人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

数秘学について(174)

2012-02-15 21:00:35 | 占星学・数秘学

 さて、本題に入りたいと思います。

 今までの人生に於いて西洋暦に基づく一週間(日→月→火→水→木→金→土)の配列の意味とか、時タマ思い浮かんだことはあっても、そこまで深く考えた事はありませんでした。 まー頭のいい誰かが考えたんだろう、ぐらいにしか考えていませんでした。

 前回も書きましたが、私がこの問題を考えされられたキッカケとゆーのは、私のアメリカの占星学の先生が、私が日本に帰る直前に購入するようにアドバイスしてくれた 『The Perfect Horoscope』 の中の奇妙な図に強く興味を惹かれたからです。

  

 『何なんだこの図は? まったく意味が解らん』

 とゆーのがいちばん最初の感想でした。 この時は、警備員の派遣やりながら、通勤時間の平均往復2時間ぐらいの電車の中や、休憩時間、桜木町のスタバ等で、占星学の他にも姓名学、ケイシー・リーディングそのもの、正食医学、カメラ等の研究があったので、これ一つに集中して考えていたワケではありませんでした。 気になったら考え、やっぱり解らずまたしばらく放ったらかし、の状態を約一年以上繰り返し続けていました。 

 それでもやはりずっと気になっていたのは、300ページ近い英文だけの本に、上記の図も含めてたった3つぐらいしか図がなかったからです。 その中でどうしても載せなくてはならなかったぐらい重要なイラストなんだろう、それだけは何となく感じていました。

 そして、”素読百篇意自ずから通ず” の格言どおりかどうかは分かりませんが、ある日のある時、脳に電撃が走り抜けるように “直感” と思えるモノが降りて来たのです。

 「あ! そうだ! コレは○○○の×××について述べられているんだ。 だから一番下の六芒星(ダビデの星)のSundayとMondayのとこに二つの天体が配列されているんだ!」

 と、突然ヒラめいたのです。

 

 さて、いつも申していることですが、以下に述べる見解は、英語の問題も含めて私ひとりで考え抜いたモノですので、必ずしも正しいワケではありません。 そのおつもりでお読み下さい。 何かの参考程度にとどめて於いて下さい。

 この問題でいちばん引っ掛かっていたのが、六芒星のいちばん下の位置に、太陽系でも地球に最も深く関係する主要な二つの天体が配置されていたことです。 これらの重要な天体を一週間の7日間というサイクルに、強引に六芒星を充てているようで不自然さを感じてたのです。

 もしかしてこの占星学の問題も含めた一週間の配列を、神秘的に魅せたいがために、ユダヤの秘法であるカバラに絡めたいんだろうか? そのために中央に六芒星を配置したのだろうか? と最初の頃は考えたりもしました。

 しかし、この本を辞書引きだらけにしながら、それでもほとんど意味が解らず、推測も絡め、試行錯誤しながら読んでいくうちに、作者である John Willner 氏が論理的、知性的な方だと分かるようになり、そんな人物がそんなテキトーな事をするはずがない、そこには何か深い意味があるはず・・・、と考えるようになりました。

 そして、考えては棚上げ、考えては棚上げ、の日々が繰り返されました。 他にも色々とやっていたので、これひとつに傾注してる時間もありませんでした。 生活費を稼ぐための仕事の問題もありましたし、この時期は友人・知人等との人間関係の問題もありました。  今振り返って、その中でよくこんな問題を考え続けたモンだなーと実感します。

 と、もうチョイ書くつもりでしたが、これからディープな領域の占星学の研究がありますので、本日はコレにて失礼します。

 続く・・・

 Good Night☆彡

 


黒いおベンツ様②

2012-02-14 19:45:18 | ひふみ神示系

 であ、もうひとつ、警備員時代の黒いベンツねたをアップしてみたいと思います。

 そう、それは世田谷の等々力に建設中のとあるマンション建設現場での出来事でした。 私は東急線沿いに住んでいたので、東京の中心部に出るときには大体東横線を経由して行くことが多かったですね。 その現場は等々力7丁目付近でしたので自由が丘まで東横線で出てそっから大井町線に乗り換えて等々力まで行っていました。

 行きは等々力まで行っていましたが、帰りは自由が丘まで歩いて行っていました。 当時はホントよく歩きました。 「東京の歩き方」 とゆー本でも書こうかなーと思ったぐらいです。

 まーそれはともかく、そのマンションは区の条例か判りませんが、上3階、地下駐車場の低層マンションで、確か5000万~7000万円クラスの分譲マンションだったと思います。

 しかし、話はこちらではありません。

 その警備しているマンションの前の十字路に一戸建てがあったのです。 一般の建設現場の警備の場合、近隣住人との協定からだいたい8時ぐらいから工事開始OKでしたから、7時半ぐらいには現場に到着して上番していました。 

 で、いつもその十字路の角っこの高級そうな一戸建ての前で警備していると、当然その家の奥さんやご主人とよく顔を合わせますから、丁寧に挨拶していました。

 マンションを始めとする工事建設現場で何よりも怖いのは ”住人のクレーム” です。 下手な対応をして住人を怒らせて工期中止・延期とかなって納期が遅れてしまったら、トンデモないことになります。 ですから何より怖いのが先住人のクレームなのです。 警備員に求められる重要な要素は、何より住人さんとのコミニュケーションなのです。

 で、その家のご主人や奥さんともよく挨拶を交わして、お子さんさんにも挨拶していたのですが、1週間ぐらい連チャンで行っているとある程度その家の家庭の様子が見えてくるものです。

 よく朝とかご主人が外で寝巻きのままタバコを吸って、奥さんが外に出ていくのですが、ほとんど目も合わせず挨拶もしない、「行ってらっしゃい♥」 もほとんど言わない感じなのです。 夫婦ゲンカしているのかなーと思って見ていると、どうも長期間にわたる冷め切った夫婦関係が感じられました。

 んである時、その現場を1年ぐらい見ている先輩が私のところに来た時に、その家の様子を見て私に、 

 『あー俺もこの現場一年近くになるけど、ここの夫婦完全に冷め切っているなー。 ほとんど会話も交わさないし、ロクに目もあわさんよな。 この辺(世田谷)の一戸建てだから恐らくカルく億はするし、ご主人の車は黒のベンツだし、奥さんのはSAAB。 たぶんご主人は会社の社長かなんかだと思うけど、子供たちもまだ小さいし、この冷め切った状況をどうするんだろうねー』

 と言っとりました。

 まーだからと言って、金が無い方が幸せかと言いますとそれもまた極論。 やっぱり現実お金は要ります。 私が沖縄から帰って来ざるを得なかったのもお金が底を尽きたからです。

 現在、世界経済を騒がせている一番の原因も “お金(Money)”。 戦争だって結局、大部分がお金が原因です。  

 私のようなビンボー人が言っても負け犬の遠吠え、あまり説得力もありませんが、今一度お金というものについて考えてみられて如何でしょうか?

【Anti-Rothschild Alliance】:http://www.anti-rothschild.net/main/01.html

 

 そうそう最後に、私の知人の神人さんが “お金” というモノについてこう仰っていました。

 『現在ある ”お金” とは確かに紙切れでもあるし、数字の羅列に過ぎないよ。 でもね、それでもそこには人間の思考としての力・エネルギーが存在しているのもまた事実。 それをどう昇華していくかが問題なんだ。』 

 と。 

 今後果たしてどう展開してゆくのか? 興味深く俯瞰しつつ、後の人生の教訓にしたいと思っています。

 あー人生諸行無常ナリー

 おやすみなさいZz…

 


黒いおベンツ様①

2012-02-13 19:55:10 | 日記

 以前、東京で警備員やっていたときのネタです。

 私がいた警備会社は、メールで夕方近くになって翌日の現場の指令が入って来ていたのですが、場合によっては入って来ない日もありました。 ですから、毎月家計は崖っぷちでした。 まーある程度貯まったら海外放浪に旅発ちたくなってしまう病気も悪かったのですが、まーホント、毎月家賃(25日まで振込)を入れるたびにホッとしていました。 

 ある時など、家賃を入れたは良かったものの電気料(月平均3000円前後)を入れるのに、東京の3大手銀行(東京三菱UFJ、三井住友、みずほ)の通帳5冊を引っ張り出して残高を調べてもナント ”500円” もなく、仕方なく金利がバカ高いクレジットのキャッシングで凌いだこともありました。

 中身は無くとも口座だけは、バイトや派遣の関係で大手3行のを作らされた事があったので5冊もありました。 あとは家賃の振込のために横浜銀行がありました。 

 横浜の生活にはまったく不満は無かったのですが、あともうチョイお金に余裕があったらなーと思い返しています。 とあるツアーで知り合った、とある会社の女性取締役の方から、 『オガッチって素直だから神さまには愛されていそうだけど、残念ながらお金の神様には愛されていないみたいね』 と皮肉なお褒めかどうか分からないお言葉を頂きました。

 まーそれはともかく本題に入りたいと思います。

 横浜での生活は確かにビンボーでしたが働く場所は時折、超高級住宅街に行く事がありました。 典型的なのが南麻布の大使館街や自由が丘とかでした。

 でもひとつ傑作だったのが、私が大学を卒業して一番最初に就職した会社の工事現場に派遣に行った時でしたね。 その時、電車の踏切近くの住宅街の水道管の工事の警備をやったのですが、その時の話です。

 現場の監督さんから 「この辺の人はお金持ちが多いから対応にはくれぐれも注意して下さい。」 と念入りに頼まれて、皆バラけて行ったのですが、私はその時、かなり高級そうな家の前の警備をやっていました。 そして、しばらくして黒のベンツがやって来たので誘導したのですが、どうやらその家の住人らしく、家の前で一回止まりました。

 で、車(ベンツ様)の窓からバックで車庫に入る仕草をされたので顔を見ると・・・・・・

 ロングヘアーのウェーブかかった ✩超美人のセレブ様☆彡 が、会釈してこちらへ入りたいと黒の革手袋で指をさしていらっしゃるのです!

 いやーあまりの美貌に思わず見とれてしまいました。

 その後、あまり運転は慣れていらっしゃらないのか10回ぐらい切り返してやっと車庫に車をお入れになられました。 その間じゅうずっと見とれておりました。 いやーさすが自由が丘のセレブ! と唸らされました。 他の警備員も 「いやーさすが東京を代表する高級住宅街、自由が丘のセレブは美人だねー」 とうなっておりました。 

 黒のベンツに関してはもういくつかネタがありますので、後日アップしたいと思います。

 失礼します。

 本日の写真は霧島神宮のモノです。

 

 


数秘学について(173)

2012-02-12 16:52:11 | 占星学・数秘学

 では、なぜ一週間は7日間で 

“日(Sunday)・月(Monday)・火(Thrusday)・水(Wednesday)・木)Tuesday)・金(Friday)・土(Saturday)” 

 の配列なのか?について個人的見解をアップしてみたいと思います。 いつものマニアックな視点からの独断と偏見に満ちた見解ですので、そのおつもりでお読み下さい。 英文解釈の問題も含めて正しいワケではありません。

 私もこの問題(一週間の配列)は、今まで疑問に思いつつも特に深く考えてみる事をしたことはありませんでした。 考えたからといってお金や資格になるワケでもありませんし、実生活に特に不自由があるワケでもなかったからです。

 しかし、ナゼこの問題(一週間の配列)を考えてみようとしたかと言いますと、それは私が現在占星学の研究に使っている 『The Perfect Horoscope』 の中にこの図があったからです。↓

 

 この不可思議な図、とあるいちページにあったのですが、不可思議な図というのもあったのですが、この全部英文で300ページに及ぶ本文の中にこの手の図はほんの3つぐらいしかないのです。 あとは私にとっては頭の痛い英文だらけです。 今でも内容の2割も理解していないと思います。 

 いくらやっても前に進まない、まるで川の逆流を上っているような感覚に、自分の英語力の無さに腹が立ちもしますが、しかし、今までの人生経験から出来ない自分に腹を立てても前には進まない。 ”今” を土台として理想に向かう、のが “今” 手にあるモノを最大限に使うのが人生の正しい進み方と肚で教えられましたから、身罷るその瞬間までやり続けるのみ。 出来ないことを人と較べても意味ナシ。

 コレも理想に向けて貫き通すための一つの課題と思えばなんてことはない。 出来ないことをバネにして精神的な高みを目指す修行と考えれば全く問題なし。 それよりもいちばんコワイ病は傲慢だからです。 私はもともとスグに慢心し易い性格ですから、コレで良いのです。 最近は、人生の総てが絶妙にセットされているとすら思えます。

 英語が出来る人からしたら、よくバカにもされますよ。 2年もアメリカに行って、努力してもこの程度?と言われることもあります。 しかし、これすらも怒りのエサにして更に高みを目指しています。 私は昔っから、褒められるよりも、コケにされたり、バカにされた方が怒りのパワーが出るのです。 火星の副腎が萌え上がる・・・、じゃなくって燃え上がるのを感じます。

 「お前らみとけよ! いずれウサギと亀のレースの故事を身をもって教えてやるぜ!」

 と。 (注:ですけど、努力するウサギさんには勝てませんが)

 まーそれはともかく、本題に戻したいと思います。

 私がこの図に強く惹かれたのは、300ページ中たった3つぐらいしかない図だったというのもあるのですが、この配列の不可思議さでした。 

 まん中にダビデの星があり、その周りに原始7惑星が配置され、その周りに円があり、さらにその天体の位置に符合する一週間の曜日が配列されているのです。

 何なんだ? この図は? ダビデの星の頂点は6つなのに、星は7つ。 ミスプリなの?

 と考えました。

 しかし、一年以上は英語の問題も含めさっぱり解りませんでした。 

 つづく…

注):下の写真は2002年にエジプトとイスラエルに行った時のモノです。 構図等に稚拙さもあるのですが、全部CONTAX T-2という短焦点カメラで撮ったものです。 Carl-Zeiss T*F2.8 38mm というレンズ特性故に撮れる構図にかなりの制約を受けました。 

この時の経験から次の2004年のエジプト・イスラエル放浪の時にはズームカメラのCONTAX N-1を持って行きました。 こちらはCarl-Zeiss T*F3.5-4.5  24-85mm でした。 300mmクラスのズームを買う金がなく仕方なしにコレ一本で行きましたが、まー短焦点のT-2よりは遥かにマシでしたが、それでも構図に結構ストレスを感じました。 

海外行ったらやっぱり広角と望遠の二本は要るなーとつくづく感じました。 まー最近はコンパクトも結構レベル高いので今度行く時はN-1、T-2と中級ぐらいのコンパクトデジカメで行こうと考えています。

もし一眼デジカメ買うならやっぱりキャノンでしょうかね。 レンズラインナップが豊富ですから。 でも買う金ないですけど。 

 以上本日のつぶやきでした。

 


本日の思いつぶやき(Feb/11/'12)

2012-02-11 17:46:38 | 日記

 建国記念日(2月11日)の今日、早いものであと一ヶ月であの大震災(3月11日)から一年が過ぎようとしています。 あの大震災は日本だけでなく、世界全体の流れを大きく変えましたが、私自身もあの大震災で人生が大きく変わった一人です。 

 私はあの大震災の時は、東京の大森駅からバスで行く大井ふ頭の倉庫の4階で派遣で働いていました。 揺れ自体は確かにあったのですが荷物が落ちる程でもなく、もともと東京は地震が多いのでそうたいした事とも思わなかったのですが、まさかそれから東京中の電車がストップするとになるとは夢にすら思わず、更に9時間立ちっぱなしの肉体労働をした足で、今度はアパートがある横浜まで約15kmの距離を歩いて帰えらねばならなくなるとは夢にすら思いませんでした。 

 今でもその時の光景はよく覚えています。 最初は大きな道路を行とけばけば何とかなるだろうと15号線に出たら、サラリーマンやらOLさんやらがまるで民族大移動のように歩道中をゾロゾロと歩いているのです。 この時初めて 「コレは大変な事になった・・・。 ただでは済まないなーと」 と思いました。

 携帯もストップした状態でしたから、周り歩いている人の話を聞きつつ横浜に向けて歩き始めました。 元々散歩を趣味としていましたから歩くのは全く問題なかったのですが、やはり9時間の肉体労働をした足で15km以上の距離を歩くのは先が思いやられました。

 しかし、それでも歩くしか選択肢がない。 とにかく頼りになるのは自分自身のみ。 

 歩きながら感じたのが、皆さん果たしてこれが日本民族の特性なのか、それともタダの平和ボケなのか、こんな大変な事態のもと、歩きながら談笑っているのです。 まー東京は東北と違って、直接の被害を受け都市機能が完全マヒしたわけではなかったので、電気とかは一部停電程度で普通に動いてはいたのですが、それでも普通の事態でないのは察しが付きました。

 途中のコンビニではモノが殆ど無くなるぐらいの混雑みようだったにも関わらず皆さん整列して順番を待っている光景がところどころ見られました。 途中の駅でも来るか来ないかのバスを整列して順番待ちしている光景も目につきました。

 恐らく、これだけの事態になると、他の国だったら順番割り込みやモノの奪い合いあとかで喧嘩や怒声があちこちで上がっているはずなのに、私が帰る途中では一回もそういった光景を見かけたことはありませんでした。 黙々と歩き続けているか、友人・知人と談笑しながら帰っていました。

 お金のあるサラリーマンの方は自転車を買っている人もいましたね。 あの時、東京中の自転車屋から一斉に自転車が消えたという話も聞きます。

  結局、私がかえりついたのは夜中の1時で、約7時間かかりました。 道を知っていればもう一時間ぐらいは早く帰りつけたのですが、途中迷ってかなり遠回りしてしまいました。 初めての徒歩に加え夜中でしたから、迷いまくりでした。

 初めての道を歩きながら、迷いながら歩き続け、精も根も底を尽きかけようとしている時、普段散歩に使っていた道に出た時は思わずガッツポーズを取りました。 それから帰りついて家の中を見たら、予想よりも遥かに被害はなく、積み上げていた本が飛び散っているぐらいでした。 

 まー家にモノが殆どなかったのも幸を奏しました。 ガラス系の家具もなかったですし、食器も一人分しかなかったので壊れるモノがありませんでした。 それからゆっくり風呂に浸かって寝ました。 家と風呂の有り難さを身に染みて感じさせました。 

 翌日はほとんどの電車が止まっていて、それから2、3日は仕事は完全アウトでした。 週払いの派遣でしたから、休んだらお金が完全に入ってきませんでしたからその後は大変でした。

 沖縄に引っ越した時も、知恵とクレジットカードをうまく使ってなんとか凌ぎましたが、最後は万策尽き、完全にお金も尽きて実家に帰るハメになりました。 

 ですが、今となってはよい経験が出来たと思っています。 

 本日の呟きにて失礼します。


Change&Evolution

2012-02-10 19:34:42 | つぶやき

 「灯台下暗しー」  『大正デモクラシー』

 オヤジギャグでもないですが、ちょっと思い付いたのでアップしてみました。 

 さて本日の思いつぶやきはと申しますと、今まで何で調べなかったんだろう?というネタです。

 私は今までの人生で大きな転換点というモノがいくつもありました。 代表的なモノはと申しますと、平井和正氏の小説、エドガー・ケイシー、大森英桜先生With正食医学&姓名学、渡米with占星学、ひふみ神示、そして今回の震災等が大きな転換点になっているような気がします。

 ところで、現在時折、本文中でピックアップしている 「ひふみ神示」 ですが、フト気になってその画数を調べてみたのです。 そう、これだけ今の私に強く影響を与えているのに、何で今まで一回もその画数を調べることをしなかったんだろう?と不思議でなりません。 

 で、その画数を調べてみたら思わず息を飲みました。

「ひふみ神示」=「ひふみ(九画」 + 「神示(十五画)」=二十四画

 ということで、私の名前と恐ろしく一致していたのです。 どう云う事かと申しますと、私の主格は五大凶数でも1,2を争うぐらい悪い大凶数の9画で、外画が、今度は逆に姓名数の中でも1、2を争うぐらいの大吉数である15画、そして総格が音楽方面に向く金運的大吉数の24画、とひふみ神示とピタリと一致しすぎるぐらい一致していたのです!

 よくよく考えたら、いままで何で調べなかったのか不思議でなりません。 もしかしたら、ここまで来るまで慢心が出ないように意識にベールが張られていたのかも知れません。 

 そうなんですよねー、私の本名も二回の改名にも関わらず元に戻させられた経緯があります。 それを警告してくれたのが、今回の震災でもお世話になった沖縄の神人さんであります。

 そういえば、沖縄の昔の名前 「琉球」 も音楽・智謀方面に向く大吉数の24画なんですよね。 沖縄になって 「プライドが高く、頑固で、訴訟沙汰が付き纏う」 27画になってしまったのですよね。 私もたった2ヶ月ぐらいでしたが、沖縄に住所を移し、沖縄県民になったので、今の沖縄問題を眺めていてつくづくこの事を実感します。 

 あと、もうこちらもあまりにも当たり前だったので調べもしなかったのがマクロバイオティクスにある、“左・右” という考え方です。

 「左と右」

 その画数は筆勢どおり 「左(5画)」 ・ 「右(五画)」 です。 で、それらを足し合わせると・・・

 左(5画)+右(5画)=10画

 というコトで、物事というモノを、“中庸(15画)” という概念を中心に ”左・右” という概念で分けたものを足し合わせると、再び “十(ゼロ・㋹(神))” に戻ります。 ”10” という数はカバラ数秘学の基数圧縮で 「10=1+0=1」 に帰結するからです。

 そして漢数字の “十” は、ひふみ神示によりますと、横の棒(―)は隣人も含めた動植物とのつながりを意味し、縦の棒(|)は、人間と宇宙(神)の合一したモノを現し、キリスト教の十字架(✝)も同様のニュアンスがあるようです。   

 余談ですが、ケイシー・リーディングによりますと、十字架(✝)には理想(Ideal)を神に十字架付する、つまり自分の掲げた高い理想を決してブレることなく天に張り付けするという意味もあるようです。

 さて今後、日本は様々な分野・方面で崩壊して行くでしょう。 その事は姓名学からも読み取れます。

 「日本」 という国の画数は物欲的大凶数の9画。 そして、現在日本を崩壊させにかかっている ”民主党” は崩壊数の10画。 しかし、0(ゼロ)は新たな一(いち)を産み出す母親でもあります。 

 総ては変わる。 

 この世に滅びないものは何ひとつない。 

 そのことを真に識るのが善。

 曾て世界の物質文明でトップに立った事もある “日本” のかつての栄光を握りしめていても苦しむだけ。 今後の世界の ”個” の生き方は “理想をブレさせず、変化するに任せる” のが正しい生き方ではないだろうか?というのが私の今までの様々な方面の哲学書を読んでの見解です。

 私もまだまだ変化に適応するのに苦しんでいますが、産みの苦しみなくして新たなる生命(姓名)は産まれてきません。

 さて、皆さんはどうされますか?

 この建国記念日も含めた終末・・・じゃなくって週末。

 一回ぐらいじっくりと考えてみるのも一興かも知れません。

 本日はコレにて失礼します。

 よき週末を!&オヤスミなさいZz…


数秘学について・・・だと思います。

2012-02-09 19:53:44 | ひふみ神示系

  そう、もひとつ “7(Seven)” とゆー数霊に関して重要なモノを忘れていました。 それは、私の人生を大きく変え、飛躍させてくれ、また助けてくれている ”姓名学” です。 

 姓名学は “五格部(天格・地格・人格・外格・総格)” と ”二つの五行の流れ(成功運と基礎運)” を用いた占いですが、こちらも7つのファクター(要素)を用いてその人の現在・過去・未来を読み取るツールです。

 世の中には様々な種類の “占い” と呼ばれている運命学がありますが、果たしてドレがいちばん正確か?というのは非常に難しい質問です。

 この問題は私のアメリカの占星学の先生とも議論しました。 その結果、どの運命学(人相、手相、占星学、紫微斗数、姓名学、カバラ数秘学、オーラなどなど)を用いようと、最後はその鑑定者の力量による、との結論になりました。

 どういういことかと申しますと、解り易く申しますと、TVのchannel(チャンネル)と同じニュアンスになります。 その扱う人の得意とする方法(占い方)でチューニングしてチャンネルを合わす事ができるなら、どんな種類の売らない方でも、正確に運命を読み取る事ができる、とゆーニュアンスでしょうか。

 ただ、やはり、得意とする方向性があるのもまた事実です。 恋愛方面に向く占いもありますし、職業方面を得意とするのもありますし、国の命運といった大きな方面に向く占いもあります。 そして、やはり最後は直感(Intution)が重要なカギを握ります。

 私は現在、占星学に没頭して研究していますが、手相と望診法に関しては大森先生からその基本となる理論だけは教わっています。 あとは姓名学のように膨大な統計をとるだけです。 

 ですが、こちらはあまり長期的なモノは見通しにくい運命学でもあります。 と、ゆーのも手や顔の相は変わりやすく、現時点のままの心の持ちようや食べ物等で行くなら、こういう運命になる確率が高いけど、もし心変わりしたり、食べ物が変わると運命も大きく変わっていくからです。

 この事は江戸時代の代表的な人相観「水野南北」の逸話によく顕れています。 そして、「水野南北」の名前もその事をよく表しています。 晩年に29画の特殊吉数が出てるぐらいで、他はほとんど五大凶数(9、14、20画)のオンパレードです。

 とくに主格に家族別れの20画が出ているので、天涯孤独になりやすい傾向が付き纏っています。 

 ですが、手相の最大のメリットはと申しますと、ズバリ “美人の手を堂々と、いくらでも握りながら、頬ずりしながら…(コレはムリ)、じっくり、ゆっくり見つめるコトができる” コトに尽きる!、でしょうか。 姓名学である程度信用を得ると、どんな美人でも向こうから喜んで手を差し出してくれます。 いつも姓名学でTake Careしていた美人四姉妹も、いつも向こうからすすんで手を差し出してくれていました♪

 あー大森先生ありがとーございます、と心の中でいつも感謝していました。 

 う、イカン! つい煩悩が。

 こんな事をやっていると、いつか 「中年エロ占い師猥褻容疑で逮捕!」 という三文記事の対象になってしまうので、神聖な運命学を邪な事に使わないように、コレも地球の輪廻転生を終えるための精神修行と考えて取り扱ってゆきたいモノです。

 さて、本題に入ろうと思いましたが、本日は占星学の研究があるのでコレにて失礼します。 最後に、ケイシー・リーディングの述べる ”手相(Palmistry)” に関する見解をアップして失礼します。

 ある意味、運命学というモノ全体を簡潔にうまく表現していると思います。

 オヤスミなさいZz…

 

【(R481-2) Palmistry】

28. (Q) What value is there in palmistry? To what extent may it be relied upon?


(A) As we have given in regard to any and every omen, it is an indication - yes. As to whether or not it will come to pass depends upon what the body, the mind of such an one does ABOUT that it knows in relationship to itself. It may be depended upon, then, about twenty percent as being absolute - and about eighty percent "chance" or what a body does with its opportunities. The same as may be said about an individual that has prepared himself to be a medium through which there may be expressed in excellent executive. How much does the preparation have to do with the body being an excellent executive? About twenty percent, and the application is the rest! It is just so with all activities. For, the will of a soul, of a body, is supreme - even as to whether it makes of itself a channel for the spiritual influences in its experience or for the selfish desires of its own body and its aggrandizing of those influences.

O if souls, bodies, everywhere, would gain that knowledge that the abilities to be sons of God or of the devil lie within self's own individual will! For, as has been given of old, "I am persuaded that neither principalities nor souls, individuals nor conditions, may separate me from the love of God save myself." To be that He would have thee be, in all that thou doest and hast done from day to day, is being then a channel - and being used by Him, rather than using the blessings He has given thee for thine undoing.


数秘学について(172)

2012-02-08 19:42:12 | 占星学・数秘学

 『丁寧に忍耐強く』

 という目標を掲げるとそれに見合う経験が覿面に降りてきますね。 面白いモンです。 こちらも今回の残りの人生を貫き通した理想のひとつなので日々戒めながら進みたいと思います。 「日々少しづつ悪い癖を直すのが天国への近道」 とはひふみ神示の訓戒。 

 一般大衆メディアやネットを眺めていると、いよいよ日本崩壊のシナリオが顕在化して来つつありますね。 運命の2012年から向こう3年間、果たしてどこまで落とされるのが神の経綸なのか、後の世の教訓のため傍観させてもらいたいと思います。 

 

 ところで一週間はナゼ7日間で、その配列は【日・月・火・水・木・金・土】なのか? について見解を述べる前に、”7(Seven)” という数を個人的に解析してみました。 あくまで私の個人的見解なのでそのおつもりでお読み下さい。

 カバラ数秘学をベースとするケイシー・リーディングの見解では、“7(Seven)” という数は「極端と霊能力」を暗示するようです。 これはナゼなのか?

 ひとつヒントになったのが、”7” という数は “5” という Active Number(活動的な数)と “2” という人間の精神に影響を及ぼす数が組み合わさったモノのようです。 さらに、”5(Five)” という数は “3(Three)” 陰陽合一の数とまたもや ”2” という数が組み合わさったモノのようです。

 つまり、この7という数には 2という人間の精神面に影響を及ぼす数が3つも隠されているようなのです。 故に、霊能力に影響を及ぼし、また “極端” というのは、おそらく ”5” という活動的な数に “2” という、その個人が持つ精神面の強さに大きく影響を受ける数が組み合わさっているが故に、その活動性がその人の精神力によって大きく左右されるから、物事が極端に出易いのではないだろうか?と考えたのです。 

 私自身説明していて解り難い解釈だとは思いますが、秘教的な分野はコトバでは説明し難い部分があります。

 ところで、この “2” という数と ”5” というActive Numberを用いたモノで、最もメジャーなモノは中国の 「陰陽五行説」 です。 私もマクロバイオティクスを徹底して研究しているときにはこの陰陽五行説をかなり研究しました。 この哲学が理解出来ないことにはマクロバイオティクスの真髄を理解することは出来なかったからです。 

 ととと、ですが今回はこの話にはあまり深く立ち入らず話を戻しまして、陰陽五行説というのは、陰と陽という二つの数と五行(木・火・土・金・水)という、易(常に留まらず移り変わるもの・Mutable)と不易(宇宙の絶対不変の法則・Immutable)の法則を織り交ぜた、この世に現れている現象を観て、未来を見通すツールではないのだろうか?と解釈しました。

 つまり、陰陽五行=陰陽(2)+五行(5)=7 という要素も含まれているのではないだろうか?と考えたのです。 

 そちらに関して少しばかりひふみ神示より抜粋してみたいと思います。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第十四帖〕】

 青海原青垣山の内に(宇宙)に御子生る。 神の御座のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏ぢやと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四の活物と知らせてありたが、岩戸がひらけて、5の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。

 

 とありますように、“5” という数は、ケイシーの述べる占星学では知性を司る水星(Mercury)またの名をヘルメス・トリ・メギストス(Hermes)。 そしてその起源を更に辿って行けば、アダム、イエス・キリスト、そして宇宙創造神であるAmiliusに辿り着く数のようです。

 つまり、上の赤の部分にありますように、「五が天の光であるぞ」 でと述べられている部分が、決していい加減な駄法螺などではなく、キチンと理論に基づいた記述であることが分析されます。

 そして、前回もアップしましたように、数というのは千だろうと万だろうと億だろうと、圧縮していけばその本質が現れて来る事に関しても上記に記されています。

 例えば、500 だろうと 5000 だろうと 50,000,000 だろうと、結局は “5” に帰結される。

 その事が記されているような気がします。

 もちろん上記の見解に関しては私が個人的に考えたモノですから、ひとつの参考に留めて下さい。 決して正しいワケではありません。

 とゆーところで、 つづく・・・

 


温泉つぶやき

2012-02-07 21:28:30 | 日記

 私が今まで入った温泉の中でいちばん印象に残っているのは、エジプトのバフレイヤ・オアシスで入った温泉ですね。

 あの時は、トルゴーマン・バスステーションで知り合った日本人と、ルームシェアしながらオアシスを周ったのですが、その時、現地の宿のおっちゃんから温泉の情報を教えてもらったのですが、エジプトでは基本昼間の露天風呂は原則禁止だから、夜になったら連れて行くと言われ、夜に海パン履いて入る事になりました。

 で、その時、宿に泊まっていた人たち4人(ドイツ人夫婦と私たち)で行くことになりました。 その時は今でも覚えていますが、月が満月に近くキレイで星もかなりクリアーに見えていました。 真円にちかいコンクリート壁作りのなんの変哲もない貧相な露天風呂でしたが、まさかエジプトで月を見ながら露天風呂に入れるなんて思ってもいなかったので、そのギャップから今でもかなり印象に残っています。

 あとひとつはSiwa オアシスで入った冷泉でした。 こちらは現地ツアーに参加して入りましたが、12月でしたが、昼間でもあったので暖かく入って出ても地よかったです。 

 現在はいつでも温泉に入れる環境ですのであまり有り難味がありませんが、温泉の有り難味を感じたのが沖縄でした。 沖縄ってほとんど温泉がないんですよね。 加えてプロパンガス代が高かったのが印象に残っています。 横浜に住んでいた時と比べても少ないぐらいだったのに、あっという間に8000円近くいっていました。 横浜だったら3000円以下だったと思います。

 沖縄はちょっと特殊な土地の問題もあるのでしょうが、プロパンガスが異常に高かったのが印象に残っていいます。 ですが、ガソリンは確実に本土よりも明らかに安かった記憶があります。 平均しても10円ぐらいは安かったような感じです。

 本日はちょっと忙しかったのでカルメのアップにて失礼します。

 おやすみなさい。

 

  


数秘学について(172)

2012-02-06 07:11:59 | 占星学・数秘学

 『迷っている時はやめる、もしくは行かない。 確信がある時は誰から何と言われようと進む!』

 私が今進んでいる傍から見て無謀だと思われる道も、私には確信が居座っているのです。 一片の迷いのない理屈のない確信があったからこそ、私には不可能と思われるような難しい研究が、東京での崖っぷちを歩むような派遣をやりながらの独学研究を続けさせることができたのです。

 もう少し突っ込んで書くなら、内奥から湧き起こり続け理屈のない衝動。 これが通勤の満員電車内や派遣の短い休憩時間の合間での研究を続けされてくれました。 コレなしには続けることは不可能だったでしょう。 

 『迷いがある時は行かない。 だけど、幾度も内省(瞑想)して “確信” が居座っているなら人から何と言われようと己の信じた道を進め!』

 私の短い人生で得たひとつの人生教訓です。

 裏を返せば、内奥から湧き上がる “確信” のない無謀な挑戦や計画は、やはり長続きしないし、失敗する確率が高いも言えるかも知れません。 真念に基づく結果をもたらすには招き降ろす忍耐力がセットになります。 

 さて前回、この世の根源的な罪とは “我(Self)” であると書きましたが、もう一つ “魂の悪” とでも呼べるモノを「ヘルメス文書」より採り上げてみたいと思います。

【ヘルメス文書 〔ヘルメス選集Ⅹ・8〕】

 これが魂にとっての究極的栄光である。 しかし、人間のうちに入った魂が悪のままでいるなら、不死を味わうことも善に与ることもなく、爬虫動物への道を逆行する。 これが悪しき魂の裁きである。

さて、魂の悪とは無知である。 と言うのも、魂が存在するものの何一つも、その本性も、善も認識しないなら、盲目であり、身体の情欲に翻弄され、不幸な魂は、自己に無知であるために、(自己にとって)異質な、卑しい身体に隷従し、重荷のように身体を担っている。 だから不幸な魂は、支配するのではなく、支配されるのだ。 これが魂の悪である。

 上記にありますように、 魂の ”悪” と呼べるモノは “無知(Ignorance)” である、と断定的に述べられています。 世間一般の考え方では、「まー知らなかったのなら仕方ない」 という考え方が普通だと思います。 しかし、このヘルメス文書に記されている宇宙の法則では、それは通らない事が読み取れます。 

 「知らなかったじゃー済まされない。」

 かなり厳しい見解ですが、それはケイシー・リーディングの述べる膨大な輪廻転生のデータを研究していても解ることです。 知らずに様々な罪を犯した魂が、後の世に生まれ変わってきて、その犯した罪と同等の贖罪を経験させられる。 一分一厘まで払わされる。

 もちろん、知っててやるよりもその罪は軽いのでしょうが、しかし、その行為の意図と同等の経験を一厘残らず払わされる、それが宇宙の絶対法則である輪廻転生の法則の厳しさです。 

 ”知らなかったんだ・・・” 

 じゃー済まされない。

 この考え方に反感を感じる方も多いとは思います。 しかし、いくら怒っても、泣いても、喚いてもその法則は絶対不変です。 絶対に変わらないモノに怒っても楯突いても無意味なのです。 労力のムダ。

 だから、絶対不変の宇宙の法則を学ぶということは、地球三次元世界で生きる上で必要な智慧なのです。 勝てもしないものにいくら立ち向かっても無意味。 その法則性を知って己の人生に適用する。 コレが賢者の生き方。

 ですが、ここでちょっと引っかかったのが ”爬虫動物への逆行する。 これが悪しき魂の裁きである” という部分です。 この “爬虫類人類” ネタは数々のインターネットにある陰謀系情報にもありますし、「エメラルド・タブレット」 にもハッキリと記されています。 爬虫類人種(レプテリアン)が地球世界を支配していた時期があった、と。

  ま、こちらの情報に関しては、一般の常識に安住していたい方は知らない方が幸せだと思うので、本題に入りたいと思います。

 

 ところで、最近の私は仕事別として、プライベートでは人のゆーコトにはほとんど耳を傾けません。 自分の内奥から湧き出てくる声に耳を傾け、サニワして行動しているだけです。 

 私の人生の場合、今まで人の言うこと聞いて結果が良かった試しはほとんどありません。 もちろん自分の衝動に導かれるがままに行動して失敗したコトも数知れずですが、ですが、それだと納得するんですよね、自分の判断の結果だ、と。 人に言われて行動して失敗したら、必ず少なからず人の責任にしてしまう想いが生じてしまいます。

 確かにこの考え方も一面ではワンマン・頑固と取れるかもしれませんが、しかし、自己責任の考えがあればそれで良いと思っています。 自分の取った行動に対して人のせいにしない。 自分の考えで行動して、その結果に責任を取る。 単純なコトです。

 故に、一匹野良犬がいちばん症に合っています。 昔っから組織や集団で群れて行動するのは大っキライです。 学生の時は、集団行動で必ずひとりで行動して注意された経験を思い出します。

 本題に入ろうかと思いましたが、ちょっと調べなくてはならない事がありますので、本日はこれにて失礼します。

 オヤスミなさいZz…


数秘学について(171)〔副題:今日もオレはひとりつぶやくのさ☆彡〕

2012-02-05 08:33:03 | 占星学・数秘学

 さてさて、テキトーに前回からの続きと思われるモノを書き連ねてみたいと思います。 あー自由人♫

 前回、7(Seven)という数は、5(Five)という数と2(Two)という数を組み合わせたモノ(7=5+2)であると書きました。 更に分析しますと、5(Five)という数は、3(Three)という陰陽合一の数と2(Two)という分裂・精神を意味する数を組み合わせた数(5=3+2)であると。

 いろいろと飛びますが、”7・七” という数は易をベースとした姓名学の基数では 「本能・小脳・直感・我」 を意味するようです。 統計を取っていても、この数を持っている人は確かにその人独自のオリジナルな才能と我が同居しているのを感じます。 ココというトコは自分のやり方や主を絶対に変えようとしません。

 まー他との数のバランスもありますが、 私のように長年に渡って姓名学を研究していると、そういう人のそういった性行を見ていると 「あー本能(7画)が反発しているんだなー」 と感じます。 

 ここでその7(seven・七・Ⅶ)という数に関してひふみ神示より興味深い帖を採り上げてみたいと思います。 よく見かけるなんてことはない、ありふれた訓戒のようですが、じつはここにこそ、私たち人類全体の進化を簡潔に訓戒えてくれている重要な帖でもあります。

 

【ひふみ神示 〔春の巻・第十二帖〕】

 無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。 天国へ行く鍵ぞ。 直せば直しただけ外へひびくものが、かわつて来るぞ。 よくなつてくるぞ。 かわつて来れば、外からくるもの、自分に来るもの、かわつてくるぞ。 よくなつてくるぞ。 幸となるぞ。 よろこび満ち満つぞ。 神みちみちて天国じや。 一升桝もつてきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。 大き桝もつて来い。 頂くには頂くだけの資格がいるぞ。 一歩づつ進め。 一歩づつ絶えず進めよ。 それより他に道はないのじや

 

 私がメインに研究しているひふみ神示やケイシー・リーディングは、人間の世界には様々な ”悪” と呼べるモノが蔓延しているが、しかし、それらはひとつの源泉から生じてきていると述べています。 それは “何か“ と申しますと、“我(Self)” です。 これが人類の根源的罪であるとハッキリと述べられています。

 殺人や略奪、金融問題、交通事故、エロ、そして戦争などにしても、所詮はソレ(我・Self)の派生に過ぎない、と。 ソレ(内奥なる我)に気づいて日々少しづつ、少しづつ直して行くのが天国への一番の近道であり、人類全体の進化の鍵である、と。 

 それはサルをベースに内分泌腺を使って進化させた動物としての人間の本能(7)ではあるが、しかし、人間には思考・熟慮する大脳(8)というモノがあり、それらのバランスにより日々一歩一歩進化できる可能性がある。

 その事は姓名学が的確に読み解いています。

 マクロバイオティクスを用いて姓名学を分析された大森英桜先生によりますと、「智慧ある人間を顕す最大の好運数」である15画の数意は 「十五=七+八」 と分解・分析できるようですが、先程書きましたように、”七” は本能・小脳で、“八” は思考・大脳を顕す。

 つまり、本能・我(その個人が進みたい方向性)をそのまま野放しにしないで、大脳(思考・論理等)でバランス良くコントロールし忍耐強く一歩一歩確実に進むことにより、最大の好運・幸運が降りて(現実化)くる。

 そして更に、この “15” という数をカバラ数秘学で分析しますと、「15=1+5=6」 とゆーことで、愛と美と調和・平和を顕す金星(Venus)が顕れてきます。 しかしその “6” という奇数・偶数がバランスした数意には、幸運も己のためのモノとなるなら悪魔王サタン、またの名を堕天使ルシファーとしての側面も隠されているということが記されています。

 こういったように、いくら表面上、数というモノが増え(増加・分裂)ているように見えようとも、その顕れてきた数に隠された秘密の本質が、カバラ数秘学の基数圧縮により表に顕れてきます。 その事はカバラ数秘学を用いた誕生数・霊数に顕著に表れています。

 例えば、1969年2月6日なら、霊数は6、誕生数は全部の数を足し合わせて「1+9+6+9+2+6=33、更に33=3+3=6」 というコトで愛と美と調和の神Venusが顕れてきます。

 さて、この誕生日はだれでしょう? とある男性アーティストで、女性にあったらベストである愛と美の女神Venusが二つも顕れているイケメン歌手・俳優さんは?

 ま、ヒマな方は考えてみて下さい。

 では、本題に戻りましてー、ん?、あまりにも脱線して何が本題だったか忘れてしまいましたが、もうチョイ突っ込んで書こう思いましたが、これから用事があって出かけねばならないので、次回に続き・・・たいと思います。

 気が向いたら今日続きを書こうと思います。

 それでぇあ、失礼します。

 つづく・・・でしょう、たぶん!?


数秘学について(170)〔副題:あー心の赴くままに~♪〕

2012-02-04 18:28:15 | 占星学・数秘学

 さて、どうも本題からハズレて行きつつありますが、どうせテキトー思い付きブログなので、私の今までの人生のようにこのまま流されるがまま書き連ねていこうと思います。

 Ether(エーテル)について調べていたら、Gravitation(重力)に関する情報が出てきて、そして今度はそれに付随する感じで “Positive(積極)” と “Negative(消極)” という相反する二つの要素が出てきました。 では“Positive” とは何で “Negative” とは何なのか?

 少しばかり脱線ついでに抜粋してみたいと思います。

 まず重力とは?とゆー質問に対するケイシー・リーディングの英語での答えです。

【R195‐54】

 What is gravitation? the centalization of vibratory force, ready to be chaged in power by non-activity,see?

 簡単に訳しますと、「重力とはなんぞや? 非活動の状態にある力が、(パワーとして)変化される用意が整っている波動的諸力の収斂である。」  お粗末なホンニャクですので、英語力のある方は自分で噛み砕いてみて下さい。

 さて、次にNegative・Positiveという概念に関するケイシー・リーディングの見解です。

【R195-70】

(Q)-“The positive may be considered as the acitive forces in their activity and the nagative as those tending to keep the balance." Please expand on this and give a better explanation of positive and negative force.

(A)-This (is) as good an explanation as may be given, other than illustrating same; for it is a positive or plain statement as to the coditions as regarding relativity of force; for positive is the active and nagative is passive... The statement we would not expand upon in this instance, for it (the statement) must react with the individual or negative to the statement, and as one responds to same may the activity of the statement be seen.

 うーむ、なんとなく解るようなサッパリ解らんよーなー解説ですが、ポイントは赤の 『for positive is the active and nagative is passive...』 でしょうか。 Positive(積極)はactive(活動)で、Negative(消極)はpassive(受動)。 

 シンプルにかつ簡潔に要点を述べていると思います。 あとは各自が心で汲み取るしかないのでしょう。 所詮言葉で説明、理解できることには限界がありますから。 

 では、次に移りたいと思います。

 現在アップしている数秘学で採り上げている “7(Seven)” とゆー数字ですが、この数字をケイシー・リーディングから読み込んで分解してみますと、 「7=5+2」 という数字が出てくるようです。 これらの数を更に分解しますと、「5=2+3」 とゆー数字が導き出されます。

 ところで、この5(Five)という数は智慧を司る神、水星(Mercury)またの名をヘルメス(Hermes)を意味します。 そして、その基数としての意味に

【Five】・・・a change imminent, ever, in the acitivities of whatever influence with which it may be associated.(R261-14)

【Five】・・・as seen, a change--as may be seen in a comparison of any of the forces outlined.(R5751-1)

【Five】・・・Five being the active number.(R137-119)

 

 この中でもかなり興味深いのが (R261‐14) の “5・Five” に関する記述です。 

 “ a change imminent“ とありますが、直訳すれば 「今にも起こりそうな変化」 となります。 そう、この見解、最初に抜粋した Gravitation(重力) の見解と殆ど同じなのです。 「What is gravitation? the centalization of vibratory force, ready to be chaged in power by non-activity」 

  『a change imminent ≒ ready to be chaged 』

 となると重力(gravitation)=Nega・Posi=水星(Mercury&Hermes)・・・?と考えても良いということでしょうか。

 まー当たっているハズれているというよりも自分で考え出した答えと思われるモノということで、

 次回に続く・・・

 


数秘学について(169)〔副題:今日もつぶやきプラス〕

2012-02-04 09:59:52 | ひふみ神示系

 それにしても実家に帰って来て思うのが、改めてド田舎なのを実感させられるのですが、月のない夜に見ることができる星の数の多さです。 今、研究している黄道12宮がほぼ完全に目視できます。 朝、散歩をしていてMC(頭頂)に位置しているのが磨羯宮です。 その支配星はSaturn(土星)です。

 そして、言霊学によりSaturnはSatanを意味し、さらにSatanの別名は、天上で最も美しかった堕天使Luficer。 その起源は創造神Amiliusに辿り着き、Adamという名で故意の不服従により地球三次元物質世界に舞い降り、様々な経験(転生)を経て、最後の仕上げとして Jesus Christとして昇華された。

 現在の黄道十二宮を研究していて、その配置を見ていて腑に落ちなかったのが、なぜあまり良い意味がない、どちらかというとNegativeな性質が強いSaturnの支配するCapricornが、黄道十二宮のその最も高い位置に位置しているのか?

 普通に考えたら、一つ逆行させて大吉祥星であるJupiterが支配する人馬宮がその位置にあるのが最も適切ではないのか?と考えた事がありました。 その答えはその時は、結局は解らず仕舞いでしたが、しかし最近、その答えへの方向性だけは多少教えられたような気がします。

 さて、前置きはこれぐらいにしまして、一週間(One Week)の周期である7日間について書こうと思っていたら、この世を構成している唯一の原物資である宇宙塵から創られた人間の思考に反応するエーテル(Ether)について思い浮かんだので、ここでケイシー・リーディングの述べる “Ether” の定義について抜粋してみたいと思います。

 ちなみにこちらは「銀河鉄道999」のメーテルさん。 

 【195‐70】

(Q)‐“Ether may be difined as the combination of  a higher plane, leading us to mataphysics, to where every consideration of the atom finally leads one." Is this statement concerning ether correct?

(A)-There's no better difinition. This is correct--for, same as the statement of positive and negative forces as relating to gravitation, they act upon the individual's development...there are ...certain characters of a human body. There are others that so dull the senses that they become one-sided, or only positive not positive; yet normal, perfectly well and normal mind may be so active as to be considered by others as of being unbalanced, but only is it considered peculiar.

 上記で、ケイシーは質問者の “Ether(エーテル)” の仮定の定義について「There's no better definition」 ということで、「(エーテルというモノに関して)これ以上ない定義である」 と誉めていいます。 そして、このエーテルというモノに関して “gravitation(重力)” というモノが深く関係しており、それはPositive とNegative という性質を持っていると述べられているニュアンスが読み取れます。

 ここで個人的な意見を述べますが、確かにケイシー・リーディングもひふみ神示もPositive(積極)というモノががこの世を進化させる本質的なモノではあるが、しかし、PositiveのみではPositiveとなりえず、Negative(消極) というモノがあってこそ、Positive は Positive であることを識る。

 この事は昨日の節分の豆まきにも当て嵌まります。 

 結局、現在の豆まきって貪欲のカタマリですよね。 鬼(不幸、Negative)を払って、欲深く人間の頭で考えられる “福(お金・社会的地位、名声・健康等)” だけを求めようとしている。 「それも人間心仕方ない」 と普通の方なら考えるでしょうが、ところがどっこい宇宙の法則ではそういうワケにもいかないようです。

 ひふみ神示には、鬼(不幸)祓いだけをしようとした事が現在の世の混乱を作り出したと述べられています。 もちろん鬼(不幸)も祓わなくてはならないけれども、と同時に福払いもしなくてはならないと断言されています。 つまり我欲の放棄です。

 そうしないと、福(Positive)だけ握りしめて(意識して)いても、NegativeがないとPositiveは自分がPositiveという存在であることを識りえず、必ず他の Negative 的要素を引き寄せてしまう。 それを識らずに福だけ握りしめて鬼祓いだけしていたら、何度でも何度でも反対の鬼(Negative)を引き寄せてしまう。 

 それが現在のような混沌とした世の現状を作り出している。 つまりバランス(陰陽)が取れていない。

 ここに 「エメラルド・タブレット」 にある智慧(論理的思考)の重要性があります。 確かに理論を超えた天才的答えは直感からもたらされるが、しかし、その直感が曇ったらもうどうする事も出来なくなり、立ち往生してしまう。 この事は、努力なしの早熟天才に当てはまると思います。 

  理論を考えず、たいした努力なしに “答え(結果)” と思われるモノが向こうから勝手に訪れるから、ついついそれにあぐらを搔いているといずれその才能はあっさりと去ってしまう。

 直感(Intution)は確かに重要ですが、大局から観た真の人間の進化というものは、理論(宇宙の法則を識ること)とのバランスで成される。 

 故に、Jesus Christ は、少年期の教育期間にペルシャやインドで占星学を学んだというニュアンスがケイシー・リーディングより読み取れます。

 ちょっと長くなったのでこの辺で一区切りします。

 


数秘学について(脱線Ver.です)

2012-02-03 19:23:17 | 占星学・数秘学

 そういえば、今日は節分ですね。 

 豆まきは別に良いとは思うのですが、みなさん騙されているのが豆まきのやり方です。 世間一般では、

 ”福はーうち、鬼はーそとー”

 ですが、それでは、決してホントの幸 “福” なんて来はしません。 

 ”福(幸)も鬼(厄)も離す!”

 コトによってのみ真の仕合わせが、いえ進化(Evolution)・変化(Change)がやってきます。 

 総てを手放す。

 この世は、ただエーテル(Ether)が変化(Change)するのみ! その事に気が付いた人間のみが、これからの天王星支配の水瓶座の時代の地球を受け継ぐ事が出来ます。

 水瓶座といえば思い出すのが、“水(Water)” ですが、今日家の近隣は近年まれにみる寒さ(マイナス10℃ぐらい)から軒並み水道管が破裂していました。 昼前ぐらいに仕事場の野外に設置してある給湯器が破裂したと連絡を受けて、元栓を閉めて帰ったら、今度は前の学校の給湯器が破裂して、気になって家に連絡したら予想通り家の給湯器も破裂していました。

 どうやら、夜間の寒さで凍結していた水道管が、今度は昼の暖かさで膨張して破裂しまくったようです。 今日は市内の水道屋さんはドコもてんやわんやの大忙しだったようです。 ここ数年ここまで冷えた事はなかったようで、みなさん油断していたようです。 私も今まで実家にいて始めての経験でした。

 水の有り難さと恐ろしさの両方を教えられた経験でした。 ですが、東北の人たちの事を思えば小さなカタ出しだと思います。 無くすることはできんが大難を小難に。 ひふみ神示がいつも戒めているコトです。 

 ヨーロッパも今年は大寒波なようですし、金融危機も含めて、果たして運命の2012年、どう展開していくのか興味深く鳥瞰したいモノです。

 そう、もうひとつ思い浮かんだのが、“幸福” って22画の見栄っ張りの内部破綻数なんですよね。 簡単に申しますと、理想主義者で大口は叩くけれども、自分自身の足元が伴わず、表面は豪奢を装うけれども家は借金で火の車、といった感じになります。

 ですが、幾度の失敗にもヘコたれず、忍耐強く理想(Ideal)を現実に引き降ろす事ができる人間にとっては、この数は大吉数とも働きます。 その事はひふみ神示やケイシー・リーディングの述べるカバラ数秘学に述べられています。

 ひふみ神示のいちばん最初の帖は

【ひふみ神示 〔上つ巻・第一帖〕】

 ニニ(ふじ)は晴れたり、日本晴れ。 神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはつきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通うして呉れよ。・・・・・・・

 

【魂の進化】

 神秘的な三対の詩篇、第117篇、第118篇、第119篇を書いたのも、おそらく彼(メルキゼデク)である。 117篇は、詩篇の中でも最も短いものであり、119篇は最も長いものである。 119篇は、おそらくメルキゼデクがアブラハムに与えたと思われる古代ヘブライ語のアルファベット22文字に基づいて、22段から成っている。 22段のそれぞれは、8節からなる。

 この二つの間におさまった118篇を見ると、私たちの目はその第8節と第22節に向けられる。 第8節は人間に信をおくよりも、髪を信じた方が良いと簡潔に説いている。

 みなみに数霊術によれば “22” という数字はキリスト(救世主)を顕す重要な数字である。 また、ヨハネの黙示録は正確に22章404節からなる(404は主要数44に圧縮できる)。

 

~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~ 

 上記にありますように、1000ページ近くあるひふみ神示の冒頭に “二二(ふじ)” という言葉が出てきますし、ケイシー・リーディングの述べる数秘学でも ゛22” という数は、基数の “2” の分裂数に加え、基数圧縮により “22=2+2=4” という 「イメージ(想像)と水」 を司る海王星(Neptune)に帰結します。

 そして、イエス・キリストが私たちと同じ肉体を纏って誕生されたのが紀元前7年で、海王星支配のPisces(魚座・双魚宮)の時代が始まったのが紀元前160年で、その時代の終りは2160年後のAD2000年でした。 そして、西暦2000年から約2160年間に渡り、“今” の意識している私たちの時代である天王星(Uranus)支配の水瓶座(Aquarius)の時代に入っています。 その数は神聖数である “7(Seven)”。

 この寸分違わぬ神の経綸・計画性には、思わず唸らされます。 完璧な計画に基づいて地球の大きな運命は展開してる。 

 ケイシー・リーディングや神智学、そして占星学を研究していると、その事を身をもって教えられます。

 時折、ひとり心の内奥で思わず 「スゴイ!!」 と唸らされます。

 

 本当は昨日の続きを書こうと思いましたが、本日の身近な水道管破裂により、少しばかり脱線した思い付きアップになってしまいました。

 ちょっと忙しので本日はこれにて失礼します。

 それは皆様良い週末を!

 Have a nice Doomes  Day!?

 

 


数秘学について(169)

2012-02-02 19:39:04 | 占星学・数秘学

 易(Mutable)と不易(Immutable)

 その見極めとそれ等の法則にひとヒネりする宇宙の意志。 そして私たちの自由意思との関係。

 それが “今” の私の研究課題となっています。 ドコまで行っても答えは出ない、いえむしろ答えは遠ざかる、言い換えれば成長していくでしょうが、それでも決して終わりのないゴールを目指して私たちは日々進むしかない。

 と、ケツをボリボリ搔きつつ、エロ動画を見つつ考えています。

注:今となっては貴重な大森英桜先生の姓名学講座の光景です。この時から私の運命は大きく動き出しました。

 さて本日もカルく呟いたところで、本題に入りたいと思います。

 私たちは日々無意識のうちに様々な周期によって支配されています。

 その中でも最も身近にあるのが “一週間(Week)” ではないでしょうか? まーサーヴィス業の方でしたらあまり土日休みはありませんが、とりあえずは日本の大企業、特に金融関係の企業(銀行、証券会社等)や大部分の公務員が土日休みを基本としていますから、そこを中心に現在の日本の企業は動いていると思います。 

 人にもよりますが、現在の日本のサラリーマン的な感覚で仕事をしていたら、土日で休みボケしつつ、まず気だるい月曜日から始まって、水曜日あたりでちょっと疲れてきて 「早く土曜日が来んかなー」 と思いつつ、なんとか金曜まで頑張って、やっと土日休み・・・という感覚ぐらいで、一週間のサイクル(周期)が繰り返されていないでしょうか?

 では何故、この ”一週間(Week)” という周期は7日間(7Day)で、その配列は

【日(Sunday)→月(Monday)→火(Tuesday)→水(Wednesday)→木(Thursday)→金(Friday)→土(Saturday)】

 になっているのだろう?と考えた事がある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 私は昔は、この手の問題が思い浮かんでもあまり深く考えず 「まー誰かが考えたんだろう」 ぐらいにしか考えていませんでした。 考えたって特に、学校の宿題でもない限り点数になるワケでもありませんし、何か得になるワケでもありません。

 ですから、そういったあまりにも社会の常識として定着している問題が思い浮かんでも、すぐに意識の表層を流れ去って行っていました。 

 ですが、いつの頃からか忘れましたが、この私たちの日常生活の中にあまりにも当たり前に定着しているモノゴトを改めて考えるようになっていました。 

 一ヶ月はなんで12ヶ月間で、1月(January)は31日で、2月(February)は28日(閏年は29日)で、三月は・・・といった、あまりにも私たちの日常生活に当たり前にとけ込んでいる習慣を 「ナゼそうなんだ??」 と考えるようになりました。 

 本当はその手の問題をいちばん考えなくてはならない小・中学生の頃の方が、受験に不向きな記憶力が貧弱でしたから、考える時間も余裕もなく、テキトーに受け流していましたね。

 今の年齢(40歳代)になって、逆にこの手の当たり前の問題をじっくりと考え直すようになったのは、私自身不思議でなりません。 何故なんでしょうね。

 ま、それはともかく、話を本題の方に進めたいと思います。

 が、疲れたので寝ます。

 オヤスミなさい。 

 続く・・・