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ストラヴィンスキー:詩篇交響曲、他

2018-04-08 21:27:05 | CD


イーゴリ・ストラヴィンスキー:
・詩篇交響曲 〜合唱とオーケストラのための

アレキサンドル・スクリャービン:
・交響曲第3番「神聖な詩」 作品43

指揮:ダニエル・バレンボイム
パリ管弦楽団合唱団
パリ管弦楽団

BMGビクター: R32E-1080



 「詩篇交響曲」はストラヴィンスキー中期の新古典主義時代の代表作の一つとして挙げられることがあります。確かに新古典主義的な明快な作風ではありますが、ストラヴィンスキーの作品にしては非常に「甘ったるい」ものを感じます。

 「詩篇交響曲」はアメリカからの委嘱で作曲され、ストラヴィンスキーの最初の大規模な宗教曲です。交響曲とはいっても、ヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネットを含まず、合唱を伴うという非常に変則的な編成を持っています。全3楽章構成で、それぞれに聖書の詩篇が歌われます。そして確かにストラヴィンスキーらしい鋭いリズムや斬新なハーモニーや巧みな木管楽器の使用法などを聴き取ることができます。それらに加えて、他の作品では聴かれないような「甘ったるさ」があります。

 その正体はなんなのかはっきりとは言えないのですが、特に第3楽章で顕著なような気がします。盛り上がりを意識した旋律、わかりやすい転調、シンプルながら分厚い合唱などにそれを感じるのです。他のドライな作品群に比べて、なんかこの曲は人間臭いというか、人恋しさみたいなものが感じられます。らしくないと言えばそうなのですが、それだけに印象的な作品。



 上の動画はエト・スパンヤール指揮の第3楽章。なかなかの熱演。最初の硬質で神聖な響き、前半のリズミカルな楽想からさえも独特の「甘さ」が感じられます。後半部はストラヴィンスキー最大級の甘さですね。

 カップリングのスクリャービン交響曲第3番「神聖な詩」はこれまた水っぽくて新興宗教がかった一曲。私はこの曲がさっぱりわからないのですよ。こちらもスクリャービン中期の代表作の一つで、最大規模の作品です。この作品を作曲していたころ、スクリャービンは神智学なる怪しげな思想にはまっていて、どうもその世界を交響曲にしたようです。序章を伴う全3楽章で、第1楽章<闘争>、第2楽章<快楽>、第3楽章<神聖な遊び>というプログラムが与えられていて、これだけでもドン引きものです。

 曲はとにかく長くて、50分くらいかかります。しかもそのうち第1楽章だけでも30分もあります。オーケストレーションはまだまだヘタクソで、絃楽器主体の旋律に金管楽器が和音を奏で、ときおり木管楽器がピーヒャラいう感じですが、ソロヴァイオリンやソロトランペットが目覚め始めており、その後の作風の確立を予感させます。

 全体的に聴きやすく、瞬間的にゴージャスな耳触りではあるのですが、同じような雰囲気でメリハリに乏しく、ちょうど同時代のリヒャルト・シュトラウスの交響詩(「ツァラトゥストラはかく語りき」みたいな)のような雰囲気。とにかく長いのです。後半の第2、3楽章になるとやっと少し雰囲気が変わり折り返し地点だなあと、ほとんど耳で聞くマラソンです。



 こちらはディーマ・スロボデニュークの指揮。こちらもかなりの演奏です。とにかく長いですが。

 そんなわけでストラヴィンスキーとスクリャービンの中期の代表作をカップリングしたといいながら若干マイナー感が有り、かつ異端のセレクション。いずれはスクリャービンの方もしっかり感じることができるようになりたいものです。


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ヴァレーズ:アルカナ、アンテグラル、イオニザシオン

2017-07-30 21:53:56 | CD


エドガー・ヴァレーズ:
・アルカナ
・アンテグラル(積分)
・イオニザシオン(電離)

指揮:ズービン・メータ
ロスアンジェルス・フィルハーモニック

ポリドール: POCL-2346



 西洋音楽はメロディ・リズム・ハーモニーで出来ている、というのは19世紀まで。20世紀に入るとメロディ・リズム・ハーモニーをさりげなくブチ壊したドビュッシーや、メロディとハーモニーをあからさまにブチ壊したストラヴィンスキーなどの影響が強くなり、音楽はいよいよ多様化を始めます。それと同時に先鋭化も進み、中にはイタリアの未来派のように機械文明を賛美し音楽に機械の騒音を取り入れたグループも現れました。フランス生まれの作曲家エドガー・ヴァレーズもそれらの影響を多大に受けた一人です。

 ヴァレーズの作品は多くありませんが、いずれもこれまでの西洋音楽では理解のできない複雑さや騒々しさを持っています。ロマンティックな19世紀音楽に慣れた耳にはつらいかもしれません。タイトルも科学的な単語が使われていたりして、人間の個人的感情のようなものを排除しております。そんなヴァレーズの作品の中からメジャーどころの3曲を収録したのがこのCD。

 1曲目の『アルカナ』は大編成オーケストラのための作品。5管編成、68人の弦楽器、40種の打楽器が必要とのこと。特に管楽器では、イングリッシュ・ホルンやバス・クラリネット、コントラ・ファゴットは当たり前に使われており、さらにヘッケルフォーン(バリトン・オーボエ)とかコントラバス・トロンボーンとかコントラバス・テューバなどの珍楽器も使われています。

 タイトルの『アルカナ』とは錬金術における奥義を意味し、曲の雰囲気も「神秘の探求」といったアヤシゲなものであり、人知を超えた音楽の奥義を手探りしているような印象。メロディーは分解されて残っているのは音形のみ、打楽器による何かの信号音のようなリズムの断片、ハーモニーに至ってはその概念すらも存在しないかのようです。それでいて全体はブロック構造をしているのがなんとなく把握できます。曲に乗っかって、その構造を分析したくなるようなメタ音楽と言えるのかもしれません。

 2曲目のタイトル『アンテグラル』とは「積分」の意味。積分とは数学のあの積分のことですが、どのへんが積分なのかは誰にもわかりません。こちらも大編成オケで、曲の雰囲気も『アルカナ』に似ていますが、ジャズっぽい断片や木管楽器のソロなども現れたりして起伏に富んでおり、こちらの方がやや聴きやすいでしょう。とはいえ、これを聴いて勉強(数学)がはかどる、なんていう人はある種の変態に違いありません。

 3曲目の『イオニザシオン』というタイトルは「電離(イオン化)」の意味。おそらくヴァレーズの作品の中で最も有名でしょう。13人の奏者による37種類の打楽器のみによって演奏されるという、西洋音楽初の打楽器アンサンブルとして名高い作品です。チャイム、チェレスタ、ピアノが編成に含まれていますが、それらは徹底して打楽器的に演奏されます。ここではリズムのみが存在し、メロディとハーモニーは原子レベルで分解しており、それがこのタイトルに妙に合致しているような気がして面白いところです。他にも複数のサイレンが使われていますが、それが音楽として非常にマッチしているのがヴァレーズの非凡なところでありましょう。



 上の動画はピエール・ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランによる演奏。さすがに分析的ですね。

 これらのようなヴァレーズの音楽は20世紀のクラシック音楽に大きな影響を与え、ますます多様化が進み、そのほとんどが聴くに堪えないゴミのようになってしまいました。ですが、私にとってはそれが宝の山のように見えるのです。

 ちなみにどうでもいい話ですが、学生時代にオーケストラの部内演奏会みたいなのがあって、その時に同期でなにか演奏しようということになりました。そこで私が『イオニザシオン』を10人で演奏できるようにアレンジした譜面を作り、それを無理やり演奏させたということがありました。聴く方も「?」、演奏する方も「?」、喜んだのは私だけだったという地獄がありましたとさ。


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スクリャービン/ネムティン:神秘劇序幕より「宇宙」、他

2017-01-09 23:27:00 | CD


アレキサンドル・スクリャービン、アレキサンドル・ネムティン:
・神秘劇序幕 第1部「宇宙」
 ピアノ:アレクセイ・リュビモフ
 オルガン:イリーナ・オルロヴァ
 ユルロフ・ロシア合唱団
 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮:キリル・コンドラシン

・交響的詩曲 ニ短調
 ソビエト国立放送交響楽団
 指揮:ボリス・デムチェンコ

・ピアノと管弦楽のための幻想曲
 モスクワ放送室内管弦楽団
 指揮:ミハイル・ユロフスキー

Russian Disc: RD CD 11 004



 スクリャービン先生はモスクワ音楽院ピアノ科を出ており、作品の多くはピアノ曲ですが、交響曲もそれぞれ趣向を凝らした5曲があることを知っているのはなかなかディープなマニアでしょう。

 ある日、私は石丸電気でまだ聴かぬイカした曲はないかと店内をうろついておりました。そこでスクリャービン先生のコーナーを見ていたら「スクリャービン:交響曲第6番『宇宙』」という手書きのラベルが入ったCDがありまして、それを見た瞬間に「ウソつけコノヤロウ!」と憤慨しながらCDを持ってレジに走って購入したのでした。

 秋葉原の今はなき石丸電気、その輸入版クラシックCDには手書きの日本語タイトルが記入されたラベルが表示されていました。そしてそこにはこのように天然ともネタともつかない奇妙なタイトルが付けられていた場合が往々にしてあったのです。

 それにしてもありえない第6番のナンバーと、「宇宙」というデカいスケール。いったい何をどう間違ったらこんなタイトルになるのかと家に帰ってCDを検分してみると、どうもこの曲はもともとスクリャービン先生が「神秘」という曲として構想してたもののようです。音と色彩の共感覚の持ち主であったとされるスクリャービン先生は交響曲第5番「プロメテウス」にて音楽と色彩の融合を意図したわけですが、それをさらに推し進めて、光、香り、舞踏などを伴ったマルチメディア芸術として構想されていたのが「神秘」だったそうです。この作品はインドの寺院で数日にわたって上演されるというイメージがあったようで、もともと奇人変人だったスクリャービン先生でしたが、このころは誇大妄想が暴走してかなりイっちゃってたようです。そんな先生は唇の虫刺されが原因で43歳の若さで亡くなってしまいました。なんという損失!

 そんないきさつから永遠にお蔵入りするかに思われた「神秘」ですが、ネムティンなるロシアの作曲家が26年の歳月をかけて補筆完成させたのが「神秘劇序幕」であり、その第1部が本CDの「宇宙」なのだそうです。「神秘」のエピソードは知っていましたが、さすがに「宇宙」までは知らなんだ。ちなみに第2部は「人間」、第3部は「変容」だそうです。なんとなく交響曲第3番の構成に似てる?

 さてそんな「宇宙」を聴いて感じました。これは『プロメテウス』の拡大コピーじゃないかあ!

 従来のスクリャービン先生の管弦楽法と同様に、妖艶なソロ・ヴァイオリン、独自の自我を持ったかようなソロ・トランペット、神界へと飛翔するトリルを奏でる木管楽器が全編にみなぎります。その上でピアノ、オルガン、歌詞のない合唱が炸裂し、全体を極めて無調な「神秘和音」が支配するのがまったく『プロメテウス』そのまんま。しかも演奏時間が40分と拡大されております。けれどもネムティン氏はあえてこのようにスクリャービン的マンネリズムを拡大したのでしょう。

 とにかく細部のモチーフも全体の構成も何が何だか判別することもできないのですが、とにかくやたらとスケールが大きいのはよくわかります。「宇宙」のタイトルは伊達ではありません。映画『2001年宇宙の旅』で流れていてもおかしくないような音楽です。



 こちらの動画は最初と最後の部分をダイジェストとしてまとめたもののようで、これだけでも精神が宇宙(というかあっちの世界)に行ってしまいそうです。

 いずれ第3部までの通しの演奏を聴かねばならんでしょう。3時間かかるらしいですが。

 カップリングの『交響的詩曲 ニ短調』は24〜5歳のころの作品のようで、まだワーグナーの影響もありながら、若きスクリャービン先生特有の過度にドラマティックな旋律が前面に出ている作品。作品番号もなく、先生としては習作なのかもしれません。交響的詩曲、と書きましたが、「Symphonic Poem」ですから「交響詩」と書いても正しいです。けれども「詩曲」というジャンルを開拓した先生に敬意を表して「交響的詩曲」と呼びたいところ。

 もう一曲の『ピアノと管弦楽のための幻想曲』はさらにさかのぼり15〜6歳ころの作品です。こちらはショパンのような華麗なピアニズムにいまひとつ冴えない管弦楽がからむという、良く言えば若々しい一曲。幻想曲とはいえ、とにかくクソ真面目に作られているなという印象。ところがどの作品リストにも載っておらず、このディスクで存在を初めて知りました。本当にスクリャービン先生の作品なのか?と疑問を持ちましたが、聴いてみると明らかにスクリャービン節でありました。

 というわけでいろんな意味でインパクトのある『宇宙』と、マイナーな初期2曲のディスクであります。スクリャービン先生はひょっとしたら音大のピアノ科のお嬢様方御用達のちょっと濃厚な作曲家ていどに認識されているかもしれませんが、生真面目なだけに狂気にも際限がないという両面が垣間見える一枚でありました。


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コーツ:交響曲第1番、第4番、第7番

2016-10-23 22:18:56 | CD


グロリア・コーツ:

・交響曲第4番 「明暗」
 指揮:ヴォルフ=ディーター・ハウシルト
 シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第7番 「平和な時に壁を壊す者たちに捧ぐ」
 指揮:ゲオルク・シュメーヘ
 シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第1番 「開放弦による音楽」
 指揮:エルガー・ハワース
 バイエルン放送交響楽団

CPO: 999 392-2



 アメリカ生まれの女流作曲家グロリア・コーツは大変に多彩な人のようで、作曲家の他にも女優や画家などの肩書きもあるそうです。このディスクのジャケットも彼女が描いたものです。

 で、その音楽はといえば、サイコホラーのような極めてダークな感じの作品ばかり。不協和音や変則リズムやその他モロモロのデタラメだけの音楽ではないような気はするのですが、伝統的な形式にとらわれずに、暗い音素材を繰り返し、不気味な伴奏を次々に重ね、真っ黒いかたまりのような作品になっております。なにより、グリッサンドを多用しているために大変な不安定感があります。まさにサイコホラー映画において自己が変容していく様を思わせます。

 最初の交響曲第4番には「明暗」と表題がついていますが、ネイビーブルーとエボニーブラックの差くらいにしか感じられません。3楽章構成で、それぞれ「イルミネーション」「神秘的な破裂音(Mystical plosives)」「夢の連続(Dream sequence)」などのよくわからないタイトルが付いています。第1楽章では絶望的に暗いながらも聴きやすい和音進行ですが、楽章が進むごとに抽象性が増していくのがだんだん深みにはまっていくようでたまりません。

 次の第7番の「平和な時に壁を壊す者たちに捧ぐ」とはベルリンの壁のことでしょうか。作曲年代は1990〜1991年とあり、ベルリンの壁崩壊は1989年なのでおそらく間違いないでしょう。こちらも3楽章構成で、「時の回転木馬(Whirligig of Time)」「時のガラス(Glass of Time)」「時の回廊(Corridors of Time)」などの意味深なタイトル付き。そうかといって何かエピソディックな音楽というわけでもなく、むしろ微分音やトーンクラスターを用いた晦渋な絶対音楽です。あるいはデザイナーズ音響といった雰囲気で、なんとなくペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」を思わせます。ところどころ次の交響曲第1番に似ているように聴こえます。

 そしてその第1番「開放弦による音楽」ですが、これがまたイカした音楽なのです。



 弦楽のための作品で、ひょっとしたら特殊な調弦をしているのかもしれません。特に第1楽章が最高で、テーマとなる数音のモチーフを繰り返しながら、ギュインギュインとうねるグリッサンドやバッチンバッチンと叩かれるバルトーク・ピチカートが重なっていくのが病みつきになります。第2楽章はリズミカルなスケルツォ。ダークながらもユーモラスな印象です。第3楽章は真の太い音が持続する東洋的な音楽。そして最後の第4楽章は「43声のための屈折鏡像カノン」というなんだかそのうちラノベに出そうなタイトルで、とにかくウネウネしまくっています。

 というわけで、とにかく意味が有るような無いようなタイトルとダークでうねる音楽は聴く人を選びまくるでしょう。毎日が楽しくてしょうがないという人がコーツの曲を聴くのは時間の無駄でしょうが、毎日生きるのがつらいという人には希望になる曲かもしれません。ペッテションの交響曲とともにオススメです!


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シリングス:メロドラマ「魔女の歌」

2016-08-07 21:17:42 | CD


マックス・フォン・シリングス:

・交響的プロローグ「エディプス王」 Op.11
・ヴァイオリンとチェロ、小管弦楽のための「対話」 Op.8
・花の踊り
・メロドラマ「魔女の歌」 Op.15

指揮:ヤン・ストゥーレン
ヴァイオリン:エリザベート・グラス
チェロ:アルバン・ゲルハルト
語り:マルタ・メドル
ケルン放送管弦楽団

CPO: 999 233-2



 私は普段、カピカピに乾いた新古典主義の音楽とか、燃えないゴミのような現代音楽を好んで聴いているのですが、クラシック音楽の最大派閥といえばやはりロマン主義なのでありましょう。だから全くロマン主義音楽を無視するわけにもいかないのですが、それだったら極端に濃厚なロマン主義的音楽を聴いてやろうじゃないかと考えて行き着いたのがこのマックス・フォン・シリングスのディスク。

 シリングスはフルトヴェングラーの師匠であり、親ナチスであった指揮者兼作曲家。ナチスとの関係で戦後しばらくは作品の演奏が禁止されていたそうで。なんせワーグナーの音楽もナチスに利用されていたし、とにかくロマン主義音楽には人を酔わせる力が強いのです。

 さてこのディスクを聴いてみると確かに極めて濃厚なロマン主義で、私なんかは聴いただけで血糖値が上がりコレステロールが溜まってきそうです。音楽の特徴としては全体的に歌曲のようであり、対位法的な線は薄い感じです。管弦楽法としては非常に古臭い印象。ただしそれは旋律のパワーを純粋に表出するための意図的なものである可能性も。半音階的な旋律はワーグナーゆずりですが、ライト・モティーフを縦横に編み込んだワーグナーとは違って一つの素材をズドンと分厚く仕上げたあたりにくどいまでの濃厚さがあるような気がします。濃厚さで言えばひょっとしたらシェーンベルク一派(とくにアルバン・ベルク)に近いのかもしれません。

 1曲目の「エディプス王」からしていきなり濃厚で、しかもえらくひなびた音色で、一昔前のNHK大河ドラマのBGMみたいです。4拍子で3拍目の裏でブレス(のような間)を入れるあたりなかなかのあざとさで、真面目に聞いていると非常に息が詰まってきます。

 2曲目の「対話」は2つの楽器のからみを追求した純粋な器楽曲かと思いきや、ほとんど交響詩のような深刻さ。ただオケ的な音色はこのディスクの中では最も透明度が高いでしょう。

 3曲目の「花の踊り」は作品番号も付いていない5分程度の小品。それでいてチャイコフスキーの「花のワルツ」に真っ向から張り合うようなキャッチーなワルツ。ある意味この中で一番濃厚です。半音階的進行もここまで徹底的にやれば逆にスッキリします。演奏会のアンコールで演(や)ってみたいですね。

 4曲目はメインの「魔女の歌」ですが、ドイツ語での語りがなんだか強烈で音楽がいまいち頭に入ってこないのです。歌詞のフォローはしていませんが、音楽が暗く湿っぽいので、鬱蒼とした森の奥深くに棲む魔女の悲劇がなんとなく見える気がします。

 というわけで、ロマン主義音楽ファンなら脳汁がドバドバ分泌するであろうこのシリングスの音楽、ぜひ聴き込んで消化して私に語ってくださいませ。



 こちらの動画はユルゲン・ブルンス指揮によるさらにひなびた音色の「エディプス王」。古代ギリシャの悲劇というよりはヨーロッパ中世の騎士道物語のようです。

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ミャスコフスキー:交響曲第24番、第25番

2016-05-05 22:58:06 | CD


ニコライ・ミャスコフスキー:
・交響曲第24番 ヘ短調 Op.63 ウラディーミル・デルザノフスキーの思い出に
・交響曲第25番 変ニ長調 Op.69

指揮:ドミトリ・ヤブロンスキー
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

NAXOS: 8.555376



 旧ソビエト連邦最大の交響作曲家とも言われるミャスコフスキー、交響曲を27曲も作っています。ソビエト共産党に迎合したということで長い間無視されてきましたが、近年は再評価がされているらしいです。私は現時点で、ミャスコフスキーの作品をこのディスクにある2曲しか聴いたことがなく、この作曲家をとても語れるわけがありません。まあけれども、第一印象として感じたことを述べることはできるかもしれないので、勇み足も恐れず記事を書いてみます。

 ソビエト共産党が芸術の内容にまで口出しして推し進めた「社会主義リアリズム」という芸術運動は、「革命の歴史を具体的に描写し、その(表向きの)主人公である人民を英雄的に描き、体制への不満をそらす」というものでした(後半は私の悪意ある解釈)。この運動に対し、先進性の強いショスタコーヴィチなどは激しく葛藤し、共産党に粛清される直前にまで至りました。一方このミャスコフスキーの場合は比較的うまくやったようです。政治的にというよりは、ミャスコフスキーがもともと持っていた音楽性(明快さ、ドラマ性、歌心など)が社会主義リアリズムと親和性が良かったからという気がします。というのがこの2曲を聴いた印象です。

 交響曲第24番は3楽章構成です。全体として音素材はそれほど多くはないですが、それらが次から次へと繰り返し淀みなく展開して、ある種の説得力を持っていると感じます。素材にはロシア民謡的な「歌えそう」なものが多く、それを半音階的なウネウネした伴奏が取り囲んでいます。ちなみに一部の素材の音型がショスタコーヴィチの交響曲第12番(体制に迎合的な一曲)と似ているように思えるのですが、これは私の考えすぎでしょう。ショスタコの方が随分と後の作品ですが。

 私が好きなのは3楽章です。特に気に入っているのが、トロンボーンとテューバによるコラールで、単純な旋律ながら半音階を駆使した複雑なハーモニーが現代的です。その後も主題の展開を次々に繰り出して、最後は非常に穏やかに終わります。下の動画はスヴェトラーノフ指揮の第3楽章で、2:31からがコラール。



 交響曲第25番も同様に3楽章構成。全体としてなんとなく24番と同じような雰囲気ではありますが、チャイコフスキーのような書法もあったり、第3楽章がアツかったりで、こちらを好む人の方が多いかもしれません。

 というわけで、社会主義体制の国家がなくなりつつある現在になってようやく純粋に音楽として評価され始めたミャスコフスキーの作品ですが、交響曲第24番と第25番に関して言えば、歌えそうな旋律を明快に展開させながら、ロマン主義的なニュアンスある曲に仕上がっていると感じました。2曲とも30分ちょっとであり、大作と言えるようなスケール感はないかもしれませんが、演奏会の中プロあたりで演ってみたい曲でした(その代わりメイン曲は軽めの組曲か何かで)。

 ミャスコフスキーには多くの弟子がいたようです。そして孫弟子にはシュニトケもいます。このディスクの2曲のように平易さと複雑さとドラマ性とその他様々な要素を包括しているミャスコフスキーの音楽が、シュニトケらの多様式主義の源流の一つであるとしても不思議ではありません。

 最後にどうでもいい話ですが、ミャスコフスキーの誕生日は4月20日で、それは私の誕生日でもあります。変なところで親近感が湧いてきたので、他の作品をいろいろと聴きたくなりました。

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自動ピアノ4  1920年代のオリジナル作品集

2016-03-13 22:18:13 | CD


・ストラヴィンスキー:ピアノラのための練習曲
・ヒンデミット:トッカータ
・ハース:ハ長調のフーガ
・ハース:間奏曲
・トッホ:習作IV:ジャグラー
・トッホ:ヴェルテ=ミニョン・ピアノのための3つの独創的小品
・ムンク:6つのポリフォニックな練習曲 エレクトリック・ピアノのための
・ロパトニコフ:スケルツォ
・カゼッラ:ピアノラのための3つの小品
・マリピエロ:ピアノラのための3つの即興曲
・デュシャン:彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも:音楽的誤植
・アンタイル:メカニック 第1番
・アンタイル:バレエ・メカニック 4台のピアノと8手のための

ベーゼンドルファー・グランドピアノ
監修:ユルゲン・ホッカー

MDG: 645 1404-2



 自動ピアノと言えばナンカロウのようなキワモノのイメージがありますが、このディスクではリストを見てもわかる通り結構メジャーどころの作曲家が並んでいます。中には作曲家でない人も混ざっていますが……。

 自動ピアノ作品の魅力はなんといっても人間には到底演奏不可能であることです。複雑で高速なリズムを正確に刻み、広い音域をよどみなく横断し、何十もの音を同時に発生させるのは機械でしかできません。とはいえ、この作品集ではナンカロウのようなブッ飛んだものは少なめで、非常に聴きやすい一枚になっています。

 特にお気に入りなのがエルンスト・トッホの『ジャグラー』です。



 最初はファミコンの音楽のような雰囲気ですが、どんどん音の量が増えてきます。まさにジャグリングをしているように、投げ上げるボールが次々と増えていくような感じで、非常に楽しい一曲。人間が演奏するバージョンもあるようなので、興味のある方は探してみてください。

 アンタイルの『バレエ・メカニック』は以前に紹介したように打楽器やら何やらで演奏する作品で、収録されているのはピアノバージョン。まるで違う曲に聴こえるのが不思議。逆にテンポを落としてずっしりと演奏しています。

 そして、作曲家でない人というのはもちろんダダイズムの美術家マルセル・デュシャンのことです。『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』という作品はデュシャンの代表作で、通称「大ガラス」と呼ばれています。人間の生々しさを概念化・象徴化して、機械的に設計して大きなガラスに描き込み、そのうえ偶然にもガラスにヒビが入った、という作品。私はそのレプリカを観に行ったことがありまして、非常に謎めいた作品ですが、巨大かつ繊細で、限りなくドライではあるけれども人間を肯定する眼差しがあると感じました。その展覧会で買ったプログラムがまだあったので、図版を紹介。



 音楽の方のタイトルには「音楽的誤植」とありますが、その意図は不明です。7曲からなり、合計でも3分ちょっとの短い作品。比較的ゆったりとしたテンポで、幾つかの音のラインを聴き取ることができますが、やっぱり「大ガラス」同様になにやら謎めいていてよくわかりません。「音楽的誤植」というからには「大ガラス」そのものではないと考えられますが、なんせダダイストのデュシャンのことですから意味があるのかどうかも疑わしいですね。

 というわけで、現在の電子音楽の祖先のような自動ピアノ作品集、1920年代でありながら極めて現代的な一枚でありました。

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ホルンボー:交響曲第1番、第3番、第10番

2015-11-29 22:36:07 | CD


ヴァン・ホルンボー:
交響曲第3番 「シンフォニア・ルスティカ」 作品25
交響曲第1番 作品4
交響曲第10番 作品105

指揮:オウェイン・アーウェル・ヒューズ
オーフス交響楽団

BIS: BIS-CD-605



 デンマーク生まれのホルンボーは交響曲を13曲も作った交響作曲家で、その作風の幅も広いものとなっています。私が13曲を一通り聴いてみたところ、大きく3つの傾向があるように思われます。

 まず初期は、簡潔・明快ながら凝った作りの新古典主義。次に、北欧の厳しい自然を感じさせる民族主義的な中期。そして最後に、無調に接近し、何か問題提起をしているかのような音楽です。3つの傾向があると書きましたが、明確に分離できるものではなく、初期のころから無調的な書法は聴かれますし、明快さも晩年になっても失われていないようです。時代によって少しずつ配分を変えているような印象。

 第1番は3楽章からなり、同じくデンマークのニールセンと新古典主義時代のストラヴィンスキーを足したような、ドライでピリッとした作品。音の積み上げ方や当てはめ方がストラヴィンスキー的で、打楽器の緊張感がニールセンっぽい感じ。特にソナタ形式の第1楽章提示部の2分間がカッコ良すぎです。どこかエキゾチックでユーモラスな第2楽章は異国の寂れた酒場のような雰囲気ですし、連続して演奏される第3楽章は淡々としながらも旋律を追っかけながら聴くと起伏が面白く、なんかビルの建設現場の作業を見ているようで面白いです。



 上の動画はおそらくこのディスクと同じ音源の交響曲第1番。最後に2分間の謎の無音部分あり。

 第3番の標題の「Sinfonia Rustica」は日本語にすると「素朴な交響曲」または「田舎風の交響曲」。「素朴な交響曲」とはニールセンの作品にもありますが、あちらは「Sinfonia Semplice」で「シンプルな交響曲」。ホルンボーのはやはり田舎風の、というニュアンスでしょう。新古典主義的な明快さを全面的に引き継ぎつつ、地方の人々の生活が見えてくるような音楽。これも3楽章構成で、賑やかな市場を思わせる第1楽章、冬の海に挑む厳しい第2楽章、古くからのお祭りを楽しむような第3楽章と、民族的な要素が強めに出ています。

 その後ホルンボーは3楽章形式にこだわらずに色々と交響曲を作ってきましたが、無調の側面が強くなって再び3楽章形式に回帰、そのうちの一曲が第10番です。第1楽章後半の発想記号が「Allegro Espansivo」とあって、これはまさにニールセンの「ひろがりの交響曲」第1楽章と同じもの。だったら同様におおらかな音楽かと思いきやこれがなかなか晦渋な作品。とは言っても、確かに最初は聴いていても何が何だかわかりませんでしたが、そのうちに主題とその変形が見えてきて、聴くたびに発見があります。主題は3楽章を通して常に現れて、全体が統一されているのがわかります。

 そして第10番を聴いた後にまた第1番や第3番を聴いてみると、ホルンボーは初めから音楽を展開させていくことに多くの力を注いでいるように感じられます。他にも、全般的に旋律を主体にして音楽が書かれていたり、トランペットの旋律が全体を先導していたり、ニールセンのように打楽器に重要な役割を与えられていたりという特徴が見えてきます。そしてどれもカッコ良さがあり、日本でもっと演奏されてほしい交響曲群なのです。


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ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」1945年版、他

2015-09-20 21:41:03 | CD


イーゴリ・ストラヴィンスキー:
・バレエ組曲「火の鳥」1945年版
・ロシア風スケルツォ(管弦楽版)
・交響曲 変ホ長調 作品1
・ロシア民謡によるカノン

指揮:ミハイル・プレトニョフ
ロシア・ナショナル管弦楽団

ポリグラム: POCG-10043



 第2次世界大戦の影響でストラヴィンスキーは1939年にアメリカに亡命し生活費を稼いでいたと以前の記事に書きましたが、『火の鳥』も新たに編曲してアメリカでの収入にしたのでした。

 その1945年版組曲は全11曲で構成されており、オリジナル版のバレエのうち多くの部分が編曲されています。演奏時間は30分程度で、火の鳥と王女と王子がワイワイほのぼのやっているバレエ前半は、部分的に省略されているものの、ほぼ全ての曲が使われています。バレエ後半(カスチェイが目覚めるあたりから)は同じような雰囲気が続くためか、おなじみの3曲のみを採用。こういった情報からだとオリジナル版に近いものを想像するかもしれませんが、実際に聴いてみると『火の鳥』がまるで別物になったような印象!

 まず各曲のタイトルを見てみると、「パントマイム」「火の鳥とイワン王子のパ・ド・ドゥ」「スケルツォ(王女たちの踊り)」「ロンド(ホロヴォード)」など、本来バレエであったことが形式的に継承されているのみであり、筋書きをイメージできるようなものではなくなっています。オケの編成は1919年版と同様の切り詰められた2管編成で、アレンジもおおかた同じ。追加された曲では木管楽器やヴァイオリンソロに代わって弦楽器の合奏になっている部分が目立ち、ローカルな雰囲気は後退して非常に都会的でドライな聴き心地になっています。オリジナル版では3台のハープを駆使することによって舞台の雰囲気を強烈に醸していたのですが、1945年版ではハープは1台のみであまり目立たず、オケの全ての音がハッキリくっきりと演奏されることが意図されているようです。

 それが最も顕著なのが「最後の聖歌」(オリジナル版では「カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活、大団円」)の部分で、従来は7拍子の部分で朗々とマエストーソで演奏されていたものが小気味よいスタッカートに変更されていて、知らないで聴くと仰天してしまうでしょう。これだけでも別物感がぬぐえないに違いありません。まるで火の鳥がサイボーグにでもなってしまったかのような耳触りです。そのせいかどうかはわかりませんが、演奏機会に恵まれないバージョンになっています。それでもストラヴィンスキーの作風を考えれば当然で、ロシアのナマモノっぽさを蒸留して純粋に音の構造物を追求しようとしているのはよく理解できます。

 というわけで1945年版についてまとめると、オリジナル1910年版に迫るバラエティーと、1919年版と同様の明晰さと、1911年版に勝るとも劣らないマイナーさを兼ね備えたバージョンと言えるでしょう。



 上の動画はストラヴィンスキー自身が指揮した1945年版組曲。演奏はNHK交響楽団。とにかく淡々と指揮をしています。

 カップリングの『ロシア風スケルツォ』はもともとジャズバンドのための曲。それは以前の記事のディスクにも収録されています。『交響曲 変ホ長調』についてはこちらをどうぞ。最後の『ロシア民謡によるカノン』は『火の鳥』最終曲の旋律を使った複雑なカノン。1分程度の短い断片で旋律だけは単純ですが、カノン(「輪唱」のようなもの)の構造が複雑すぎてよくわかりません。1965年の作品で、作曲者は80歳を超えているのにこの構成力。

 アルバムの構成としてはストラヴィンスキーとロシアとの関わりがテーマになっていると思われます。演奏はロシア風味控えめであっさり系ですが、作曲者のヴィジョンが伝わる貴重な一枚。そして私は、ストラヴィンスキーが『火の鳥』でデビューを飾ってから晩年まで『火の鳥』を編曲していたことを知り、深い感銘を受けたのでした。


クラシックCD紹介のインデックス

ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのための作品集

2015-09-13 21:22:13 | CD


イーゴリ・ストラヴィンスキー:
・ロシアの踊り
・バレエ「火の鳥」
・歌劇「鴬」
・ロシアの歌
・タンゴ(サミュエル・ドゥシュキン編曲)
・ディヴェルティメント
・パストラール
・バラード
・デュオ・コンチェルタンテ

ヴァイオリン:ジェラール・プーレ
ピアノ:ノエル・リー

ARION: ARN 68062



 ストラヴィンスキーが作曲したヴァイオリンとピアノのための曲はそれほど多くなく、このディスクの収録曲の他には『イタリア組曲』しかありません。しかも『デュオ・コンチェルタンテ』を除いて全てが過去作の編曲だったりします。『火の鳥』と『鴬』以外の原曲を挙げてみると以下のようになります。

・ロシアの踊り:ペトルーシュカ
・ロシアの歌:マヴラ
・タンゴ:同名ピアノ曲
・ディヴェルティメント:妖精の口づけ
・パストラール:同名歌曲
・バラード:妖精の口づけ

 『イタリア組曲』もバレエ音楽『プルチネルラ』の編曲です。そしていずれも近い時期に書かれています。というのも、ストラヴィンスキーは1931年にヴァイオリニストのサミュエル・ドゥシュキンと知り合って、一緒にヨーロッパ中を演奏旅行しており、その際にヴァイオリン協奏曲や多くの室内楽の作品ができたようです。このディスクでは火の鳥の3曲目以降の作品がそれに当たります。

 『火の鳥』のヴァイオリンとピアノ用組曲は3曲で構成されていますが、編曲された1929年当初は「ロンド」と「子守歌」の2曲構成で、ヴァイオリンが普通にしっとりと歌うものでした。そしてドゥシュキンの協力を得て1933年に作られた3曲目「スケルツォ」では大オーケストラのオリジナル版をヴァイオリンで再現したのかと思わせるようなきらびやかな書法となっています。また、曲の終わりには1911年版組曲での終わり方が付け足されています。



 上は「スケルツォ」の動画。この書法で「凶悪な踊り」や「終曲」などの賑やかな部分が書かれていたら是非とも聴いてみたい気がします。

 バレエ音楽『ペトルーシュカ』からは第1部のピアノが活躍する部分を編曲。原曲のピアノパートがヴァイオリンに割り当てられている部分もあって、短いながらなかなか面白い聴きもの。

 その他の作品も原曲の骨格を失っていないだけでなく、音の動きの解像度がより鮮明になったような楽しい編曲。そうなるとヴァイオリンとピアノの編成でのオリジナル曲がもっと作られても良かったと思うのですけどね。

 そしてその完全オリジナルの『デュオ・コンチェルタンテ』ですが、これがまた問題作。ヴァイオリンでしか弾けないような書法でありながら、ヴァイオリン音楽に期待されている芳醇さのようなものがほとんどありません。コンピュータ音楽のようなドライさを感じるような気もします。例えるなら、ふわふわのソフトクリームを期待していたら、パウチに入ったクーリッシュが出てきたような印象。味はアイスクリームだけどシャリシャリの食感とお手軽感に驚きがあって、「これはこれでいいな」と思わせるだけのインパクトがあります。



 上の動画はドゥシュキンのヴァイオリンとストラヴィンスキーのピアノの演奏。この曲に関してはシゲティとストラヴィンスキーの演奏のディスクも持っていますが、またいずれ。

 ドゥシュキンというパートナーを得て新境地の音楽を手に入れたストラヴィンスキーですが、ヴァイオリンとピアノの組み合わせの作品がこれ以上増えなかったのが重ね重ね残念です。

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