「灯台下暗しー」 『大正デモクラシー』
オヤジギャグでもないですが、ちょっと思い付いたのでアップしてみました。
さて本日の思いつぶやきはと申しますと、今まで何で調べなかったんだろう?というネタです。
私は今までの人生で大きな転換点というモノがいくつもありました。 代表的なモノはと申しますと、平井和正氏の小説、エドガー・ケイシー、大森英桜先生With正食医学&姓名学、渡米with占星学、ひふみ神示、そして今回の震災等が大きな転換点になっているような気がします。
ところで、現在時折、本文中でピックアップしている 「ひふみ神示」 ですが、フト気になってその画数を調べてみたのです。 そう、これだけ今の私に強く影響を与えているのに、何で今まで一回もその画数を調べることをしなかったんだろう?と不思議でなりません。
で、その画数を調べてみたら思わず息を飲みました。
「ひふみ神示」=「ひふみ(九画」 + 「神示(十五画)」=二十四画
ということで、私の名前と恐ろしく一致していたのです。 どう云う事かと申しますと、私の主格は五大凶数でも1,2を争うぐらい悪い大凶数の9画で、外画が、今度は逆に姓名数の中でも1、2を争うぐらいの大吉数である15画、そして総格が音楽方面に向く金運的大吉数の24画、とひふみ神示とピタリと一致しすぎるぐらい一致していたのです!
よくよく考えたら、いままで何で調べなかったのか不思議でなりません。 もしかしたら、ここまで来るまで慢心が出ないように意識にベールが張られていたのかも知れません。
そうなんですよねー、私の本名も二回の改名にも関わらず元に戻させられた経緯があります。 それを警告してくれたのが、今回の震災でもお世話になった沖縄の神人さんであります。
そういえば、沖縄の昔の名前 「琉球」 も音楽・智謀方面に向く大吉数の24画なんですよね。 沖縄になって 「プライドが高く、頑固で、訴訟沙汰が付き纏う」 27画になってしまったのですよね。 私もたった2ヶ月ぐらいでしたが、沖縄に住所を移し、沖縄県民になったので、今の沖縄問題を眺めていてつくづくこの事を実感します。
あと、もうこちらもあまりにも当たり前だったので調べもしなかったのがマクロバイオティクスにある、“左・右” という考え方です。
「左と右」
その画数は筆勢どおり 「左(5画)」 ・ 「右(五画)」 です。 で、それらを足し合わせると・・・
左(5画)+右(5画)=10画
というコトで、物事というモノを、“中庸(15画)” という概念を中心に ”左・右” という概念で分けたものを足し合わせると、再び “十(ゼロ・㋹(神))” に戻ります。 ”10” という数はカバラ数秘学の基数圧縮で 「10=1+0=1」 に帰結するからです。
そして漢数字の “十” は、ひふみ神示によりますと、横の棒(―)は隣人も含めた動植物とのつながりを意味し、縦の棒(|)は、人間と宇宙(神)の合一したモノを現し、キリスト教の十字架(✝)も同様のニュアンスがあるようです。
余談ですが、ケイシー・リーディングによりますと、十字架(✝)には理想(Ideal)を神に十字架付する、つまり自分の掲げた高い理想を決してブレることなく天に張り付けするという意味もあるようです。
さて今後、日本は様々な分野・方面で崩壊して行くでしょう。 その事は姓名学からも読み取れます。
「日本」 という国の画数は物欲的大凶数の9画。 そして、現在日本を崩壊させにかかっている ”民主党” は崩壊数の10画。 しかし、0(ゼロ)は新たな一(いち)を産み出す母親でもあります。
総ては変わる。
この世に滅びないものは何ひとつない。
そのことを真に識るのが善。
曾て世界の物質文明でトップに立った事もある “日本” のかつての栄光を握りしめていても苦しむだけ。 今後の世界の ”個” の生き方は “理想をブレさせず、変化するに任せる” のが正しい生き方ではないだろうか?というのが私の今までの様々な方面の哲学書を読んでの見解です。
私もまだまだ変化に適応するのに苦しんでいますが、産みの苦しみなくして新たなる生命(姓名)は産まれてきません。
さて、皆さんはどうされますか?
この建国記念日も含めた終末・・・じゃなくって週末。
一回ぐらいじっくりと考えてみるのも一興かも知れません。
本日はコレにて失礼します。
よき週末を!&オヤスミなさいZz…