡ってから右へ。そこには「打出商店街」というアーケードが。


 どこにでもある下町のアーケード商店街です。


 ただ、あまり「昭和」の臭いがしないのは震災からの復興により建て替えられたからでしょうか。


 アーケードを抜ければ一番「海寄り」を走る阪神電車の「打出駅」。大阪方面へのホームがある北口が今日のゴールです。時間は午後3時45分。ここから「大阪梅田駅」まで約25分(300円)。


 本日の歩紀「30159歩」(20.50km)。芦屋市は「高級住宅街」のほか「史跡」あり「レトロ建造物」あり「海」あり「湯」あり「下町商店街」ありの見どころが多い、彩りが薄い時期に歩くにはもったいないくらいの素晴らしい町でした。そして各施設はもちろん小さな公園にも公衆トイレが設置されており、これまで歩いた中で最も公衆トイレの密度が高い町でもありました。機会があればまた歩きたいと思います。


 本日のひとり打ち上げは帰宅途中の能勢電車「滝山駅」で途中下車。歩いて7~8分の「魚べいキセラ川西店」(キセラ川西からはちょっと離れています)です。


 休日の「回る寿司」はどこも人が多いですが、ひとり席はすぐに座れました。このスティックチキンは130円(税込)。「安っ!」。とりあえずビール(税込550円)で乾杯~。この後、110円皿を7皿食べました。

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「 放送大学 」キャンパスライフ12

2024-02-03 23:29:48 | 日記
 平成11年度第2学期は、
  放送授業 10科目 19単位
  面接授業  9科目  9単位
  合  計 19科目 28単位(累計 111単位)
を修得しました。前回もお話したとおり「単身赴任」状態でしたので余暇のすべてを放送大学に費やし、この1年間だけで51単位を修得しています。

面接授業~その2
 今回も方々に面接授業を受けに行きました。いくつか紹介します。まず群馬県の県都前橋にある「群馬学習センター」での授業。駅前のビジネスホテルで1泊しました。科目は「家族・家庭の現代的課題」でしたが講義後、近くの居酒屋で開かれた2次会の方が勉強になりました。
 次に「一度は大学本部を拝みたい」という気持ちから受講した「千葉学習センター」での「教育の政治経済学」。幕張メッセにある大きな施設でしたが、ほとんどが放送授業を制作するスタジオと放送局のため中には入れず、その一角に学習センターがありました。構内にあった「セミナーハウス」で1泊。近くに居酒屋がなかったのでスーパーで「お造り」を買い晩酌しました。ただ今では当たり前ですが、当時大阪ではお造りパックの中に醤油とワサビ、箸が入っていたのが首都圏では既に別々。そうとも知らずセミナーハウスで醤油・ワサビなしでお造りを手で食べたのが今では良い思い出です。何だかお酒の思い出ばかりですね。

体育実技
 今回「体育実技」という科目を修得しました。これは面接授業とは認定されませんが1単位取得できます。
 通信制大学で「体育実技」はどのようにして履修するのでしょうか。それは「〇〇協会」「〇〇連盟」といったスポーツ団体や自治体の教育委員会が認定するスポーツ教室など公共性の高いスポーツ教室に30時間以上参加すれば認定されます。国が運営する放送大学ならではのユニークなシステムですね。学報か何かで見ましたが、この単位を得るため弓道教室に通った放送大学生が国体に出場したそうですよ。
 私は群馬県にある「国立赤城青年の家」が主催する「尾瀬ハイキング」に参加しました。これは午後2時に青年の家に集合し、尾瀬の自然や環境保護に関する講義を受けた後就寝。翌午前4時に起床して「尾瀬ヶ原」を歩いた後、JR「渋川駅」前で解散という結構ハードなスケジュールでしたが、1回の参加で16時間が認定されました。私は夏の「水芭蕉の尾瀬を歩く」と秋の「草紅葉の尾瀬を歩く」に参加し、32時間を認定してもらい修得しました。単なる尾瀬ハイキングではなく、とても有意義な授業だったと思います。

外国語科目~その2
 100単位を越えると先が見えてきました。しかし問題は外国語科目です。外国語は年齢を経るほど厳しいです。また私は余程「中国語」とは相性が悪かったのでしょうか。なかなか合格できません。苦手とは言いながら中学・高校と6年間習ってきた英語の「Ⅱ課程」に進むか。それとも新たな語学とはいえ基本的な英語の知識が生かせるスペイン語など欧米系の語学に進むか。いろいろ考えた末、取り敢えずこれまで履修歴があり教材も手元にある「中国語Ⅰ」を再登録しました。

恵方巻
 今日は「節分」。今では節分の「恵方巻」は当たり前です。しかし私が単身赴任状態の時、それまでは妻が作ってくれた巻き寿司をかぶっていたのですが、妻がいなくなったので近くの寿司屋に行き、巻き寿司を頼みました。しかしありません。私は一通り恵方巻(私は「寿司の丸かじり」と呼んでいました)について説明したのですが、店主から一言「そんなの関東じゃやってねえよ」。つまり平成11年当時、関東地方では恵方巻の習慣はありませんでした。無理を言ってつくってもらった直径10cmくらいの太巻きをゲーゲー言いながら食べたのを覚えています。バレンタインチョコと同じでスーパーやコンビニの「商法」にまんまとのせられたのでしょうね。けど関西では昔からある習慣でしたよ。おそらくあの店主今頃「そう言えば随分前、関西弁の兄ちゃんが来て寿司の丸かじりだの何だの言ってたな」と思っているでしょうね。  つづく
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「 放送大学 」キャンパスライフ11

2024-02-01 20:34:53 | 日記
 平成11年度第1学期は、
  放送授業  8科目 16単位
  面接授業  7科目  7単位
  合  計 15科目 23単位(累計 83単位)
を修得しました。結構頑張りましたね。特に面接授業。

単身赴任
 東京に赴任し2年。任期は残り1年です。ところが上の娘が中学校に進むことから受験対策等を踏まえ、妻と二人の娘が大阪に帰ることになったのです。つまり私は「単身赴任」状態になりました。一通りの生活用品を残し「ガラーン」とした社宅にひとり残されたのです。
 しかし、逆に考えれば仕事以外の時間をほぼ自分のために使える環境となりました。帰宅してもすることはなし。休日も特に家族サービスをする必要もありません。余暇のほぼすべてを放送大学につぎ込むことができました。結構飲み歩きはしましたけどね。

面接授業~その1
 社宅には「寝に帰るだけ」状態になりましたので夜の面接授業もせっせと頑張りました。また、休日はあちこちの学習センターに通い面接授業を受けました。特に思い出に残るのが1泊2日の旅行気分で受けた「山梨学習センター」での面接授業です。山梨学習センターは甲府市の山梨大学構内にありました。中央線の各駅停車でゆっくり出発し、講義を受けた後市内のビジネスホテルに宿泊。翌日は午後からの講義だったので武田神社や舞鶴城を見学し、講義終了後は特急「かいじ」で駅弁を食べながら帰宅しました。これって学割が使えるんですよね。受講した科目は何だったっけ?あっ「法律学入門」でした。

外国語科目~その1
 前年「中国語Ⅰ」は本試・追試とも撃沈されましたので、今年1年は外国語科目はお休みにしました。  つづく
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