訪問日:令和5年12月27日(水)
出 発:近鉄電車「古市駅」
到 着:JR「三郷駅」
「5珍名山」最終歩紀。そして本年の「歩紀納め」は奈良県香芝市にある「屯鶴峯」です。「どんづるぼう」と読みます。「づ(ず)る」という言葉を聞くと、何か肌や地面が露出しているような状態を想像してしまいますね。例えば「禿げ頭」のことを「ずるむけ頭」などと言います(私だけかな?)。風化・浸食によってできた白い岩肌を遠くから眺めると「屯(た)むろする鶴」に見えたことから屯鶴峯と呼ばれるようになったと言われています。ただ行ってみると白い岩肌が露出した「ずるむけ山」に違いありません。日本最古の官道「竹内街道」を歩き「戦争遺産」、最後は「大風の神様」を訪ねます。山と言ってもほとんどが「町歩紀」ですので給水・トイレの心配はありません。今日は平日ですが、実は私は先週の土曜日から17連休の年末年始休暇に突入しているのです。申し訳ありません。
今日のスタートは近鉄南大阪線「古市駅」です。近鉄「大阪阿部野橋駅」から約20分(490円)で着きます。駅の西側は世界遺産に登録されている「古市古墳群」です。今日は最後の珍名山を目指して駅の東側に進みます。午前9時、今日も元気に出発です。
昨日までの寒さと打って変わって今日はポカポカ。ここでダウンを脱ぎ袋に収納しました。
駅東口にあるちょっとした広場には「羽曳野観光案内所」があります(まだ開いていません)。ここは大阪府羽曳野市。「たかが大阪」とお思いかも知れませんが、日本の歴史上すごいところです。
目の前の何でもないこの道は、日本最古の官道「竹内街道」です。
そのまま東に進めば「古市蓑の辻」碑。竹内街道と東高野街道との交差点です。この碑自体は後年(と言っても1800年代)に建立されたものですが、この辻はいつからあったのでしょうね。
左に曲がり東高野街道を北に進みます。
そこには「白鳥神社」の鳥居。白鳥とは「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が白鳥に姿を変えて飛び立ったという伝説にちなむものです。
今日一日の安全を祈願しましょう。なお、ここは出発した古市駅東口のすぐ裏です。正面からお参りするため、わざわざ遠回りしたのです。(午前9時8分)
鳥居まで戻り右に曲がって元の方向へ。1つ目の筋を左に入れば「西琳寺」。以前にも来ましたね。
境内にはウーパールーパーのような「塔礎石」。飛鳥時代のお話です。
その奥には「高屋宝生院の五輪塔」。
山門を出て左へ。「古市ポケットパーク」の前を通り過ぎます。
竹内街道に戻り「古市東町地車倉庫」前を通過します。(午前9時17分)
石川の堤防に突き当たれば左へ。その先の「臥龍橋」で石川を渡ります。
石川を渡って右へ。2~3分で「川向の道標」。道標に従い堤防から離れ国道166号線(竹内街道)に進みましょう。(午前9時24分)
右に近鉄電車が見えてくれば、左に飛鳥建築を再現した「万葉の山門」が立つ「であいのみち公園」が見えてきます。トイレがあります。
その先の「逢坂橋」で「飛鳥川」を渡って右折。竹内街道は地蔵堂がある二又を左です。(午前9時35分)
いい雰囲気ですね。
以前にも来た「月読橋」で再度、飛鳥川を渡ります。橋の両詰に石灯籠が立ちます。
「八丁地蔵尊」を右に見ながら竹内街道を進んで行きます。(午前9時44分)
近鉄線を右に見ながら「八丁橋」で飛鳥川を渡ります。ブドウ畑の向こうには「二上山」が頭を見せています。
街道らしい雰囲気ですね。
消防団「頑張れっ!」
以前も来ましたが、何度来ても良いですね。
以前「二上山」を訪れた際、竹内街道の奈良県側を歩きましたが、大阪府側も素晴らしいですよ。
やがて右に近鉄「上ノ太子駅」。北口は木造の小さな駅舎です。(午前9時58分)
そのまま進めば竹内街道は近鉄南大阪線を渡ります。ちょっと寄り道して南口へ。そこには「聖徳太子像」。以前来たときにはなかったですね。令和3年11月に建立されたそうです。
竹内街道に戻り、西名阪自動車道をくぐってどんどん進みます。「南河内郡太子町」に入りました。
スクランブル横断歩道のある「春日西交差点」。角には竹内街道の石標が立ちます。ここで竹内街道とは「さようなら」。左に曲がります(実は私は間違って直進してしまい10分ほど時間をロスしました。毎回こんなミスをします)。
「春日北交差点」に出れば「香芝(かしば)」方向に左折します。角にブドウの出荷所があります。付近はブドウ畑です。(午前10時20分)
しばらくすると歩車道の区別がなくなりますが、あまり交通量は多くなく道幅も広いので端を歩けば大丈夫でしょう。ここからずっと緩い上り坂が続きます。
西名阪自動車道をくぐれば歩道が現れます。近鉄南大阪線を左に見ながら進んで行きましょう。
途中でまた歩道がなくなりました。左の路側帯が広いので左に移動します。
「穴虫峠」で大阪府から奈良県に入りました。府道から県道に変わります。(午前10時45分)
峠の下をトンネルで近鉄が走っており、ここで近鉄線が右に移ります。
県道を2~3分歩けば左に「奇勝どんづる峯」の看板と階段が見えてきました。階段を上りましょう。(午前10時49分)
階段を上ればベンチのある広場に出ます。案内板なども立っています。案内板に向かって右側に階段があるので上って行きましょう。
こちら側は、白い岩肌が剥き出しです。(午前10時52分)
これは千数百年前、二上山が活火山であった頃、噴出した火山岩屑が水底に沈積し、凝灰岩なったものが隆起した後に風化・水蝕により奇勝となったそうです。(奈良県教育委員会案内板より)
こちらはハイキングコースではなく、剥き出しの岩場を歩きます。道も案内板もありませんので迷わないように。
私はYAMAPをダウンロードしてきました。
岩肌は脆く滑りやすいと聞いていましたが、結構表面はしっかりしており突起もあるので滑るような危険性は感じませんでした。ただ足元は悪いので注意して歩きましょう。転落すれば大怪我をすると思いますよ。「猿の惑星」のような風景が広がります。
YAMAPを頼りに先ほどのベンチ広場に戻り、今度は向かって左の山道に入ります。こちら側はハイキングコースになっており、案内標識や木にくくりつけられたリボンを頼りに進んで行きます。(午前11時8分)
こちらにも奇勝が広がります。
そして山道を上っていけば鉄塔が現れました。この辺りが山頂です。
鉄塔の向こう側に立つ木の柱が最高峰のようです。といっても154mですが。最後の珍名山制覇です。「バンザ~イ」(午前11時12分)
すぐ近くに住宅地が見えますよ。
奈良県は「戦艦大和」に代表されるように古代から続く日本を象徴する地なのですが、自衛隊施設には縁がなく航空自衛隊の幹部候補生学校があるくらいで、基地・駐屯地がない唯一の空白県です。そんな地に終戦間際、巨大な軍事施設が造られました。「旧陸軍地下壕」です。地下に戦闘司令所などを建設していたそうですが、完成前に終戦を迎えたそうです。山頂には「西地下壕」への案内表示がありました。ただ、柱に「ここは危険なので先の道に進むこと」との注意書きがありましたので先に進みます。
確かにしっかりした道がありました。
赤いリボンに沿って進みます。
分岐点に出ました。「西地下壕」方向に進みます。(午前11時15分)
結構険しい道を下って行きます。
分岐点に出ました。西地下壕方向に左折します(写真は振り返って撮影していますので右を指しています)。
さらに進んで行くと案内表示がありました。
そちらへ進むと右に洞穴が現れました。(午前11時20分)
さらに奥には二つの洞穴が。
洞穴の奥には出口が見えるので通り抜けられるようですが、真っ暗なうえ水が溜まっています。
こちら側も真っ暗で水が溜まっています。史跡・観光的な保存はされておらず、深い水溜まりもあるようなので注意して見学しましょう。
手前の洞穴も向こうに出口が見えます。人工的な建造物が残っており、朝鮮人労働者らが動員されたとの話もあります。戦争という「負の遺跡」ですね。
通り抜けるのは危険ですので元に戻りましょう。手前に「西峰山頂」への案内板がありましたので入って行きます。(午前11時24分)
しっかりした山道です。
やがて「西峰」に到着しました。屯鶴峯は東西ふたつの頂上があるのですね。向こうには二上山が見えます。(午前11時27分)
西峰の後ろにしっかりとした山道がありましたので進んで行きます。
YAMAPもベンチ広場に導いてくれているようです。
リボンに沿って進みます。
ベンチ広場に戻りました。時間は。ちょっと早いですが、地図で見る限り当分弁当スポットがないようなので、ここで昼食にします。
今日の昼食は、阪急からJRへの連絡通路途中にあるGOZENの「25品目の豆腐ハンバーグ」(税込み495円)です。
食事を終え、午前11時48分出発です。県道への階段を下りれば「ダイヤモンドトレール」の銘板が埋め込まれていました。屯鶴峯は金剛・葛城山系の稜線を縦走するダイヤモンドトレール(約45km)の出発点のようです。そう言えば先ほど弁当を食べているとき、2人の若者が走って行きました。
県道に出て左折すれば、すぐ右に駐車場と公衆トイレがあります。
駐車場前を東に向かって進みます。
途中左に「地蔵磨崖仏」があるようですが、藪に覆われ見えません。
「穴虫南(穴虫)交差点」でぐるっとUターンします。Uターンすれば左に「万葉歌碑」。(午後0時3分)
この道は国道165号線なのですが、途中から歩道がなくなり非常に危険なので次の「穴虫西交差点」を過ぎて「香芝晴美台」方向に右折しましょう。
特に目印はありませんのでグーグルマップを添付しておきます。
関屋駅への案内表示に沿って次の三叉路を左折します。ここは先ほど屯鶴峯頂上から見えていた住宅地のようです。
近鉄大阪線の踏切を渡り左に曲がれば近鉄「関屋駅」です。(午後0時22分)
そのまま線路沿いに進んで行きます。途中から線路と離れますがどんどん進んで行きましょう。
道が狭くなればフェンスに突き当たり、その手前に「従是東奈良縣管轄」と刻まれた「国界碑」がひっそりと立ちます。河内と大和の国境です。大正9年3月建立のようです。(午後0時35分)
同じ道を関屋駅まで戻ります。ここからは「龍田大社」をめざして歩きますが、何でもない住宅街や集落を黙々と歩くことになりますのでグーグルマップを添付しておきますね。午後0時55分、関屋駅前を出発します。約2時間の道のりです。
道すがら立ち寄ったところを紹介しておきます。土蔵や虫籠窓のある旧家が続きます。
「下池南の追分道標」が見えれば左へ曲がります。(午後1時1分)
池の畔にあるお地蔵さんの先にある二又を右へ下りましょう。
最近、どこにでも出るな。
何かあるんでしょうね。
「竹藪でーす」
左に「志都美(しずみ)神社」。(午後1時27分)
特に文化財等はありませんが、式内社なので1000年以上の歴史がある古社です。天児屋根命などを御祭神とします。
神社の前には「井上酒造」という蔵元がありました。
「東の鳥居」を左に見ながら進みます。
郵便局を過ぎれば左に鳥居が見えてきました。入って行きましょう。
ここは第25代武烈天皇の「傍丘磐坏丘北陵」です。妊婦の腹を割くなど暴君と言われた謎の多い天皇で、明治になってから陵墓として治定されたそうです。そうか。それで宮内庁の看板が立っていたんだ。(午後1時35分)
この道は「近畿自然歩道」のようです。
「太子道」って言うんですね。
最初、縦に読んでいると何のことかわかりませんでした。横に読むんですね。昔、聖徳太子が通った道のようです。
50mほど堤防の地道を歩きました。足が楽です。ずっと舗装道を歩いていると結構足にきますね。
集落を抜けると「尼寺廃寺跡史跡公園」。7世紀後半に造営された寺院の遺跡公園です。学習館(月曜日定休)にはトイレがあります。(午後1時57分)
さすが古都奈良。何でもないところにすごい遺跡がありますね。
塔礎石から金堂跡を望みます。足の裏が痛いので5分ほど休憩しました。
公園の脇から出て「畠田」の集落を抜けます。
何やら石標がありました。真っ直ぐ進みましょう。
これは個人で立てた道標のようです。
「神前橋」で大和川を渡ります。間もなくゴールです。(午後2時40分)
橋を渡ったところには立派な寺院が。「真宗称名寺」と言うそうです。
目的地である「龍田大社」に着きました。道に迷いながらもグーグルマップの計測どおり約2時間で到着です。(午後2時58分)
約2100年前、崇神天皇の時代に創建されたという古社です。主祭神は「天御柱大神」「国御柱大神」で大気を司る「風の神様」として信仰を集めています。毎年7月「風鎮大祭」という祭礼が行われているそうですが、地球温暖化の影響により毎年台風が大型化しているのでお参りしておきました。
さあ参拝を終え帰路に。この道は「龍田古道」と言うようですね。いつか歩きたいと思います。
やがて本日のゴールであるJR「三郷駅」に着きました。時間は午後3時10分。本日の歩紀「37548歩」(25.53km)。よく歩いたな。YAMAPを見ると今回も普通の人の150~170%で歩いていたようです。ここから「天王寺駅」まで約25分(410円)。「5珍名山」楽しんでいただけましたでしょうか?野里町歩紀は概ね3年くらい先までコースが決まっているので引き続きお楽しみください。私の体がもてばの話ですが。
今日は阪急電車ではなく天王寺駅から大阪メトロ(&北大阪急行)で「千里中央駅」まで行き阪急バスで帰ります。自宅直近のバス停まで乗り換えなしで帰られます。と言うことで本日のひとり打ち上げは、千里中央駅改札前の「とんかつ梅八」です。
「生ビールセット(ロース)」(税込1800円)。5珍名山踏破を祝して「乾杯~」。
出 発:近鉄電車「古市駅」
到 着:JR「三郷駅」
「5珍名山」最終歩紀。そして本年の「歩紀納め」は奈良県香芝市にある「屯鶴峯」です。「どんづるぼう」と読みます。「づ(ず)る」という言葉を聞くと、何か肌や地面が露出しているような状態を想像してしまいますね。例えば「禿げ頭」のことを「ずるむけ頭」などと言います(私だけかな?)。風化・浸食によってできた白い岩肌を遠くから眺めると「屯(た)むろする鶴」に見えたことから屯鶴峯と呼ばれるようになったと言われています。ただ行ってみると白い岩肌が露出した「ずるむけ山」に違いありません。日本最古の官道「竹内街道」を歩き「戦争遺産」、最後は「大風の神様」を訪ねます。山と言ってもほとんどが「町歩紀」ですので給水・トイレの心配はありません。今日は平日ですが、実は私は先週の土曜日から17連休の年末年始休暇に突入しているのです。申し訳ありません。
今日のスタートは近鉄南大阪線「古市駅」です。近鉄「大阪阿部野橋駅」から約20分(490円)で着きます。駅の西側は世界遺産に登録されている「古市古墳群」です。今日は最後の珍名山を目指して駅の東側に進みます。午前9時、今日も元気に出発です。
昨日までの寒さと打って変わって今日はポカポカ。ここでダウンを脱ぎ袋に収納しました。
駅東口にあるちょっとした広場には「羽曳野観光案内所」があります(まだ開いていません)。ここは大阪府羽曳野市。「たかが大阪」とお思いかも知れませんが、日本の歴史上すごいところです。
目の前の何でもないこの道は、日本最古の官道「竹内街道」です。
そのまま東に進めば「古市蓑の辻」碑。竹内街道と東高野街道との交差点です。この碑自体は後年(と言っても1800年代)に建立されたものですが、この辻はいつからあったのでしょうね。
左に曲がり東高野街道を北に進みます。
そこには「白鳥神社」の鳥居。白鳥とは「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が白鳥に姿を変えて飛び立ったという伝説にちなむものです。
今日一日の安全を祈願しましょう。なお、ここは出発した古市駅東口のすぐ裏です。正面からお参りするため、わざわざ遠回りしたのです。(午前9時8分)
鳥居まで戻り右に曲がって元の方向へ。1つ目の筋を左に入れば「西琳寺」。以前にも来ましたね。
境内にはウーパールーパーのような「塔礎石」。飛鳥時代のお話です。
その奥には「高屋宝生院の五輪塔」。
山門を出て左へ。「古市ポケットパーク」の前を通り過ぎます。
竹内街道に戻り「古市東町地車倉庫」前を通過します。(午前9時17分)
石川の堤防に突き当たれば左へ。その先の「臥龍橋」で石川を渡ります。
石川を渡って右へ。2~3分で「川向の道標」。道標に従い堤防から離れ国道166号線(竹内街道)に進みましょう。(午前9時24分)
右に近鉄電車が見えてくれば、左に飛鳥建築を再現した「万葉の山門」が立つ「であいのみち公園」が見えてきます。トイレがあります。
その先の「逢坂橋」で「飛鳥川」を渡って右折。竹内街道は地蔵堂がある二又を左です。(午前9時35分)
いい雰囲気ですね。
以前にも来た「月読橋」で再度、飛鳥川を渡ります。橋の両詰に石灯籠が立ちます。
「八丁地蔵尊」を右に見ながら竹内街道を進んで行きます。(午前9時44分)
近鉄線を右に見ながら「八丁橋」で飛鳥川を渡ります。ブドウ畑の向こうには「二上山」が頭を見せています。
街道らしい雰囲気ですね。
消防団「頑張れっ!」
以前も来ましたが、何度来ても良いですね。
以前「二上山」を訪れた際、竹内街道の奈良県側を歩きましたが、大阪府側も素晴らしいですよ。
やがて右に近鉄「上ノ太子駅」。北口は木造の小さな駅舎です。(午前9時58分)
そのまま進めば竹内街道は近鉄南大阪線を渡ります。ちょっと寄り道して南口へ。そこには「聖徳太子像」。以前来たときにはなかったですね。令和3年11月に建立されたそうです。
竹内街道に戻り、西名阪自動車道をくぐってどんどん進みます。「南河内郡太子町」に入りました。
スクランブル横断歩道のある「春日西交差点」。角には竹内街道の石標が立ちます。ここで竹内街道とは「さようなら」。左に曲がります(実は私は間違って直進してしまい10分ほど時間をロスしました。毎回こんなミスをします)。
「春日北交差点」に出れば「香芝(かしば)」方向に左折します。角にブドウの出荷所があります。付近はブドウ畑です。(午前10時20分)
しばらくすると歩車道の区別がなくなりますが、あまり交通量は多くなく道幅も広いので端を歩けば大丈夫でしょう。ここからずっと緩い上り坂が続きます。
西名阪自動車道をくぐれば歩道が現れます。近鉄南大阪線を左に見ながら進んで行きましょう。
途中でまた歩道がなくなりました。左の路側帯が広いので左に移動します。
「穴虫峠」で大阪府から奈良県に入りました。府道から県道に変わります。(午前10時45分)
峠の下をトンネルで近鉄が走っており、ここで近鉄線が右に移ります。
県道を2~3分歩けば左に「奇勝どんづる峯」の看板と階段が見えてきました。階段を上りましょう。(午前10時49分)
階段を上ればベンチのある広場に出ます。案内板なども立っています。案内板に向かって右側に階段があるので上って行きましょう。
こちら側は、白い岩肌が剥き出しです。(午前10時52分)
これは千数百年前、二上山が活火山であった頃、噴出した火山岩屑が水底に沈積し、凝灰岩なったものが隆起した後に風化・水蝕により奇勝となったそうです。(奈良県教育委員会案内板より)
こちらはハイキングコースではなく、剥き出しの岩場を歩きます。道も案内板もありませんので迷わないように。
私はYAMAPをダウンロードしてきました。
岩肌は脆く滑りやすいと聞いていましたが、結構表面はしっかりしており突起もあるので滑るような危険性は感じませんでした。ただ足元は悪いので注意して歩きましょう。転落すれば大怪我をすると思いますよ。「猿の惑星」のような風景が広がります。
YAMAPを頼りに先ほどのベンチ広場に戻り、今度は向かって左の山道に入ります。こちら側はハイキングコースになっており、案内標識や木にくくりつけられたリボンを頼りに進んで行きます。(午前11時8分)
こちらにも奇勝が広がります。
そして山道を上っていけば鉄塔が現れました。この辺りが山頂です。
鉄塔の向こう側に立つ木の柱が最高峰のようです。といっても154mですが。最後の珍名山制覇です。「バンザ~イ」(午前11時12分)
すぐ近くに住宅地が見えますよ。
奈良県は「戦艦大和」に代表されるように古代から続く日本を象徴する地なのですが、自衛隊施設には縁がなく航空自衛隊の幹部候補生学校があるくらいで、基地・駐屯地がない唯一の空白県です。そんな地に終戦間際、巨大な軍事施設が造られました。「旧陸軍地下壕」です。地下に戦闘司令所などを建設していたそうですが、完成前に終戦を迎えたそうです。山頂には「西地下壕」への案内表示がありました。ただ、柱に「ここは危険なので先の道に進むこと」との注意書きがありましたので先に進みます。
確かにしっかりした道がありました。
赤いリボンに沿って進みます。
分岐点に出ました。「西地下壕」方向に進みます。(午前11時15分)
結構険しい道を下って行きます。
分岐点に出ました。西地下壕方向に左折します(写真は振り返って撮影していますので右を指しています)。
さらに進んで行くと案内表示がありました。
そちらへ進むと右に洞穴が現れました。(午前11時20分)
さらに奥には二つの洞穴が。
洞穴の奥には出口が見えるので通り抜けられるようですが、真っ暗なうえ水が溜まっています。
こちら側も真っ暗で水が溜まっています。史跡・観光的な保存はされておらず、深い水溜まりもあるようなので注意して見学しましょう。
手前の洞穴も向こうに出口が見えます。人工的な建造物が残っており、朝鮮人労働者らが動員されたとの話もあります。戦争という「負の遺跡」ですね。
通り抜けるのは危険ですので元に戻りましょう。手前に「西峰山頂」への案内板がありましたので入って行きます。(午前11時24分)
しっかりした山道です。
やがて「西峰」に到着しました。屯鶴峯は東西ふたつの頂上があるのですね。向こうには二上山が見えます。(午前11時27分)
西峰の後ろにしっかりとした山道がありましたので進んで行きます。
YAMAPもベンチ広場に導いてくれているようです。
リボンに沿って進みます。
ベンチ広場に戻りました。時間は。ちょっと早いですが、地図で見る限り当分弁当スポットがないようなので、ここで昼食にします。
今日の昼食は、阪急からJRへの連絡通路途中にあるGOZENの「25品目の豆腐ハンバーグ」(税込み495円)です。
食事を終え、午前11時48分出発です。県道への階段を下りれば「ダイヤモンドトレール」の銘板が埋め込まれていました。屯鶴峯は金剛・葛城山系の稜線を縦走するダイヤモンドトレール(約45km)の出発点のようです。そう言えば先ほど弁当を食べているとき、2人の若者が走って行きました。
県道に出て左折すれば、すぐ右に駐車場と公衆トイレがあります。
駐車場前を東に向かって進みます。
途中左に「地蔵磨崖仏」があるようですが、藪に覆われ見えません。
「穴虫南(穴虫)交差点」でぐるっとUターンします。Uターンすれば左に「万葉歌碑」。(午後0時3分)
この道は国道165号線なのですが、途中から歩道がなくなり非常に危険なので次の「穴虫西交差点」を過ぎて「香芝晴美台」方向に右折しましょう。
特に目印はありませんのでグーグルマップを添付しておきます。
関屋駅への案内表示に沿って次の三叉路を左折します。ここは先ほど屯鶴峯頂上から見えていた住宅地のようです。
近鉄大阪線の踏切を渡り左に曲がれば近鉄「関屋駅」です。(午後0時22分)
そのまま線路沿いに進んで行きます。途中から線路と離れますがどんどん進んで行きましょう。
道が狭くなればフェンスに突き当たり、その手前に「従是東奈良縣管轄」と刻まれた「国界碑」がひっそりと立ちます。河内と大和の国境です。大正9年3月建立のようです。(午後0時35分)
同じ道を関屋駅まで戻ります。ここからは「龍田大社」をめざして歩きますが、何でもない住宅街や集落を黙々と歩くことになりますのでグーグルマップを添付しておきますね。午後0時55分、関屋駅前を出発します。約2時間の道のりです。
道すがら立ち寄ったところを紹介しておきます。土蔵や虫籠窓のある旧家が続きます。
「下池南の追分道標」が見えれば左へ曲がります。(午後1時1分)
池の畔にあるお地蔵さんの先にある二又を右へ下りましょう。
最近、どこにでも出るな。
何かあるんでしょうね。
「竹藪でーす」
左に「志都美(しずみ)神社」。(午後1時27分)
特に文化財等はありませんが、式内社なので1000年以上の歴史がある古社です。天児屋根命などを御祭神とします。
神社の前には「井上酒造」という蔵元がありました。
「東の鳥居」を左に見ながら進みます。
郵便局を過ぎれば左に鳥居が見えてきました。入って行きましょう。
ここは第25代武烈天皇の「傍丘磐坏丘北陵」です。妊婦の腹を割くなど暴君と言われた謎の多い天皇で、明治になってから陵墓として治定されたそうです。そうか。それで宮内庁の看板が立っていたんだ。(午後1時35分)
この道は「近畿自然歩道」のようです。
「太子道」って言うんですね。
最初、縦に読んでいると何のことかわかりませんでした。横に読むんですね。昔、聖徳太子が通った道のようです。
50mほど堤防の地道を歩きました。足が楽です。ずっと舗装道を歩いていると結構足にきますね。
集落を抜けると「尼寺廃寺跡史跡公園」。7世紀後半に造営された寺院の遺跡公園です。学習館(月曜日定休)にはトイレがあります。(午後1時57分)
さすが古都奈良。何でもないところにすごい遺跡がありますね。
塔礎石から金堂跡を望みます。足の裏が痛いので5分ほど休憩しました。
公園の脇から出て「畠田」の集落を抜けます。
何やら石標がありました。真っ直ぐ進みましょう。
これは個人で立てた道標のようです。
「神前橋」で大和川を渡ります。間もなくゴールです。(午後2時40分)
橋を渡ったところには立派な寺院が。「真宗称名寺」と言うそうです。
目的地である「龍田大社」に着きました。道に迷いながらもグーグルマップの計測どおり約2時間で到着です。(午後2時58分)
約2100年前、崇神天皇の時代に創建されたという古社です。主祭神は「天御柱大神」「国御柱大神」で大気を司る「風の神様」として信仰を集めています。毎年7月「風鎮大祭」という祭礼が行われているそうですが、地球温暖化の影響により毎年台風が大型化しているのでお参りしておきました。
さあ参拝を終え帰路に。この道は「龍田古道」と言うようですね。いつか歩きたいと思います。
やがて本日のゴールであるJR「三郷駅」に着きました。時間は午後3時10分。本日の歩紀「37548歩」(25.53km)。よく歩いたな。YAMAPを見ると今回も普通の人の150~170%で歩いていたようです。ここから「天王寺駅」まで約25分(410円)。「5珍名山」楽しんでいただけましたでしょうか?野里町歩紀は概ね3年くらい先までコースが決まっているので引き続きお楽しみください。私の体がもてばの話ですが。
今日は阪急電車ではなく天王寺駅から大阪メトロ(&北大阪急行)で「千里中央駅」まで行き阪急バスで帰ります。自宅直近のバス停まで乗り換えなしで帰られます。と言うことで本日のひとり打ち上げは、千里中央駅改札前の「とんかつ梅八」です。
「生ビールセット(ロース)」(税込1800円)。5珍名山踏破を祝して「乾杯~」。