訪問日:令和3年12月18日(土)
出 発:JR「塩屋駅」
到 着:JR「朝霧駅」
神戸市の経度的な最西端は六甲山地の北側に広がる「西区」であるが、大阪湾に沿った南部7区の中で最も西に位置するのが「垂水区」である。山間部は神戸沖に浮かぶ埋め立て地の土砂採取後、多くの人々が住むニュータウンとして生まれ変わったが、地理的にはここで六甲山地が大阪湾に沈み(正確には隆起だが)、平野のない狭い海岸線に沿って町が開けていた。12月の冷たい「海風」を受けながら神戸第二の外国人居留地と言われた「塩屋」を出発し、世界最大の吊り橋である「明石海峡大橋」を目指して歩く。今日は、この冬一番の冷え込み。寒いぞ。
今日のスタートはJR「塩屋駅」。「大阪駅」から約50分(730円)。併走する山陽電鉄の「山陽塩屋駅」と隣接する。南側の目の前は「海」。しかし北側は六甲山地が迫る。ホームから見えるあの高台を目指して歩こう。
駅北口を午前9時45分出発。駅前を右(東)に進み高台へと向かう。
5~60mでガードをくぐる。このガードの上を走るのは山陽電鉄。山陽電鉄とJRの線路の間を歩く。
左に見えてきた踏切で今度は山陽電鉄を渡る。踏切の向こうに見える階段を上ろう。
すぐ左に今も残るのが「旧グッケンハイム邸」。明治時代後期、アメリカ人貿易商グッケンハイムが使用していた洋館である。老朽化が進んでいたところ現在のオーナー一家が購入・補修し、ミニコンサートや結婚披露宴などのイベント施設として活用されているそうだ。
「旧グッケンハイム邸」の屋根越しに「明石海峡」の絶景。そのためここには昔から多くの外国人が住むようになり、「北野」に次ぐ神戸第二の外国人居留地と言われるようになった。
その斜め向かいには「旧後藤邸」という洋館。大正時代中期の建築らしいが、現在は神戸市が管理し一般公開はされていない。近すぎて全容が望めない(塩屋駅のホームから見える一番右端の三角屋根です)。
そのすぐ北側には「大江家住宅」。この建物も大正時代に建てられたそうだ。
「大江家住宅」のすぐ北には「西向き地蔵」。かつて漁師の地引き網にかかりお祀りされているそうだ。
「旧グッケンハイム邸」をぐるっと回るように路地を進んで行く。この坂も長崎の「オランダ坂」のように異人さんが行き来していたのだろう。
この先で道は突き当たるので、左に先ほどくぐった山陽電鉄のガードが見えれば右に曲がる。そのまま道なりに進んでいけば角にクリーニング屋さんが見える。
降った雨はすぐに海へ流れてしまうような地形。水は貴重だったのだろう。かつて集落内には3ヶ所の共同水道が敷かれていた。「水道」さすが神戸だな。その1つがここ。クリーニング屋さんの前に当時の石が残る。「水道」だがこの周りでは「井戸端会議」が開かれていたそうだ。
クリーニング屋さんの角から路地をのぞき込む。商店街というのだろうか。アーケードではない「雨よけ」「日よけ」のような屋根の下に商店が並ぶ。レトロな雰囲気が残る小さな道筋である。
昔から地元の人たちの生活を支えていたのかなと思ったが、居留地に住む外国人向けの食材や雑貨を販売したのが始まりだという。しかし今ではしっかりと地元に溶け込んでいる。
筋を抜ければ突き当たりに「山陽塩屋駅」。本当に「駅前」だな。狭い山沿いで人々が生活を営んでいるのだ。「山陽電鉄」については「須磨区」編ででも説明しようかな。
線路沿いに西に進み、突き当たりを右に折れれば正面に鳥居の立つ石段が見える。「塩屋若宮神社」だ。(午前10時10分)
明治時代に付近の神社を合祀して創建されたそうだ。「顕宗」「仁賢」「安閑」の古代天皇を御祭神とする神社で今日一日の安全を祈願しよう。
参拝を終え鳥居をくぐって右へ。左には山陽電鉄、JRの線路越しに大阪湾が見える。
ここからは狭い住宅街を抜けるのだが、何の目印もないので今日もグーグルマップを添付する。結構、上り坂だ。
広い道に突き当たれば右に曲がり、陸橋をくぐってお洒落なレストランを右に見ながら坂道を上って行く。
塩屋若宮神社から10分ほどで「ライオン像」の前に出る。向こうに見えるのはジェームスというイギリス人貿易商が開発した「ジェームス山」と呼ばれる外国人別荘地だ。
今でも何世帯かの外国人家族が居住するそうだが、私有地のため関係者以外は立入できない。「現代版外国人居留地」だな。
「ライオン像」前から坂道を戻り、先ほどのレストラン前陸橋の手前を右に曲がり坂を上る。「関西聖書神学校」というキリスト教系の施設に突き当たるので左折する。
住宅街を5~6分歩けば左にジェームスが住んでいた洋館である「旧ジェームス邸」。
昭和9年に建築されたそうだが一般には公開されておらず、結婚披露宴などのパーティー会場として貸し出しされている。
そのまま坂道を下り、最後に階段を下りれば山陽電鉄に突き当たるので左折。
突き当たりを右に曲がれば山陽電鉄とJRをくぐり「国道2号線」に出るので信号を渡って右に進もう。この道はかつての「西国街道」に比定されている。
5分ほどで左に緑地が見えてくるが、ここは大阪湾に飛び出した「平磯」と呼ばれる東西1.5kmほどの長細い埋め立て地だ。うどん屋さんの駐車場を過ぎれば出入口があるので中に入っていこう。
埋め立て地の東端は、垂水区に3つある漁港のひとつ「塩屋漁港」に面した岸壁で「平磯ベランダ」と呼ばれる。私は釣りはしないが、地元ではカレイ釣りの穴場として知られているそうだ。(午前10時40分)
六甲山地の最西端が大阪湾に沈む(正確には隆起だが)様子がよくわかる。
この埋め立て地は神戸市の下水最終処理場になっており、下水処理水を活用した「なぎさの池」という公園が作られている。この辺りから「明石海峡大橋」が見え始める。
岸壁となぎさの池の間にある遊歩道を歩く。ちょっと「塩素臭い」が仕方がないな。
真ん中の島状になった緑地まで行けば池の向こう側に渡って右に進み(つまり元の方向に戻る)下水処理場北側へ回ろう。
広い施設の敷地沿いに進む。右の公園にはトイレがある。
そのまま進めば芝生広場に出る。奥にはテニスコートやフットサルコートが広がる「垂水スポーツガーデン」。ここにもトイレがある。
芝生広場から岸壁方向に進むと1400mほどの岸壁は昭和59年9月にオープンした「神戸市立平磯海づり公園」という有料エリアになっており、その前に管理棟が立つ。
管理棟の前を右に進んで行く。今日は空気が澄んでいるようだ。遠くには紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」が見える。
そして埋め立て地の西端は、明石海峡を往き来する船や淡路島、明石海峡大橋を背景として夕日や夜景が楽しめるデートスポットとなっており「恋人岬」と呼ばれている。
遠くにロウソクのように立つのは、間もなく解体される「世界平和大観音像」だろう。
本来、岸壁沿いに進み左に「観測塔」を見ながら川に沿って進んでいくのだが、今日は工事のため公園の駐車場側に迂回させられた。上を歩道橋が渡る国道2号線(西国街道)に出るが、一旦信号を渡って川の畔まで進む。そこには2連アーチの美しい石橋が。
再度信号で国道を渡る。この橋は「福田橋」という大正15年に竣功したレトロ橋である。戦災・震災を乗り越え今も現役だ。
ちょっと面倒くさいが川側には歩道がないので信号を東側に渡って左折し道路右側を歩く。歩道橋の上からは福田橋の全景が望める。
JR、山陽電鉄のガードをくぐれば左に大きなビルが見えるので次の信号で川を渡り、突き当りを左折してビルの向こう側に回る。
そのビルには「垂水区役所」。北部に広大なニュータウンを有する垂水区の人口は約21万人。同じく21万人台の「北区」「東灘区」とともに2位を競っているが、面積的には他の2区より狭いため人口密度は9区中2番目である。阪神淡路大震災の震源となった活断層の西側に位置したためか他区に比べて被害は少なかったものの25人の方が亡くなっている。「合掌」(午前10時25分)
区役所の西側を南北に延びる「銀座通り」を北へ進む。
「銀座通り」を抜ければ左に「垂水センター街」というアーケード商店街。入ってみよう。
この辺りは垂水区でも一番賑やかなところだ。
途中、左に「垂水廉売(れんばい)市場」という商店街が分岐する。中に入ってみよう。
かなりシャッター街化しているな。
この辺り一帯は2023年目指し、駅前ビルとして再開発されるそうだ。淋しいな。
逆L字形のアーケードを抜け路地に出れば右に見える「垂水センター街」のアーケードに戻るのでさらに進む。
アーケードを抜ければ左へ。正面には「山陽垂水駅」。JRと隣接している。
突き当たりを右に折れ「垂水駅西交差点」を左折。山陽電鉄とJRのガードをくぐって突き当たりを左に曲がり200mほど進めば左に「海神社」。(午前11時40分)
「わたつみ」神社と読む。約1800年前、神功皇后の「三韓征伐」に際して「上津綿津見」「中津綿津見」「底津綿津見」の「海神(わたつみ)」を祀ったのが起源だそうだ。漁業や航海など海事の神様として信仰を集めたのだろう。
参拝を終え、前方に見える赤い鳥居に向かって歩く。
この鳥居は海神社の「浜大鳥居」。
鳥居をくぐって右に進めば次の交差点の角に「神戸市漁業協同組合直売所」。
「いかなごの釘煮」や「しらす」など海鮮加工品の直売所だ。
そして直売所の裏には「垂水漁港」。ここも大阪湾を漁場とする漁港である。
午前11時50分。いつもどおり良い時間だな。飯にしよう。埠頭の真ん中には「神戸市役所経済観光局水産会館」。
水産会館の2階には「垂水漁港食堂」。今日はここで腹を満たすことにする。
名物「釜揚げシラス丼」を「ミニ丼」から「並み丼」に変更(100円プラス)し、「サーモンのフライ」と「地魚の刺身」に味噌汁と漬け物が付いた「垂水漁港定食」(1450円)を注文する。前回に続き連続の「海鮮」。私は海鮮をよく食うな。「いや!海鮮が俺を食っているのだ。俺は海鮮に食われているのだ。ふん。」
食事を終え、午後0時20分出発。海を左に見ながら進んで行けば左に「三井アウトレットパークマリンピア神戸」。
全国にある三井アウトレットのひとつで、南欧の港町をイメージして垂水沖を埋め立てて平成11年に開業された。
約140の店舗や飲食店が並ぶ。
明石海峡を望む公園とヨットハーバーも併設されている。
アウトレットの西隣りには「アジュール舞子」。人工だがきれいな浜辺が広がる。
周辺は緑地になっており、ホテルや日帰り温泉、バーベキュー広場などが並ぶ。もちろんトイレもある。
緑地を横断し、「霞ヶ丘南交差点」で国道2号線(西国街道)を信号で渡りJRのガードをくぐる。ガードから6~70mで二又を右の狭い坂道へ進む。
道なりに進み市営住宅を過ぎれば左折。今度は山陽電鉄の踏切を渡る。
線路を渡ってすぐ右へ。途中で道は狭くなるが、気にせず線路沿いを突き当たりまで進む。
突き当たって左を見れば、突然巨大な古墳が目に飛び込んでくる。「五色塚古墳」。全長194m、兵庫県最大の前方後円墳である。
古墳に沿って進んで行こう。
西側に隣接する直径67mの円墳「小壺古墳」とともに大正10年3月、国の史跡に指定された。
「小壺古墳」前にある入口から「五色塚古墳」に入る。案内所の裏にトイレがある。(午後1時)。
被葬者は不明であるが、4~5世紀ころこの辺りを支配していた豪族のものと思われる。
昭和40年から10年かけて石葺き三段の墳丘が復元された。
石葺きの古墳の周りには埴輪が並ぶ。
巨大な古墳は明石海峡を往き来する舟からもその偉容が望めたのだろう。
先ほどの山陽電鉄踏切まで戻り、線路沿いの小さな道に入る。そのまま進めば山陽電鉄「霞ヶ丘駅」。
駅前のガードをくぐってすぐ右に曲がり、線路を右に見ながら進んでいく。
道なりに進み、この案内板に従って路地に入る。
突き当たりには「旧木下家住宅」。(午後1時20分)
昭和16年に建てられた数寄屋造近代和風住宅。その後、兵庫県が所有者から寄贈を受け、貴重な和風建築物として庭とともに一般公開されている。
国の登録有形文化財に登録されており、午前10時から午後5時まで開館(月曜日休館)は、この後訪れる「旧武藤山治邸」「孫文記念館」と共通である。入館料100円だが「3館共通入場券」を購入すれば500円のところ340円だ。
先ほどの案内板まで戻り右へ。真っ直ぐ進みJRのガードをくぐれば自然と「舞子公園」に続く。明治33年、白砂青松であった舞子浜が景勝地として整備された兵庫県初の都市公園である。
かつて付近には立派な別荘やホテル・旅館が並んだという。時代は移り今では明石海峡大橋の本州側橋脚となっている。明石海峡大橋はその名称から「明石市」と「淡路島」を結んでいると思っておられる方も多いかも知れないが本州側はここ垂水区なのだ。
公園の東端には「旧武藤山治邸」。明治時代の衆議院議員・武藤山治が明治40年、舞子浜に建てた住宅であり、その後「鐘淵紡績」の厚生施設「鐘紡舞子倶楽部」として利用されていた。入館料100円。国の登録有形文化財に登録されている。(午後1時40分)
明石海峡大橋建設に伴う国道2号線の拡張工事により和館部分は取り壊されてしまったそうだが、洋館部分を兵庫県が現カネボウより寄贈を受け一般公開している。
内部は調度品なども整えられ、セルフカフェも併設している。
明石海峡大橋方向に歩いて行けば「移情閣」。神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂が舞子浜に建てた別荘の楼閣である。入館料300円。(午後1時55分)
明石海峡大橋の建設により200mほど離れた位置から現在地に移転されたそうだ。
平成12年4月に復元され国の重要文化財に指定されている。
呉錦堂氏は「中国革命の父」といわれる「孫文」と交友があったことから、その後、同氏の意を継ぎ同館を「孫文記念館」として昭和59年から一般に公開されている。
「移情閣」東隣の「夢レンズ」という記念碑から世界最大の橋脚を望む。
その橋脚には「舞子海上プロムナード」。午前9時から午後6時まで(10~3月は月曜日休館)。入場料300円。(午後2時5分)
明石海峡大橋の高さ47mの位置に作られた延長317mの回遊式遊歩道で、エレベーターで一気に8階まで上がり、上から明石海峡を眺めることができる。
足がすくむようなスリルを体感することもできる。
展望カフェレストランやお土産屋さん、イベント広場などがある。
見学を終えて下へ。橋は真っ直ぐ淡路島に向かう。
橋をくぐったところには「橋の科学館」。午前9時15分から午後6時まで開館(月曜日休館 ※ただし季節により異なる)。入館料は310円。(午後2時30分)
平成10年4月に開通した全長3911m、高さ298m。世界最大の吊り橋「明石海峡大橋」の建設にまつわる資料などが展示されている。
「舞子海上プロムナード」「孫文記念館」との3館共通入場券であれば680円だが、「孫文記念館」が先ほどの3館共通入場券とダブルので見学先によってうまく使い分けよう。
私は「旧木下家・旧武藤邸・移情閣」の3館共通入場券(340円)を購入し、JAFの会員割引で「舞子海上プロムナード」(200円)と「橋の科学館」(270円)に入場した。おそらく5施設を最も安い金額(810円)で見学したと思う。
「橋の科学館」を出て西側にある自然海岸の前には「明石藩舞子台場跡」。(午後2時55分)
明石海峡警備強化のため文久3(1863)年、江戸幕府が明石藩に1万両を貸与し、勝麟太郎(勝海舟)の指導で建造させたという砲台跡である。垂水区は「旧播磨國」だったので、かつては明石藩の領地だったんだな。
大砲の形をした小さなベンチが並んでいる。なお大砲は一度も使用されなかったそうだ。
台場跡前を走る国道2号線(西国街道)を西へ約280mほど進み、「昭和2年9月竣功」と刻まれた「東(ひがし)橋」を渡る。
その先で「西国街道」は国道から別れ左の路地に入る。
国道2号線から一本南の筋を走っているので静かだが、家は建て替えられており街道の風情は残っていない。
300mほど進めば右に「舞子六神社」。創建の詳細は不詳であるが区北部にある「多聞十二大明神」から六神を勧請して祀られたそうだ。そのため「多聞十二大明神」は現在では「多聞六神社」と呼ばれる(諸説あり)。(午後3時5分)
御祭神は「伊邪那岐大神」「伊邪那美大神」「天照皇大神」「素戔男大神」「月夜見大神」「蛭子大神」の六神。イザナギ、イザナミとその子とされる(実際はイザナギの禊ぎで生まれた)「三貴神」。さらに一番最初に生まれたが不具であったため子には数えない「ヒルコ」を祀るんだな。「古事記」や「日本書紀」を一読すると神社にお参りするときの見る目が変わりますよ。
境内には「恵比寿様」と「大黒様」の石像が立つ。
神社の真向かいには「舞子漁港」。だから「蛭子大神(ヒルコ=恵比寿=海神)」が祀られているのか。
「西国街道」は神社の先で再度、国道2号線と合流し、100mほど歩けばここにもいい感じの橋。
「山田橋」といい昭和26年に架けられたそうだ。
山田橋を渡って「くら寿司」を過ぎ「スターバックスコーヒー」の前に押しボタン式信号があるので国道2号線を渡り山陽電鉄の踏切とJRのガードを過ぎる。
JRのガードをくぐって右に曲がり、「西舞子橋」という橋を渡れば階段で下りられるので左岸を北に向かって歩く。
3つ目の橋を過ぎれば急に道が細くなるが、そのまま進み次の辻を右斜めに入って住宅街をまっすぐ進む。
突き当りを左に曲がれば「舞子細道公園」。トイレがある。(午後3時25分)
そして公園の奥には「大歳山遺跡」。戦前に発見された旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代にわたる複合遺跡で、昭和47年ころから公園として整備され弥生式竪穴住居が復元されている。
隣には発掘された小さな前方後円墳も復元されている。ここからの景色も素晴らしいなあ。「海が見えるぞ」
さあ、ちょっと道がややこしいのでグーグルマップを見ながら最後の見学地「狩口台きつね塚古墳」へ向かおう(「大歳山遺跡」へ行く際も参考にしてください)。
地図は何度やっても推奨コースを表示するが、実際はV字ターンした後は真っ直ぐ進む。前半は下り、後半は上り。結構きついよ。
20分ほどで「きつね塚緑地」に到着。公園の中に古墳がある。(午後3時45分)
6世紀後半の築造と思われる直径24mの二段丘円墳であるが被葬者は不明。調査後、石室は埋めもどされ、現在は公園として公開されている。この辺りは古墳が多いな。かなり大きな勢力を持つ豪族によって治められていたんだろうな。
公園前の坂を下り次の四つ角を左に曲がる。道なりにカーブしながら下って行けば突き当たるので右へ。明石海峡大橋を後ろに見ながら歩く。
住宅地を抜け、この小さな川を越えれば「明石市」だ。
そして数10メートルで左に本日のゴールであるJR「朝霧駅」北口。時間は午後4時。本日の歩紀「27249歩」(20.63km)。ここから「大阪駅」まで約50分(940円)。以前、「明石市」を歩いた時は南口がゴールだった。ちょっと寒かったが「冬の海」は何か清潔な感じがして心地よかったな。そして素晴らしい景色はもちろん、古代から現代に至るまで長い歴史を感じさせてくれる町だった。
追:「神戸市9区を歩く~はじめに」で書いたように私の「歩紀」は関テレ系「兵頭大樹の今昔さんぽ」とよくかぶる。先週(12月10日放映)兵頭さんは私が先月歩いた「和田岬周辺」を歩いていたな。そして今回の「塩屋」は以前、兵頭さんが歩いていた町です。ねっ、かぶるでしょ。そして、今年最後の「歩紀」。1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
出 発:JR「塩屋駅」
到 着:JR「朝霧駅」
神戸市の経度的な最西端は六甲山地の北側に広がる「西区」であるが、大阪湾に沿った南部7区の中で最も西に位置するのが「垂水区」である。山間部は神戸沖に浮かぶ埋め立て地の土砂採取後、多くの人々が住むニュータウンとして生まれ変わったが、地理的にはここで六甲山地が大阪湾に沈み(正確には隆起だが)、平野のない狭い海岸線に沿って町が開けていた。12月の冷たい「海風」を受けながら神戸第二の外国人居留地と言われた「塩屋」を出発し、世界最大の吊り橋である「明石海峡大橋」を目指して歩く。今日は、この冬一番の冷え込み。寒いぞ。
今日のスタートはJR「塩屋駅」。「大阪駅」から約50分(730円)。併走する山陽電鉄の「山陽塩屋駅」と隣接する。南側の目の前は「海」。しかし北側は六甲山地が迫る。ホームから見えるあの高台を目指して歩こう。
駅北口を午前9時45分出発。駅前を右(東)に進み高台へと向かう。
5~60mでガードをくぐる。このガードの上を走るのは山陽電鉄。山陽電鉄とJRの線路の間を歩く。
左に見えてきた踏切で今度は山陽電鉄を渡る。踏切の向こうに見える階段を上ろう。
すぐ左に今も残るのが「旧グッケンハイム邸」。明治時代後期、アメリカ人貿易商グッケンハイムが使用していた洋館である。老朽化が進んでいたところ現在のオーナー一家が購入・補修し、ミニコンサートや結婚披露宴などのイベント施設として活用されているそうだ。
「旧グッケンハイム邸」の屋根越しに「明石海峡」の絶景。そのためここには昔から多くの外国人が住むようになり、「北野」に次ぐ神戸第二の外国人居留地と言われるようになった。
その斜め向かいには「旧後藤邸」という洋館。大正時代中期の建築らしいが、現在は神戸市が管理し一般公開はされていない。近すぎて全容が望めない(塩屋駅のホームから見える一番右端の三角屋根です)。
そのすぐ北側には「大江家住宅」。この建物も大正時代に建てられたそうだ。
「大江家住宅」のすぐ北には「西向き地蔵」。かつて漁師の地引き網にかかりお祀りされているそうだ。
「旧グッケンハイム邸」をぐるっと回るように路地を進んで行く。この坂も長崎の「オランダ坂」のように異人さんが行き来していたのだろう。
この先で道は突き当たるので、左に先ほどくぐった山陽電鉄のガードが見えれば右に曲がる。そのまま道なりに進んでいけば角にクリーニング屋さんが見える。
降った雨はすぐに海へ流れてしまうような地形。水は貴重だったのだろう。かつて集落内には3ヶ所の共同水道が敷かれていた。「水道」さすが神戸だな。その1つがここ。クリーニング屋さんの前に当時の石が残る。「水道」だがこの周りでは「井戸端会議」が開かれていたそうだ。
クリーニング屋さんの角から路地をのぞき込む。商店街というのだろうか。アーケードではない「雨よけ」「日よけ」のような屋根の下に商店が並ぶ。レトロな雰囲気が残る小さな道筋である。
昔から地元の人たちの生活を支えていたのかなと思ったが、居留地に住む外国人向けの食材や雑貨を販売したのが始まりだという。しかし今ではしっかりと地元に溶け込んでいる。
筋を抜ければ突き当たりに「山陽塩屋駅」。本当に「駅前」だな。狭い山沿いで人々が生活を営んでいるのだ。「山陽電鉄」については「須磨区」編ででも説明しようかな。
線路沿いに西に進み、突き当たりを右に折れれば正面に鳥居の立つ石段が見える。「塩屋若宮神社」だ。(午前10時10分)
明治時代に付近の神社を合祀して創建されたそうだ。「顕宗」「仁賢」「安閑」の古代天皇を御祭神とする神社で今日一日の安全を祈願しよう。
参拝を終え鳥居をくぐって右へ。左には山陽電鉄、JRの線路越しに大阪湾が見える。
ここからは狭い住宅街を抜けるのだが、何の目印もないので今日もグーグルマップを添付する。結構、上り坂だ。
広い道に突き当たれば右に曲がり、陸橋をくぐってお洒落なレストランを右に見ながら坂道を上って行く。
塩屋若宮神社から10分ほどで「ライオン像」の前に出る。向こうに見えるのはジェームスというイギリス人貿易商が開発した「ジェームス山」と呼ばれる外国人別荘地だ。
今でも何世帯かの外国人家族が居住するそうだが、私有地のため関係者以外は立入できない。「現代版外国人居留地」だな。
「ライオン像」前から坂道を戻り、先ほどのレストラン前陸橋の手前を右に曲がり坂を上る。「関西聖書神学校」というキリスト教系の施設に突き当たるので左折する。
住宅街を5~6分歩けば左にジェームスが住んでいた洋館である「旧ジェームス邸」。
昭和9年に建築されたそうだが一般には公開されておらず、結婚披露宴などのパーティー会場として貸し出しされている。
そのまま坂道を下り、最後に階段を下りれば山陽電鉄に突き当たるので左折。
突き当たりを右に曲がれば山陽電鉄とJRをくぐり「国道2号線」に出るので信号を渡って右に進もう。この道はかつての「西国街道」に比定されている。
5分ほどで左に緑地が見えてくるが、ここは大阪湾に飛び出した「平磯」と呼ばれる東西1.5kmほどの長細い埋め立て地だ。うどん屋さんの駐車場を過ぎれば出入口があるので中に入っていこう。
埋め立て地の東端は、垂水区に3つある漁港のひとつ「塩屋漁港」に面した岸壁で「平磯ベランダ」と呼ばれる。私は釣りはしないが、地元ではカレイ釣りの穴場として知られているそうだ。(午前10時40分)
六甲山地の最西端が大阪湾に沈む(正確には隆起だが)様子がよくわかる。
この埋め立て地は神戸市の下水最終処理場になっており、下水処理水を活用した「なぎさの池」という公園が作られている。この辺りから「明石海峡大橋」が見え始める。
岸壁となぎさの池の間にある遊歩道を歩く。ちょっと「塩素臭い」が仕方がないな。
真ん中の島状になった緑地まで行けば池の向こう側に渡って右に進み(つまり元の方向に戻る)下水処理場北側へ回ろう。
広い施設の敷地沿いに進む。右の公園にはトイレがある。
そのまま進めば芝生広場に出る。奥にはテニスコートやフットサルコートが広がる「垂水スポーツガーデン」。ここにもトイレがある。
芝生広場から岸壁方向に進むと1400mほどの岸壁は昭和59年9月にオープンした「神戸市立平磯海づり公園」という有料エリアになっており、その前に管理棟が立つ。
管理棟の前を右に進んで行く。今日は空気が澄んでいるようだ。遠くには紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」が見える。
そして埋め立て地の西端は、明石海峡を往き来する船や淡路島、明石海峡大橋を背景として夕日や夜景が楽しめるデートスポットとなっており「恋人岬」と呼ばれている。
遠くにロウソクのように立つのは、間もなく解体される「世界平和大観音像」だろう。
本来、岸壁沿いに進み左に「観測塔」を見ながら川に沿って進んでいくのだが、今日は工事のため公園の駐車場側に迂回させられた。上を歩道橋が渡る国道2号線(西国街道)に出るが、一旦信号を渡って川の畔まで進む。そこには2連アーチの美しい石橋が。
再度信号で国道を渡る。この橋は「福田橋」という大正15年に竣功したレトロ橋である。戦災・震災を乗り越え今も現役だ。
ちょっと面倒くさいが川側には歩道がないので信号を東側に渡って左折し道路右側を歩く。歩道橋の上からは福田橋の全景が望める。
JR、山陽電鉄のガードをくぐれば左に大きなビルが見えるので次の信号で川を渡り、突き当りを左折してビルの向こう側に回る。
そのビルには「垂水区役所」。北部に広大なニュータウンを有する垂水区の人口は約21万人。同じく21万人台の「北区」「東灘区」とともに2位を競っているが、面積的には他の2区より狭いため人口密度は9区中2番目である。阪神淡路大震災の震源となった活断層の西側に位置したためか他区に比べて被害は少なかったものの25人の方が亡くなっている。「合掌」(午前10時25分)
区役所の西側を南北に延びる「銀座通り」を北へ進む。
「銀座通り」を抜ければ左に「垂水センター街」というアーケード商店街。入ってみよう。
この辺りは垂水区でも一番賑やかなところだ。
途中、左に「垂水廉売(れんばい)市場」という商店街が分岐する。中に入ってみよう。
かなりシャッター街化しているな。
この辺り一帯は2023年目指し、駅前ビルとして再開発されるそうだ。淋しいな。
逆L字形のアーケードを抜け路地に出れば右に見える「垂水センター街」のアーケードに戻るのでさらに進む。
アーケードを抜ければ左へ。正面には「山陽垂水駅」。JRと隣接している。
突き当たりを右に折れ「垂水駅西交差点」を左折。山陽電鉄とJRのガードをくぐって突き当たりを左に曲がり200mほど進めば左に「海神社」。(午前11時40分)
「わたつみ」神社と読む。約1800年前、神功皇后の「三韓征伐」に際して「上津綿津見」「中津綿津見」「底津綿津見」の「海神(わたつみ)」を祀ったのが起源だそうだ。漁業や航海など海事の神様として信仰を集めたのだろう。
参拝を終え、前方に見える赤い鳥居に向かって歩く。
この鳥居は海神社の「浜大鳥居」。
鳥居をくぐって右に進めば次の交差点の角に「神戸市漁業協同組合直売所」。
「いかなごの釘煮」や「しらす」など海鮮加工品の直売所だ。
そして直売所の裏には「垂水漁港」。ここも大阪湾を漁場とする漁港である。
午前11時50分。いつもどおり良い時間だな。飯にしよう。埠頭の真ん中には「神戸市役所経済観光局水産会館」。
水産会館の2階には「垂水漁港食堂」。今日はここで腹を満たすことにする。
名物「釜揚げシラス丼」を「ミニ丼」から「並み丼」に変更(100円プラス)し、「サーモンのフライ」と「地魚の刺身」に味噌汁と漬け物が付いた「垂水漁港定食」(1450円)を注文する。前回に続き連続の「海鮮」。私は海鮮をよく食うな。「いや!海鮮が俺を食っているのだ。俺は海鮮に食われているのだ。ふん。」
食事を終え、午後0時20分出発。海を左に見ながら進んで行けば左に「三井アウトレットパークマリンピア神戸」。
全国にある三井アウトレットのひとつで、南欧の港町をイメージして垂水沖を埋め立てて平成11年に開業された。
約140の店舗や飲食店が並ぶ。
明石海峡を望む公園とヨットハーバーも併設されている。
アウトレットの西隣りには「アジュール舞子」。人工だがきれいな浜辺が広がる。
周辺は緑地になっており、ホテルや日帰り温泉、バーベキュー広場などが並ぶ。もちろんトイレもある。
緑地を横断し、「霞ヶ丘南交差点」で国道2号線(西国街道)を信号で渡りJRのガードをくぐる。ガードから6~70mで二又を右の狭い坂道へ進む。
道なりに進み市営住宅を過ぎれば左折。今度は山陽電鉄の踏切を渡る。
線路を渡ってすぐ右へ。途中で道は狭くなるが、気にせず線路沿いを突き当たりまで進む。
突き当たって左を見れば、突然巨大な古墳が目に飛び込んでくる。「五色塚古墳」。全長194m、兵庫県最大の前方後円墳である。
古墳に沿って進んで行こう。
西側に隣接する直径67mの円墳「小壺古墳」とともに大正10年3月、国の史跡に指定された。
「小壺古墳」前にある入口から「五色塚古墳」に入る。案内所の裏にトイレがある。(午後1時)。
被葬者は不明であるが、4~5世紀ころこの辺りを支配していた豪族のものと思われる。
昭和40年から10年かけて石葺き三段の墳丘が復元された。
石葺きの古墳の周りには埴輪が並ぶ。
巨大な古墳は明石海峡を往き来する舟からもその偉容が望めたのだろう。
先ほどの山陽電鉄踏切まで戻り、線路沿いの小さな道に入る。そのまま進めば山陽電鉄「霞ヶ丘駅」。
駅前のガードをくぐってすぐ右に曲がり、線路を右に見ながら進んでいく。
道なりに進み、この案内板に従って路地に入る。
突き当たりには「旧木下家住宅」。(午後1時20分)
昭和16年に建てられた数寄屋造近代和風住宅。その後、兵庫県が所有者から寄贈を受け、貴重な和風建築物として庭とともに一般公開されている。
国の登録有形文化財に登録されており、午前10時から午後5時まで開館(月曜日休館)は、この後訪れる「旧武藤山治邸」「孫文記念館」と共通である。入館料100円だが「3館共通入場券」を購入すれば500円のところ340円だ。
先ほどの案内板まで戻り右へ。真っ直ぐ進みJRのガードをくぐれば自然と「舞子公園」に続く。明治33年、白砂青松であった舞子浜が景勝地として整備された兵庫県初の都市公園である。
かつて付近には立派な別荘やホテル・旅館が並んだという。時代は移り今では明石海峡大橋の本州側橋脚となっている。明石海峡大橋はその名称から「明石市」と「淡路島」を結んでいると思っておられる方も多いかも知れないが本州側はここ垂水区なのだ。
公園の東端には「旧武藤山治邸」。明治時代の衆議院議員・武藤山治が明治40年、舞子浜に建てた住宅であり、その後「鐘淵紡績」の厚生施設「鐘紡舞子倶楽部」として利用されていた。入館料100円。国の登録有形文化財に登録されている。(午後1時40分)
明石海峡大橋建設に伴う国道2号線の拡張工事により和館部分は取り壊されてしまったそうだが、洋館部分を兵庫県が現カネボウより寄贈を受け一般公開している。
内部は調度品なども整えられ、セルフカフェも併設している。
明石海峡大橋方向に歩いて行けば「移情閣」。神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂が舞子浜に建てた別荘の楼閣である。入館料300円。(午後1時55分)
明石海峡大橋の建設により200mほど離れた位置から現在地に移転されたそうだ。
平成12年4月に復元され国の重要文化財に指定されている。
呉錦堂氏は「中国革命の父」といわれる「孫文」と交友があったことから、その後、同氏の意を継ぎ同館を「孫文記念館」として昭和59年から一般に公開されている。
「移情閣」東隣の「夢レンズ」という記念碑から世界最大の橋脚を望む。
その橋脚には「舞子海上プロムナード」。午前9時から午後6時まで(10~3月は月曜日休館)。入場料300円。(午後2時5分)
明石海峡大橋の高さ47mの位置に作られた延長317mの回遊式遊歩道で、エレベーターで一気に8階まで上がり、上から明石海峡を眺めることができる。
足がすくむようなスリルを体感することもできる。
展望カフェレストランやお土産屋さん、イベント広場などがある。
見学を終えて下へ。橋は真っ直ぐ淡路島に向かう。
橋をくぐったところには「橋の科学館」。午前9時15分から午後6時まで開館(月曜日休館 ※ただし季節により異なる)。入館料は310円。(午後2時30分)
平成10年4月に開通した全長3911m、高さ298m。世界最大の吊り橋「明石海峡大橋」の建設にまつわる資料などが展示されている。
「舞子海上プロムナード」「孫文記念館」との3館共通入場券であれば680円だが、「孫文記念館」が先ほどの3館共通入場券とダブルので見学先によってうまく使い分けよう。
私は「旧木下家・旧武藤邸・移情閣」の3館共通入場券(340円)を購入し、JAFの会員割引で「舞子海上プロムナード」(200円)と「橋の科学館」(270円)に入場した。おそらく5施設を最も安い金額(810円)で見学したと思う。
「橋の科学館」を出て西側にある自然海岸の前には「明石藩舞子台場跡」。(午後2時55分)
明石海峡警備強化のため文久3(1863)年、江戸幕府が明石藩に1万両を貸与し、勝麟太郎(勝海舟)の指導で建造させたという砲台跡である。垂水区は「旧播磨國」だったので、かつては明石藩の領地だったんだな。
大砲の形をした小さなベンチが並んでいる。なお大砲は一度も使用されなかったそうだ。
台場跡前を走る国道2号線(西国街道)を西へ約280mほど進み、「昭和2年9月竣功」と刻まれた「東(ひがし)橋」を渡る。
その先で「西国街道」は国道から別れ左の路地に入る。
国道2号線から一本南の筋を走っているので静かだが、家は建て替えられており街道の風情は残っていない。
300mほど進めば右に「舞子六神社」。創建の詳細は不詳であるが区北部にある「多聞十二大明神」から六神を勧請して祀られたそうだ。そのため「多聞十二大明神」は現在では「多聞六神社」と呼ばれる(諸説あり)。(午後3時5分)
御祭神は「伊邪那岐大神」「伊邪那美大神」「天照皇大神」「素戔男大神」「月夜見大神」「蛭子大神」の六神。イザナギ、イザナミとその子とされる(実際はイザナギの禊ぎで生まれた)「三貴神」。さらに一番最初に生まれたが不具であったため子には数えない「ヒルコ」を祀るんだな。「古事記」や「日本書紀」を一読すると神社にお参りするときの見る目が変わりますよ。
境内には「恵比寿様」と「大黒様」の石像が立つ。
神社の真向かいには「舞子漁港」。だから「蛭子大神(ヒルコ=恵比寿=海神)」が祀られているのか。
「西国街道」は神社の先で再度、国道2号線と合流し、100mほど歩けばここにもいい感じの橋。
「山田橋」といい昭和26年に架けられたそうだ。
山田橋を渡って「くら寿司」を過ぎ「スターバックスコーヒー」の前に押しボタン式信号があるので国道2号線を渡り山陽電鉄の踏切とJRのガードを過ぎる。
JRのガードをくぐって右に曲がり、「西舞子橋」という橋を渡れば階段で下りられるので左岸を北に向かって歩く。
3つ目の橋を過ぎれば急に道が細くなるが、そのまま進み次の辻を右斜めに入って住宅街をまっすぐ進む。
突き当りを左に曲がれば「舞子細道公園」。トイレがある。(午後3時25分)
そして公園の奥には「大歳山遺跡」。戦前に発見された旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代にわたる複合遺跡で、昭和47年ころから公園として整備され弥生式竪穴住居が復元されている。
隣には発掘された小さな前方後円墳も復元されている。ここからの景色も素晴らしいなあ。「海が見えるぞ」
さあ、ちょっと道がややこしいのでグーグルマップを見ながら最後の見学地「狩口台きつね塚古墳」へ向かおう(「大歳山遺跡」へ行く際も参考にしてください)。
地図は何度やっても推奨コースを表示するが、実際はV字ターンした後は真っ直ぐ進む。前半は下り、後半は上り。結構きついよ。
20分ほどで「きつね塚緑地」に到着。公園の中に古墳がある。(午後3時45分)
6世紀後半の築造と思われる直径24mの二段丘円墳であるが被葬者は不明。調査後、石室は埋めもどされ、現在は公園として公開されている。この辺りは古墳が多いな。かなり大きな勢力を持つ豪族によって治められていたんだろうな。
公園前の坂を下り次の四つ角を左に曲がる。道なりにカーブしながら下って行けば突き当たるので右へ。明石海峡大橋を後ろに見ながら歩く。
住宅地を抜け、この小さな川を越えれば「明石市」だ。
そして数10メートルで左に本日のゴールであるJR「朝霧駅」北口。時間は午後4時。本日の歩紀「27249歩」(20.63km)。ここから「大阪駅」まで約50分(940円)。以前、「明石市」を歩いた時は南口がゴールだった。ちょっと寒かったが「冬の海」は何か清潔な感じがして心地よかったな。そして素晴らしい景色はもちろん、古代から現代に至るまで長い歴史を感じさせてくれる町だった。
追:「神戸市9区を歩く~はじめに」で書いたように私の「歩紀」は関テレ系「兵頭大樹の今昔さんぽ」とよくかぶる。先週(12月10日放映)兵頭さんは私が先月歩いた「和田岬周辺」を歩いていたな。そして今回の「塩屋」は以前、兵頭さんが歩いていた町です。ねっ、かぶるでしょ。そして、今年最後の「歩紀」。1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。