日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

日本のプロ野球、昨今

2021-10-15 03:47:35 | 日記

インターネットで、日本のプロ野球の戦績を追っています。

もう大詰めに入りましたが、ヤクルトとオリックスが強いですね。

因みに、私はパリーグファンで、特にオリックス。昔、阪急ブレーブスという、地味だけれど、いい球団がありましたね。オリックスは、その流れを汲んでいます。

いつもいつも、読売とソフトバンクでは、つまらないですから、このヤクルト(または阪神)とオリックスに、最後まで行ってほしいです。

勝敗表をみていて、あることに気がつきました。両リーグとも「引き分け」が異常に多いんです。

どうして、そういうことになるのかなあと思って、調べてみますと、昨今のコロナ禍の所為なんですって。
ですから今期に限りということです。

9回を終り、同点の場合は、延長戦に入らない。

政府の通達で、飲食店やなんかは、夜8時までということになっているのに、10時を過ぎても、「気楽そうに」野球なんぞをやっているとは何事か!、ということなんでしょうかね。

こういう時、笑ってはいけないんでしょうが、思わず、笑ってしまいました、私。

無難でかわいいけれど、なんだか、「ままごと」みたい。
延長戦には、延長戦独特の、ゾクゾクする緊迫感がありますからね。

じゃ、本場のアメリカ大リーグはどうなのと思って、みてみましたところ、それが、ないんです、そういうの。

米大リーグは、伝統的に、「引き分け」というのを認めていません。決着がつくまで、とことんやる。これは立派だと思います。

そういう意味で有名な試合がいくつかありますね。例えば、1984年5月8日の, アメリカンリーグ、ミルウオーキー(Brewers) vs  シカゴ(White Sox)。

この試合は、8日に、延長17回を終ったところで、3:3のまま決着がつかず、一旦停止。翌日9日に持ち越されました。その日は、すでに、同じカードの試合が予定されていましたから、要するにダブルヘッダーです。

第一試合、6:6で迎えた25回裏、White Soxが、7:6で、記念すべき接戦を制しました。Walk-off game。日本でいう、サヨナラゲームですね。

しかし、ここで、また特筆すべきことがあります。

この第一試合の最後の方にリリーフでちょっと出たWhite SoxのTom Seaver投手(その数年前、NY Mets奇跡の優勝の立役者)が勝利投手になりました。

それはいいんですが、この人、後続のダブルヘッダー第二試合の先発に予定されていたんです。

そして、予定通り登板して、何と完投勝利投手。

ですから、このTomさん、1日に2勝したことになります。

このようにして、みてみますと、アメリカのプロスポーツ選手って、何とタフなんだろうなって、今更ながら、感心してしまいます。

メジャーリーグ野球の場合、あの過酷な日程を、国土の広大なアメリカでこなすだけでも大変なのに、「引き分け」などというものはないんですからね。


英国のスポーツ

2021-10-14 07:14:46 | 日記

いつも、日本の春、ゴールデンウイークの時期には、TVで、スヌーカーの「世界選手権」を観る。

スヌーカーというのは、日本人には馴染みが薄いと思う。しかし、英国では、非常に人気のある、室内競技である

玉突きの一種で、テーブルの上には、最初、赤15個、それから、黄、緑、褐色、青、ピンク、黒の玉が1個ずつあり、それらを白のキュー玉で突いて、6つあるポケットの何れかに入れるというもの。玉を入れ損ねたら、または、反則したら、選手交代。

ただし、順序があり、まず赤、そして他の色の玉を入れる。ポケットに入れると、赤は返って来ないが、他の色の玉は赤がテーブルに残っている限り、ポケットから定位置に返ってくる。得点は、赤1、黄2、緑3、褐色4、青5、ピンク6、そして黒7。だから選手は、できるだけ価値の高い玉を狙う。スヌーカーの最高得点は147。赤1+黒7を15回。そして、残りの色を順序通り、全てポケットの入れる。公式戦で、たまにそういう場面にお目にかかれる。

非常に高度な駆け引きがあり、プロのプレーヤーの技術たるや、まさに瞠目もの。

スヌーカーのいいところは、プレーヤーが全て、紳士的であること。レフリーの判断は公正で、主観の入りようがない。

またレフリーが見落とした、選手の反則は、その選手自身が「反則しました」と認める。いくら勝負のかかった大事な場面においてもである。これは実に気持ちがいい。

そして、相手のプレーヤーが、非常に素晴らしいプレーをした時は、テーブルの縁を叩いて、褒め讃える。これも実に美しい。

この大会、世界選手権と銘打っているが、実際のところは、英国人がほとんど。後は精々、アイルランドかオーストラリア。しかし、この頃は、中国の台頭が目覚ましく、今年の選手権にも4人名前を連ねている。いずれ、この世界選手権を中国人が取るに違いない。また、タイ人にも、いいのがいる。

私贔屓のプレイヤーがいる。ロニーオサリヴァン(Ronnie O'Sullivan)。45歳。稀に見る天才肌のプレイヤーで、小さい時から、よく知られていた。彼がプレイしているところ見ると、実に美しく、また速いので、気持ちがいい。惚れ惚れする。ただ、精神面に問題があり、逆境に弱い、特にリードされている時。この世界選手権を6回取っているが、歴代一位ではない。この弱点さえなければ、10回くらい優勝していてもおかしくはない。

そして、今年も、もう負けてしまった。2回戦で、13:12。最後のフレームで負けた。彼にはもう一度勝って、歴代一位になってほしい。

このスヌーカーをTVで観るにつけ、思うことは、英国人がよく観るスポーツの数が実に多いこと。多岐にわたって広範なこと。

フットボール、ラグビー、ホッケー、スヌーカー、テニス、卓球、陸上競技、水泳、体操、クリケット、ボウルズ、ダーツ、ゴルフ、ボート、ヨット、カヌー、自転車、自動車、バイク、競馬、馬場馬術、フィギュアースケート、、。

ざっと、挙げただけでもこれだけある。私、この大抵のものに興味があるが、クリケットと、モーターレイス(自動車)、ヨット、馬場馬術などというのは観ない。特にクリケット。どこが面白いのかわからない。

私、国民の関心が、これほど多岐にわたっているというのは、実にいいことだと思う。英国人は、従って、あまり「キーッ」とならない(唯一の例外は、フットボール?)。

国民のほとんどが、例えば、野球ばかりに熱中しているとすると、困るのではないであろうか。もっと言えば、危険なのでは、。

まあ、英国では、スポーツを大いに奨励するからのことであろう。大学に入る前の学校では、生徒、何らかのスポーツをやらされる。

この国では、従って、体育の先生になりたいという人が多い。


私は我流

2021-10-13 06:30:53 | 日記

私、永らく英国住い。

日本には30歳までいましたが、団体生活が苦手で、学校でのクラブ活動って、一週間と続いた試しがありません。

それでいて、結構人懐っこいんですよ。人嫌いというわけではないのです。

高校の体育の授業の時、こういうことがありました。
男子生徒横一列に並ばされて、一人づつ、1、2、3、、、と号令をかけさせられたのです。

そこで、自分の番が来た時、あまりにおかしくて。プッと吹き出してしまうんですから、。「6!」 、ウッ、ププッ、、。

まあ、こんな男は、日本には住めませんね。

ですから、日本での就職というのは、したことなし。何か、日本の会社というのが、軍隊のように思えてならなかったのです。

まあ、その時、日本には住めない人間だと思っていたのでしょうね。子供の頃から、すでに、外国に住みたいとは思っていました(そういうことと、私、子供の頃から、英語というものが無類に好きだったということとは、強ち無関係ではないでしょうね)。

また、日本という国の「あり方」というものが理解できず、何がどうなっているのか、よくわからない。そういうこともありました。これは、今も同じことです。

(ただ、そうは言いながら、その後、いろんなことが徐々にわかって来て、今だったら、結構日本にでも、住めるかもしれないとは思うようにはなりました。
勿論、その場合、言いたいことがあっても、とても言えないでしょうが)

それで、英国に来たというわけです。個人主義の英国にね。

英国では、色々嫌なことにも遭遇しましたが、幸い、良い人々との出会いがあり、76歳の今、何不自由なく暮しています。しかも健康で。

尤も、一人で住んでいますので、不安はあります。

でも、おかげさまで、今の所、寂しいということはありません。

しかし、日本の風土も、日本人も好きですので、毎年一度、帰っているのです。昨年、今年は無理でしたが、来年、帰れるでしょうか。

私は、何をやるにしても「我流」です。

日本人が、普通にされることを、他の皆さんがしておられるから、自分もしなくては、などと思わないのです。

あえて、意識的にそうしているのではなくて、自然にそんな風になるのです。

したがって、流行などには無関心。

麻雀もパチンコもボーリングも、カラオケもしたことがありません。

また、英語学校というものに行ったことがありません、私。

昔、絵描きでしたが、事情はそこでも同じ。

独学の、我流です。


英国、春の椿事

2021-10-11 07:12:55 | ちょっとした出来事

英国のグリニッヂに住んでいる。2000年10月からだから、ちょうど21年。

有名なグリニッヂ天文台があり、また、ここには子午線0が通っている。従って、世界の時間はここを基準にしている。ここでの時間を「グリ二ッヂ標準時(GMT)」という。

また、このグリニッヂは、かつて海軍士官学校があったところであるから、当然海に面していなくてはならない。といっても、グリ二ッヂの場合は、その士官学校、テムズ川の河口にあった。

海からさほど遠くないから、潮の干満があり、水深も深い。従って、大型遊覧船が、ここに停泊することもしばしば。日本の「飛鳥」を見かけたことがある。

私は、その目と鼻の先に住んでいる。そのような豪華客船が投錨しているのを見ると、何だか、こちらまで金持ちになったような気になるから、面白い。ことに夜。

そのテムズ川で、この春、ちょっとした「椿事」が起った。

一頭の鯨が、なんと、このテムズ川に紛れ込んでしまったのである。どうして、そういうことになったのかはわからない。鯨といっても、まだ幼児で、全長3Mほど。ミンク鯨という。

ただ、上流に向って進むものだから、当然、水深は徐々に浅くなり、結局、どこかで行き止まってしまう。

そういうことが、リッチモンドというところで起った。勿論、グリニッヂも通過したはずであるが、誰も気づかなかった。

そのリッチモンドでは、このことを耳にした人々が詰めかけ、椿事を見守った。動物愛護団体が懸命の努力を重ね、なんとかして、この鯨君を海にまで押し戻そうとする。しかし、いっかな事は捗らない。

”この程度の小さな鯨なら、大きな水槽のある、大型の船に入れ、それで、海の沖まで連れて行き、そこで、放したらどうなの?”
素人考えで、こう思ったが、そういうことができない何らかの理由があるのであろう。

鯨君は、その間も必死にもがいている。川とあって、食べるものなどほとんどない。体力は弱るばかり。観衆は、心配そうに見守っているが、どうすることもできない。

それやこれやで、この鯨君を助けるすべはないと判断した関係者、結局、この子を、成仏させてあげるのが、”人道的に最善”との結論に達した。

その後、遺体をどう処分したかについては、何の知らせもない。食べた? まさか、それはないであろう。

20年ほど前にも、同じことが起こったが、その時の顛末は記憶にない。

鯨肉といえば、思い出すことがある。

私、1976年に日本を離れ、それから13年、一度も日本に帰らなかった。

その13年ぶりに一時帰国した時のことである。1989年の秋。

あまりに久しぶりだからとのことで、何だか横井庄一さん扱い。皆様には、殊の外よくしていただいた。

そんなある日の夜、ちょっとした知り合いのお方が、私を京都のどこかのおでん屋に連れてくださった。

どうやら、その方お酒を召し上がる様で、私としても嬉しかった。

「何にする?」ー「はあ、別に、、」
 
「コロ食べる?」ー「ハイ、いただきます!」

コロというのは、ご存知の通り、鯨肉の脂肪の部分をカンカラカンに干したもので、食する時は、それをもどす。

私子供のときは、非常に安く、なんでも、肥料にしたこともあると聞いた。

そのことが頭にあったものだから、「ハイ、、、」といった時は、「”そんな安いもの”で結構です」という「最大の遠慮」の積りだったのである。

それが、私13年間、日本を留守にしている間に、とんでもない高級品になってしまっていた、 と言う。

「そんなん、知りませんでした。永らく日本を留守にしてんねんから、状況というものを、ちゃんと説明しておいて頂きたかったわあ、ボク」

当然のこと、そのお方からは、それ以降、お声がかからなくなってしまった。


日本は、そういう国なんですわ

2021-10-10 08:29:47 | 日記

私、日本を出るまでは、ずーっと京都に住んでいました。

その京都にいた時、ちょっととんでもないことが起りました。それも2度。

存じあげていた妙齢の女性がお二人、自らの命を絶たれたのです。

そのお一人は、近所の人だったのでよく覚えています。あだ名が「ホガちゃん」。

彼女は、心無い他の子供達からこう呼ばれるたびに、身を裂かれる思いだったのでしょうね。

お二人とも、自死されたのは、唇裂が原因です。その頃は、兎唇と言いました。三つ口とも。

それを英国人に言いますと、その方、唖然として、こう仰いました。

「まあ、そんなことで、、、?」

同じ症状をお持ちの大阪の女性は、英国人男性を見つけ結婚、ロンドンで幸せに暮らしておられます。

英国では、ある有名な男優がこの唇裂を持っておられます。非常に演技が達者ですので、この程度のことが、問題になることはありません。

もっと極端な身体的障害をお持ちの人が、何人か、堂々とTVに出てこられるほどですからね、この国では。

そういうお方、即座にお二人、私の頭に浮かびます。TVで、ドラマとかクイズ番組によく出てこられます。男性と女性。

そのお二人、風貌をご覧になると、皆さんびっくりされると思いますが、頭脳は極めて明晰です。男性のお方は、アダムピアソンさんと仰り、子供の時に頭蓋骨が異様な変容を遂げてしまい、これまでに整形手術30回くらい受けられたそうです。大学でビジネスに関することを学ばれ、学位を取得されました。将来、いい女性と結婚して、子供を授かりたいとおっしゃっています。

彼の言です。

「自分のような者が、社会に出ず、隠れて”こそこそと”生活していると、世の中の”障害者に関する問題”は、いつまで経っても解決しない。従って、あえて自分の顔を世の中に晒す」。

非常に立派なお言葉です。

また、TV局も、こういう人を、意図的にドラマなんかに起用しているんだと思います。そのことで、一般の人たちを啓蒙しようというわけです。「世の中には、こういう人もおられるんですよ、」

ただ、日本で、こんなことが起りうるでしょうか。まあ、乙武洋匡さんみたいなお人もおられますが、どちらかというと、例外ですね。

そして、そういう障害を持たれる人を、公衆の面前に引き出すと、「プライバシーの侵害」だとか何とかのお叱りを受けるかもしれません。私、そうは思いませんが。

日本では、この私でも異常者の一員に数えられているんですよ。まあ、私の家族にとっては、そうです。「変わり者」なんですって。 変り者ですか、私?

日本のTVドラマなんかを観ていますと、出演者は、大抵顔立ちのいい美男美女ばかり。だから、もう一つ「現実味」がないんですよね。

日本人の好きな相撲。まあ、私たち日本人は、子供の時から、大相撲を観つけていますから、何とも思いませんが、あれを初めて目にされる外国人は、何とも異様に感じられるでしょうね。

殆んど裸の、太った男が二人、土を固めたたリングの上でとっつき合う。それも異様な髪型で。それに行司と呼ばれるレフリーがいて、派手だけれど趣味のいい豪華な装束のおじさん。手には、塗りの団扇みたいなものを持っている、、。しかし、こんな光景は、観なれてしまうと、何とも思わないものです。

ですから、人間の場合も同じことで、子供の時から、いろんなタイプの人を目にしていると、そういうのが当たり前になってくる。私はそう思います。隠すからいけない、。「隠す」というのは、それこそ「差別」ではありませんか。

でもねえ、皆様。一寸お聴きくださいな。

そういう西洋流の考え方を日本に持ってきても、なかなかうまくいきません。
理屈はわかるんですが、日本には「日本流のやり方」というものがあるからです。

この様な結論に達するのが、常です。

それに、私、こう云うちょっと尋常とはかけ離れた症状を持つ人たちが、日本で忌み嫌われるのには、他にも理由があるのではと思っています。

神道がそれです。

日本人の美意識の象徴みたいなもので、そこで言われることは、潔くあれ、素であれ、直であれ(素直)、、、。

そういうところに、こう云う常道から外れたものは中々受け入れられません。

何しろ、神道と密接な関係にある大相撲では、女性が土俵に上ることすらできないのですからね。

まあ、日本は「そういう国」なんですわ。