訪問日:平成29年12月3日(日)
出 発:阪急電車「中山観音駅」
到 着:阪急電車「清荒神駅」
今年3月、初孫が誕生し、わが家はてんやわんや。また、休日は、ついつい孫の顔を見に行くので約8ヶ月の「休足」となった。今日は、すくすくと育つ初孫の安産祈願をした「中山寺」へお礼参り。その後、中山寺奥之院を経て、「清荒神」までを歩く。以前、「巡礼街道」で「中山寺」から「清荒神」までを歩いたが、今日歩く「奥之院コース」は登山だ。それなりの準備で(「川西から宝塚『巡礼街道』を歩く」参照)。トイレ、給水は駅か「中山寺」で済ませておこう。さあ、久しぶりに歩くぞ。
本日のスタートは、阪急電車「中山観音駅」。梅田から約30分(280円)。以前は、「中山駅」と呼ばれたが、平成25年12月、同じ沿線の「服部駅」が「服部天神駅」と改称されたのと同時に「中山観音駅」となる。午前10時10分スタート。ここは、兵庫県宝塚市。
以前、駅北口を出て右に進んだところのコンビニがあったのだが閉店したようだ。自販機はあるので給水はできるが、お弁当等を買うのなら途中で調達しよう。
北口に戻り、突き当たりを右へ。駅前にはすぐに「商店街」というより「門前町」。
「中山寺」は、古くから「安産祈願」のお寺として知られ、門前には「腹帯」を扱うお店が並ぶ。
初孫はもちろん、私の二人の娘もここでお世話になった。
70mほどで「大門」。正保3(1646)年、徳川家光により再建された。
中山寺は、「真言宗中山寺派」の大本山である。聖徳太子の開基と伝わる。
幕末期、中山一位局が明治天皇をご出産する際、安産祈願をして無事出産したことから、安産の寺として知られるようになったそうだ。
階段を上れば「本堂」へ。
ただ、中山寺は妊婦さんも多く訪れることから「エスカレーター」が完備している。
「本堂」。慶長8(1603)年、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したと言われる。「中山さん」として親しまれている。
「護摩堂」と「五重塔」。「護摩堂」も「本堂」とともに再建された。
また、「第一番:青岸渡寺」から「第三十三番:華厳寺」を結ぶ、「西国三十三ヶ所巡り」の第二十四番札所でもある。
本殿脇には、お遍路さんのための「杖立て」が。
「大願塔」。
「子授け地蔵」。まだ、紅葉が残っている。
「大願塔」を右に眺めながら「阿弥陀堂」を過ぎれば「信徒会館」。その前にある展望台からの眺望。右端は「甲山(309.2m)」。
ここから奥に進めば「奥之院」への参道入口となる。横の石塔には「是より十八丁」と。約2kmのハイキングコースだ。「丁石」が続く。
少し進めば右に「中山観音公園」。「梅林」であるが、まだ季節的に早い。
この公園を過ぎると山道に入る。
川を渡って左の「シンボル広場」方向へ。
川を渡れば小さな公園があり、トイレと東屋が設けられている。トイレは、ここで済ませておこう。
案内板に従って「貳丁石」を過ぎる。
「左本山」の石標があるが、左側は住宅街だ。
住宅街を過ぎ、お地蔵さんを右に見ながら山道へ。
すぐに「四丁石」。「三丁石」は見落としたのだろうか。
近所の人たちの散歩道になっているようだ。「ウォーキングコース」と「ハイキングコース」の境目だな。ただ、靴はしっかりしたものを。
「五丁石」。「丁石」と「お地蔵さん」はセットのようだ。
「七丁石」、「八丁石」と進む。「六丁石」も見落としたのかな。
道の真ん中に「石仏」が鎮座。
「九丁石」。足下はしっかりしている。
「シンボル広場」との分岐点に出るが左へ。
すぐに右への小径が現れる。
「夫婦岩園地」という展望台に。先ほどから子どもの「ヤッホー」という声が聞こえていたが、ここだったんだな。「大阪平野」を望む。
東屋の脇を抜けて行く。
右には案内板。ネットでこの写真をプリントアウトしてきた。
目の前には「十丁石」。何やら人が集まっている。
そこには「夫婦岩」。みんな写真を撮っていたんだな。
子ども連れでも登れる歩きやすいコースだ。
石塔や石仏が並ぶ信仰の道だ。
紅葉の向こうに「甲山」。
「十二丁石」。「十一丁石」も見落としたようだ。
「十三丁石」。「一丁」は100mちょっとだが、何となく間隔が短いような感じがするな。
途中、「中山山頂」への分岐点があるが、今日は山頂には登らない。「奥之院」方向へ進もう。
「十四丁石」。
「十五丁石」を過ぎる。
「やすらぎ広場」への分岐点。そのまま「奥之院」方向へ。あと約300mだ。
「十六丁石」。
「従是東南(南東)放生地」の石塔。
「六地蔵」が並ぶ。
「十七丁石」を過ぎれば小さな渓流を渡る。
すぐ右に何やらしめ縄が掛かった巨石が。「宇多天皇御自彫天神」の文字が刻まれた石塔が立つ。
石には衣冠束帯姿の天神像が。
「十八丁石」。ということは到着だな。
すぐ目の前には「中山寺奥之院」の石塔。午前11時45分到着。
「元中山寺」と呼ばれ、約1400年前に聖徳太子によって創建されたと伝わる。「本堂」は、新しく建て替えられたようだ。
「本堂」脇の杖立てに愛用するモンベルの2ウェイグリップを。
「本堂」前の紅葉が美しい。
しばし休憩し、午前11時55分「本堂」前の階段を「やすらぎ広場」方向へ。
すぐ右には小さな滝が。
そして石組みの上に立てられた立派な宝篋印塔。
結構、高齢者のハイカーも。
坂を下れば広い遊歩道と合流する。
遠くには大阪湾が輝く。
遊歩道を進む。
途中、「清荒神」への分岐があるが、まっすぐ「やすらぎ広場」方向へ進む。
3分ほどで遊歩道は、自衛隊の演習場に突き当たる。宝塚市と隣接する伊丹市には、陸上自衛隊の中部方面総監部や第三師団司令部があるからな。
そしてその向かいにトイレと並んで「やすらぎ広場」の案内板があるので進んでいこう。但し、トイレは「ポットン式」だ。
すぐに広大な芝生広場が。「やすらぎ広場」だ。
時間は、いつもどおりピッタリの午後12時5分。今日の昼食は、途中、スーパーKHOYOで買った「おむすびセット(321円)」。
空が広いな。
食事後、ちょっと休憩をして午後12時30分、「やすらぎ広場」を出発。先ほどのトイレまで戻り左へ。演習場に沿って坂を下っていく。
遠くには、宝塚の市街地と「武庫川」が。
演習場との間に柵はないが、立ち入らないこと。
15分ほどでこの看板に出る。
看板の向こうには、宝塚市内の高層マンションが。
細い山道を進む。
時折、大阪平野が望める。
途中で「奥之院」からの道と合流する。
おそらく「やすらぎ広場」手前の「清荒神」との分岐点からの道なのだろうが、道は草で覆われていた。これでは歩けないな。
さらに山道を進む。
景色が開ける。右には「甲山」が。
道は狭く、所々、六甲山系特有の岩むき出しのところもあり、結構険しい。
「甲山」と同じくらいの標高かな。
すぐ右には住宅街が。
すぐに砂山のような所に出て、視界が広がる。
砂山方向に入ると「袋小路」になっているので、住宅街沿いに進む。この辺りには、案内板が欲しいな。
すぐに林の中に入る。
正面に霊園が見えれば道は大きくカーブし、高度を下げる。
すると清荒神側の登山口に出る。「やすらぎ広場」から50分くらいかかったかな。
ここは「大林寺」というお寺の霊園のようだ。管理棟が立つ。
管理棟前の階段を下る。
階段を下りたところが「清荒神」の駐車場だ。
案内板に従って歩道を「清荒神」方向に。参道のお土産物店の前を過ぎる。
すぐに清荒神の「山門」。
手水舎横のスロープを「拝殿」方向に。神仏習合の名残か立派な鳥居が立つ。
「拝殿」もまるで神社だ。
清荒神は、「清澄寺」といい、宇多天皇の勅願により平安時代の初めに創建されたという。
ここも紅葉が美しい。
「本堂」には、大日如来様が祀られている。
「本堂」前の「一願地蔵尊」。頭上まで1回水を掛け、3拝した後ひとつの願い事を念ずれば、ご利益があると言われる。
参拝を終え、参道へ。先ほどはたくさんの人がいたのに、なんだかシーンとしている。
参道を下って行く。
途中、「祓禊橋」という小さな橋で川を渡る。正面からお参りをすれば、ここで禊ぎをしたことになるんだな。神道の影響が残っている。
「清荒神」は、「台所の神様」としても有名だ。「神様」「荒神様」だが、仏教寺院である。
中国自動車道をくぐる。
参道には、飲食店も多いので、時間によればここで食事をしても良い。
お札立てや神具などを扱う店も多い。
良い感じの参道だな。
大きな鳥居をくぐる。
扁額には「日本第一清荒神」の文字。
鳥居の横には「黒田官兵衛」通ったとの案内板。
この道は「有馬街道」らしい。と言うことは「太閤秀吉」も有馬温泉に通うために通ったんだろうな。
鳥居を過ぎれば商店街も終わる。
午後1時40分、本日のゴールである阪急電車「清荒神駅」に到着。本日の歩紀「15935歩(10.83km)」。スタートの「中山観音駅」から「売布神社駅」をはさんで2つ目の駅だ。ここから「梅田駅」まで約35分(280円)。孫が元気に育ちますように。そして、どんどん孫が授かりますように。
出 発:阪急電車「中山観音駅」
到 着:阪急電車「清荒神駅」
今年3月、初孫が誕生し、わが家はてんやわんや。また、休日は、ついつい孫の顔を見に行くので約8ヶ月の「休足」となった。今日は、すくすくと育つ初孫の安産祈願をした「中山寺」へお礼参り。その後、中山寺奥之院を経て、「清荒神」までを歩く。以前、「巡礼街道」で「中山寺」から「清荒神」までを歩いたが、今日歩く「奥之院コース」は登山だ。それなりの準備で(「川西から宝塚『巡礼街道』を歩く」参照)。トイレ、給水は駅か「中山寺」で済ませておこう。さあ、久しぶりに歩くぞ。
本日のスタートは、阪急電車「中山観音駅」。梅田から約30分(280円)。以前は、「中山駅」と呼ばれたが、平成25年12月、同じ沿線の「服部駅」が「服部天神駅」と改称されたのと同時に「中山観音駅」となる。午前10時10分スタート。ここは、兵庫県宝塚市。
以前、駅北口を出て右に進んだところのコンビニがあったのだが閉店したようだ。自販機はあるので給水はできるが、お弁当等を買うのなら途中で調達しよう。
北口に戻り、突き当たりを右へ。駅前にはすぐに「商店街」というより「門前町」。
「中山寺」は、古くから「安産祈願」のお寺として知られ、門前には「腹帯」を扱うお店が並ぶ。
初孫はもちろん、私の二人の娘もここでお世話になった。
70mほどで「大門」。正保3(1646)年、徳川家光により再建された。
中山寺は、「真言宗中山寺派」の大本山である。聖徳太子の開基と伝わる。
幕末期、中山一位局が明治天皇をご出産する際、安産祈願をして無事出産したことから、安産の寺として知られるようになったそうだ。
階段を上れば「本堂」へ。
ただ、中山寺は妊婦さんも多く訪れることから「エスカレーター」が完備している。
「本堂」。慶長8(1603)年、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したと言われる。「中山さん」として親しまれている。
「護摩堂」と「五重塔」。「護摩堂」も「本堂」とともに再建された。
また、「第一番:青岸渡寺」から「第三十三番:華厳寺」を結ぶ、「西国三十三ヶ所巡り」の第二十四番札所でもある。
本殿脇には、お遍路さんのための「杖立て」が。
「大願塔」。
「子授け地蔵」。まだ、紅葉が残っている。
「大願塔」を右に眺めながら「阿弥陀堂」を過ぎれば「信徒会館」。その前にある展望台からの眺望。右端は「甲山(309.2m)」。
ここから奥に進めば「奥之院」への参道入口となる。横の石塔には「是より十八丁」と。約2kmのハイキングコースだ。「丁石」が続く。
少し進めば右に「中山観音公園」。「梅林」であるが、まだ季節的に早い。
この公園を過ぎると山道に入る。
川を渡って左の「シンボル広場」方向へ。
川を渡れば小さな公園があり、トイレと東屋が設けられている。トイレは、ここで済ませておこう。
案内板に従って「貳丁石」を過ぎる。
「左本山」の石標があるが、左側は住宅街だ。
住宅街を過ぎ、お地蔵さんを右に見ながら山道へ。
すぐに「四丁石」。「三丁石」は見落としたのだろうか。
近所の人たちの散歩道になっているようだ。「ウォーキングコース」と「ハイキングコース」の境目だな。ただ、靴はしっかりしたものを。
「五丁石」。「丁石」と「お地蔵さん」はセットのようだ。
「七丁石」、「八丁石」と進む。「六丁石」も見落としたのかな。
道の真ん中に「石仏」が鎮座。
「九丁石」。足下はしっかりしている。
「シンボル広場」との分岐点に出るが左へ。
すぐに右への小径が現れる。
「夫婦岩園地」という展望台に。先ほどから子どもの「ヤッホー」という声が聞こえていたが、ここだったんだな。「大阪平野」を望む。
東屋の脇を抜けて行く。
右には案内板。ネットでこの写真をプリントアウトしてきた。
目の前には「十丁石」。何やら人が集まっている。
そこには「夫婦岩」。みんな写真を撮っていたんだな。
子ども連れでも登れる歩きやすいコースだ。
石塔や石仏が並ぶ信仰の道だ。
紅葉の向こうに「甲山」。
「十二丁石」。「十一丁石」も見落としたようだ。
「十三丁石」。「一丁」は100mちょっとだが、何となく間隔が短いような感じがするな。
途中、「中山山頂」への分岐点があるが、今日は山頂には登らない。「奥之院」方向へ進もう。
「十四丁石」。
「十五丁石」を過ぎる。
「やすらぎ広場」への分岐点。そのまま「奥之院」方向へ。あと約300mだ。
「十六丁石」。
「従是東南(南東)放生地」の石塔。
「六地蔵」が並ぶ。
「十七丁石」を過ぎれば小さな渓流を渡る。
すぐ右に何やらしめ縄が掛かった巨石が。「宇多天皇御自彫天神」の文字が刻まれた石塔が立つ。
石には衣冠束帯姿の天神像が。
「十八丁石」。ということは到着だな。
すぐ目の前には「中山寺奥之院」の石塔。午前11時45分到着。
「元中山寺」と呼ばれ、約1400年前に聖徳太子によって創建されたと伝わる。「本堂」は、新しく建て替えられたようだ。
「本堂」脇の杖立てに愛用するモンベルの2ウェイグリップを。
「本堂」前の紅葉が美しい。
しばし休憩し、午前11時55分「本堂」前の階段を「やすらぎ広場」方向へ。
すぐ右には小さな滝が。
そして石組みの上に立てられた立派な宝篋印塔。
結構、高齢者のハイカーも。
坂を下れば広い遊歩道と合流する。
遠くには大阪湾が輝く。
遊歩道を進む。
途中、「清荒神」への分岐があるが、まっすぐ「やすらぎ広場」方向へ進む。
3分ほどで遊歩道は、自衛隊の演習場に突き当たる。宝塚市と隣接する伊丹市には、陸上自衛隊の中部方面総監部や第三師団司令部があるからな。
そしてその向かいにトイレと並んで「やすらぎ広場」の案内板があるので進んでいこう。但し、トイレは「ポットン式」だ。
すぐに広大な芝生広場が。「やすらぎ広場」だ。
時間は、いつもどおりピッタリの午後12時5分。今日の昼食は、途中、スーパーKHOYOで買った「おむすびセット(321円)」。
空が広いな。
食事後、ちょっと休憩をして午後12時30分、「やすらぎ広場」を出発。先ほどのトイレまで戻り左へ。演習場に沿って坂を下っていく。
遠くには、宝塚の市街地と「武庫川」が。
演習場との間に柵はないが、立ち入らないこと。
15分ほどでこの看板に出る。
看板の向こうには、宝塚市内の高層マンションが。
細い山道を進む。
時折、大阪平野が望める。
途中で「奥之院」からの道と合流する。
おそらく「やすらぎ広場」手前の「清荒神」との分岐点からの道なのだろうが、道は草で覆われていた。これでは歩けないな。
さらに山道を進む。
景色が開ける。右には「甲山」が。
道は狭く、所々、六甲山系特有の岩むき出しのところもあり、結構険しい。
「甲山」と同じくらいの標高かな。
すぐ右には住宅街が。
すぐに砂山のような所に出て、視界が広がる。
砂山方向に入ると「袋小路」になっているので、住宅街沿いに進む。この辺りには、案内板が欲しいな。
すぐに林の中に入る。
正面に霊園が見えれば道は大きくカーブし、高度を下げる。
すると清荒神側の登山口に出る。「やすらぎ広場」から50分くらいかかったかな。
ここは「大林寺」というお寺の霊園のようだ。管理棟が立つ。
管理棟前の階段を下る。
階段を下りたところが「清荒神」の駐車場だ。
案内板に従って歩道を「清荒神」方向に。参道のお土産物店の前を過ぎる。
すぐに清荒神の「山門」。
手水舎横のスロープを「拝殿」方向に。神仏習合の名残か立派な鳥居が立つ。
「拝殿」もまるで神社だ。
清荒神は、「清澄寺」といい、宇多天皇の勅願により平安時代の初めに創建されたという。
ここも紅葉が美しい。
「本堂」には、大日如来様が祀られている。
「本堂」前の「一願地蔵尊」。頭上まで1回水を掛け、3拝した後ひとつの願い事を念ずれば、ご利益があると言われる。
参拝を終え、参道へ。先ほどはたくさんの人がいたのに、なんだかシーンとしている。
参道を下って行く。
途中、「祓禊橋」という小さな橋で川を渡る。正面からお参りをすれば、ここで禊ぎをしたことになるんだな。神道の影響が残っている。
「清荒神」は、「台所の神様」としても有名だ。「神様」「荒神様」だが、仏教寺院である。
中国自動車道をくぐる。
参道には、飲食店も多いので、時間によればここで食事をしても良い。
お札立てや神具などを扱う店も多い。
良い感じの参道だな。
大きな鳥居をくぐる。
扁額には「日本第一清荒神」の文字。
鳥居の横には「黒田官兵衛」通ったとの案内板。
この道は「有馬街道」らしい。と言うことは「太閤秀吉」も有馬温泉に通うために通ったんだろうな。
鳥居を過ぎれば商店街も終わる。
午後1時40分、本日のゴールである阪急電車「清荒神駅」に到着。本日の歩紀「15935歩(10.83km)」。スタートの「中山観音駅」から「売布神社駅」をはさんで2つ目の駅だ。ここから「梅田駅」まで約35分(280円)。孫が元気に育ちますように。そして、どんどん孫が授かりますように。