日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

ワイン

2021-10-26 08:09:33 | 日記

昨年12月25日は、ロンドンのオリンピックパークに住んでおられる友人宅に行った。私、光栄にも、その人たちのバブルというものになっていて、その日、バブルならば、一人だけ特別に招待してもいいんだそうである。因みに、その翌日26日からは、それもできなくなった。

ただし、このバブルなどというものの存在は、コロナ菌蔓延時の一時的非常措置である。

英国では、この日に限り、地下鉄もバスも走っていないから、ご丁寧にも車で迎えに来てくださった。30分かけて、。何というご親切。しかも、帰りは、タクシーで送ってくださったし、感謝感激。

食卓に乗ったのは、ご存知ターキー。とても美味しかった。でも勿論、3人では食べきれない。

その時いただいたフランスの赤ワインが、これまた絶品。名前からして、それが美味しいものであるというのは、予め判っていた。でもこれほどとは、。

私、ワインは好きである。しかし、そんなに詳しいわけではない。
ただ、美味しいワインというのは分る。と思う。

ワインの良し悪しに、4段階。

悪い(bad)、まあまあ(so so)、良い(good)、極上(excellent)。

その日にいただいたのは、当然、最後の極上だと思う。

私流の、良いワインの「定義」がある。

一杯飲めば、二杯目がどうしても欲しくなる。そして三杯目、四杯目、と、、。

でも、私思うけれど、あまりに高級なのを、ワインに通じておられない人に差し上げるのは、馬鹿げているのではないであろうか。

私、そういう間違いを、去年やらかした。

私の北アイルランドの友人と一緒に北アイルランドに行った時のこと、彼のお姉さんのところに2泊させていただいた。しかし、それはちょっと厚かましいと思ったので、極上のワインを2本持って行った。

でも、そのお姉さん、それほど、ワインのことにお詳しいわけではないので、これは、いくら「良心的に」したことだと言っても、度が過ぎた感じがする。

誠意の示し方が、ピント外れ。

普通に「いいワイン」でよかったのである。

逆にその方が良識的だと、私は思う。


唯我独尊

2021-10-22 04:38:30 | 日記

ある日本人男性からこう言われたことがある。

私の一つ上。生真面目、非常に親切な、いい人。

「あなたは、唯我独尊みたいな人だから、、」

私が、自分に可能な職業として、”誰かの「秘書」とかいうのだったら、できると思う” と言った時に返ってきた言葉である。

実際、私には、人の上に立つ能力はない。誰かの下で、縁の下の力持ちと言うのなら、できるかもしれない(私、いわゆる”宮仕え”というものをした経験はないが、「生活かかっている」となれば、結構できるのでは?といつも密かに思っている)。

その時返ってきたのが、この言葉である。「唯我独尊」。

誠に意外であった。でも、同時に、日本におられる日本人から見れば、私は、そんな風に見えるのかもしれないということがわかって、ある意味、面白かった。

しかし、それにしても、私、唯我独尊などではない。

もちろん、もう46年ばかり日本を離れ、英国に住んでいるのであるから、日本におられる多くの日本人よりは、ものをはっきり言うというところはあると思う。

でも、それは、「自分の考えを持っている」ということであって、むしろ、賞賛されるべきことではないのか。少なくとも、英国においては、そうである。唯我独尊ではない。

唯我独尊といえば、さしずめドナルドトランプがそうである。彼は、他の人の意見に耳を貸さない。この人こそ、まさに唯我独尊と呼ばれるにふさわしい。

この大人しい私を独尊扱いされた上記の日本人からすれば、私は、やりにくい男ということになるらしい。

何しろ、「そうですね、ごもっとも、」などとは、決して言わない、ときている。
いつも仏頂面をしているとあって、それも無理からぬところか。でも、それは、ただ、無意味に愛想を振舞う必要を感じないだけのことである。

そこで、「唯我独尊」という汚名を頂戴した。

私、そんなことは、ありませんよ、私。自分の考えより、相手の方の考えの方が正しいと思えば、訂正して謝りますよ。たとえ、相手が子供であっても。


棒高跳び、あれこれ (今年の3月9日執筆)

2021-10-21 08:23:36 | 日記

先週末は、TVで、欧州陸上競技選手権を観て過ごした。

ただし、室内競技である。ポーランドのTorunから。私、陸上競技は非常に好きであるが、このコロナ菌蔓延のため、久しく観ていなかったから、尚のこと。

お目当は、男子の棒高跳び。特にスエーデンの怪童、Armand 'Mondo’ Duplantis を観たかった。

彼、何と若冠21歳で、世界記録を持っている。6m18。

この怪童、スエーデン国籍であるが、生まれはアメリカのルイジアナ。

アメリカ人のお父さん(Greg)も、棒高跳び選手、5m80の記録を持っておられる。そして、スエーデン人の お母さん(Helena)は、元々7種競技の選手で、他に、Volley Ballもよくされたという。

このように、Mondoくん、運動選手としては、この上もない優秀な血を受け継いだ青年である。小さい時は、この子、スポーツなら何でも手がけたそうで、野球もその一つですって。

棒高跳び男子の、世界記録変遷を見ていくと面白い。

近年では、セルゲイブブカ(Sergey Bubka、ウクライナ)。彼は、世界記録を, 5m85で初めて樹立。その後、其れを最終的に6m14まで伸ばした。特に、6mの壁を破ると、その後、バーを1cmずつ上げて、世界記録を更新、巨額の賞金をその都度、手にしていたのは、有名な話である。

ブブカのその記録を破ったのは、フランス人のルノーラヴィルリェ(Renaud Lavillerie)。ウクライナのドネツクというところで行われた室内大会で、彼、記録を6m16まであげた。私、それをTVで観たが、実に綺麗な跳躍であったことを覚えている。しかも、それは、ブブカさんの出身地とあって、ブブカさん、それをじかに目撃されている。どんな気持ちであったであろうか。

唯、このフランス人、オリンピックには比較的弱く、ロンドンで一度だけ。今は、彼の弟が後を継いでいる。

フランスというのは、このラヴィルリェに限らず、ブブカの前にも、優秀な棒高跳び選手を多く輩出している。どういう因果関係があるのか知らない。

(余談ながら、Mondo君の父Gregさん一族の系統は、Cajunといい、それは、昔、フランスからアメリカに移り、南部ルイジアナ、テキサスあたりに定住した人たちの呼称である。ルイジアナは有名なニューオーリンズがあるところ)

然ししかし、この6m16を、昨年、20歳の青年が簡単に破ってしまった。上記のMondo Duplantisである。それも2度にわたって、短期間にヨーロッパの室内競技会で。
彼の跳ぶところを観ると、いとも簡単にバーを大きくクリアするので、実に気持ちがいい。ラヴィルリェとは、だいぶ違う。

(陸上競技、同じ種目でも、普通、室内と屋外では記録が異なる。一般的には、屋外で出された記録の方が、室内のそれよりいい。従って、室内と屋外を分けて考える。しかし、この棒高跳びだけは例外で、室内の方が記録がいいのだそうである。それで、この種目では、どこで出された記録でも、平等に扱われる。)

そして、先週末の室内欧州選手権。

Mondo君、優勝は簡単にできた。その後、6m18の自己最高記録を1cm伸ばすべく、6m19に挑戦したが、残念ながら記録更新はならなかった。

最後に。

先週末のこの室内選手権、陸上競技を観るのは久しぶりだったので、ことさら感慨深かった。

しかし、その時、選手のインタビューなどで、「Tokyo」という言葉をなんども耳にした。そして、その時、選手の目は、生き生きと輝いていた。

しかし、それと一緒に「もし(オリンピックがあれば)」とか「、、、の場合には」とかいう、仮定の言葉は一言も聞かれなかった。

選手の気持ちは、もうTokyoに飛んでいる。それにむけて、猛練習をしている。

日本の皆様、どうぞ、準備おさおさ、怠りなく。

一緒に、Mondo Duplentis 君の、華麗な跳躍を、TVで観ましょうよ。私はロンドンで観ます。


国勢調査

2021-10-19 03:59:35 | 日記

英国の「国勢調査」は10年に1回。今年がその年であるそうな。

私、英国籍は持っていないが、もう50年近く英国に住んでいて、「永住権」もあるので、他の英国人と同様の扱いを受ける(ただ、選挙権だけは持っていない)。

その一つが、「国勢調査」履行の義務。しかし、以前にこんなことした覚えがない。

「調査をしますので、ご協力ください」という通知の来たのが2ヶ月ほど前。

早速、その依頼に応じた。ただし、オンラインでやれという。何とも便利な世の中になったものである。

いろんな質問項目がある。大抵は通り一遍のもので、答えるのに、大して疑問も苦労も感じなかった。何しろ、自分所有の家に一人で住んでいるというのであるから、簡単である。

でも、一つだけ。

”あなたの「性向」は何ですか?” (人からどう思われているかということではなく、自分がどう思うか)

1、ストレート(異性愛者)
2、ゲイ
3、レズビアン
4、バイセクシュアル
5、性同一性障害
6、トランスジェンダー(性転換者)
7、分らない
8、ノーコメント(言いたくない)
9、その他 (具体的に言ってください)

日本の皆さん、これを見てどう思われるであろうか。

こんな項目が、日本国勢調査の質問項目の一つであるとは、どう転んでも、私には、考えられない。
(日本人の多くの人は、「そんなのプライバシーの侵害よ」と言われるかもしれない。しかし、そんなことを言えば、国勢調査項目の、すべてのことは、大なり小なり、そうではないのか)

もし、こういう質問があるとすれば、まず、多くの日本人は、それに答えずに、「何これ?」とばかり、やり過ごされるのではないであろうか。

英国で、こういうことが、公に取り上げられるのは、別に驚くべきことではない。

この国では、それほどの永きに亘って、人の「性向」などというもの、広く、また深く論じられて来たのである。勿論、それは、比較的近年のことであって、一昔前までは、とても考えられなかった。

論じ尽くされ、熟成している。

そして、その延長上に「同性婚」があり、「性転換」があるのである。

一寸偉そうな口を利いてみる。

「人間の性向とは何か」というのは、人間存在にとり、極めて基本的にして重要なことであると、私は思う。

それを、日本では、正面切って考えずして、また教えられずして、突然、「同性結婚を認めよ」とかいう人があるから、多くの人たちは戸惑われるのである。なんのことかよくわからない。

勿論、私、日本には日本のやり方というものがあることは、十分弁えている。だから、まずこういうことは、永遠に起らないかもしれない。日本とは、そういう国なのである。

それでも、私、日本が好きで、毎年帰っている。昨年は帰れなかったから、もう2年くらい日本を見ていない。今年中に帰れるのであろうか。

因みに。

「性向」が、英国勢調査の質問事項になったのは、これが初めてなのだそうである。

こういう質問があるということの根拠というのがある。

性的少数派の実態(比率とか)を把握することによって、公の場所(学校とか医療機関とか)で、それらの人が、不当な扱いを受けることにならないようにするため。

なあるほど。立派だと思う。


歳を重ねて

2021-10-17 08:06:09 | 日記

76歳。

このような歳になると、色々思うところがある。

70歳になる前の、比較的若い時にも勿論「思った」が、それは、今、思っていることとは、およそ「趣」の違うものであった。

私、これまで、いろんな「節目」を経てきた。手っ取り早いところ、10年毎の誕生日がそうである。

10歳の時、20歳の時、30歳の時、40歳の時、50歳の時、60歳の時、70歳の時。

誕生日という節目だけでこれだけあるが、最後の「70歳の、」を除き、他の6つの「誕生日という節目」には、別段、何も感じなかった。「ああ、そうなの?」

それが、70歳になって何か感じた。何かが、チクリと来た。

「ああ、自分も、こんな歳になったのか、」

その”チクリ”の起因するところは、わかっていた。

60代の自分に比し、顕著な肉体的変調は感じられないが、何しろ、世間が、そおっとしておいてくれない。

「あの〜、望さん。ご存知だとは思いますが、アナタ、もう70歳ですよ。どうぞ、お忘れなく。」

その意味するところは分かっていた。70歳というのは、世間的に言って、立派な「お年寄り」だということである。

それから6年が経った。実に早い。

70代”駆け出し”のころは、「まだまだ、ダイジョウブ」、身体的に別段、困ったところはないし、。

しかし、それが75歳に向かって邁進するにつれて、主に頭脳の働きの衰えが気になり始めた。

私の頭脳、もともとそんなに優秀なものではないが、記憶力の著しい低下が見られるようになったのがその一例である。

今さっき思っていたことが思い出せない。”あれ”は、確かこの引き出しの中にしまっておいたはずなのに、またそれが分っているにもかかわらず、別の引き出しを開けてしまう、。

こんなことは茶飯事である。75歳より上の人のことを「後期高齢者」と呼ぶのは、残念ながら、中っている。

このままの調子で、更に老いていくというのは、考えるだけでも恐ろしいが、人間は、皆なそんな道をたどるのであろうから、仕方がない。

さて、ここで、方向転換を試みてみよう。

それは、このように「歳をとる」ということには、悪い側面しかないのかというと、そんなことはないということである。

いいところがある。しかし、それは、自分が実際に歳をとってみないことにはわからない。

ものごとの「本当のところ」が見えてくるというのが、それである。

若い時には、「なんてつまらない人だろう」と思っていた人が、本当は立派な人であったとわかるとか。または、その逆の場合とか。

私の父は、57歳で夭逝。私、7歳の時である。京都の中央市場で、塩乾魚の仲買人をしていた。急遽後継がいるというわけで、2番目の姉に白羽の矢が立った。姉その時23歳。兄がいたが、全く商売には不向きな人。また私は、まだ小さすぎたし。

勿論、姉一人では、何もできない。そこで、亀岡の田舎の遠い親戚から、婿養子を貰う事にした。
この人、大きな農家の3男坊。非常にいい人間であったが、金勘定もできないような人で、忙しい商売には、まるで不向き。

そんな人と結婚した姉は、従って、大いに不満。結局、商売のきりもりは自分で全てやらなければならない羽目に陷ってしまった。夫婦仲も良いとは言えなかった、幸い3人の子供に恵まれたが、子供たちともそんなに親しくはなかったのではなかろうか。

この御養子さん、そんなこんなで、私を手懐けようようとしておられたが、私、如何せん、彼とは全く肌が合わず(韓国人をあからさまに「チョーセン」と呼ぶような人で)、いま、思えば、非常に悪いことをしたものである。私が、もう少し「大人」であったらなあ、と思われてならない。

私、それどころか、彼を口汚く罵ったりもした。
まあ、その時は、私自身にも問題があり、他の人のことまで気配りができなかったというのがその言い訳である。

私、この義兄は、非常に立派な人であったと思う。婿養子に来られた家の中で完全に孤立。非常に寂しかったことであろうが、だからと言って、口煩い田舎に帰るわけにもいかないし、。

我慢に我慢を重ねて、最後まで、我が家にいてくださった。第一、この人がおられなければ、我が家は潰れていたに違いないのである。

しかし、最後は、安くてきつい煙草(彼の唯一の恋人「いこい」)を吸い続けて、亡くなっていかれた。生きていても面白くないし、妻に先立たれるなんて、もってのほか。

私、この義兄には本当に悪いことをした。ごめんね、兄さん。あれで、兄さんが、お酒でも飲まれれば、もう少し仲良くなれたと思うんですが、。

これなど、「歳を取る」ことの効用である。若い時には、とてもこんな風には思えなかった。

70歳を越え、人間歳を重ねてくると、自分もいつかは死ぬということが、実感として、如実にわかる (若い時には、それは単に「観念」である)。

そこを基点として物事を見ると、いろんなことが、本当の意味で見えてくるものである。

「欲望」という名の夾雑物が、若い時に比べて希薄になってきて、何が本当に重要で、何が重要でないのかの仕分けができる、ということであろうか。