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ゲームクエスト投稿文の再録を終えて

2011-02-17 19:48:02 | ゲームクエスト
 ゲーム感想文投稿サイト【ゲームクエスト】が2010年3月に終了するという案内があったものの、仕事がとても忙しかった私は2月以降投稿することが出来ず、半端な気分のまま終了の日を迎えました。それからしばらくしたある日の事、何かの本を読んでいたら、「インターネットとはバカにも発言する権利を与えたもの」という言葉が書いてありました。ならば私にも権利があるのだろうとこんなブログを立ち上げたのです。どうせ一度はゲームクエストに投稿した身であり、バカなりにも与えられた発言権には責任を持たねばなりません。そんな経緯で、ゲームクエストに投稿していた文章の責任をここで取ることにしました。ブログ開設からこれまでに投稿文の再録を続けてきましたが、終えてリストを見ると、墓標が並んでいるようで複雑な気分になります。

 再録が終わったらゲームクエストなるものの総括をここでしようかと考えていました。ですが考えれば考えるほど総括する意義が見いだせなくなりました。なんせ当のゲームクエストは一部のアーカイブを残してこの世に無いわけです。編集部への不満などが無かったわけではありませんが、それを書いたところで、一体何に反映されるというのでしょうか。それよりも私個人がどのようにゲームクエストを利用し楽しんできたかを突き詰めた方が、読んで下さっている方々にとって参考になるかもしれないし、何よりこのブログの編集方針として活かすことができるでしょう。では私個人が感じていたゲームクエストの意義はどのようなものだったでしょうか。

 ブログやTwitterなどがこれだけ普及してきて、ゲームクエストにわざわざ投稿してまでゲームを語るなんてのは時代遅れであり、そもそもゲームクエストの寿命だったのでしょう。ただ、毎日の担当日記によって投稿者一人一人のキャラクターが閲覧者に意識されるようなサイト作りは独特で、そのようなゲームレビューサイトを私は他に知りません。その結果としてゲームの良い点や悪い点を羅列するだけではないサイトになっていたのは間違いありません。「そんな投稿者のキャラなんてどうでもいい」と思うか「面白い視点を持った人だなあ」と思うかで得られる情報も変わってきたと考えられます。ゲームの善し悪しが知りたいだけなら情報はいくらでもあります。ですが、自分とは異なる感性を持つ投稿者の文章を読んで、興味の対象が広がるような感覚がゲームクエストにはあったのです。「ゲームについての情報」と同等に「ゲームへの視点についての情報」を私は得ていたのです。

 一方、私がゲームクエストを通じて情報発信する側の場合の姿勢として、できるだけゲームの楽しい部分を示して褒めようとしてきました。なぜなら皆でゲームを楽しみたいからです。欠点を示さないのは公正ではないと考える人もいるかもしれません。ですが全員が全員わざわざゲームの欠点を挙げつらった結果、今までそんなこと気にしていなかった人にまで欠点として刷り込んでしまったとしたらどうでしょう。それは「目が肥えた」と言えるのでしょうか。私には「目が濁った」としか思えません。もちろんこれは私個人の立場なだけであって、ゲームへの批判を否定するものではありません。まさに「そういう視点もある」ということを示したかったのでした。

 ゲームに対する「客観的で公正なレビュー」って最も大事なことでしょうか? もちろんゲームに関係ないウソを書くのはいけませんが、「グラフィックが並以上」とか「操作性が劣悪」とか「有名声優を起用」とか「難易度が高い」とか、そんなことはおまけ程度に書いておけばいいのです。どうせ誰が書いたって似たり寄ったりだろうし、そういう点数を付けるようなレビューサイトは他にもあるからです。私にとって大事なのは、通信簿の五段階評価などでは知り得ない、プレイヤーがどれだけ楽しんだのか、どのように楽しんだのか、でした。つまり、プレイヤーの主観が重要でした。客観的意見よりも、自らの体験を思い入れでデコった主観的な「駄文」の方が遥かに読む意義があったのでした。

 以上が、「駄文ばかり」と揶揄されたゲームクエストを私が読みあさり、あまつさえ投稿までした理由です。ちょっと投稿文の傾向がいろんな方面に偏っていたのは自覚していますが、ゲーム語りの風潮を見渡して全体のバランスを取れないかと模索しながらのものでした。だから当時も極端な語り口を反省していたのですが、ブログとして記事を単体で読んでみると「何これ?」というのが多くて赤面ものです。いかに時代と場所に寄りかかっていたか、ということがあからさまに見えます。いや~恥ずかしい。

 ゲームクエスト終了の理由として、私を含めた常連が調子に乗りすぎて幅を利かせ、新規投稿者の参入を阻んでしまったからという可能性も否定できません。ただそれはゲームクエストを独占して私物化しようという意図があったからではありません。一投稿者として断言しますが、投稿者は他の人の感想文に影響され、新たな切り口や関係性を探り、その上でゲーム好き同士として交流したかっただけなのです。勝手な言い分だとはわかっておりますが、投稿者達にはそういう思いがあったということを閲覧されていた方々に理解していただけると有り難いです。

 ところで、この記事をここまで書いてきて、ゲームクエスト投稿時のテンションが戻ってきていることに気づきました。このテンション疲れるんですね。だから月一くらいの投稿ペースだったわけですが。さて、これからが大変です。ここまで書いた以上、このテンションでゲームに関する「主観的駄文」を書き続ける責任が私に発生したからです。頑張らないといけません。

 最後に、こうしてブログとしてまとめることになって、ゲームクエストのサイト上では叶わなかった他の投稿者の皆さんとの交流が持てたことは何よりの喜びでした。いつもコメントを下さっている甘茶さま、フーテンのドラ息子(どらお)さま、漫研(manken99)さまにはお礼を申し上げます。また「ゲームクエスト」等の検索で来ていただいた方々も、また訪問していただけると嬉しく思います。

【ゲームクエスト】西暦1999 ファラオの復活

2011-02-16 20:32:25 | ゲームクエスト
西暦1999 ファラオの復活(プレイステーション)

2010年1月6日掲載、これが最後の投稿文となりました。

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 西暦1999年と言えば日本ではノストラダムスの大予言がブームでしたが、「西暦1999 ファラオの復活」ってどんなバカゲー? というわけで買ってみました。制作は海外のロボトミーソフトウェア(ひどい名前…)です。ところが予想に反して、実に面白く、またよく出来たゲームでした。噂によるとサターン版とは異なる部分もあり、難易度も高くなっているらしいですが。

 エジプトっぽいステージでエジプトっぽいエイリアンを撃ち倒しながら、罠をジャンプで回避し、ステージの仕掛けを解いていきます。基本的にはFPSなのですが、そこにはあまりウェイトは無く、むしろスーパーマリオとか魔界村のようなジャンプアクションに近い印象を受けました。

 海外のFPSというと、リアルな戦場で血が飛び散るようなものを想像するかもしれませんが、本作での描写は非常に簡単なものになっています。容量の都合なのかもしれませんが、敵エイリアンは板に描いた絵のようで、リアリティーはあまりありません。自分の武器も最初はピストルとかマシンガンですが、最後には手から誘導レーザーを放つようになり、生々しさは希薄です。結果的に描写の問題から解放され、回避と地形と弾の残量の関係で成立する純粋なゲームとして遊ぶことが出来ました。

 動作も非常に滑らかでスピーディーです。3D酔いはまったくありませんでした。3D酔いの原因は左右に曲がる時の遠心力を無視した視点移動であると見ているのですが、本作で曲がる時には自転車のように画面が少し傾くために本当に自分で走っているようです。

 本作の核はジャンプアクションにあるといって過言ではないでしょう。ジャンプアクションなんて、それこそスーパーマリオのずっと以前から存在する普遍的でわかりやすいゲーム形態です。本作ではフィールドアスレチックのようなステージ構成のため、とにかくジャンプを駆使する必要があります。敵にやられるよりも、ジャンプに失敗して墜落死する場合が多かった気がします。さらに秘宝を取るごとにジャンプの能力が上昇します。そのたびに新たな攻略法が求められることになり、最後までたるむことはありませんでした。

 ステージ構成は立体的で複雑。そのうえ仕掛けによって閉ざされたドアが多いため、丹念に探索をする必要があります。個々の仕掛けは謎解きというほどのものではないのですが、徐々に行動範囲が広がっていくという手応えがあり、常に探索のモチベーションを維持できました。

 「このゲームは通常のゲームに比べ、難易度が高い」などと解説書に書いてあります。実際に何度もゲームオーバーになりました。即死トラップ、足場の落下、水中に閉じ込められるなどの罠で悔しい思いも数知れず。ですが、なんでゲームオーバーになるか、なんで難易度が高いかと言えば、ステージの攻略法が未知だから。それはつまり、繰り返しチャレンジしているうちに攻略法がわかってきて簡単になるということなのです。ゲーマーにとっては実にやりがいのあるゲームです。

 ただし、各ステージに隠されているロボトミーチームドールというやつだけは異常な高難易度! ゲームクリアには何の関係もありませんが、まともに遊んでいては1つか2つ見つけることができれば大したものでしょう。偶然にしか見つからない場合も多く、しかも取れる順番があるのです。さすがに私は攻略情報に頼ってしまいました。ロボトミーチームドールを全て見つけるとオマケのミニゲームで遊べますが、2人用オンリーだったのが残念。

 撃ってよし、跳んでよし、探索してよし、という完璧に近いプロポーションを持つ「西暦1999 ファラオの復活」。とにかくオススメ! いい買い物した!

【ゲームクエスト】X2

2011-02-14 20:59:15 | ゲームクエスト
X2(プレイステーション)

2009年12月17日掲載

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 一種類の敵がひたすら列を成して出現するメリハリの無い展開。クネクネと動きながら妙によけづらい攻撃をしてくる変なボス。思い出したかのように縦と横のスクロールが切り替わる子供だましのシステム。バランス型、パワー型、スピード型の3種があるがあまり違いが感じられない自機(スピード型の最高速は制御不能ですが)。でかいだけならともかく非常にわかりづらい当たり判定。女性の声で「ホーゥ!」とか叫んでる薄っぺらい感じの音楽。結構細かく作られているけど全く見る意味の無いオープニングムービー。「プログラミングに14ヶ月かかった」とかまるで編集後記のようなエンディングの字幕。

 以上、「洋モノ」シューティング「X2」に私が初めてトライし、コンティニューしまくりながらクリアしたときの印象です。ひどいことばかり書いていますが、これらを全部ひっくり返すくらいの凄い特徴があるのです。それは「自機が狂ったようにパワーアップする」という点です。

 とにかく同時に装備できる武器の数が凄いのです。最大6種にいつでも切り替え可能なメインショットのほか、弾速のあるサイドショット、敵にロックオンするエレクトリック・トラッキング・レーザー、前方に弾幕を張るスタンダード・ミサイル、さらに追尾兵器としてホーミング・ミサイル、レーザースネーク、プラズマ・スター・ボムの3種、これら加えてフォーメーションを組める支援兵器マルチプルズがあり、おまけにシールドとメガ・ボムも使えます。その様子は、まるで空間の裂け目が魔界の瘴気を放射しているかのようです。しかも一度装備した武器はやられても無くなりません。この豪快さは「洋モノ」ならではでしょう。

 よくあるシューティングでは自機のパワーアップに伴って敵もパワーアップします。ゲームバランスを取るためにはある程度有効な手法ですが、やりすぎると「パワーアップを取らないほうがラクチン」ということになります。パワーアップが、相対的なパワーダウンになっているのです。こういうシューティングは意外と多いのですが、私は疑問に感じています。

 「X2」ではこのようなシステムを採用していません。やる必要がなかったのか、やろうとしたけどできなかったのか、考えもつかなかったのかは知りませんが、思う存分パワーアップできるのは純粋に痛快です! このパワーアップ体験は新鮮でした。慣れれば割と簡単でした(私は二度目のトライでノーコンティニュークリアできました)。

 冒頭に書いたように全体としての出来はちょっとアレな感じなのですが、国産シューティングの常識を揺さぶるほどの衝撃はありました。今後は世界中が仰天し、うなるくらいの国産シューティングで遊んでみたいですね。

【ゲームクエスト】BUSIN 0 ~Wizardry Alternative NEO~

2011-02-12 18:46:12 | ゲームクエスト
BUSIN 0 ~Wizardry Alternative NEO~(プレイステーション2)

2009年11月25日掲載

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 魔女アウローラを倒し、その後にエンディングを迎え、そして初めて「BUSIN 0」の中での「生活」がスタートします。

 シナリオの途中ではいくらか会話をしていたゲストキャラたちも、エンディング後は一切しゃべりません。ランダムダンジョンで構成されたテバイードの塔が新たに現れますが、イベントも無く、全員黙々と戦闘をこなしていきます。

 だからといって、キャラに個性が無いわけではありません。職業や善悪の属性の他に、一人につき二つの性格が設定されます。これによってリーダーの行動が各キャラとの信頼関係に影響をおよぼすのです。友好的な敵と戦うと正義感のあるキャラの信頼度が下がったり、敵から逃げると臆病なキャラの信頼度が上がったり、様々な場合があります。戦闘に勝てば信頼度が上がり、それに応じてアレイドアクションという集団戦術を繰り出すことができるようになります。これが本シリーズの核となる面白さでしょう。

 キャラの職業によって使えるアレイドアクションが変化したり、パーティー内の位置によっても使えたり使えなかったりします。だから、「こいつが横にいるだけで頼もしい」とか、「後ろの援護があるから安心して戦える」とかの信頼関係がキャラの間に見えてきます。そうなると、ゲームシステムで設定された以上の個性が確立されてくるのです。

 仲間は何も言わないけれど、各々の研ぎ澄まされた能力こそが個性であり信頼の源。性格の違いで仲間が多少の不満を持つのも見えたりするのですが、それでも互いの持つ技術に根ざした信頼関係は揺らいだりしません。うちのパーティーは仲良しグループなんかではなく、互いを補い合う職人集団なのです。

 あらかじめ設定されたゲストキャラも面白い連中がそろっていますが、やはり自分が作ったキャラには愛着がわきますね。特に、村正二刀流のドワーフの将軍は戦闘でとにかく頼りになりますし、エルフの司教はアイテム鑑定もできるうちの参謀格です。彼らにはいつも世話になっています。

 うちのパーティーリーダーは今はワケ有りで怪盗になっており、さらに死神に憑依されています。いずれは聖騎士になってもらいたいところです。幸いにもカリスマという潜在能力を持っていたようで、仲間をうまくまとめています。

 仲間は職人、そしてダンジョンは職場です。私の人生に最終ボスなどいないのと同じように、シナリオクリア後のゲームはもはや日常生活です。毎日をベストに生きることがゲームの目的と言っていいでしょう。さあ、今日は何をしようか。

 「今日は魔法石の合成素材を集めよう」
 「今日は武器屋の注文の品を獲りに行こう」
 「レベルが低い仲間を鍛えよう」
 「そろそろテバイードの塔にアタックしよう」
 「今日こそ死神マップ限定アイテムをゲットしよう」
 「アレイドアクションを習熟しよう」
 「武器屋のアルバイト達のレベルを上げてやろう」

 これらのことはよく「やり込み要素」と言われますが、ここではむしろゲーム内での「生活」と言いたいところです。やり込み尽くさなくてもいいのです。日々を精一杯生き抜いて、信頼する仲間たちと少しずつ精進しているという実感がとても感慨深いのです。

 そしてダンジョンから戻り、武器屋に顔を出し、錬金術ギルドに立ち寄って宿屋へ帰るというお決まりの日常。ダンジョンで運が良ければ新たなアイテムが見つかり、宿屋で目覚めた朝にはちょっとだけ強くなっているというささやかなご褒美。その日の目的を決め、パーティーを編成し、結束を確認した時に満ちる充実感!

 こんなことが楽しいだなんて年寄りくさいのかもしれませんが、日常生活がここまで魅力的になるほどゲームシステム設計や雰囲気作りがうまいのが「BUSIN 0」です。うちのパーティーリーダーはレベル500を越えたあたりですが、まだまだここでの生活はやめられそうにありません。ぜひ本作の「シナリオクリア後」を楽しんでみてください。

【ゲームクエスト】ラティス

2011-02-10 19:18:01 | ゲームクエスト
ラティス(プレイステーション)

2009年10月2日掲載

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 細長い四角柱が連結したような格子(ラティス)を連想させるコースを疾走し、ひたすらに敵を撃ち障害物を避けゴールを目指すという3Dシューティングが「ラティス」です。コースは柱の4つの側面です。コースのつながりを解析し、アイテムを取りながら、時にはコースを逆走し、必要なルートを巡ります。

 このように書くと普通のゲームっぽいですが、本作は言わば「トランス系シューティング」です。そんな言葉が本当にあるかどうかは知りませんが、以下のような一定の特徴を持ったシューティングが世の中にいくつもあります。

 ・浮遊感を持った三次元視点
 ・スピード感のある比較的単純なゲーム内容
 ・目のくらむような抽象的な映像
 ・単調なだけに瞑想的な効果のある音楽

 操作、映像、音響の相乗効果によって、陶酔と覚醒を同時に迎えるような感覚になります。危険を感じるほどの没入感を得る人もいるかもしれません。トランス系シューティングでメジャーな作品としてはセガの「Rez」が挙げられます。先発していたこの「ラティス」も同系統に分類されるでしょうが、「Rez」とはかなり異なる印象があります。

 「Rez」はゲーム的な形はとっているけれど、そのインタラクティブ性だけを借用して、ゲームとは別のものへの没入感を伴うよう意図されていたと考えられます。一方で「ラティス」は、目を引く奇妙な映像と、単調な音楽とを利用することで、敵を撃ち障害物を避けるというゲーム作業そのものに没入させるよう設計されているようです。

 本作の方がより純粋なゲームに近いのですが、このことは操作性からも理解できます。「Rez」では方向キーと○×ボタンだけしか使いませんが、「ラティス」では方向キーと○×△□LRボタンの全てを使います。特にゲートを通過するために必要なキーカプセルに撃ち込む時など、L2とR2ボタンの左右移動と×ボタンのジャンプで障害物をかわしながら、R1+方向キーで照準を移動させ、□ボタンでショットを撃ちつつ、○ボタンで特殊武器を使い、カプセルを追い越した時には△ボタンで逆走する、という困難な操作が要求されます。さらにL1+×ボタンでハイジャンプ。

 しかも本作は難易度が結構高いように感じます。ワールド3あたりからラティスの構造が複雑になり、障害物の配置もシビアになってきます。道中で拾った特殊武器を惜しまず使うのがいいでしょう。難易度が高いとは言っても、きっちり覚えていけば十分に進めます。このようにゲームとしては本気の作りですが、この手のゲームを真面目に攻略することにどれほど意味があるかは、まあ横に置いておきましょう。

 ゲームメーカー大手が作った「Rez」がゲームから離れる方向の作品であったのに対し、マルチメディア屋さんが作った「ラティス」がゲームの原始的な部分を抽出したような作品であったことは非常に興味深い事実です。まさに、かつて人類がテレビゲームに遭遇した時の、あの「電子との戯れ」のような感覚を呼び起こさせるゲームです。

【ゲームクエスト】炎の料理人 クッキングファイター好

2011-02-08 20:05:08 | ゲームクエスト
炎の料理人 クッキングファイター好(ハオ)(プレイステーション)

2009年8月31日掲載

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 クソゲー・バカゲーブームも十年も昔の話になりました。これらゲームの独特のノリは、現在でもミニゲーム集やケータイ用ゲームなどに受け継がれているように感じます。ですがさすがにクソ・バカ要素だけでゲームを丸々一本こしらえるようなことは非常に少なくなったのではないでしょうか。

 この「炎の料理人 クッキングファイター好(ハオ)」はその筋では有名な作品で、当時の製作者達がバカゲー道を極めんとして作り上げた凄絶なバカゲーです。昔、そのあまりの凄さにシビレた私は本作を合計3本購入し、兄と友人に1本ずつプレゼントしたほどです。

 仰々しいオープニングの後にスタートしてみると、紙芝居風のストーリーパートが始まります。町の食堂にマントを羽織ったざんばら髪の男がやって来ます。そして店主に「ここに白い髪の女はいるか?」とたずねます。あれ? これ見たことあるぞ? と思ったら、「Gガンダム」の第1話にそっくりだと気付きました。この瞬間、「そういうノリか…」と覚悟を決めました。

 その後の展開や人物配置も「Gガンダム」です。「味魔王(あじまおう)」とか「味四天王(あじしてんのう)」とか「忍者料理人 味影(あじかげ)」とか字ヅラを見ただけで笑える連中が、期待通りの展開を、予想以上の本気っぷりで見せてくれます。

 肝心のゲーム部分(クッキングバトル)ですが、これがまた「なんのミニゲーム?」ってほどの脱力感みなぎる作りです。フィールドに豚とか牛とかの食材が歩いていて、それを攻撃して気絶させて料理にするというものです。そこからやるのかよ! 料理するためには○ボタンを押しながら方向キーをグルグル入力して調理法を選びます。なんてツブしの利かない操作方法! フィールドには対戦相手がいて、攻撃することでお互いに作った料理を奪い合えます。相手が作った料理を奪って相手に食わせても相手は味に感激して負けを認める、というこの点がとにかく決定的にバカなのです!

 フリー対戦モードでは好きなキャラを使ってクッキングバトルができます。キャラによって作る料理が異なるのですが、嘘か誠かよくわからない料理は全部で1782種類もあります。作った料理はアルバムで見ることができますが、かなりの好(ハオ)ラーじゃないとアルバムの全てを埋めることはないでしょう。もちろん私は全て埋めましたが。

 檜山修之、三石琴乃、鈴置洋孝などの豪華声優陣が、頭を抱えたくなるようなバカ(というよりマヌケ)な会話を、地球温暖化を加速させる勢いで交わします。私のツボに最もはまったのは、スパイシー・アニス(三石琴乃)が自分の作った料理をハオ(檜山修之)にまずいと言われた時の、「そんなことはぁ! 物理的にあり得ないッ!!」というセリフです。どう突っ込めばいいのでしょうか?

 本作の最大の目玉は、ハオが作った料理を食べた相手が料理の解説をする部分でしょう。文章では表現できないほどのカロリーの高さで、聞いている方も異様に力が入ります。私も久しぶりに本作を起動して夏バテがぶり返した感じです。去る夏をバカゲーと重ねて惜しんでみるのも風雅ですね。こんなバカゲーである「好(ハオ)」を作った日本一ソフトウェアこそ、ゲーム業界最後の日本一です!

【ゲームクエスト】グラディウス デラックスパック

2011-02-06 22:53:48 | ゲームクエスト
グラディウス デラックスパック(プレイステーション)

2009年7月16日掲載

グラディウスIIはプレステ2で動作不可

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 近所のゲームセンターにレトロゲームコーナーができました。現在そこには「グラディウス」と「グラディウスII」が隣り合って置かれています。私がそれらで遊んでいる時のこと。小学生から高校生くらいまでの何組かの若きゲーマー達が「お、グラディウスだ。ケータイでやったことある!」と話しているのを聞きました。初代グラディウスが発売されたのは1985年だから、もう24年も前です。レトロゲームとはいえ、大した知名度です。

 でも私はレトロゲームとは言いたくありません。なぜなら24年間ずっと挑戦し続けてきているからです。ちっともレトロではなく、現役なのです。アーケード版とプレステ版「グラディウス デラックスパック」をあわせて考えると、グラディウスで遊ばなかった時期は無いといえます。

 グラディウスについてはこれまでに多くのことが語られてきました。今さら私が魅力を語ったところで、それは既に誰もがどこかで読んだことがあるものになるだろうし、それによってグラディウスに面白さを見出す人が増えるとも考えられません。では今の私にしか語れないことって何だろう?

 しばらく考えて出た結論です。今の私は、「24年間遊び続けてもグラディウスの底が見えない、私の腕前ではまだ極めることはできていない」と言うのが精一杯なのです。

 1985年、私は中学生でした。それまでは「下手の横好きゲーマー」でした。ですがグラディウスを見たときに衝撃を受け、「好きこそものの上手なれゲーマー」になろうと決心したのです。

 まず最初の壁は4面でした。スピードアップを2速とってダブルにするとクリアできるようになりました。慣れると3速とってレーザーでもいけるようになりました。

 次の壁は2周目の1面です。敵を撃ったときの撃ち返し弾に慣れるまで大変でした。

 その次は2周目2面最後のワープ兵器「ザブ」の攻略です。撃ち返し弾を出させないために大量にワープしてくるザブを避けまくるオリジナルパターンを作りました。やられた時にも復活できるようになりました。

 2周目4面はダブルでクリアしていましたが、ステージ最後の雑魚ラッシュをレーザーで突破するやり方を知ったときは感動しました。

 3周目になるとさらに撃ち返し弾が増えますが、それ以上は難易度が上がらなくなります。したがって、とりあえずは3周目を極めたらグラディウスを極めたと言っていいでしょう。ですがどうしてもミスは付き物です。その場合に確実に復活できることが大事なのです。私はいまだに3周目以降の4面や7面で復活できずに終わってしまうのです。

 24年も遊んでいながらこの程度です。最後の壁が私にはとてつもなく高い。

 グラディウスの面白さを語りたいのに、この場では腕前自慢まがいの戦歴の羅列しかできません。レトロゲームではあっても若い世代に知られているグラディウスの奥深さを伝えるにはどうしたらいいか? あとはもう現場しかありません。よく考えたら、それこそがアーケードゲーマーのコミュニケーションですけどね。

 実は冒頭のレトロゲームコーナーでは、グラディウスで遊んでいる人はほとんどいません。でも、私が遊んでいるのを後ろから見ている人はたまにいます。私が中学生・高校生だったころは、誰かがグラディウスで遊んでいるのを後ろから見ていて、その技を盗んだものでした。だから、私が24年かけて集め、構築した技を若いゲーマーに盗んで欲しいのです。そして今の十代のゲーマーがグラディウスを何周もクリアしている姿を見てみたいですね。グラディウスが世代を超えて挑戦されているのを見ることができたら、こんなに嬉しいことはないでしょう。

 私にはまだグラディウスでやり残したことがあります。たとえ近所のゲームセンターから撤去されても、プレステ版で技は磨けます。そしてどこかのゲームセンターで、私がグラディウスで遊んでいるのを見て「なんか知らんが面白そうだ」と思ってくれる人がいれば、旧世代ゲーマーとして何も言い残すことはありません。

【ゲームクエスト】ゴーストパイロット

2011-02-04 15:55:16 | ゲームクエスト
ゴーストパイロット(ネオジオ)

2009年6月19日掲載

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 ネオジオシューティングの中で、おそらく最も顧みられることが少ないのが「ゴーストパイロット」でしょう(略してゴーパイ)。ネオジオ初期の作品で、「1942」と「飛翔鮫」を足して3で割ったようなシューティングです。「3で割る」とは、横画面で縦スクロールという寸詰まり感を表しています。ゴーパイがいまひとつ評価されないのはこれが原因なのですが、遊び方次第で独自の面白さを見出すこともできるのです。

 ゴーパイの自機は結構動きが遅く、しかも基本的に正面にしか攻撃できません。それに対して、横画面のために画面上方の左右広い範囲から敵が出現します。それらを全部倒そうとすると、敵のトリッキーな動きにやられてしまうことが多いのです。このことがどうにも爽快感をそいでいるのです。普通の縦スクロールシューティングのつもりでいると非常にストレスを感じるために、面白くないと感じた人もいたかもしれません。

 ですが、画面の半分の敵を倒し、もう半分の敵はよける、というゲームであるということがわかると意外なほど先に進むことができます。例えば自機が画面左側にいるとすると、画面の対角線から左上の敵は倒すとし、右下の敵はよけるとするのがわかり易いかもしれません。そのうちに敵が弾を撃つタイミングが読めるようになり、フラフラと寄って来た敵機をうまくさばけるようになるのです。シューティングの魅力は爽快感だけではありません。

 普通のシューティングでは「殺られる前に殺れ!」という勇ましさが必要なのですが、ゴーパイでは「ほっといても殺られないと判断したら殺らない方がいい」という世渡りのうまさが大事なのです。敵も自機もバラバラと弾を撃つような乱戦シューティングではなく、攻めと守りの境界線上で戦う「スペースインベーダー」の感覚に近いです。このようなちょっと古臭い面白さを持つゴーパイを、私は結構気に入っているのです。


【ゲームクエスト】ナイトレイド

2011-02-02 20:31:09 | ゲームクエスト
ナイトレイド(プレイステーション)

2009年5月14日掲載

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 評判の悪いシューティング「ナイトレイド」をあえて私が買ったのは冷やかし半分からであった。

 はっきり言って、本作のシステムは破綻(はたん)している! 狙って稼げないスコアシステム、しかもいつの間にかスコアがマイナスになりやがる。敵機を連鎖して破壊するという「ハグランチャー」、連鎖しません繋がりません、連鎖したらしたでいつ終わるのか読めません。画面の左上が多くの場合で安全地帯になるのは有名だし、ポーズが効かないのは異常である。

 ここまで破綻したゲームはまずないだろう。私も初めは「ゲームになっとらん!」と思っていた。だが、これを理解して楽しむためのヒントがグラフィックにあった!

 薄暗いステージに、奇妙な幾何学形状の敵機がうごめき、ドロドロと弾を吐き出す。抽象的な背景に、不意に混ざる具象的なイメージ。突然画面を埋め尽くす大量のおにぎり! 統一感無し、説明不能、意味不明、言い知れぬ不安だけが拡大する。

 シュールだ。そう、本当の意味でのシュールだ。シューティング界のシュールレアリズム(超現実主義)だ。昼とも夜ともつかない空間を異形のモノの列が通り過ぎる、シュールレアリズム絵画そのものだ。

 シュールレアリズム絵画は、世の常識が破綻する意識のはるか奥底のイメージを絵にしたものである。そもそも形も無く意味も無いものを、わざわざ額縁の中に閉じ込めて真面目に鑑賞しようという倒錯が、シュールレアリズム絵画の醍醐味だ。

 したがってこの「ナイトレイド」の楽しみ方も見えてくる。それは、破綻を踏まえて本気でプレイすることだ。破綻したシステムを取捨選択して自分なりの秩序を組み立てるのもいいし、破綻を全て受け入れてなんでもありのプレイをするのもいい。破綻したシステムさえも、ゲームとプレイヤーの関係という上位システムに組み込んで、プレイヤーに挑戦しているのだ。

 本作にはシュールレアリズム絵画同様に「破綻の美学」が込められている。そこを理解して本気でプレイできれば、他のゲームとは一味違った満足感が味わえるはずだ。

【ゲームクエスト】ティズ トウキョウ・インセクト・ズー

2011-01-31 20:19:08 | ゲームクエスト
ティズ トウキョウ・インセクト・ズー(プレイステーション)

2009年4月23日掲載、これもちょっとどうなんでしょう。

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 夏休みのある日、不思議な少女に出会った主人公のリョウは突然カブトムシになってしまった。リョウは戸惑うが、カブトムシの仲間達とともに「お母さん」を探して森や砂漠など様々な場所を冒険することになった。だが、そこは閉鎖間近の「東京昆虫博物館」の中であり、環境の制御が失われて気温が低下していく。虫たちの運命はどうなるのか、なぜ主人公が虫になったのか・・・。

 これが「ティズ トウキョウ・インセクト・ズー」のあらましである。なかなか興味深い展開であり、クリアしてしみじみとした気分を味わった。素晴らしい作品である。絵本が原作であるらしい。本作のことがとても気に入っているという人もいるだろう。

 だが私は納得していない。なぜなら、本作のオビに「ゲームを、ゼロから変えてみた。Playing Movie Game」と書いてあるからだ。こうきたら、あとは私のいつもの主張である。

 「作品」としては素晴らしくとも、これは断じて「ゲーム」ではない。ゼロ(原点)から変えてしまったものはもはやゲームではない。もしオビに「インタラクティブ・デジタル絵本。お子様の誕生日プレゼントに最適!」と書いてあれば私も納得できるのだが。

 例えば「ラーメンをゼロから変えてみた」としよう。麺の代わりにご飯を、スープの代わりにカレーを入れてみたとしよう。果たしてこれをラーメンと言えるのか? こんなものは「ラーメンどんぶりに入ったカレーライス」であると誰もがわかるのに。

 知恵(と操作技術)を使って勝利を目指し、その過程を楽しむのがゲームだ。かつてゲーマーはゲーム戦士だったものだ。ゲームとは何かを「描く」ためのものではないのだ。描かれたものを「観るだけ・読むだけ・眺めるだけ」のものはゲームではない。ゲームではなくなったものを「革新的なゲーム」みたいに表現してはならない。

 面白ければなんだっていい、と言う人もいるだろう。全くそのとおりだ。面白ければゲームでなくともいいのだ。これはゲームである、とさえ言わなければいいのだ。売れるものを作るのは企業として当然で、消費者がそれを求めているのである。ただし、国内に限り。

 日本のゲームが世界に通用しなくなってきていると言われている。ごく端的に言って、その原因を私は次のように考えている。かつての日本のゲームは緻密な設計のために世界に認められていた。だがゲーム機の性能向上に伴って、「緻密」であることと「繊細」であることが混同され、(ゲーム以外の)何かを繊細に「描く」ことにばかり向かってしまい、緻密さが失われたのである。繊細さとは日本人の特性なのだろうが、海外で必ずしも理解されるとは限らない。今後の日本のゲーム業界に必要なのは、何かを繊細に描くためのクリエータではなく、ゲームを緻密に設計する職人なのである。

 本作はプレステ初期に発売された。やはりそうだ。当時の多くのクリエータは何かを描きたかったのだ。確かにその当時、このようなものを描こうとすれば、プレステなどのゲーム機で開発するのが簡単だし、しかも金になっただろう。だがその時点でラーメン屋がラーメンという名のカレーライスを作ってしまったのだ。変わっていないのはゲーム機という器だけ。そしてこれをなぜか新しいラーメンだと思い込んでしまった消費者も多かった。古くからの客が「最近のゲームはつまらない」というのもよくわかる。ラーメンを待っていたのにカレーライスが出てきては納得がいかないだろう。今となっては、ゲームを3あたりから変えてみたWiiとDSには期待したいところだ。

 業界への文句ばかり書いてしまったが、デジタル絵本としては本作をオススメできる。さすがに今見ると技術的には未熟だし、中盤にはどこにいけばわからない時もあったが、斬新な部分もいくつかある。会話は字幕なしのフルボイスで、ホンジャマカの石塚氏や爆笑問題の太田・田中両氏のほか、前田愛氏(声優ではなく女優さんのほう)も出演しているので、そちらのファンの方もどうぞ。