東京の田舎から

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自衛隊イラク派遣の日報が発見されたとの“問題”

2018-04-06 13:03:12 | 時事問題
自衛隊のイラク派遣時の日報が「今になって発見された」とのこと。そのことが公表されるまで1年も掛かったとかで、野党の多くは「問題だ」と騒いでいる。
 しかし、これは、それ程に問題にすることであろうか?
 すなわち、従来は紙の文書であった。ところが、今はパソコンのデータである。この違いは、紙の場合にはコピーは面倒であり、また保存にも厄介である。そのため、例えば、「回覧」のような場合には、見ただけで済ませてしまう。しかし、パソコンで送られてきたデータは、読むだけで済ます程度のものであっても、「後で読もう」と簡単にコピーしてしまう。そして、余りに簡単にコピーできるためにコピーしたことを、本人も忘れてしまうことは多いであろう。すなわち、これらの「発見されたデータ」は偶然に残っていたデータである。
 それが、後になって発見されたとして、故意に隠していたが如くに野党の多くは攻撃する。そして、このように激しい攻撃が予想されることから、偶然に保存されていて、後に発見されたとき、関係者は公表を躊躇する。これは当然の反応である。元々、保存されているべき場所にではなく、偶然に保存されていただけのものである。そこに残っていたことは保存した本人も忘れていたものである。
 このように考えると、「本来保存されているべきところ」にあるデータが廃棄されたときは、その他のコピーされたものは当然に廃棄されていたデータの筈である。廃棄しなかったのは、単に偶然に残っていたものであり、これが後から発見されたとして問題視することは、そのこと自体が不当であり問題なのである。
 このように、騒ぐ人達のパソコンにあるデータは、それ程に整理されているのであろうか? パソコンに保存されているデータをそこまで整理することは不可能である。突き詰めれば、消去したデータの復元も可能なのである。
 したがって、国の機関等では、原本を保管するべき場所においてそのデータが廃棄されたときは、そのコピー・副本は、廃棄されたものとして扱うべきである。但し、年金問題のように、直接に個人の利害に関わるものは、コピーであろうと何であれ、正確なデータの復元に利用するのは当然である。
 少なくとも、偶然に保管されていたデータが「後から発見された」と、騒ぐことは、有害にして無益なことである。野党は、些末な問題を騒いで、鬼の首を捕ったが如くに騒いでいるが、有権者を馬鹿にするのもいい加減にするべきである。マスコミもしかり。こんなことを大ニュースの如く報じるから、「マスゴミ」などと揶揄されるのである。

 それよりも、野党にある「二重国籍問題」とか、「野田中央公園の問題」などの野党に関係する疑惑はどうなっているのであろうか?
 野党の多くは、「他人には超厳しく」「自分には超優しい」。何かと言うと「国民に対して」と「国民」を利用するが、選挙の結果が国民の意思である。結果からは、多くの野党は国民から支持はされていないことを自覚すべきである。「国民が・国民が」と利用されるのは多くの国民にとって不愉快な筈である。