「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

80年代の韓国歩紀~白バイ

2024-06-30 10:18:58 | 日記
 たまたま町で見かけた白バイ警官です。単車はバイク乗りにとっては憧れの的「ハーレーダビットソン」。基本的に韓国の警察は今も昔も「アメリカンポリス」です。


 南大門(ナムデムン)前を走る白バイです。隣では市内バスが黒煙を吐いています。ソウル市内ではたくさんの白バイを見かけましたが日本のように交通取締りをしているというよりも、その姿で威厳を示し町をパトロールしているという感じでした。また日本の「お巡りさん」のような警察官はあまり見かけませんでした。その代り徴兵の代替制度である「義警(義務警察)」と呼ばれる警察官が市内でも空港でも2人1組でパトロールしていました。高校を卒業したばかりのあどけない彼らは取締りや職務質問をすることもなく「おもちゃの兵隊」のような制服を着せられ、ペチャクチャ雑談をしながらブラブラ歩いていました。ある面、平和な光景でしたよ。

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独り言

2024-06-25 21:20:47 | 日記
 ある男性が話していた内容です。最初はプロ野球について語っておられました。私はプロ野球には全然興味がないので、内容はチンプンカンプンですが、テレビで見るプロ野球解説者と同じような論調です。

 次の話題は日本の経済問題です。「俺が総理になったらチビチビ出さず国民一人当たり100万円を給付する。経済効果は抜群や」「財源はパワハラ税とセクハラ税、歩きスマホ罪の新設や」「ハラスメント当時の所得に対して累進課税する」「スマホは差し押さえ。罰金の納付書と交換で返還や」「誰も文句言わんやろ」と。ユニークな発想ですね。昔のように体育会系のパワハラやスケベおやじのセクハラではなく、今は地位や財力を笠に着たパワハラ・セクハラが横行。素晴らしい財源ですね。電車の乗り換えで急ぐ時、あの歩きスマホは歩きたばこと同じくらい迷惑ですね。斬新な考えです。誰も文句は言わないでしょう。反対であれば自分がしなければいいのですから。

 ただこの男性。私と個人的に話しているのではなく、駅のホームで缶チューハイ片手に一人で話しておられました。

 まあ。駅頭の演説も独り言のように聞こえますが。
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これはセクハラではありません

2024-06-23 10:57:10 | 日記
 最近、よく外食産業を利用するのですが、そこで働く女性従業員には3つのパターンがあるように思います。

 まず休日や夕方に働いている女子たち。大学生かフリーターでしょうか。マニュアルどおりの一番若い世代です。ちょっと舌足らず。語尾は「で〜す」「ま〜す」。

 次に繁華街や夜の店舗で働いている女性。とても美しいです。ゾックとしますがニコリともしません。

 最後に昼間帯に働く奥さまたち。いつもニコニコ。接客も自然です。かゆいところに手が届くサービス。同じ様に困った顔をして「これで大丈夫ですか?」なんて聞かれると「はい。大丈夫です。ありがとうございます」と答えてしまいます。さすが日本の産業を支える方々です。

 これはセクハラではありません。人口の2分の1を占める男性客として正直な気持ちです。
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80年代の韓国歩紀~南大門と市内バス

2024-06-17 05:23:14 | 日記
 城郭都市「漢陽(ハニャン)」を囲む4つの門のうち最も規模が大きいのがこの「南大門(ナンデムン)」です。ここはソウルの中心地であり付近にはソウル市庁や有名な観光地「南大門市場(ナムデムンシジャン)」などがあります。正式名称は「崇礼門」といい韓国の国宝第1号に指定されましたが、平成20(2008)年2月、放火により全焼。その後再建されました。ねっ。周りには「ポニー」しか走っていないでしょ。


 そして端っこに見えるのが市内バス(シネポス)です。当時の市内バスは運賃均一で100ウォンでした。「ポスアガシ(バス嬢)」と呼ばれる女性車掌が入口に立って運賃を徴収するとともに満員の時はまるで草でも引き抜くかのようにお客さんの首根っこを掴み車内に引き込んでいました。

 ある日市内バスに乗った時、あまりにスピードを出していたので車内前部に乗っていた私はスピードメーターを見ようと運転席を覗き込んだところ「何と」スピードメーターはありませんでした。そして半そでシャツと短パンに雪駄を履いた兄ちゃんがタバコをくわえながら運転していました。いかにも軍隊上がりという風貌です。知人から聞いた話では床に穴が開いていて路面が見えていたバスもあったそうですよ。それがソウルオリンピック前の首都「ソウル」の現状です。以前、韓国ドラマでそのような時代背景にもかかわらず女優さんが「ピンポーン」と降車ベルを押すシーンを見て私は「コケて」しまいました(笑)
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QRコード

2024-06-14 18:12:17 | 日記
 今サイゼリヤで飲んでいます。そして何と注文方法がQRコード方式になっていました。


 何とか店員さんを呼ばずできました。


 QRコードの使い方が分からなければ晩酌もできないんですね。それ以前にスマホがなければ。

 財布忘れてもスマホ忘れるな。スマホなしでは生きていけませんね。  

 そしてますます店員さんと話す機会がなくなりましたね。私は楽ですが。
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琵琶湖一周歩紀4〜「奥琵琶湖」から「湖北」へ湖岸集落を訪ねてドライブ歩紀~

2024-06-08 22:11:34 | 日記
訪問日:令和6年6月7日(金)
出 発:JR「マキノ駅」
到 着:JR「長浜駅」

 まずはお詫びです。今回は「歩紀」ではありません。マキノから長浜までいくつかの湖岸集落を訪ねますが、その間の移動はマイカーです。理由は「クマ」。日本有数のツキノワグマの生息地である福井県の山塊が直接琵琶湖に沈む奥琵琶湖はクマの出没地帯でもあります。特に5月から7月にかけてはクマの活動が最も活発な時期。目撃情報もたくさんあります。私が住む大阪府北部でさえクマの目撃情報があるのですから。ということで今回はマイカーを使用しました。

 地図で見るとわかりますが琵琶湖の最北部には特に名称はありませんが大小3つの半島が突き出ています。「湖西」と「湖北」の接点となるこの地を特に「奥琵琶湖」と呼びます。半島の間は大きな入り江になっており、その奥にひっそりと「湖岸集落」が佇みます。マキノから「海津」「大浦」「菅浦」「塩津」のプチ町歩紀をしながら長浜まで走ります。まさしく「津々浦々」ですね。自動販売機とトイレは所々ありますが、食事についてはネット情報で。はっきり言って「秘境」です。


 渋滞を考え早朝4時45分に自宅を出発。平日なのでここまで2時間かかりませんでした。電車より早いです。マキノ駅のすぐ近くにある「ファミマ」でサンドウィッチと缶コーヒーを購入。その後、マキノ駅前の駐車場に移動し時間調整です。今日は金曜日ですが先週土曜日に休日出勤した代休です。


 前回のゴール「マキノ駅」。この辺りは「平成の大合併」で滋賀県高島市になりましたが、かつては「マキノ町」と呼ばれていました。駅名とともに北海道ニセコ町と並ぶ全国でも珍しいカタカナ名の自治体だったそうです。山手は高原になっておりアウトドアスポーツやスキーが楽しめます。トイレは駅の外にあるので車でもOKです。午前7時20分、駅前駐車場を愛車「蘭丸」で出発。


 駅前の「アクアパレス通り」を南に進みます。県道に出れば正面に前回訪れた「マキノサニービーチ湖のテラス」が見えます。右には先ほどサンドウィッチを買ったファミマ。ここを左折し「西浜交差点」で国道303号線と合流すれば道なりに右へ。消防の救急分遣所を過ぎた先の四つ辻から左をのぞけば鳥居が見えました。お参りしましょう。


 細い道の突き当りには「海津天神社」。「天神様の細道」ですね。鳥居の右に参拝者用の駐車場(というより空き地)があります。


 由緒によれば延暦23(804)年に創建された古社に菅原道真公が勧請されたそうです。今日一日の安全を祈願しましょう。(午前7時24分)


 参拝を終え国道303号線に戻り左へ。角に「セブンイレブン」がある「海津交差点」を右折します。この先当分コンビニもスーパーもありません。必要なものがあればここか先ほどのファミマで買っておきましょう。


 この辺りは「海津(かいず)」という集落です。「津」なので港町ですね。取り敢えず県道をまっすぐ進みます。右から道が交わってきますが直進し、その先にある駐車スペースに「蘭丸」を駐車しましょう。(午前7時33分)


 ここからは「海津」の町歩紀です。さっき来た方向に戻れば左に旧家風の建物が見えますが料理店です。


 さっき通り過ぎた三叉路を直進し、先ほど通った道を進みます。すぐ左に「海津のイケ」。共同管理の井戸だそうです。


 その先には「真宗大谷派願慶寺」。織田信長との「石山合戦」では周辺の門徒を率いて参戦したそうです。江戸時代に入ってからは加賀・越前の諸侯が上洛する際の宿として利用されました(案内板より)。お参りしましょう。


願慶寺の塀を見ながら元の方向に戻ります。


 この道は「ビワイチサイクリングロード」のようです。今回もほぼこのサイクリングロードに沿って走りますので、路面にはこの青いペイントが描かれていると思います。


 先ほどの三叉路を右折して海津の町を歩きます。海津も港町であり宿場町です。


 良い雰囲気ですね。「日本の原風景」である電柱と電線が邪魔ですが。


 その先には「吉田酒造」。酒は単なる呑兵衛の嗜好品ではなく、来賓のおもてなしや冠婚葬祭、神仏への供物として日本では必要不可欠なものですので、どこに行っても造り酒屋さんはあります。もちろんまだ開いていません。


 旧家前には「旧海津港跡」の説明文が。江戸時代この辺りに北陸から大津を結ぶ海津港があり宿場町として栄えたそうです。海津という地名自体が「海の港」という意味ですね。


 さらに進めば古い鮒寿司屋さん。


 その先に何だこの「金ピカ」の御殿のような建物は。「海津迎賓館」という表札が掛かっていますが、一般には公開されておらず観光施設でも史跡でもないようです。


 その向かいには「真宗大谷派福善寺」。今日は平日。先ほど集団登校中の小学生たちとすれ違いましたが、何人かは「クマ鈴」を付けていました。「ガラーン、ガラーン」


 福善寺を過ぎれば右から「海津天神社」からの道が交わり三叉路になります。角には「真宗大谷派誓行寺」。


 その向かいに琵琶湖に面した石垣があります。これが後で説明する「海津浜の石積み」です。


 この辺りにはお寺が5つほど並びます。


 そしてそのひとつ「真宗大谷派蓮光寺」。入って行きましょう。


 境内に「西与一左衛門之碑」があります。説明文によるとかつてこの辺りは甲府藩(山梨県)の飛地領地だったそうです。そして元禄14(1701)年、当地の代官として赴任した西与一左衛門が、風波の被害から村を守るため湖岸に石垣を築いたほか荒地の租税を減免するなどしました。その業績を讃えて村人たちが建立したそうです。


 蓮光寺前の「海津漁業協同組合」の看板に従い湖岸へと進んで行きます。古い建物ですね。


 そこは「海津港」。漁港とサクラの名所である「海津大崎」への遊覧船乗り場になっています。


 港を右に見ながら進めば先ほどの「海津浜の石積み」を琵琶湖側から望めます。これが西与一左衛門により築かれ石垣です。立派ですね。


 後ろには誓行寺の瓦屋根と石組が見えます。(午前8時4分)


 一旦道路に戻り右へ。飲食店でも料理人でもない「漁師」さんのお店なんですね。


 元の方向に戻ります。さっき通った「福善寺」です。方向が変われば趣も変わりますね。背景に山があるのとないのとでは随分違います。


 先ほどの「金ピカ御殿」の先を右に入れば湖岸に出られます。曲がりましょう。


 ここにも「海津浜の石積み」。同じ道を戻るのは能がないので、しばらく湖岸に沿って歩きます。良い眺めですね。


 水もきれいです。


 川に突き当たりますが手前の石段を上り、橋を渡ってすぐに右に入れば川の向こうに出られます。


 この後走る第1の半島が見えます。


 街道と湖岸をつなぐこんな路地がたくさんあります。


 この辺りが石積みの東端のようですね。左にスロープがあるので上れば、先ほどの三叉路です。右に曲がって「蘭丸」のところに戻ります。


 さあ半島に沿って進みましょう。この道路は「県道557号線」です。すぐに駐車スペースがあるので入ります。ここは関西でも有数のサクラの名所「海津大崎の桜並木」です。(午前8時26分)


 今はシーズンではありませんが、湖面にまで届きそうなサクラ並木がずっと続きます。


 片隅には琵琶湖を背に「忠魂碑」が建ちます。銘板は平成2年に建立された新しいものですが先の大戦でしょうか。この小さな村から100人以上の戦没者が出たようです。「合掌」


 右を見れば先ほど歩いた「海津」の集落が見えます。


 県道を進めば左に建物が見えてきました。食堂と公衆トイレです。おそらく食堂はサクラのシーズン以外や平日は閉まっていると思います。(午前8時34分)


 結構広い駐車スペースがありました。その向かいの湖岸にある桟橋は「竹生島クルーズ」の遊覧船乗り場です。


 ここは「大崎観音」への参道のようです。階段を上って行きましょう。


 正式には「真言宗智山派大崎寺」という寺院のようですが「大崎観音」として親しまれています。ひとり100円で維持できるのでしょうか。


 石段を登れば本堂。ご本尊は「千手観音」ですが、いろいろな霊場になっているようです。本堂の前に展望台がありましたが、木々に遮られ景色は望めませんでした。


 本堂の奥には「阿弥陀堂」。


 このようないわれがあるようです。


 その先の結構深い森の小径を歩きます。クマ鈴を鳴らしまくりながら進みました。途中落石のためその先は通行止めでしたが木々の間から「竹生島」が見えます。
      ♪ 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に
              いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく ♪(4番)
琵琶湖周航の歌4番の歌碑は竹生島にあるので今回は訪れません。


 先ほどの桟橋前まで戻れば目の前にはトンネル。これから先このようなトンネルがいくつか続きます。(午前8時49分)


 琵琶湖にポツンと浮かぶ竹生島は本当に「神仏」の島ですね。信仰の対象となる理由がわかるような気がします。


 右に「二本松キャンプ場水泳場」が見えてきました。ここから「長浜市」に入ります。サクラの季節には「花見船」が出て舟遊びができるようです。(午前8時58分)


 右が琵琶湖でなければ完全な山の中ですね。この半島は福井県から続く500m級の山が直接琵琶湖に沈み込むのです。


 湖面では漁師さんが「エリ漁」の真っ最中でした。


 別荘やキャンプ場、ホテルがたくさんあります。


 景色が良いのでついつい路肩に駐車してしまいそうになりますが、結構駐車スペースは多いので路肩駐車はせず次の駐車スペースまで進みましょう。景色が良い所には必ず駐車スペースがありますよ。


 サクラ並木は続きます。


 右に真新しい石灯籠。その先には「八幡神社御旅所」がありました。ちゃんと駐車スペースもありますよ。(午前9時13分)


 御旅所の先に街並みが現れました。橋を渡れば二つ目の集落「大浦」です。


 一旦車を進め「大浦川」を渡り次の「大浦交差点」を右折。すぐ先に「湖岸緑地大浦園地」の駐車場があるので入りましょう。ここからは町歩紀です。(午前9時19分)


 東屋などもある湖岸の緑地です。公衆トイレがあります。


 右を眺めれば「大浦」の集落。第1と第2の半島に挟まれた入り江の一番奥に位置します。


 私の故郷である瀬戸内海と変わらない風景ですね。


 今までの浜辺はゴロタ石でしたがここは砂浜です。ただ琵琶湖の砂浜は海のようにパウダー状ではなく、ちょっと目が粗いような感じがします。


 集落の真ん中を「大浦川」が流れます。大浦川の小さな三角州(河岸段丘?)上に開けた集落なのでしょうか。白鷺が立っている姿を見ると「淡水湖」なんだなと思います。


 民宿もあるようです。


 小さな集落ですが、結構立派な家が並びますね。


 先ほど通り過ぎた「大浦交差点」を左に曲がりましょう。(午前9時32分)


 駐在所を過ぎます。「町の保安官」ですね。


 駐在所の向こうには「北淡海・丸子船の館」という施設があるのですが取り敢えず通り過ぎます。その先には結構良い雰囲気の街並みが残ります。


 「腹帯観音」という案内板があったので右に曲がりましょう。その先には「真宗大谷派正願寺」。このお寺でしょうか。


 お寺のすぐ右にこんな案内板がありました。入って行きます。


 参拝者用のトイレを過ぎれば奥に小さなお堂がありました。私の長女は「一女一男」を授かり、次女は長男を授かりましたが2子目の「妊活中」です。元気な孫が生まれるようにお参りしました。(午前9時38分)


 元の道に戻ると村をぐるっと一巡できるようです。土蔵の向こうに鳥居が見えます。


 「八幡神社」の社号標。さっき通った御旅所の本宮でしょうか。


 参拝を終え、ぐるっと回れば県道に戻ります。目の前には先ほど通り過ぎた「丸子船の館」。入りましょう。入館料は300円です。(午前9時44分)


 「丸子船」とは江戸時代から昭和初期まで琵琶湖水運の主役として運行されていた帆船のことだそうです。琵琶湖の気象とうねりに合わせた特有の船で、館内には昭和6年に建造されたという実物の船が展示されていました。一見の価値がありますよ。


 琵琶湖には独特の風(波)があるのですね。


 丸子船に関するいろいろな資料や遺物が展示されています。


 かつての大浦港を再現したジオラマもありました。


 見学を終え午前9時58分出発。県道を右へ旧家のシャッターにも「丸子船」の絵が。


 大浦交差点を過ぎ「蘭丸」を右に見ながらちょっと先まで歩いてみましょう。駐車場のすぐ隣は「大浦漁港」。漁船と水上タクシーが係留されていました。


 小さなレストランを過ぎれば右に「赤崎丸子船駐車場」という休憩スペースがありました。丸子船の形をした東屋があります。


 ここは入り江に突き出した小さな半島の先端で湖のすぐそばまで下りられます。沖には半島に挟まれた入り江の出口が。


 大浦の町歩紀は終わりました。駐車場まで戻り再出発です。ここからは第2の半島を走ります。駐車スペースと小さな公園がありました。この辺りからは角度の関係で入り江の出口が見えないので琵琶湖が小さな湖のように見えますね。(午前10時21分)


 公園の向かいは小さな棚田です。この山が福井県まで続いているのです。


 その先には「奥出浜園地」。東屋があります。奥琵琶湖は何だか信州か富士山にある高原の湖のような雰囲気ですね。(午前10時26分)


 しばらくすると左に観音様が見えてきました。「湖魚供養燈」というそうです。通り過ぎても大丈夫。すぐ先に駐車スペースがありますよ。


 道が狭いのでほとんどの車は対向車や駐車車両があると徐行しますが、バイクと自転車は減速することなく猛スピードで突っ込んできます。駐車スペースから本線に出るときは十分注意しましょう。そしてドライバーは美しい景色に見とれてわき見運転しないように。


 観音様を過ぎると「奥琵琶湖パークウェイ」というドライブウェイとの分岐に出ますが「歴史の里菅浦」という看板に従い右の湖岸寄りに進みましょう。すぐに公衆トイレと駐車場があります。そしてここが一番来たかった湖岸集落「菅浦(すがうら)」の入口です。奥に停まっているのは長浜市のコミュニティバス。平日に限り運行されJR「永原駅」も経由するようです。利用される方はホームページで。(午前10時45分)


 バス停前には集落の案内地図がありました。まず神社にお参りした後、時計周りで町歩紀をしましょう。


 すぐ前に小さな茅葺きの建物が建っています。「西の四足門(しそくもん)」。ここが集落の入口です。集落と外界を区切る門として村の東西に建っているそうですが、かつては南北も含め4つあったそうですよ。


 その隣には「須賀神社」の鳥居。参道を進みます。左は鬱蒼とした森です。クマ鈴を鳴らしながら歩きました。


 途中右に校倉造り風の立派な建物がありました。「菅浦郷土史料館」というそうですが日曜日のみ開館のようです。


 坂道を上りつめれば手水舎。きれいな水がコンコンと湧いていました。そしてここから先は土足禁止のようです。身を清めた後、下駄箱内のスリッパに履き替えて左の石段を上りましょう。


 石段を上れば立派な拝殿がありました。淳仁天皇をお祀りするようです。賽銭箱には皇室の紋章が。(午前10時55分)


 お参りを終え、参道を下って行くと集落の瓦屋根越しに琵琶湖が見えました。良い景色ですね。


 鳥居まで戻り左へ。まず山側の道に入ります。中世に形成された小さな漁村で国の「重要文化的景観」「日本遺産」に認定されています。


 途中「第11作業場」という看板の小さなプレハブがありました。案内板によると「ヤンマーの家庭工場」。
   ♪ ボクの名前はヤン坊 ボクの名前はマー坊 ♪
あの「ヤンマーディーゼル」です。エンジン部品を作る家内工業として始まり、かつては20カ所あり今でも10ほど稼働しているそうですよ。ヤンマーといえば世界的な企業ですがすごいですね。


 突き当りにある公民館の階段を上れば「淳仁天皇菩提寺菅浦長福寺跡」。淳仁天皇は「藤原仲麻呂の乱」により淡路島に流されたそうですが、琵琶湖(近江)は「淡海」とも呼ばれることから、ここがその地とも伝わるそうです。だから須賀神社のご祭神が淳仁天皇だったんですね。


 そして公民館前は何やら「カオスな空間」。かつて村落内には琵琶湖から引いた東西二つの水路の奥に小さな船溜まりがあったそうです。ここは「東の舟入」と呼ばれた船溜まり跡のようです。


 元水路と思われる小さな路地を進めば立派な割烹料亭。とても私には手が届きません。


 その先にはお寺が並びます。「時宗阿弥陀寺」。文永11(1274)年、一遍上人により開かれたそうです。海津も大浦も同じ位置関係に寺院が並んでいますが、仏様の向きなどが関係するのでしょうか。


 「第14作業場」の前を通り過ぎます。


 その隣には「浄土真宗本願寺派安相寺」。案内板によると天正元(1573)年、小谷城落城時に浅井長政の二男「万菊丸」が菅浦に逃れ、当寺の前身である道場に身を隠したそうです。


 そのまま進めば琵琶湖に出ます。そこには「東の舟入跡」碑。


 その向かいにある第17作業場横には「右要害の門一丁」の石標が。


 一丁。100mちょっとです。湖岸沿いの小さなコンクリート舗道を歩きましょう。


 「秘境」です。しかし歴史上の人物が流されたり身を隠したり。当時は人を寄せ付けない所だったんでしょうね。


 突き当りには「東の四足門」。(午前11時15分)


 そこから先は写真のように400m級の山塊が琵琶湖に直接沈み込むため歩くことはできません。


 菅浦の集落を眺めながら来た道を戻ります。


 左には「菅浦漁港」。ここは豪雪地帯。冬になれば船の上まで雪が積もるそうですよ。


 そして湖岸側は集落に沿って石垣が組まれています。


 案内板によると波除け用のものと平坦地を確保するための土盛り用のものとがあるそうです。


 菅浦漁港が途切れた辺りにもカオスな空間。こちらは「西の舟入跡」のようです。奥には第5作業場がありました。他にもいくつか作業場は残っています。


 午前11時36分。先ほどのバス停まで戻ってきました。あっという間に「湖岸集落」一周です。静かな集落です。マナーを持って歩きましょう。そしてそこには「上水道施設」。そうか琵琶湖は大阪府民の水がめですが飲んでいるのは淀川の水。滋賀県の人は琵琶湖の水そのものを飲んでいるんですね。滋賀県民が京都・大阪府民を困らせるため「琵琶湖の水、止めたろか」という言葉があるという話をテレビで聞いたことがありますが、私はそんなこと言われたことはありません。どうせバラエティー番組が面白おかしく言っているのでしょう。だって琵琶湖の水を止めると滋賀県全部が琵琶湖になっちゃうでしょ。琵琶湖の出口は淀川しかないのですから勝手に溢れてきます。


 さあ再出発です。車を出そうとサイドミラーを開いたところ左右のミラーとルームミラーには「琵琶湖」。何か感動しました。


 同じ道を戻ります。先ほどの分岐点を鋭角に右折し「奥琵琶湖パークウェイ」へ入ります。自転車・歩行者も通行できるのですが山の上を走るドライブウェイです。かなり高度を上げます。途中「つづら尾崎展望台」に立ち寄りました。トイレや売店があります。


 駐車場前は展望台になっており「湖北」の町が一望できます。これより「奥琵琶湖」を後にし「湖北」へと進みます。


 途中駐車スペースがありました。やっぱり出るんだな。ここは菅浦集落の裏山ですよ。


 そしてここは「もみじが丘」という小さな展望台。この後、目の前に見える長細い山地の中ほどにある「西野水道」へ向かいます。


 山の向こう側は「余呉湖」の水を琵琶湖に引く「余呉川」と「高時川」に沿って平地が開けるのですが、地形図を見るとおそらく「第4の半島」だっただろう思われるように突き出しています。そしてこの山塊も「賤ヶ岳(しずがだけ)」から続く「ベアエリア」です。


 ドライブウェーを過ぎ山から里に出ればすぐに右折。田んぼの中の一本道を抜けます。その先でローソンがある「塩津浜交差点」で国道303号線と交わるので左折します。すぐ左に「道の駅塩津街道あぢかまの里」。


 時間は。「蘭丸」の腹時計も正確なようです。昼食にしましょう。


 自販機でチケットを購入し携帯ベルで呼ばれれば取りに行くセルフサービス式のレストランです。ひとり歩紀の孤独が好きな「おやじブロガー」にとっては気を使わない良いシステムですね。「焼鯖すし・きつねそば」(税込1000円)を食べました。


 午後0時30分。食事を終え「塩津」の町を歩きますが町歩紀というほどではありません。「蘭丸」を道の駅に残し先ほどの塩津浜交差点を過ぎて国道を南に歩きます。7~8分ほどで国道が橋を渡る手前にアンダーパスがあるのでくぐりましょう。


 アンダーパスの下には「塩津港遺跡」の案内板。この橋を作る際に遺跡が発掘されたそうです。


 昔の塩津はこんな感じだったんですね。塩津は第2の半島と小さな第3の半島の奥にある港町です。


 アンダーパスをくぐれば「塩津浜緑地公園」。ここは琵琶湖の「最深部」「最北端」「突き当り」です。(午後0時39分)


 グーグルマップでは対岸まで直線距離で30kmほどあるでしょうか。水平線の彼方です。


 道の駅に戻りますが一本山手の道に入り集落内を歩きましょう。ここは「大坪川船溜まり跡」。集落の西側を流れていたことから丸子船などを係留する船溜まりとなっていたそうです。


 「蓮如上人上陸御跡地」。琵琶湖は蓮如上人にまつわる話が多いですね。


 先に見える橋を渡れば塩津浜交差点に出るので右折。道の駅に戻り再出発です。ナビを頼りに途中から国道を離れ第3の半島に沿った旧道を走ります。半島に挟まれた大きな入り江はまるで北欧のフィヨルドのようです。行ったことはありませんが。(午後1時2分)


 「飯浦交差点」で国道に戻るので右折しますが、すぐに「賤ヶ岳」への標識に従って旧道に入ります。


 途中レンガ造りの古いトンネルをくぐりますがそこまでは駐車スペースがありませんでした。トンネルを抜けると左が霊園になっており十分な駐車スペースがありましたので車を停めます。「賤ケ嶽隧道」という大正時代にできた古いトンネルだそうです。


 山を抜ければ旧道は田園地帯に出ます。ぐるっと回り「大音交差点」で余呉川に沿った「さざなみ街道」という道を走りますが、駐車ポイントがなかったので写真はありません。そしてさざなみ街道が余呉川と分かれる、こんなところに出れば右に入り「西野放水路」と名を変えた余呉川に沿って進みます。


 狭い土手道を走り2つ目の橋を渡りますが、橋の真ん中から下流方向を見れば何やらトンネルが。これは余呉川の水を琵琶湖に流すため第4の半島をぶち抜いた「西野水道」です。これは現在使われている3代目のトンネルで昭和55年にできたそうです。


 橋を渡り左折。右岸の土手を進めばすぐに駐車場があります。その左手には昭和25年に掘られた2代目のトンネルが見えます。(午後1時29分)


 すぐ前まで行けます。そして人は入れるようですが私は入りません。なぜ?


 駐車場奥には無人の案内所があります。そこにはこんな看板が。地元の人にとっては「オレは今までクマなんか見たことないよ」ってなもんでいい迷惑かもしれませんね。私も自宅の近所でクマなんか見たことはありません。しかし毎年数件の目撃情報があります。彼らとの出合いは常に「偶然」。注意に越したことはありませんね。


 無人案内所の説明を見るとこのトンネルは村を水害から守るため先人たちが苦労をして掘ったものだそうです。奥に1845年に完成したという手掘りの小さな初代トンネルがあるそうです。自由に見学できるそうでヘルメットと電灯、長靴が置かれていました。もちろん私は入りませんが。


 さあ出発です。ここからは渚ドライブ。「湖東」を走ります。


 途中「湖北野鳥センター」というところに立ち寄りました。(午後1時45分)


 地図で見るとおそらくここから対岸までが最も遠いと思われます。グーグルマップで見れば直線距離で40kmを越えるのではないでしょうか。


 ここにはきれいなトイレがありますが「道の駅」と隣接していますのでどちらでも。


 さらに進み「湖北水鳥公園」の駐車場に入ります。(午後2時)


 左右安全確認をしてさざなみ街道を渡れば漁港越しに湖面にこんもりとした森が。琵琶湖には「沖島」「竹生島」「多景島」という3つの島があるそうですが、これは「奥の洲」と呼ばれる「洲」です。冬の渇水期になればビーナスロードのように陸続きになることもあるそうですよ。琵琶湖って色々な顔がありますね。左に見えているのは竹生島です。


 次に立ち寄った所は「奥びわスポーツの森」。内湖を囲んだスポーツ公園です。(午後2時10分)


 駐車場に車を停め、さざなみ街道を渡り湖岸に出てみました。


 「姉川大橋」を渡ればもうすぐゴールです。そうあの「姉川」です。その先にある「産直びわみずべの里」。いわゆる農協(JA)スーパーに立ち寄りました。琵琶湖の東側は姉川や愛知川、野洲川という大きな川が注いでおり広大な平野が広がります。遠くに見えるのは「伊吹山」です。(午後2時19分)


 そして今回最後の立ち寄り先になると思いますが、トイレ・東屋がある湖岸緑地公園の駐車場に車を入れます。(午後2時35分)


 横断歩道でさざなみ街道を渡りしばらく湖畔を歩きましょう。


 今日は天気は良いのですがちょっと霞んでおり、これまで歩いた湖西方面もうっすらとしか見えません。


 この先は長浜市街です。関西では結構有名なホテルや長浜城の天守閣が見えてきました。この辺りで引き返します。


 午後2時40分。今回のゴール「長浜駅(西口)」に到着です。次回はこの駅からスタートです。平日だったので渋滞もなく駐車場はどこもガラガラ。贅沢な一人旅をさせてもらいました。なお今日のコースは本来2日間で歩く計画でしたが、マイカーを使ったので1日で走ってしまいました。よって「琵琶湖一周歩紀」は10回から9回に変更です(すみません)。クマにも遭わず良かったですが、次回からの敵は「熱中症」。ある面クマより怖いですね。


 本日の歩紀「21695歩」(14.75km)。ドライブの割には結構歩きましたね。そして「蘭丸」のトリップメーターは「63.5km」。ふたりで78kmちょっとの旅でした。


 今回はドライブですので一人打ち上げはありません。そして地酒を求め道の駅や農協スーパーにも立ち寄ったのですが、どこも売っていませんでした。ということで手に入れたのは昼食をとった「道の駅あぢかまの里」で買った「長濱浪漫ビール」。3本で税込1749円。


 しかしどうしても地酒を飲みたかったので最後の最後「長浜インター」に入る前に地元スーパーへ。


 ワンカップではありませんが長浜の蔵元「佐藤酒造」さんの特別純米酒「湖濱(300㎖)」(税込550円)をゲット。これも私の大切な趣味なのです。地ビールで乾杯~。そして地酒をチビチビやりながらブログの編集です。
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80年代の韓国歩紀~東大門とポニー

2024-06-03 07:17:23 | 日記
 李氏朝鮮時代の城郭都市であった「漢陽(ハニャン)」の東門である「東大門(トンデムン)」。東大門市場(トンデムンシジャン)というちょっとDEEPな市場と野球場などを備えた大きな運動公園がありました。日本の植民地時代からある大きなスポーツ公園のようでしたが、今ではショッピングモールとして生まれ変わり有名な観光地となっているようです。

 東大門の前を走っているのはタクシーですが「ポニー」と呼ばれた車です。


 当時の韓国では商用車を除けばこの国産車しかなく乗用車はもちろんタクシーもパトカーもすべてこの「ポニー」でした。当時の韓国ではタクシーは「相乗り」が当たり前。運転手は他の客を求めて右へ左へ。行き先が同じ方向であれば突然見知らぬ客が乗ってきました。その他マツダのグランドファミリアをコピーしたちょっとハイグレードな乗用車は「模範(モボム)タクシー」と呼ばれ、相乗りもなく外国人観光客や駐留軍、富裕層たちが利用していたようです。そして韓国入国後しばらくはタクシーの横でじっと突っ立ていることになります。ドアは自分の手で開けることに慣れるまで。ほかの国も同じだと思いますが。

 飲み屋から旅館に帰る時タクシーに乗ったのですが、ちょっと不良っぽい運転手の兄ちゃんから韓国語訛りの英語で「チャパニジュ(Japanese)?」と聞かれたので「ネェ(はい)」と答えました。てっきり「怪しげな場所」にでも連れて行かれるのかなと思いましたが、笑いながらチューインガムをくれました。
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