訪問日:平成27年4月25日(土)
出 発:能勢電車「光風台駅」
到 着:能勢電車「ときわ台駅」
「高代寺山」。わが家から3時間ほどで往復でき、これまでに何回も登っている「裏山」である。今回は、大阪府豊能郡豊能町の山林でワナに掛かったツキノワグマが、今月9日から、ここ「高代寺」の境内で飼育されることになった聞き、お目に掛かろうと登ることにした。
これまでは、能勢電車「妙見口駅」を出発地として「参道コース」や「吉川城址コース」「黒川コース」などを利用したが、今回は「光風台駅」をスタート地点とする。ここまでは自宅前のバス停から阪急バスで約10分(150円)。
駅前には、高層マンションが2棟建ち「光風台」「新光風台」住宅地の入口であることから多くの人が利用する。バス停や無線タクシー待合所があるが、店はなく改札口の中と外に自動販売機があるだけだ。午前11時30分、「光風台駅」前を出発する。
能勢電は、「初谷川」沿いに走るため駅も「初谷川」の谷間にある。駅前から道路までエスカレーター(上りのみ)が設置されている。私は「歩紀」なので右の階段を利用する。
階段(エスカレーター)を上った三叉路の右に見える信号の角には「デイリーカナート」があるので必要なものがあれば何でも揃う(午前10時開店~日曜日のみ午前9時開店)。買う物がなければ三叉路を左に曲がり「新光風台」方向へ。
光風台大橋から「光風台駅」を見下ろす。
「町立光風台小学校」前の坂道を上る。
この後、歩く「旧山下道」は、「新光風台」住宅地で一旦途切れるが、この辺りで再出現し、この山中を進んで「山下」で国道173号線(能勢街道)と交わる。
右に「コープ」。その前には中華料理屋さんが1軒。駅前からここまで何カ所か自動販売機があるが、この先は「山道」なので、ここまでの間に給水をしておこう。
コープの前には「シートス」。町立のスポーツセンターで体育館や温水プール、フィットネスクラブ、テニスコートなどがある。経営自体は民間会社に委託しているそうだ。
少し進めば左に「一庫ダム」のダム湖である「知名湖」が。
正面に「高代寺山」。私が住む「ときわ台」「東ときわ台」の山は、松林と植林された杉林が中心であるが、「新光風台」「光風台」側の山は「里山」なので、四季折々の彩りが楽しめる。春は「山桜」秋は「紅葉」冬は「枯山」。今は「新緑」が真っ盛りだ。
「光風台トンネル」に続くカーブ手前の信号を左折、坂を下る。
すぐに「高代寺(真言宗)」の案内板。ここからが登山コースだ。
ただ、「登山」といっても、このコースは「車道」を歩く。「高代寺」には霊園があるため車でも上れるようになっているのだ。
車道と言ってもドライブウェイではなく、車がやっとすれ違える程度の道である。
途中「旧道」も現れるが、とりあえず「車道」を進む。
配水施設の前で三叉路に出るので案内板に従って施設前の坂を上る。別のハイカーが一服していた。
すぐに二手に分かれるが案内板があるので右へ。
右には「新光風台」「光風台」の住宅地。
ずっと上り坂だが、約2kmかけてゆっくり上るので急坂ではない。なお、一番最初に車1台が追い抜いただけで、それ以外、車とはすれ違わなかった。ほぼ、ハイキング道と思っていいだろう。
「高代寺霊園(左)」と「高代寺」への分岐点に出る。左に行けば「霊園」を過ぎて高代寺山頂に至るが、何もないので今日も頂上へは向かわず右へ。
すぐに左に「閼伽井神泉(あかいしんせん)」。天徳4(960)年から伝わる湧き水である。
井戸は「封印」されているが、パイプで下のタンクに引かれている。
そのまま進めば右に「良寛歌碑」。ここは、良寛さんゆかりのお寺である。
少し先には「梵鐘」。元禄時代(1690年代)の鋳造らしい。
その前には「本堂」への石段。
石段の途中には「吉川高代寺宝篋印塔」。
階段を上れば「本堂」。
「本堂」に並んで右にも「お堂」が祀られている。
その奥は、これまで何度も歩いた「吉川城址」「吉川八幡神社」からの道。
推定樹齢「1050年」の「菩提樹」。
先ほどの「梵鐘」前を進めば、何やら真新しい「檻」が。
中には、昨年6月、豊能町の山林でイノシシ用のワナに掛かったツキノワグマが。
年齢5歳前後で、体長約1.3m、体重約51.5kgの雄の成獣である。肉眼では、顔の表情や胸の「月輪」も見えるのだが、写真では、結構、わかりづらい。
本来、野生動物は、ワナに掛かれば「放獣」されるらしい。しかし、この熊は、ここが生息地ではなく、付近には人家もあることから町や大阪府が一時的に保護していた。
受け入れ先がなく「殺処分」の運命であったそうだ。そのため兵庫県の自然保護団体が受け入れ先を募っていたところ、高代寺の住職が「殺生はならん」ということで受け入れることになった。
寺は、場所を提供しているだけで餌やりなど飼育は、保護団体のメンバーが行っている。動物園の熊同様、同じ動作を繰り返しているが、時折、威嚇してくる。
また、時々、風呂桶のようなプールに浸かって体を冷ましたり、体を清めているようだ。
豊能町では数年前にも「熊騒ぎ」があったが、その時の熊は、結局、京都でハンターに射殺された。兵庫・京都北部から滋賀・福井にかけた北近畿は、日本でも有数のツキノワグマの生息地らしい。餌を求めて「迷い熊」が時々、人里に現れるようだ。
ただ、ここの「熊」は、人集めのために寺が飼育しているのではない。人間と動物との共存を考えるため、残りの人生(熊生?)を捧げているのだ。
熊の撮影に夢中となり時間を忘れていた。午後12時45分、昼食とする。今日は、娘が用意してくれた「ピザ」。
食事を終え、以前にも歩いた「参道コース」から下山する。「梵鐘」手前の石段の下には「町石」。全国の寺院、特に「山寺」の参道には、寺までの案内と参詣者に距離を伝えるため「町(丁)石」が置かれている。
「閼伽井神泉」の前に参道への下り口があるのだが、土砂崩れのため閉鎖されている。
しかし、今年2月、雪の高代寺山に登った際、迂回路を発見していたので、先ほど歩いてきた「車道」方向へ進む。すぐに案内板が現れる。急な下り道で、浮き石も多いので足を取られないよう、ゆっくりと下りよう(「雪の高代寺山」参照)。
本来の参道は、このベンチの前に出る。ここは、春は桜が咲き、秋は紅葉が美しい。
途中、右に「町石」。
ここは、かつて棚田だったのだろうか、石段が組まれている。
「町石」の前を下る。
途中、左に「仏様」が。
この「町石」の隣には、6+1のお地蔵さんが並ぶ。
その前には、NPO団体が運営する棚田が。
そしてすぐ左に「六地蔵」。
下れば、さらに「町石」。
棚田越しに、わが町「東ときわ台」を望む。
さらに下って行く。結構、立派な石組みだな。
案内表示はないが、これも「町石」だろうか。
間もなく右に「池」が現れる。能勢地方は、昆虫の宝庫といわれる。こんな池にもタガメやゲンゴロウなどの貴重な昆虫がいるかも知れない。
池を過ぎれば舗装道路になる。
すぐ左には「妙見口駅」前に本部がある宗教団体「大自然天地日之大神教」の御教祖供養所。一礼して広大な神域から「妙見山」に続く、黒川の「里山」方向を望む。
元の道に戻れば、江戸時代のものと言われる小さな石の道標が。「山下道」と呼ばれる旧道との分岐点である。真っ直ぐ下れば、吉川の集落を経て「妙見口」へ進む。以前、雪の中を歩いた道だ。
今日は、右折して「旧山下道」へ入る。
吉川の集落から「池田」方面へは、「妙見街道」のほか明治時代に「花折街道」ができるまで、この「旧山下道」しかなかったと言われる。
人ひとりがやっと歩ける道幅だ。今も全国に「旧道」や「街道」が残るが、結構、整備されている。本来、人が歩く道とは、こんな道だったのだろうな。
基本的に「稜線」に沿った道なので、起伏はない。
崩れた「炭焼釜跡」。
途中、右に「新光風台」の町が現れるが、もうしばらく山道を進む。
そして「旧道」は、一旦、「新光風台」の外周道路で途切れる。
「旧山下道」は、ここで一旦途切れるが、先ほどの説明のとおり、「コープ」の前あたりで再出現する。
ここを左折し、外周道路を歩く。
ゆっくりと下る、舗装道だ。
間もなく右に「ときわ台」の住宅地が見えてくる。「初谷川」の渓谷を挟んで「ときわ台」「東ときわ台」「光風台」と「新光風台」の住宅が広がる。
間もなく「能勢電」に突き当たる。
「初谷川」にかかる「能勢電」の鉄橋。
左に進めば「妙見口駅」に至るが右へ。道の左には「ときわ台駅」が。本日のスタート地点である「光風台駅」の次の駅。能勢電で「光風台駅」「ときわ台駅」「妙見口駅」の3駅だけが大阪府に所在する。
線路沿いに進み、ガードをくぐる。「復刻塗装」電車が走る。
すぐに「ときわ台駅」の前に。午後2時着。ここから自宅まで歩いて約20分。本日の歩紀「11178歩」(9.61km)。
駅には、付近のハイキングコース案内図が。
今日、歩いたコース。「光風台駅」~「光風台小学校」~「シートス」~「光風台トンネル」~「高代寺」~「六地蔵」~「山下道分岐」~「ときわ台駅」
駅前には、地下式の駐輪場と小さな「駅前商店街」。シャッター街化し、今は、タバコ屋さんと電気屋さん、酒屋さん、新聞屋さん、バイク屋さんがあるくらいだ。
家までの道すがら、左には今日登った「高代寺山」。
そして「妙見山」。私は、本当に自然に恵まれた所に住んでいるな。
出 発:能勢電車「光風台駅」
到 着:能勢電車「ときわ台駅」
「高代寺山」。わが家から3時間ほどで往復でき、これまでに何回も登っている「裏山」である。今回は、大阪府豊能郡豊能町の山林でワナに掛かったツキノワグマが、今月9日から、ここ「高代寺」の境内で飼育されることになった聞き、お目に掛かろうと登ることにした。
これまでは、能勢電車「妙見口駅」を出発地として「参道コース」や「吉川城址コース」「黒川コース」などを利用したが、今回は「光風台駅」をスタート地点とする。ここまでは自宅前のバス停から阪急バスで約10分(150円)。
駅前には、高層マンションが2棟建ち「光風台」「新光風台」住宅地の入口であることから多くの人が利用する。バス停や無線タクシー待合所があるが、店はなく改札口の中と外に自動販売機があるだけだ。午前11時30分、「光風台駅」前を出発する。
能勢電は、「初谷川」沿いに走るため駅も「初谷川」の谷間にある。駅前から道路までエスカレーター(上りのみ)が設置されている。私は「歩紀」なので右の階段を利用する。
階段(エスカレーター)を上った三叉路の右に見える信号の角には「デイリーカナート」があるので必要なものがあれば何でも揃う(午前10時開店~日曜日のみ午前9時開店)。買う物がなければ三叉路を左に曲がり「新光風台」方向へ。
光風台大橋から「光風台駅」を見下ろす。
「町立光風台小学校」前の坂道を上る。
この後、歩く「旧山下道」は、「新光風台」住宅地で一旦途切れるが、この辺りで再出現し、この山中を進んで「山下」で国道173号線(能勢街道)と交わる。
右に「コープ」。その前には中華料理屋さんが1軒。駅前からここまで何カ所か自動販売機があるが、この先は「山道」なので、ここまでの間に給水をしておこう。
コープの前には「シートス」。町立のスポーツセンターで体育館や温水プール、フィットネスクラブ、テニスコートなどがある。経営自体は民間会社に委託しているそうだ。
少し進めば左に「一庫ダム」のダム湖である「知名湖」が。
正面に「高代寺山」。私が住む「ときわ台」「東ときわ台」の山は、松林と植林された杉林が中心であるが、「新光風台」「光風台」側の山は「里山」なので、四季折々の彩りが楽しめる。春は「山桜」秋は「紅葉」冬は「枯山」。今は「新緑」が真っ盛りだ。
「光風台トンネル」に続くカーブ手前の信号を左折、坂を下る。
すぐに「高代寺(真言宗)」の案内板。ここからが登山コースだ。
ただ、「登山」といっても、このコースは「車道」を歩く。「高代寺」には霊園があるため車でも上れるようになっているのだ。
車道と言ってもドライブウェイではなく、車がやっとすれ違える程度の道である。
途中「旧道」も現れるが、とりあえず「車道」を進む。
配水施設の前で三叉路に出るので案内板に従って施設前の坂を上る。別のハイカーが一服していた。
すぐに二手に分かれるが案内板があるので右へ。
右には「新光風台」「光風台」の住宅地。
ずっと上り坂だが、約2kmかけてゆっくり上るので急坂ではない。なお、一番最初に車1台が追い抜いただけで、それ以外、車とはすれ違わなかった。ほぼ、ハイキング道と思っていいだろう。
「高代寺霊園(左)」と「高代寺」への分岐点に出る。左に行けば「霊園」を過ぎて高代寺山頂に至るが、何もないので今日も頂上へは向かわず右へ。
すぐに左に「閼伽井神泉(あかいしんせん)」。天徳4(960)年から伝わる湧き水である。
井戸は「封印」されているが、パイプで下のタンクに引かれている。
そのまま進めば右に「良寛歌碑」。ここは、良寛さんゆかりのお寺である。
少し先には「梵鐘」。元禄時代(1690年代)の鋳造らしい。
その前には「本堂」への石段。
石段の途中には「吉川高代寺宝篋印塔」。
階段を上れば「本堂」。
「本堂」に並んで右にも「お堂」が祀られている。
その奥は、これまで何度も歩いた「吉川城址」「吉川八幡神社」からの道。
推定樹齢「1050年」の「菩提樹」。
先ほどの「梵鐘」前を進めば、何やら真新しい「檻」が。
中には、昨年6月、豊能町の山林でイノシシ用のワナに掛かったツキノワグマが。
年齢5歳前後で、体長約1.3m、体重約51.5kgの雄の成獣である。肉眼では、顔の表情や胸の「月輪」も見えるのだが、写真では、結構、わかりづらい。
本来、野生動物は、ワナに掛かれば「放獣」されるらしい。しかし、この熊は、ここが生息地ではなく、付近には人家もあることから町や大阪府が一時的に保護していた。
受け入れ先がなく「殺処分」の運命であったそうだ。そのため兵庫県の自然保護団体が受け入れ先を募っていたところ、高代寺の住職が「殺生はならん」ということで受け入れることになった。
寺は、場所を提供しているだけで餌やりなど飼育は、保護団体のメンバーが行っている。動物園の熊同様、同じ動作を繰り返しているが、時折、威嚇してくる。
また、時々、風呂桶のようなプールに浸かって体を冷ましたり、体を清めているようだ。
豊能町では数年前にも「熊騒ぎ」があったが、その時の熊は、結局、京都でハンターに射殺された。兵庫・京都北部から滋賀・福井にかけた北近畿は、日本でも有数のツキノワグマの生息地らしい。餌を求めて「迷い熊」が時々、人里に現れるようだ。
ただ、ここの「熊」は、人集めのために寺が飼育しているのではない。人間と動物との共存を考えるため、残りの人生(熊生?)を捧げているのだ。
熊の撮影に夢中となり時間を忘れていた。午後12時45分、昼食とする。今日は、娘が用意してくれた「ピザ」。
食事を終え、以前にも歩いた「参道コース」から下山する。「梵鐘」手前の石段の下には「町石」。全国の寺院、特に「山寺」の参道には、寺までの案内と参詣者に距離を伝えるため「町(丁)石」が置かれている。
「閼伽井神泉」の前に参道への下り口があるのだが、土砂崩れのため閉鎖されている。
しかし、今年2月、雪の高代寺山に登った際、迂回路を発見していたので、先ほど歩いてきた「車道」方向へ進む。すぐに案内板が現れる。急な下り道で、浮き石も多いので足を取られないよう、ゆっくりと下りよう(「雪の高代寺山」参照)。
本来の参道は、このベンチの前に出る。ここは、春は桜が咲き、秋は紅葉が美しい。
途中、右に「町石」。
ここは、かつて棚田だったのだろうか、石段が組まれている。
「町石」の前を下る。
途中、左に「仏様」が。
この「町石」の隣には、6+1のお地蔵さんが並ぶ。
その前には、NPO団体が運営する棚田が。
そしてすぐ左に「六地蔵」。
下れば、さらに「町石」。
棚田越しに、わが町「東ときわ台」を望む。
さらに下って行く。結構、立派な石組みだな。
案内表示はないが、これも「町石」だろうか。
間もなく右に「池」が現れる。能勢地方は、昆虫の宝庫といわれる。こんな池にもタガメやゲンゴロウなどの貴重な昆虫がいるかも知れない。
池を過ぎれば舗装道路になる。
すぐ左には「妙見口駅」前に本部がある宗教団体「大自然天地日之大神教」の御教祖供養所。一礼して広大な神域から「妙見山」に続く、黒川の「里山」方向を望む。
元の道に戻れば、江戸時代のものと言われる小さな石の道標が。「山下道」と呼ばれる旧道との分岐点である。真っ直ぐ下れば、吉川の集落を経て「妙見口」へ進む。以前、雪の中を歩いた道だ。
今日は、右折して「旧山下道」へ入る。
吉川の集落から「池田」方面へは、「妙見街道」のほか明治時代に「花折街道」ができるまで、この「旧山下道」しかなかったと言われる。
人ひとりがやっと歩ける道幅だ。今も全国に「旧道」や「街道」が残るが、結構、整備されている。本来、人が歩く道とは、こんな道だったのだろうな。
基本的に「稜線」に沿った道なので、起伏はない。
崩れた「炭焼釜跡」。
途中、右に「新光風台」の町が現れるが、もうしばらく山道を進む。
そして「旧道」は、一旦、「新光風台」の外周道路で途切れる。
「旧山下道」は、ここで一旦途切れるが、先ほどの説明のとおり、「コープ」の前あたりで再出現する。
ここを左折し、外周道路を歩く。
ゆっくりと下る、舗装道だ。
間もなく右に「ときわ台」の住宅地が見えてくる。「初谷川」の渓谷を挟んで「ときわ台」「東ときわ台」「光風台」と「新光風台」の住宅が広がる。
間もなく「能勢電」に突き当たる。
「初谷川」にかかる「能勢電」の鉄橋。
左に進めば「妙見口駅」に至るが右へ。道の左には「ときわ台駅」が。本日のスタート地点である「光風台駅」の次の駅。能勢電で「光風台駅」「ときわ台駅」「妙見口駅」の3駅だけが大阪府に所在する。
線路沿いに進み、ガードをくぐる。「復刻塗装」電車が走る。
すぐに「ときわ台駅」の前に。午後2時着。ここから自宅まで歩いて約20分。本日の歩紀「11178歩」(9.61km)。
駅には、付近のハイキングコース案内図が。
今日、歩いたコース。「光風台駅」~「光風台小学校」~「シートス」~「光風台トンネル」~「高代寺」~「六地蔵」~「山下道分岐」~「ときわ台駅」
駅前には、地下式の駐輪場と小さな「駅前商店街」。シャッター街化し、今は、タバコ屋さんと電気屋さん、酒屋さん、新聞屋さん、バイク屋さんがあるくらいだ。
家までの道すがら、左には今日登った「高代寺山」。
そして「妙見山」。私は、本当に自然に恵まれた所に住んでいるな。