東京の田舎から

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東京都の「子供への虐待の防止等に関する条例」に呆れる

2019-02-23 21:34:55 | 時事問題
東京都は「子供への虐待の防止等に関する条例」を都議会に諮るとのことである。呆れた愚策である。今回の条例案のきっかけは、目黒区で起きた、5歳児の虐待死、千葉県野田市での虐待死であろう。これらの事件は、親の救いがたいバカさに起因していることは勿論であり、言語道断なことである。
しかし、そもそもは、今ある救済システムが機能しなかったことが原因である。悲惨な事件は、今あるシステムの運用がデタラメ、すなわち、事なかれ主義と無責任の極みで防げなかったのである。
東京都の条例案は、今までのシステムを生かせなかった反省も対策をせずに、無責任にも、これを家庭に丸投げして隠す目的なのではないかとさえ思えてしまう。小池東京都知事は、このような、一見、大衆受けする施策が好きなようである。家庭内での禁煙条例もそうである。家庭に責任を丸投げした。
そして、豊洲市場の混乱と開場の遅延も都知事のパフォーマンスとしか感じられないものであった。そして莫大な都税の無駄使いをしてくれた。
これも、そもそもパフォーマンスに乗せられて、こんな知事を選んでしまった都民の責任でもある。おかしな条例以前に、都知事選挙のときの公約は忘れたのか?

条例案では「保護者は、体罰その他の子どもの品位を傷付ける罰を与えてはならない」と書かれているとのことである。この条例案の通りであれば、子供が親の言うことを聞かない時、親はどうしたら良いのか? 昔から親は、子供の尻を叩いて、言うことを聞かせていた。もちろん、親としての愛情の発露である。これを禁止すれば、今度は、学級崩壊がそのままのような社会ができてしまう。
昔の学校では、子供が言うことを聞かない時、先生は体罰でこれを諌めていた。しかし、「先生」とも言えない「ヒゲを生やした子供」のようなアホな先生が増えて、子供に対して教育の一環としての体罰ではなく、「自分の怒りを発散」するための体罰をする輩が増えたため、一律に、体罰禁止にしてしまった。そのため、子供たちは、「怒られる」ということを知らないままに大人になり、社会にでてしまう。その結果が、今の善悪が判らない輩の大量増産である。これは根本を考えない、その場での弥縫策の積み重ねが原因であろう。あおり運転しかり、バカッターと呼ばれる悪戯と犯罪の区別の付かないアホ、モンスターペアレントしかりである。
 今回の事件は、そもそも父性・母性を喪失させてしまったことである。余りに便利になりすぎた反面にある、社会のギスギス感や自然と触れ合わないことから、生き物に対する感性や慈愛を失くしてしまったことから来ているのである。親が子供を殺すなどは、「マトモな社会」では考えられないことである。親は、自分の命に代えても子供の命を守ろうとするのが自然であり、そうであった。
 今回の事件は、条例などで禁止して済む問題ではなく、今ある行政などの職員の意識改革と共に、広く社会的な改革・・・昔に戻ることも含めて・・・が必要なのではないだろうか?