「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

神戸9区を歩く~源平合戦ゆかりの地「須磨区」

2022-04-24 10:33:16 | 日記
訪問日:令和4年4月27日(水)
出 発:山陽電車「須磨浦公園駅」
到 着:JR「須磨駅」

 平安時代末期、皇族・貴族の権力争いに介入した平氏と源氏。時勢をうまく渡り歩いた「平清盛」により築かれた平氏の隆盛。それに対し「源頼朝」らを中心とした源氏勢力による平氏追討。一進一退を繰り返す中「屋島の戦い」を経て「壇ノ浦の戦い」での平氏滅亡の契機となったのが「一ノ谷の戦い」。休日出勤の振替休日を利用して「源平合戦(治承・寿永の乱)」ゆかりの地を歩いて見よう。その他、阪神間唯一の海水浴場である「須磨海岸」や賑やかな商店街なども訪ねる。


 今日のスタートは山陽電車「須磨浦公園駅」。阪神電車「大阪梅田駅」から約1時間(710円)。途中で乗り換えるので「阪急電車」「JR」でも同じくらいの時間で来ることができる。


 「山陽電気鉄道」は、昭和8年に設立された電鉄会社であるが、そのルーツは明治43年、兵庫~須磨間を結んだ「兵庫電気軌道」までさかのぼる。現在は「西代駅」から「山陽網干駅」「山陽姫路駅」まで約60kmを「瀬戸内海」に沿って走り、阪神・阪急・神戸電鉄とともに「神戸高速鉄道」に乗り入れている。「JR山陽本線」と併走することから混同を避けるため、主要駅名には「山陽」が冠せられている。


 駅前は「大阪湾」。天気予報では、神戸地方は午前10時過ぎまで曇り。そして平日の通勤ラッシュを避けるため、ちょっと遅めの午前10時30分「海の駅」を出発する。


 駅は、六甲山系とロープウェイで結ばれる「須磨浦山上遊園」と、大阪湾に沿って広がる「須磨浦公園」の真ん中に位置する。


 まず案内板に従い、一旦国道2号線に出て右へ。お蕎麦屋さんの角を入れば、公園駐車場の奥に「敦盛塚」という大きな五輪塔が建つ。(午前10時39分)


 この辺りで繰り広げられた「一ノ谷の戦い」において、16歳という若さで命を落とした「平敦盛」を供養するため室町時代に建てられたという。


 駅前(東)方向に戻り須磨浦公園に入る。公園として整備されているのでトイレや自動販売機なども完備している。松林が美しい。


 園内には多くのソメイヨシノも植えられ、桜の名所としても知られる。


 海を右に見ながら園内をどんどん東へ進む。

 
 途中道が横切るので左に曲がり、先ほど乗ってきた山陽電鉄のガードをくぐる。(午前10時48分)


 ガードの先で道は二手に分かれるので右の坂道を上っていく。結構、急な坂だ。


 カーブしてそのまま進んで行けば「一の谷公園」という小さな児童公園。


 その前に「安徳帝内裡跡傳説地」と刻まれた石柱が見える。「源平合戦」は、「宮家」「公家」を巻き込んだ「武家」の権力闘争でもある。双方とも戦いに翻弄されたが、その最たる犠牲者が「安徳天皇」ではないだろうか。(午前10時53分)


 平清盛によりわずか1歳で即位させられ、「壇ノ浦の戦い」における平氏滅亡と道連れに8歳で入水(崩御)した幼帝である。この地に一時「内裡」が置かれたと伝わる。松尾芭蕉も訪れたという「安徳宮内裡跡」で今日一日の安全を祈願しよう。


 内裡跡から元の道に戻り、先ほどのカーブと交わる角を右折して山に向かう。


 急な階段を登り切れば「逆落し」。諸説あるが、この辺りが「源義経」による「鵯越の逆落し」と言われる奇襲作戦の地と言われる。(午前11時)


 さっきまで海沿いにいたのに、小高い丘から「海」を見下ろす。神戸の高低差を体で感じるな。


 場所がいずれにせよ、急峻な断崖から海へ向かった急襲がこの近辺で繰り広げられたことには間違いないだろう。


 同じ道をたどり須磨浦公園に戻る。その先には「みどりの塔」。昭和29年の植樹祭で天皇皇后両陛下が行幸啓されたのを記念して建てられたそうだ。右の丸いオブジェは地球儀。


 そして左側の地球儀は、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で落下したそうだ。2.4tの地球儀が震災モニュメントとして、そのままの状態で残されている。


 さらに進めば「戦の濱碑」。この周辺は、寿永3/治承8(1184)年、源平合戦における「一ノ谷の戦い」が繰り広げられたと伝わることから建てられたものである。


 公園の東端には「長田神社須磨御旅所」。


 その前には、当時の名を伝える「一ノ谷町交差点」。(午前11時13分)


 そこを走るのは国道2号線。「西国街道」に比定されているが、いつものとおり街道の面影はない。海側に渡り左(東)へ進む。


 ガソリンスタンドを過ぎれば右に曲がり、細い路地を抜ければJR山陽本線に突き当たって左に進む。


 200mほど進めば右に踏切が見えてくるので渡ろう。


 踏切を渡れば「海」。そこには「須磨浦漁港」。神戸市にいくつかある漁港のひとつだ。(午前11時19分)


 すぐ東には砂浜が続く。


 今は潮干狩りシーズンのようだ。


 そして、その中ほどにJR「須磨駅」の南口。駅前は「海水浴場」だ。(午前11時24分)


 というより砂浜に駅が建てられているという感じだな。この駅の「北口」が今日のゴールなのだが、そのまま東へ進む。


 駅舎の隣には「すまうら水産直営所」。須磨浦地区の漁師らにより運営される大阪湾の海産物直販所だ。


 須磨は昔から海水浴場としても有名である。阪神間で唯一の海水浴場だが、最近では水質も改善され何年か前には「サメ騒動」もあったな。


 政令指定都市の海水浴場は、夏になれば多くの海水浴客で賑わう。


 砂浜の北側には「須磨海浜公園」。その一画には「旧和田岬灯台」。明治4年、現在の「兵庫区」である和田岬に建てられ、明治17年に鉄骨製に建て替えられたが、和田岬の埋め立てにより昭和38年に廃灯。(午前11時37分)


 現存する最古の鉄骨灯台としてここに移築・保存され、平成10年、国の登録有形文化財に登録されているが、公園の西半分は工事中のため中に入れない。柵の外から撮影する。


 仕方がないので標識に従い国道2号線に迂回する。ところがそこにはレトロな橋が。怪我の功名だな。交差点の名前からすれば「天神橋」と言うのだろう。橋柱には「昭和2年2月竣功」と刻まれている。


 そして工事中の公園に沿って150mほど歩けば右に公園入口。この公園はかつて「須磨住友別邸」だったそうだ。今は正門の門柱跡が残るのみである。

 
 公園に入る。砂浜の真ん中には「願いの椰子の木」。


 左に進むと「神戸市立須磨海浜水族園」。須磨は昔から「水族館」としても有名なところで、大阪に住んでいる方は遠足や家族連れで一度は訪れたことがあるだろう。ただ現在は、2024年のリニューアルに向け工事中のため本館のみの営業となっており、イルカショーやラッコ館などは見られない。スルーする。(午前11時47分)


 公園の東端は「神戸市立須磨ヨットハーバー」。


 その北側は「球技場」と駐車場になっている。


 国道に出て右折。球技場の北側には、何やら崩れた建造物が。これは阪神淡路大震災で倒壊した阪神高速道路の支柱らしい。震災の被災土木遺産として残されているそうだ。


 公園東の川から向こうは石油コンビナートなどの施設を経て「長田区」へと続くので国道2号線の「若宮橋交差点」を渡って北へ向かう。国道を越えれば「衣掛公園」。「衣掛」は平安時代の歌人である在原行平(ありわらのゆきひら)に因む地名らしい。(午後0時)


 公園に入れば「復興」と刻まれた二宮金次郎の石像。地元の自治連合会が建立したそうだ。


 衣掛公園を過ぎれば右に曲がって「村雨橋」という橋で妙法寺川を渡り左へ。JRのガードをくぐる。


 頭上はJR「鷹取駅」と貨物ターミナルになっているので、結構、長いガードだ。


 ガードをくぐれば「妙法寺川左岸公園」。


 ここは「旧JR鷹取工場」の敷地で、震災により建物の約90%が被災。移転後は復興区画整理により公園として整備され、園内にはレールと車輪のモニュメントが建つ。北に向かって進む。


 間もなく神戸の街歩きではお馴染みの「中央幹線」に出る。角にある「須磨警察署」前で信号を渡り、左折して右岸に移る。


 右岸に沿って歩こう。


 「二の井橋」という橋に出れば左に鳥居が見える。「権現宮證誠神社」と言い、永延元(987)年熊野の神を勧請して創祀されたそうだ。(午後0時16分)


 素戔嗚尊の子である「五十猛命(いそのたけるのみこと)」を御祭神とする。


 公園が終わり、すぐ先の「太田中学校」の北側には「須磨区役所」。須磨区は、山間部がニュータウンとして開発されているため、人口は9区中5位の約17万人。阪神淡路大震災でも9区中5番目の399名の方が亡くなっている。


 そして区役所南側から東に進めば区一番の繁華街である「板宿(いたやど)」。山陽電鉄と神戸市営地下鉄とが交わる。いずれも駅は地下にある。交差点を渡り三井住友銀行を左に見ながら進む。


 次の四つ角で左折すれば、飲食店街越しにアーケードが見える。


 時間は午後0時30分。飯の時間だな。


 目の前には「まちのカレー屋さん」と書かれた「ひまわり」と言うお店。辺りには焼肉屋やラーメン屋、唐揚げ屋など「硬派」の店が多いのでここもかなと思ったが、初老のご夫婦で切り盛りされるアットホームなお店だった。


 家庭的な「具だくさんカレー」と「らっきょ」「ミニサラダ」。マヨネーズで隠れてしまったが小さな「バナナ」、そして食後の「コーヒー」まで付いた「カレーセット(500円)」を注文。1日18食限定の日替わり定食(500円)もお勧めのようだ。


 午後0時55分、お店のお母さんに出口まで見送られて出発。ここは四角形に100mほどのアーケードが町を囲み、それぞれの四辺が4つの商店街を形成する。正面に見える「板宿新町商店街」に入る。

 
 途中、左に「板宿東部市場」の看板。


 アーケードを抜ければ左に「板宿センター街」。左に曲がる。


 少し進めば、これまで見てきた商店街同様、商店街からそれて「きたいちば」という市場がある。入って見よう。


 期待を裏切らない「昭和」だ。




 センター街に戻りアーケードが終われば右の「イオンフード」から続く「板宿本通商店街」のアーケードと交差する。左に曲がる。


 メインの商店街で道幅も広い。


 途中「西部市場」への入口。


 四角形の真ん中が十字になっており、それぞれ「東」「西」「南」「北」の市場に分かれているようだ。


 やっぱり「昭和」だな。


 シャッター街化しているが、それが「昭和」なのだ。


 本通商店街に戻り、アーケードが途切れる手前で「板宿銀映通商店街」と交わるので左に曲がる。


 ここも賑やかな商店街だな。


 こちらは「南部市場」への入口だ。


 アーケードを抜ければ、最初に入った新町商店街の入口に戻る。


 その先アーケードはなくなるが、神戸信用金庫前は「板宿中央商店街」になっている。


 次の四つ辻で商店街のアーチをくぐり左へ。


 100mほどで四つ辻を右に入れば地蔵堂のような建物が。「平盛俊(たいらのもりとし)の墓」。「一ノ谷の戦い」で討ち取られた平家の武将である。(午後1時11分)


 有名な武将が活躍した戦国時代や開国に向かう幕末の時代と異なり、源平合戦の時代は何かわかりにくい。それは「宮家」「武家」間の忖度や同族・兄弟同士での争い。そして「源平」両氏とも、同じような名前の人物が多数活躍することが影響しているからかな。よくわからん。


 元の辻に戻り、センター街のアーケードを前方に見ながら右折。


 板宿小学校の角で、これも神戸の街歩紀ではお馴染みの「山麓線」に出るので、信号を渡ってから左に曲がろう。


 本通商店街が突き当たるイオンフードを右に見ながら進む。


 次の「前池町3丁目交差点」で妙法寺川を渡り右折。


 川沿いに歩き、右に2つ橋を過ぎた「神戸市立板宿児童館」前の三叉路を左に曲がる。


 狭い路地を真っ直ぐ突き進み「百耕資料館」という建物を過ぎて右へ。次の辻を左に曲がる。この石標に従って右へ。


 左に階段が現れる。


 長い階段を上って行こう。


 階段を上りきれば「板宿八幡宮」。(午後1時27分)


 そして振り返れば、今歩いてきた須磨の街と海。


 永延元(987)年、菅原道真と八幡大神を祀って創祀されたという古社。


 参拝を終え、地図を頼りに山を下り「勝福寺」というお寺を目指す。細街路なのでグーグルマップを添付しておきました。板宿八幡宮への道と合わせて参照してください。


 最後の突き当たりに石標が立つので右に曲がる。


 坂道を上れば山門に続く階段前に到着。(午後1時42分)


 階段を上れば「高野山真言宗勝福寺」。静かなしっとりとした雰囲気のお寺だ。永延2(988)年開山と伝わる古刹。聖観世音菩薩を御本尊とする。摂津国八十八ヶ所の87番札所となっているのでお参りして行こう。


 参拝を終え、山門前から細い道を真っ直ぐ下って行くと「山麓線」に戻るので右に曲がる。ここからはちょっと単調な道が続く。


 そのまま進んで行けば「阪神高速道路3号神戸線」に突き当たる手前に「神戸市立須磨離宮公園」の東門。400円を払って入園する(JAF会員割引あり)。(午後2時8分)


 東半分は「植物園」になっている。ネットでプリントアウトした案内マップを片手に散策しよう。走っているカートは入園者用ではなく園内の清掃用だ。


 「もみじの道」に沿って進めば「もみじの滝」。


 途中「和庭園」。


 その先には「鑑賞温室」。




 温室を出て右に進めば「三段滝」。


 「花の広場」を過ぎれば「みどりの滝」。


 辺りは「ぼたん園」になっている。


 公園は道路で分断されているが連絡橋で結ばれている。西洋庭園を中心とした西半分の「本園」に進もう。


 連絡橋を渡り左に進めば「花菖蒲園」。今は花の色合いは薄いようだな。しかし新緑、若葉がきれいだ。


 花菖蒲園を過ぎて階段を上れば「月見台休憩所」。阪神高速神戸線や第二神明道路を走っていると「月見山インター」「月見山トンネル」という地名を目にするが、ここは1000年以上も前から月を愛でる場所として親しまれてきたんだな。「海が見えるぞ」


 月見台休憩所の北側には「戦災者供養塔」。神戸大空襲犠牲者の供養塔が建てられたが阪神淡路大震災で倒壊。平成23年に再建されたそうだ。


 供養塔後ろの「傘亭」という東屋を抜ければ「南大噴水」。


 その前に公園のメインストリートである「王侯貴族のバラ園」が続く。まだ、バラの季節ではないようだ。私は花には疎い。


 突き当たりは「ポセイドン広場」。


 南に戻り途中右に入れば、樹齢100年を越える「くすの木」の向こうに白壁が続く。


 その奥には「中門」。「須磨離宮」は大正3年「武庫離宮」として造成され戦災で焼失したものの、この中門は空襲を免れたそうだ。


 中門をくぐれば「潮見台休憩所」。ここからも海が見える。この石造りのベンチと手摺りは造成当時のものらしい。


休憩所脇の階段を下りて行けば「正門」。振り返り1枚。「須磨離宮」を後にする。(午後2時46分)


 目の前は「離宮公園前交差点」。大きく複雑な交差点なので陸橋で西側(ファミレス前)に渡ろう。陸橋は正門を出る手前にある。(写真は交差点を渡って撮影)


 少し進めば「神戸迎賓館」。元は「旧西尾邸」という神戸の貿易商「西尾類蔵」氏の邸宅であり、今も正門跡が残る。門前に正装したホテルマンが立っていたので尋ねたところ、外観だけの見学は「OK」だったので中に入る。


 今では結婚式場や高級フレンチレストランとして有名である。


 大正時代に建てられた重厚な洋風建造物である。


 神戸市の重要有形文化財に指定されているそうだ。


 奥には庭園も。


 見学を終え「離宮公園前交差点」まで戻り、今度は横断歩道で南側に渡る。道に沿って歩けば大きな池の前に出る。「須磨寺公園」と言い「浮御堂」が設けられたり、桜の名所として整備されている。


 池に沿って歩く。


 駐車場が見えれば左に曲がる。そして右に見える赤い龍華橋を渡れば「須磨寺」。(午後3時3分)


 正式名は「上野山福祥寺」と言い、古義真言宗の須磨寺派大本山として、仁和2(886)年に創建されたと伝わる古刹である。正面に「仁王門」が建つ。


 仁王門をくぐれば右に「阪神淡路大震災物故者追悼碑」。全日本仏教会により建立されたそうだ。「合掌」


 寺自体は源平合戦以前に開基されたのだが、場所柄、境内には「源平合戦」に関連した多くのものが残されている。仁王門をくぐった左に「源平の庭」。「一ノ谷の戦い」における源氏の武将熊谷直実と平敦盛との一騎打ちが再現されている。


 「唐門」をくぐれば「本堂」に続く。


 本尊の「聖観世音菩薩」を祀り、摂津国八十八ヶ所の第88番札所でもある。お参りして行こう。火災、震災等を経て慶長7(1602)年、豊臣秀頼が再建、昭和47年に600年前の姿に修理・復元された国の重要文化財である。


 本堂左には、源義経が平家の武将らの首実検をした際に座ったと伝わる「源義経卿腰掛松」。


 その前の池は「敦盛卿首洗池」。平敦盛の打たれた首は、ここで洗われたのだろうか。


 正面には「三重塔」。朱色が美しい。


 三重塔横には「平敦盛卿首塚」。


 胴体は、一番最初に訪れた須磨浦公園の「敦盛塚」に祀られているという。


 元に戻り、源義経卿腰掛松前を右に入り「書院」「本坊」の前を抜ける。大屋根越しに三重塔が「映える」。


 境内を一巡したようだ仁王門前に戻る。(午後3時36分)


 須磨寺を後にして南に下って行く。交番を過ぎれば複雑な「六叉路」。「六道の辻」だろうか。


 角には色々なものが建っている。交番横には須磨寺への石標。


 交番の向かいには何やら石碑が。


 「須磨霊泉」と言う地下水が湧き出ている。


 生水は飲めないが阪神淡路大震災でも枯れることはなく、貴重な水源として「命の水」と呼ばれたそうだ。


 正面には「須磨寺前商店街」のアーチ。


 アーチをくぐれば右に「お大師広場」。「なかよし」のプレートが掲げられた三人童像は、震災被害での助け合い精神を象徴して建てられたそうだ。


 その隣には「弘天さん」。お大師さん(弘法大師)と天神さん(菅原道真)を一緒に祀ることから「弘天」さんと言うらしい。神仏習合、どちらもおおらかな宗教だな。


 アーケードはないが須磨寺の「門前町」として開けた商店街が続く。


 200mほどで商店街は終わる。アーチをくぐれば右に山陽電車「須磨寺駅」。(午後3時45分)


 そして振り返れば角に地蔵堂と何やら石碑が立つ。「平重衡(たいらのしげひら)とらわれの遺跡」と刻まれている。


 横の案内板には「平重衡とらわれの松跡」と書かれ、説明文によれば源平合戦の折り、須磨まで逃れて来た副大将平重衡が源氏の捕虜となり、哀れんだ地元の者から濁り酒を振る舞われ、一首詠んだのち鎌倉に送られたと記されている。


 踏切を渡らず駅の北側路地を抜けていく。ややこしい道なのでグーグルマップを添付しておきます。


 4~5分で「光源氏」の住居跡とも伝えられる「浄土真宗本願寺派現光寺」というお寺の前に出る。字を入れ替えれば「ひかるげんじ」だな。(午後3時50分)


 左の階段を上れば鐘楼の前に「須磨の関跡碑」が建つ。かつてここに関所が設けられていた。小さいので見落とさないように。


 元の道に戻り坂を下って山陽電鉄のガードをくぐれば国道2号線と合流するので右に曲がる。次の路地を右に入ればガードの手前に「村上帝社」。平安末期、藤原師長という琵琶の名人と村上天皇にまつわる伝説があり、村上天皇をお祀りして神社としたそうだ。


 再度、石組みの山陽電鉄ガードをくぐると、この坂道は「いなり坂」と言うらしい。


 その先には坂名の由来となる「関守稲荷神社」。(午後3時57分)


 先ほど訪れた「須磨の関」の守護神として祀られたという。

 
 神社の裏から細街路を抜けて行くが、何も目印がないのでグーグルマップを添付する。


 この急な坂道は「たぬき坂」。


 あまりにも急な坂道なので、途中に休憩用のベンチが設けられている。


 さらにグーグルマップを添付するが、私は国道沿いの推奨コースではなく、山陽電鉄北側のコースを歩く。


 「きつね坂」。ここもかなり急な坂道だな。かつては狸や狐が出るほど藪だったのだろうか。みんな化かされたんだろうな。(午後4時4分)


 きつね坂を下り山陽電鉄のガードをくぐって「須磨浦通5丁目交差点」で右に曲がり、しばらく国道2号線を進む。


 次の「須磨浦通6丁目交差点」から右に入り、もう一度山陽電鉄のガードをくぐる。この坂は「不動坂」。神戸は無名も含め坂が多い。


 左には坂名の由来となる「一ノ谷不動尊」。正式には「真言宗須磨寺派潮音寺」と言うんだな。(午後4時9分)


 狭い境内には六地蔵尊などが並ぶ。

 
 御本尊様は十一面観世音菩薩らしいが、小さなお堂の中に「不動明王」の磨崖仏が祀られている。


 先ほどの説明文によれば、暦応4(1341)年の作で、藤田美術館で有名な大阪の「藤田男爵」が天理から須磨の別荘に遷座したものが洪水で流出し、ここに祀られるようになったそうだ。のうまくさんまんだ ばざらだん せんだまからしゃだ そわたや うんたらた かんまん


 さあ、もうすぐゴールだ。不動坂を戻り、山陽電車のガードをくぐって須磨浦通6丁目交差点で信号を渡り、国道2号線を左に曲がる。元の方向に戻るのだ。すぐ右には、朝一番に渡った一の谷町交差点が見える。街を一周したんだな。


 その先の三叉路突き当たりには山陽電車「山陽須磨駅」。木造の小さな駅舎だ。何か「サザン」の歌に出てきそうな雰囲気だが、ここも須磨海水浴場への入口なのだ。


 三叉路から7~80m進めば国道越しに「神戸信用金庫須磨支店」。何か「モスク」っぽいな。


 そして三叉路まで戻り左に曲がれば、突き当たりに午前中に立ち寄ったJR「須磨駅」の北口。ここが本日のゴールだ。午後4時23分到着。本日の歩紀「28015歩」(19.05km)。北口は普通の駅前だな。大阪駅まで約40分(730円)。歴史ある美しい海辺の町には、源平合戦の史跡とともに震災の爪痕も残されていた。


追:今日、平日ダイヤと休日ダイヤを間違い最寄駅まで駆け足をする羽目に。数百メートル数分の距離、しかも下り坂だったのに電車に乗ればずっしりと疲労が。走るって体力を消耗するんだな。それに比べ「歩紀」はさほど体力も消耗しないし、何と歩きながら体力回復もできるのだ。これからも歩き続けるぞ!









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神戸9区を歩く~灘区歩紀残し「王子動物園の桜」

2022-04-05 17:47:41 | 日記
訪問日:令和4年4月5日(火)
出 発:阪急電車「王子公園駅」
到 着:阪急電車「王子公園駅」

 今日は朝一番の仕事をチャンチャンと片付け午前10時に職場をアウト。せっかく大阪市内まで出てきて、このまま家に帰るのはもったいないな。今日の天気は「快晴」。桜だよりによれば大阪・神戸の桜の開花は「満開」。これは花見に行くしかない。どこへ行こう。そういえば先々週の日曜日(3月27日)「灘区」を歩いた際、「王子動物園」が長蛇の列のためスルーしたな。ということで神戸でも有数の桜の名所「王子動物園」へ行くことにする。

 
 阪急神戸本線「大阪梅田駅」から電車で約30分(320円)。「王子公園駅」が今日の発着点。


 駅前の「神戸市立王子動物園」へ向かおう。ところが「平日」とはいえさすが春休み。やはり長蛇の列。交通整理の警備員さんに聞けば「約30分待ち」とのこと。


 帰るわけにもいかないので満開の桜を眺めながら並ぶことにする。


 しかし、20分ほどで入場券(大人600円)を買うことができた。午前11時入場。


 エントランスで青空をバックにした満開の桜を。撮影の擬音は「パチリ」じゃなく「パシャッ」だな。


 まずは「パンダ館」に向かう。ここが日本で3つしかない場所なのだから。昭和56年に開催された「神戸海洋博覧会」で友好姉妹都市の中国・天津市からジャイアントパンダがやって来たのを機に、神戸市が平成12年から日中共同での繁殖研究のため、ここ王子動物園で飼育展示するようになったそうだ。


 しかし、前回訪れた時に説明したとおり「旦旦(タンタン)」は、体調不良のため療養中とのこと。


 一時は、オスの「興興(コウコウ)」とともに人工繁殖に取り組んだが、「興興」は平成22(2010)年死亡、現在はメスの「旦旦」1頭のみで、新しいオスの受け入れに向けて準備中とのことだ。


 桜




 続いて「コアラ舎」に行こう。実はコアラも日本では7ヶ所でしか飼育されておらず、近畿地方では王子動物園のほか淡路島の「淡路ファームパークイングランドの丘」でしかお目にかかれない。


 赤ちゃんも産まれ、現在では8頭飼育されている。エサになるユーカリの確保が大変らしいが、パンダの笹もそうだが「王子動物園、頑張ってるな」。「起きてください。昼ですよ」


 コアラ舎の隣には「レッサーパンダ」。これも人気の動物だ。


 「大きなパンダ」である「ジャイアントパンダ」に対して「レッサーパンダ」は「小さなパンダ」という意味らしい。つまり王子動物園では「大」「小」のパンダが見られるのだ。


 桜


 クマさんもお昼寝中。


 ワニは目がぱっちり。


 大嫌いなヘビ。起きているのか寝ているのか。

 
 私。いや「ナマケモノ」。結構、動いていたぞ。


 ナマケモノ舎の横は桜並木。


 「キリンと桜」


 「桜とシマウマ」


 「ヒトと桜」


 ここにもレッサーパンダ。やっぱり笹を食っている。


 繁殖環境に慣れるまで、別々に飼育されるらしい。


 カバ。動物園なんて久しぶりだな。何年ぶりだろう。


 カバ舎の奥には「旧ハンター住宅」という洋館が立つ。明治22年、北野町の異人館街に建てられ、イギリス人実業家のハンター氏が居宅として購入。


 昭和38年、北野町から王子公園に移築され、国の重要文化財に指定されている。


 無料で一般公開されている(動物園入園料は必要)。


 中からの桜も美しい。




 コロナ禍で中止されていた動物園内の「夜桜通り抜け」が、3年ぶりに4月3日(日)から5日(火)まで開催されるらしい。


 園内には遊園地もある(別途のりもの券が必要)。


 後ろには「六甲山地」。


 そして振り返れば。「海が見えるぞ」これが神戸なのだ。


 春休みなので子どもたちが楽しそうに遊んでいる。


 ただ、公園の再整備計画では、遊園地は廃止されるらしい。


 少子化とテーマパークの台頭で多くの遊園地が廃園になっている。仕方ないが淋しいな。私が子どもの頃には百貨店の屋上にも遊園地があったのにな。


 おっと昼飯の時間だ。


 今日の昼食は、王子公園駅前の「水道筋商店街エルナード」のスーパー「マルハチ」で買った「かにちらし丼」(410円+自販機のお茶)。家族連れが多い中、おっさんがベンチを独り占めするのは気が引けたため、桜の木の根っこにハンカチを敷いて食べる。しかし、本当に海鮮が好きだな。


 「パンダと桜」を眺めながらの昼食。


 食事を終えると目の前にはゴミステーション。有難いな。「ゴミ持ち帰り」のテーマパークと違い、これが「昭和」の遊園地なのだ。


 園内の食堂は次々に閉店しているが、キッチンカーが頑張っている。これも時代だな。


 昼食を済ませゾウさんを見学。


 続いて猛獣舎。




 そしてお目にかかれなかったジャイアントパンダ「旦旦」は「パンダショップ」で。


 午後0時35分、桜の王子動物園を後にする。本日の歩紀「5448歩」(3.7km)。王子動物園は「飲酒禁止」。家に帰って早めの晩酌をしながらブログの編集をしよう。
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