私は10歳の時に父と死別し、母親の手で育てられた。兄弟も多かったのでそれほど寂しさは感じなかったが、母は大変だったと思う。昔のことだから、父親がいないからあんな子どもに育ったと言われないように、母は必死に働き、私たちを無事育て上げてくれた。すでに他界してしまって親孝行も出来ないが、本当に母には感謝している。
父親不在の家庭では、母が父の役割までしなければならない。働いて、躾をして、家庭を守っていく母は必然的に厳しくなり、私たちは子どもは、母に甘えるわけにはいかなかった。
父を失うということは、同時にやさしく見守ってくれる「母」を失うことなのだと思った。反抗期を経験することもなかった。母は反抗する対象としてはけなげで、切なかった。そして、10歳の時のままの父は圧倒的に大きな存在のまま、私を威圧している。死者を乗り越えることは難しいのである。おそらく、私は父親コンプレックスであると思っている。
父親不在の家庭では、母が父の役割までしなければならない。働いて、躾をして、家庭を守っていく母は必然的に厳しくなり、私たちは子どもは、母に甘えるわけにはいかなかった。
父を失うということは、同時にやさしく見守ってくれる「母」を失うことなのだと思った。反抗期を経験することもなかった。母は反抗する対象としてはけなげで、切なかった。そして、10歳の時のままの父は圧倒的に大きな存在のまま、私を威圧している。死者を乗り越えることは難しいのである。おそらく、私は父親コンプレックスであると思っている。