76歳。
このような歳になると、色々思うところがある。
70歳になる前の、比較的若い時にも勿論「思った」が、それは、今、思っていることとは、およそ「趣」の違うものであった。
私、これまで、いろんな「節目」を経てきた。手っ取り早いところ、10年毎の誕生日がそうである。
10歳の時、20歳の時、30歳の時、40歳の時、50歳の時、60歳の時、70歳の時。
誕生日という節目だけでこれだけあるが、最後の「70歳の、」を除き、他の6つの「誕生日という節目」には、別段、何も感じなかった。「ああ、そうなの?」
それが、70歳になって何か感じた。何かが、チクリと来た。
「ああ、自分も、こんな歳になったのか、」
その”チクリ”の起因するところは、わかっていた。
60代の自分に比し、顕著な肉体的変調は感じられないが、何しろ、世間が、そおっとしておいてくれない。
「あの〜、望さん。ご存知だとは思いますが、アナタ、もう70歳ですよ。どうぞ、お忘れなく。」
その意味するところは分かっていた。70歳というのは、世間的に言って、立派な「お年寄り」だということである。
それから6年が経った。実に早い。
70代”駆け出し”のころは、「まだまだ、ダイジョウブ」、身体的に別段、困ったところはないし、。
しかし、それが75歳に向かって邁進するにつれて、主に頭脳の働きの衰えが気になり始めた。
私の頭脳、もともとそんなに優秀なものではないが、記憶力の著しい低下が見られるようになったのがその一例である。
今さっき思っていたことが思い出せない。”あれ”は、確かこの引き出しの中にしまっておいたはずなのに、またそれが分っているにもかかわらず、別の引き出しを開けてしまう、。
こんなことは茶飯事である。75歳より上の人のことを「後期高齢者」と呼ぶのは、残念ながら、中っている。
このままの調子で、更に老いていくというのは、考えるだけでも恐ろしいが、人間は、皆なそんな道をたどるのであろうから、仕方がない。
さて、ここで、方向転換を試みてみよう。
それは、このように「歳をとる」ということには、悪い側面しかないのかというと、そんなことはないということである。
いいところがある。しかし、それは、自分が実際に歳をとってみないことにはわからない。
ものごとの「本当のところ」が見えてくるというのが、それである。
若い時には、「なんてつまらない人だろう」と思っていた人が、本当は立派な人であったとわかるとか。または、その逆の場合とか。
私の父は、57歳で夭逝。私、7歳の時である。京都の中央市場で、塩乾魚の仲買人をしていた。急遽後継がいるというわけで、2番目の姉に白羽の矢が立った。姉その時23歳。兄がいたが、全く商売には不向きな人。また私は、まだ小さすぎたし。
勿論、姉一人では、何もできない。そこで、亀岡の田舎の遠い親戚から、婿養子を貰う事にした。
この人、大きな農家の3男坊。非常にいい人間であったが、金勘定もできないような人で、忙しい商売には、まるで不向き。
そんな人と結婚した姉は、従って、大いに不満。結局、商売のきりもりは自分で全てやらなければならない羽目に陷ってしまった。夫婦仲も良いとは言えなかった、幸い3人の子供に恵まれたが、子供たちともそんなに親しくはなかったのではなかろうか。
この御養子さん、そんなこんなで、私を手懐けようようとしておられたが、私、如何せん、彼とは全く肌が合わず(韓国人をあからさまに「チョーセン」と呼ぶような人で)、いま、思えば、非常に悪いことをしたものである。私が、もう少し「大人」であったらなあ、と思われてならない。
私、それどころか、彼を口汚く罵ったりもした。
まあ、その時は、私自身にも問題があり、他の人のことまで気配りができなかったというのがその言い訳である。
私、この義兄は、非常に立派な人であったと思う。婿養子に来られた家の中で完全に孤立。非常に寂しかったことであろうが、だからと言って、口煩い田舎に帰るわけにもいかないし、。
我慢に我慢を重ねて、最後まで、我が家にいてくださった。第一、この人がおられなければ、我が家は潰れていたに違いないのである。
しかし、最後は、安くてきつい煙草(彼の唯一の恋人「いこい」)を吸い続けて、亡くなっていかれた。生きていても面白くないし、妻に先立たれるなんて、もってのほか。
私、この義兄には本当に悪いことをした。ごめんね、兄さん。あれで、兄さんが、お酒でも飲まれれば、もう少し仲良くなれたと思うんですが、。
これなど、「歳を取る」ことの効用である。若い時には、とてもこんな風には思えなかった。
70歳を越え、人間歳を重ねてくると、自分もいつかは死ぬということが、実感として、如実にわかる (若い時には、それは単に「観念」である)。
そこを基点として物事を見ると、いろんなことが、本当の意味で見えてくるものである。
「欲望」という名の夾雑物が、若い時に比べて希薄になってきて、何が本当に重要で、何が重要でないのかの仕分けができる、ということであろうか。