「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

ちょこっと歩紀~里山に佇む「黒川ダリア園」~

2024-09-30 18:28:28 | 日記
訪問日:令和6年9月30日(月)
出 発:能勢電鉄「妙見口駅」
到 着:能勢電鉄「妙見口駅」

 「夏ビアホール」から「秋ビアホール」。この国の夏はいつ終わるんだ(怒)


 命を守るため7、8月の「琵琶湖一周歩紀」は休足していましたが9月に入っても連日熱中症警戒アラートは鳴り続け、そして中旬以降は母の一周忌や愛車「蘭丸」の車検など週末に行事が重なったためとうとう月末を迎えてしまいました。「琵琶湖一周歩紀」は10月から再開します。ということで今回は「足慣らし」のため近所にある「黒川ダリア園」を訪れます。これまでの私のブログとコースが重複しますが、黒川ダリア園は初めてですのでお楽しみください。距離的に短いのでトイレ・給水には困りません。


 「黒川ダリア園」は兵庫県川西市の山間部「黒川字落合」にあり、山形県黒川町から「友好のしるし」として寄贈されたダリア279株から育成を開始。0.4ヘクタールの敷地に約330種900株のダリアが咲き競います(同園ホームページより)。兵庫県ですがわが家からは歩いて1時間ちょっと。ちょうど良い距離です。今年の開催期間は9月19日(木)から11月4日(月)まで。開催期間中は荒天でない限り午前9時から午後4時まで開園しています。このパンフレットは能勢電鉄各駅に備え付けられていますよ。


 一応、能勢電鉄の妙見口駅を出発点としていますが、妙見口駅はわが家から歩いて20分ほどですので午前9時55分、自宅を出発。街のはずれから「妙見街道」に入ります。この道は私のブログで何度も紹介しているのでご参照ください。


 2~30mも歩けばこんな風景になります。


 今日は曇り空ということもありますが涼しくなりました。気温は23.5度。あの殺人的な暑さが嘘のようですね。木々の間を抜けます。


 そして林間を抜ければ高代寺山と里山の風景が開けます。ここでいつものように手足を伸ばし深呼吸をしましょう。「気分爽快」です。


 吉川の棚田も稲刈りが終わっています。


 「初谷川」と国道477号線を越えれば間もなく妙見口駅です。山裾を能勢電が走っています。


 新米のシーズンですね。


 大阪府最北端の駅である能勢電鉄「妙見口駅」。阪急電車の「大阪梅田駅」から2回乗り換えますが、乗り継ぎダイヤが組まれているので1時間かかりません。大正12(1923)年開業ということは満100歳ですね。おめでとうございます。午前9時20分、歩数計をリセットしてリスタート。トイレは改札の外にあります。ここは大阪府豊能郡豊能町。


 駅前から「花折街道」を進みます。この道も私のブログで何度も紹介しています。


 「西の石灯籠」です。以前あった蔵は取り壊されたようですね。


 「能勢の妙見さん」に参拝するための参詣道として利用されていました。


 ゆるい坂道を上って行きます。


 わが家の氏神様「吉川八幡神社」との分岐点を過ぎます。


 その先で国道477号線と合流。手前には能勢妙見への丁石。


 押しボタン式信号を渡り左へ。目の前には江戸時代に造成されたという「上杉池」堰堤に崩れた「吉川の常夜灯」。


 奥には今は廃道となっていますが能勢妙見へ続く山道の入口に鳥居が立ちます。


 国道沿いに戻り大阪府と兵庫県との府県境を越えます。ここからは下りです。(午前9時40分)


 池を過ぎればここにも鳥居。足元には丁石。この奥で先ほどの鳥居からの道と合流したようですが同じく今は廃道になっています。以前、ときわ台駅前にある観光協会の案内マップに勝手に登山コースを書き込んでいる人がいましたが、ハイキングコース以外は案内表示や路面が整備されておらず危険です。また大部分が私有地なのでハイキングコース以外に入るのはやめましょう。


 坂を下れば「旧妙見の森ケーブル」との分岐。


 大正14(1925)年に開業した妙見山までを結ぶケーブルカーは、戦時中「不要不急路線」として一時廃止されましたがその後再開。しかし100年近い歴史に幕を閉じ、昨年(令和5年)12月をもって廃止されました。お疲れさまでした。右奥のきれいなトイレは使用できますよ。


 分岐のすぐ先で三叉路を左へ。国道477号線と分かれます。ここは以前歩いた「北摂里山街道」の出発点。黒川ダリア園の案内板もあります。


 途中左には農産物の直売所や良質の炭として有名な「池田の菊炭」を焼く炭焼窯などがあります。「池田炭」を池田市で焼かれている炭と紹介しているブロガーさんがいますが、池田で集約出荷されたので「池田炭」といい産地はここ黒川や能勢らしいですよ。


 さらに坂道を下って行くと右遠方に「旧黒川小学校」。何やら以前訪れた時と雰囲気が変わっていますね。ネットで調べると手前のきれいな建物は昨年オープンした「黒川里山センター」。黒川里山センターの南北棟として利用されていた明治時代建築の古い木造校舎は耐震化工事中だそうです。


 その向かいには「高代寺山」への登山口があるのですが、荒れているのでしょうか閉鎖されていました。そして以前はここに阪急バスの停留所がありダリア園の開催期間中は臨時バスが運行されていたのですが、今は廃線になっているようです。


 5~6分ほどでダリア園の看板が見えてきました。右に曲がりましょう。


 黒川ダリア園に到着です。写真を撮りながらぶらぶら歩いて自宅から約1時間10分です。(午前11時7分)


 無料駐車場がありますが台数に限りがあるようです。しかし歩紀ニストの私にはバスの廃線も駐車場も関係ありません。


 ここは地元の方たちにより整備管理されており、協力金500円(高校生以上)を納めて入園します。


 ダリアにはたくさんの品種があるらしいですね。ただ私は花には疎いので、すべてネットや案内板の受け売りです。これは「ピーチパイ」。


 これは「マドレーヌムーン」。ダリアはキク科の花でメキシコの高原が原産地だそうです。


 これは「レッドベリー」。日本へは江戸時代にオランダから長崎に持ち込まれました。


 これは「ナツコイ」。高地が原産地のため暑さに弱く東北地方に多くのダリア園があり、ここのダリアも同じ町名の山形県川西町から贈られたものです。つまりここも涼しいっていうことですね。


 これは「蛍火」。約330種あるそうです。とても全部を紹介することはできません。


 これは「レッドベル」。やっぱり私は花に対するセンスがないみたいですね。気が付けば赤い花ばかり選んでいました。


 え~い。ついでに彼岸花も。


 花のアップ画像も良いですが黒川地区は「にほんの里100選」にも選ばれている美しい里山風景が広がります。やっぱり里山をバックにしなければいけませんね。


 初秋の里山も映えますね。ただ残念ながら見頃は朝晩が冷え込む10月初旬から下旬にかけて。1週間ほど早かった見たいです。


 しかし私は毎週月曜日が週休日。今日は平日なので誰もおらずとても静かです。


 約900株のダリアを独り占めです。


 パンフを見れば開催期間中はおにぎりなど簡単なお弁当が販売されているようですが今日は平日。自動販売機はありますが何も売っていません。


 おそらくそんなことだろうと思っていたので近所のセブンイレブンで「幕ノ内弁当」を買ってきました。いくつか東屋やテントが組まれているので昼食にしましょう。秋風が心地よいです。


食事と休憩を含んで45分ほど滞在したでしょうか。午前11時55分、帰路につきます。


 すぐ西側は一庫ダムのダム湖である「知明湖」に面したキャンプ場になっています。夏休みや週末はたくさんのキャンパーが訪れていますよ。キャンプ場利用者以外立入禁止の表示がありますが、入ってすぐ右に「ダリア園用トイレ」と表示されたきれいなシャワー付きトイレがありました。


 左に里山を見ながら進みます。


 同じ道を黙々と歩きます。府県境まではゆるい上り坂です。


 大阪府に戻りました。


 上杉池の石組み。立派ですね。


 押しボタン式信号で国道477号線を渡り、ゴールに向かってゆるい坂を下ります。


 午後1時30分。ゴールの妙見口駅に着きました。見頃にはちょっと早かったですが、猛暑が過ぎ秋風が爽やかな歩紀でした。来月から「琵琶湖」頑張るぞ。


 本日の歩紀「9921歩」(6.74km)。一万歩行かなかったな。しかしブログや写真撮影、花見などを意識しなければウォーキングにちょうど良い距離ですね。

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柔道(やわらのみち)

2024-09-27 06:51:30 | 日記
 私は中学校に入って柔道を始めました。理由はまた機会があればお話しします。私が住んでいた地域には地区の公民館としては珍しく畳が敷かれた「柔道場」がありました。そこに柔道協会が運営する少年柔道教室があったのです。そのため「〇〇館」「△△塾」というような名称はありません。「〇〇柔道協会」という古い木の表札が掛かっていました。月謝も200円程度だったと思います。今はもうその建物はありませんが昭和50年代のことです。薄暗い道場で今のようなカラー畳ではなく、普通の畳に白い布カバーが被せられていました。

 東西ドイツが統合される前の「西ドイツ」から来た少年柔道チームとの交歓会。近所の小学校体育館で行われました。50年ほど前の写真なのでモザイクはかけません。なお、ここには西ドイツチームは写っていません。ここのどこかに私がいます。


 子どもたちの右に写っている6人のおとなが主な指導者です。前列の右側に座っている方は協会の役員でしょうか。道場で会ったことはありません。

 その左のおじいちゃん(失礼)が実質的な「道場主」です。紅白の帯を巻いていたので6段でしょうか。当時、道場には更衣室がなかったので道場の隅っこで着替えるのですが、褌(ふんどし)を締められていたのを覚えています。

 その後ろに立っている4人の男性。右の先生からは「足技」「手技」「腰技」色んな技を教えてもらいました。組んだ瞬間に私の体は宙を舞っていました。

 その隣の男性の柔道着には「貿易」と刺繍されています。当時大阪には「貿易高校」という私立高校があり、そこに進学した道場のOBだったようです。

 その隣のメガネをかけた先生は某私立高校の教師で柔道部の顧問をしていました。近大柔道部のOBです。とても優しい先生でした。一度中華料理屋に連れて行ってもらったことがあります。すごい量のレバニラ炒めを食べていました。

 その隣の先生は声が大きくとても怖い先生でした。クマのようでした。このような中で私は毎週水曜日と金曜日の夕方、柔道の稽古に励んでいたのです。バンバン投げられ顔面で受け身をし、柔道は畳に擦れて体中生傷だらけになるので風呂に入ればヒリヒリしましたが良い思い出です。小柄な私は「体落とし」「背負い投げ」「大内刈り」「小内刈り」「小外刈り」とその連続技。そこからの寝技が「得意技」です。

 その後、高校に進学した私は柔道部(といっても名もない公立高校)に入りました。日本の「少年柔道」や「学生柔道」は「柔道レスリング」「JUDO」と呼ばれるオリンピックのようなポイント制ではなく、投げ返されるのを覚悟で一本を狙い、少々手を着こうが尻もちを着こうが起き上がっては技をかけるというような死闘です。例えきれいに投げ返したり、技をかけて大勢が崩れた相手の上にのしかかったり、後ろに倒された勢いで巴投げをかけたりすれば逆に「お前から技をかけんか(怒)」と先生から怒鳴られましたよ。 


 一応、講道館三段なのですが、武道の段位は「強さ」ではなく、修業歴の証のようなものです。大学の全国大会レベルでも団体戦であれば初・二段はいますし、オリンピック金メダリストでも四・五段でしょうか。一応、十段まであるそうですが五段以上になるとあまり段位に興味はないみたいですね。剣道の場合「五段でやっと趣味」「六段になって特技」「人に教えるには七段の教士になってから」「八段は神様」と言われるほど段位の奥は深いようですが、柔道は二段でも講習を受け合格すればC指導員になれ部活の監督もできます。


 剣道の場合、70歳を越えても現役の方が結構いますが柔道は厳しいですね。ケガをします。私も前回り受け身をしていて脇腹の肉離れをしたことがあります。受け身は「基本中の基本」。受け身でケガをするようでは限界かなと思い「現役?」を引退しました。それでも60歳の手前まで柔道着を着ていたでしょうか。少年柔道教室で子どもたちと汗を流していたころの写真です。これくらいがちょうど良いですね。ジジイには。
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映画での食事シーン

2024-09-23 12:19:42 | 日記
 映画を見ているとよく食事シーンがあります。「食」は人間の営みなので当然ですね。私はそれほど多くの映画を見たわけではありませんが、その食事シーンを見て「これはうまそうだな」と感じることがよくあります。その上位3つを紹介しましょう。いずれもご馳走ではありません。ちょっとしたフードです。映画のあらすじは省略します。

第3位 「砂の器」のウリ
 殺人事件の被害者と容疑者の間で交わされた東北弁の「カメダ」。これを頼りに秋田県羽後亀田を訪れた警視庁捜査第一課の今西刑事(丹波哲郎)と西蒲田警察署の吉村刑事(森田健作=この方、前千葉県知事です)。聞込み先で地元の刑事が行商人から買ったウリを差し入れます。
 捜査が行き詰るなか渋い表情の吉村刑事に楽観主義の今西刑事がお寺の石仏でそのウリを2つに割り「さあ、まあ食えや」と言って差し出た後、自分も食べます。食べると言うよりはむしゃぶりつきます。あのウリ「うまそうだな〜」

第2位 「リング」の夕食
 「呪いのビデオ」の真相を確かめるため超能力者である高山竜司(真田広之)が元妻の浅川玲子(松嶋菜々子)と一緒に伊豆大島に渡り小さな旅館に宿泊します。
 旅行でも宴会でもないので豪華な食事ではありませんが、小さな食卓には煮物の小鉢やお造り、茶碗蒸しなどが並びお銚子も。キュウリか何かを一口つまむシーンしかないのですが、あの夕食「うまそうだな~」

第1位 「日輪の遺産」のサンドイッチ
 真柴少佐(堺雅人)と小泉主計中尉(福士誠治)が横浜のある高級ホテルに宿泊。そこに軍の密偵からの連絡文書を持ってきたホテルの支配人(ボーイかな?)が「簡単なものでございますが」と言いながらサンドイッチを差し出します。
 高級ホテルとはいえ終戦間際、たいした食材はなかったでしょう。薄いハムか辛子マヨネーズでもはさんだ小さな三角形のサンドイッチが白い皿の上にパセリとともに盛り付けられています。その後、望月曹長(中村獅童)が「腹ごしらえして少し休みましょう」と言って1つつまみ「うまい」とつぶやきます。あのサンドイッチ「うまそうだな〜」

 映画って色んな楽しみ方がありますね。



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映画「少年時代」

2024-09-17 22:41:02 | 日記
 昨日(9月16日)の夜、You Tubeで「少年時代」という映画を観ました。特に観ようと思ったわけではありません。以前この映画を観て感動した妻が、たまたまYou Tubeを視聴していたところ見つけ、妻に付き合う形で観たのです。私は映画自体は知っていましたが観るのは初めてでした。

 ご覧になった方はご存じと思いますが、あらすじをザクッと言えば、終戦間近か東京から疎開してきた少年と疎開先である富山県の少年との出会いから別れまでの話です。原作である「長い道」という小説を漫画家コンビ・藤子不二雄の安孫子素雄が漫画化し、その後、山田太一の脚本により映画化されました。舞台はもちろん戦時中ですが、平成2年に制作された比較的新しい映画です。ただ、戦後間もなく制作されたようなアンティーク感が漂うとても良い映画でした。

 そしてラストシーン。東京に帰る少年が乗る蒸気機関車を追いかける友人。ここで井上陽水の名曲「少年時代」が流れ号泣を迎える。はずだったのですが…。ところがです。何と。You Tubeのため著作権に制約があるのでしょうか。曲が始まると同時に「無声映画」状態となり、右手をまっすぐ上げ別れを告げる少年の姿、写真館で撮った二人の写真をバックにエンドロールだけが空しく流れました。2時間近く見てきてクライマックスを迎えるはずだったのに。こんなことってありますか………。私は消化不良のまま床に着きました。

 ところが「奇跡」というのでしょうか。それとも「宿命」でしょうか。「偶然」という言葉では片づけられない、すごいことが起こったのです。

 私は現在、支援員という立場で小学校勤務をしています。教員ではありませんが毎日1時間目から6時間目までいづれかのクラスに入り児童の支援にあたります。そして翌日である今日(9月17日)の1時間目は6年2組のクラスでした。科目は音楽。音楽室では子どもたちがリコーダーを合奏しています。そしてその曲が何と「少年時代」だったのです。

 映画のあらすじでは、主人公は昭和19年10月、小学校5年生で東京から富山に疎開し、終戦を迎えた翌昭和20年のまだ暑い時期、つまり小学校6年生の夏の終わりころ富山を後に東京へ向かいます。つまり今、私の目の前に座ってリコーダーを演奏している子どもたちと同じ年頃です。私が昨日聴き逃した「少年時代」を彼・彼女たちが今、一生懸命演奏してくれているのです。私は思わず昨晩流し損ねた涙が溢れそうになりました。こんなことってあるんですね。鳥肌が立ちました……。

            ♪ 夏が過ぎ 風あざみ ……… ♪
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岡山県瀬戸内市2~亡母の一周忌のため帰省しました~

2024-09-16 09:08:08 | 日記
訪問日:令和6年9月15日(日)

 先月は母の初盆で帰省しましたが今回は一周忌です。長女の旦那さんは仕事。次女の旦那さんは子どもつまり孫(1歳10月)の子守りをしながらお留守番。メンバーは私たち夫婦と二人の娘、二人の孫(小2・幼稚園年長)の6人です。それと横浜に住む姉夫婦が新幹線で直接岡山まで来てお寺で合流します。

 豊中市からバスで来た次女を乗せてマイカーで兵庫県川西市の長女宅へ行き合流。二人の孫はチャイルドシートへ。定員7名のランクルだこらこそなせる業です。午前8時30分、小雨の中出発です。川西インターから新名神に入ります。この道ができてから行程のほとんどは高速道路。本当に便利になりました。


 途中、龍野西SAで休憩と時間調整。雨は上がりました。(午前9時40分)


 午前10時35分、そのまま出口から山陽道を下り、兵庫県相生市竜泉町にあるファミリーキッチン「スピカ」でランチです。(午前11時)


 精進揚げで肉は食べられませんが、まだ法要前なので肉を食べます。


 私たち夫婦はドライブ途中よく3ケタ国道や県道に沿って走りますので、このような店を多く把握しております。ただここは国道2号線沿いです。


 昼食を終え午前11時45分出発。再度、龍野西SAから山陽道に入り、備前インターからブルーラインを経て菩提寺である「高野山真言宗安楽院」に午後0時45分到着。空は晴れています。ここは岡山県瀬戸内市邑久町本庄。


 このお寺は、先月初盆をした「静円寺」のかつて33坊あったと伝わる塔頭(たっちゅう)の一つで「阿弥陀如来」様をご本尊とします。


 境内には「四国八十八ヶ所お砂踏み」。


 30分ほどで法要を終え、その後お墓参りをしました。実家は夏草に囲まれています。何とかしなくっちゃ。一応「シルバー人材センター」にはお願いしています。


 邑久インターからブルーラインに入り備前インターから山陽道へ。途中、権現湖PAでお土産を買い一路「大阪」へ。法事というより家族水入らずの日帰り旅行でした。しかし、それはそれで良いと思います。こうして家族や親族の絆を強めるのが日本の冠婚葬祭ですから。

 

 
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孫の手

2024-09-14 21:28:15 | 日記
 私には孫が3人います。一番上の孫(小学校2年生の女の子)がまだ小さい頃、そんな小さな子どもが私のためにできることなど何一つないのですが、ひとつだけ彼女が私のためにしてくれたことがありました。 

 私が新聞を読んでいる時、老眼のため眼鏡を頭の上にずらしていました。その時孫が「じいじ、眼鏡が外れてるよ」と言って眼鏡を直してくれたのです。私は新聞が見えなくなったのですが、唯一孫が私のためにしてくれた行動でした。

 
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平和な一日

2024-09-10 21:43:42 | 日記
 先週の日曜日、車で15分ほどのところに住む長女から「携帯のプラン変更したいから子守りに来て」とのヘルプがありました。愛車の「トヨタランドクルーザープラド」に乗り長女宅へ。

 まずふたりの孫の爪切りです。長女は爪切りが怖くてできないのでこれはじいじの仕事です。爪切りが終わった後「ダイソン」の掃除機で散らばった爪を吸い取ります。

 「コンビ」のチャイルドシートを付けた娘の「ダイハツタント」に乗り換え4人で「イオン」へ。


 娘が「ドコモショップ」でプラン変更をしている間、孫の子守りです。フードコートで「サーティーワン」のアイスクリームを食べました。


 「サイゼリヤ」の前にあるゲームコーナーで時間つぶし。1回だけの約束でガチャポンを。


 プラン変更も終わり、途中「コスモ」でガソリンを満タンにし娘宅へ。

 孫の「トミカ」のミニカーが壊れていたので「アロンアルファ」で修理。

 ランクルに乗り換えて「セブンイレブン」に立ち寄り「タカラ焼酎ハイボール」を買って帰宅。

 たくさんの企業に囲まれた平和な一日が無事終わりました。
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80年代の韓国歩紀~ウォーカーヒル

2024-09-05 21:04:28 | 日記
 ソウル市東端。「漢江(ハンガン)」の畔にある小さな丘です。朝鮮戦争に参戦した国連軍の中核をなすアメリカ軍によって開設されたカジノつまり「賭場」です。以前、車で訪れた賭客の車を借金の形にするための業者まで出没し、社会問題になっているとのニュースを見たことがありますが、当時は外国人専用の観光施設でした。「ウォーカー」というのもアメリカ軍の将軍の名前だそうです。私は一切賭け事はしませんが、当時の日本円で500円にも満たない入場料を支払えば、冷房完備の館内で韓国舞踊やマジック、アクロバットなどのショーが観覧でき、ドリンクも飲み放題(アルコールを除く)でしたので私も外国人観光客として訪れました。


 向かいに座っている二人は台湾から来た観光客です。お互い片言の英語で話しました。


 「ウォカーヒル」という英語は韓国語で「ウォコヒル」と発音されます。「マッカーサー(元帥)」は「メカド」。「マクドナルドハンバーガー」は「メットノルドヘンボゴ」。日本語の特徴は母音が「アイウエオ」の5つで語尾はすべて母音で終わります。また「トーキョー(東京)」などの長音も日本語の特徴です。韓国語には10の母音があり子音で終わる発音も多く韓国語での英語表記はとても難しいです。
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80年代の韓国歩紀~瓦屋根

2024-09-02 08:16:19 | 日記
 瓦屋根の家屋を「キワチップ」といいます。「街道をゆく」では司馬遼太郎が兵隊として戦前「京城」と呼ばれたソウルを訪れた際、貨車の窓から覗き見た民家の屋根瓦が「高麗青磁」に見えたとの一節がありますがこういう風景だったのでしょうか。ソウルで宿泊したホテル。といっても「旅人宿(ヨインスク)」と呼ばれる安宿ですが、そこの窓から見た首都「ソウル」の風景です。シャワーは水しか出ませんでした。まあ真夏でしたので問題はありませんでしたが…。初日のみ入国審査の書類に宿泊先を記載する必要がありましたので、一応ガイドブックに載っているホテルを予約しましたが、その後は適当に安宿を探して泊まりました。
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