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厄痛 〜呪いのゲーム〜

2020-05-27 18:24:00 | ゲーム


 本作『厄痛 〜呪いのゲーム〜』は『厄 友情談疑』の続編です。『厄』の『II』で『厄痛』。ザッピング式でホラーテイストのヴィジュアルノベルです。キャラクターやストーリーを漫画家の日野日出志先生が監修しているのが売りです。

 私は本作を以前購入していたのですが、引越しの際に一度は手放してしまいました。後になって日野日出志ファンとして激しく後悔して、なんとか買い戻したいと考えていたのですが、すでにどこにも見かけなくなっていたのでした。半ばあきらめていたのですが、先日中古で買ったPSPのオンラインストアを見ていたら初代プレステのアーカイブとして600円ちょっとでDL販売していたのを見た瞬間に購入。10周以上プレイしてクリア認定しました。

 前作の『厄 友情談疑』は評判が相当悪かったらしいです。 私は現時点で前作をプレイしていないのですが(DL購入済み)、おそらく相当「クソゲー」だと叩かれたのではないでしょうか。そこで続編の本作を作るにあたり、まずホラーとしてのクオリティを上げるために日野日出志先生に監修を依頼し、さらに逆転の発想で「クソゲー」をテーマとしたのです(というのは私の想像です)。



 ゲームを起動するといきなり挿入される「自然を大切に」のCM。ゲームに何か関係あるのでしょうか? 実はこれは前作からあるCMなのです。言ってることは正しいのでしょうが、ここでわざわざ言う意図が全くわかりません。本気の社会貢献なのかもしれませんが、そのわりには極めて無味乾燥なムービーなのです…。



 さて、プレイして早々に感じることなのですが、本作はとにかく絵柄が奇妙で不気味なのです。前作も同様のタッチのようで、わざわざ不気味に作っているのでしょうが、序盤のコミカルな展開の時でもそんな絵柄なので笑っていいものか判断に困ってしまうのです。上の画像は5人の主人公のうちの一人、みすずの絶叫シーン。不気味な絵柄と実体化した書き文字がちょいちょいムービーとして流れ、プレイしていて不安になります。

 そしてこの目が異様に大きなこの絵柄、日野日出志作品との親和性が高いものとなっています。前作の時点で日野日出志作品が念頭にあったのか、それとも類似性を指摘されてオフィシャル化したのかはわかりませんが、ある意味で違和感が無いといえるでしょう。



 こちらは二人めの主人公、省吾の絶叫シーン。恐怖のあまり「げりゃああああ」と叫ぶ人がいるかどうかは知りませんが、とにかくその異常性はよくわかります。

 みすずと省吾は初期段階からザッピングで選べる主人公で、ストーリーの背景には迫れない巻き込まれ型の被害者ポジションです。二人は幼なじみで、高校時代の夏休みにゲーム制作会社にバイトとして働くというところから始まります。アクセル全開のみすずに対してブレーキ役の省吾という、なかなかいいコンビ。



 そのゲーム制作会社で作っているのが「お魚ちゃんフォーエバー」というノベルタイプのアドベンチャーゲーム。実際にゲーム内ゲームとして少しだけプレイできますが、とにかく語るべきもののない作品になっています。出来が悪いとか、面白くないとか、よくわからないとかではなく、「虚無」と言えましょう。



 稚拙な絵柄と展開で、みすずと省吾は不安にかられるのですが、なんとこのゲームをゲーム雑誌に記事にしてもらうために売り込んで来いと社長から無茶振り。出版社にはアポを取っていると言われても、高校生には荷の重い仕事です。



 案の定ゲーム雑誌のライターから「そんなクソゲー売ったら犯罪」呼ばわりされてしまいます。ひょっとしてその言葉は前作を売った時に制作者達がアンケートハガキか何かを通じて言われたことなのでは、とつい邪推してしまいました。それにしてもゲームの中で「クソゲー」と連発するなんて本作くらいのものです。そしてこのひときわ不気味なライターが第3の主人公、スミレであり、本作の中心人物です。



 その後、「お魚ちゃんフォーエバー」の記事が掲載された雑誌を読んでみたらひどい書かれよう。「遊ぶと死ぬ」とまで書かれてあります。みすずは怒り狂ってスミレに殴り込みをかけそうな勢い。ちなみに「お魚ちゃんフォーエバー」の内容は本作の展開になんら関わることがありません。では本作サブタイトルの「呪いのゲーム」とはなんなのでしょうか? ひょっとしたら本作自体がそうなのでしょうか?



 みすずの激烈な反応に対し、省吾はなぜか達観しています。ただ、ごくごく少数を相手に商売を成立させるのは難しいでしょう。もちろん私はごくごく少数側の人間ですが。



 この後、事件が発生してゲームは後半戦。その事件には怪物が関わっているらしいのです。この怪物のデザインがまさに日野日出志作品的ですね。



 後半に現れるこのおっさんは第4の主人公、コウゾウですが、全ての事情を知った上で怪物と敵対している様子です。何か思い込みの激しい性格っぽいようです。



 そんなコウゾウの素朴な疑問が、自然を破壊している人間がなぜ「自然を大切に」などと言えるのか、ということ。あれ、本作こそ冒頭のCMで「自然を大切に」って言ってなかったっけ? 前作からの壮大な伏線がここで回収されました!



 そして第5の主人公の幽霊。名前はプレイヤーがつけることになります。みすず達の顛末を見ながら記憶を取り戻していきます。最後にプレイ可能になるだけあって、きっと物語のキーパーソンだろうと考えていたらそんなことはありませんでした。



 本作のザッピングシステムでは章ごとに主人公を切り替えることができるというものですが、実はあまり意味がありません。主人公ごとに通しでプレイしないと展開がどうなっているのかわからないでしょう。途中の章では選択肢が多数出てきますが、どれを選んでも大筋の展開は変わりません。最終章の選択肢については、その全てが結末に関係しています。誰のどの選択肢が結末にどう影響するかは以前に書いているので、ネタバレでよろしければどうぞ。結末の多くは後味の悪いものですが、一部で上の画像のようなグッドエンドのようなものもあります。



 というわけでクリア。結局再購入してから11周のプレイをしました。



 そして監修は日野日出志先生。ストーリーの所々に日野日出志ショッキングワールド的な展開が見られました。特にコウゾウの狂信的な言動に関する部分で、研究者として人類全体に対する愛と、自分を認めない個人に対する憎しみが表裏一体になっています。さらにはスミレとコウゾウの間にも非常に複雑な愛憎の感情があり、お互いに良くも悪くも忘れられず、その挙句に多くの人々を不幸にしてしまっている、というのが本作の見どころでしょう。

 さらに、愛憎といえば本作における「クソゲー」に対する愛憎入り混じった感情は鬼気迫るものがあります。なんというか、「クソゲー」を憎み、同時に「クソゲー叩き」を憎むような。プレイ後によく考えてみると、「遊ぶと死ぬ」と言われた「お魚ちゃんフォーエバー」をプレイした登場人物は全員死ぬ展開が用意されています。そこで「クソゲー」という軸を通して「お魚ちゃんフォーエバー」を本作「厄痛」に重ねてみると、プレイヤーは自分も死ぬのではないかと気づくのです。本作自体が「呪いのゲーム」だったのです。それはまさに「きみが死ぬ番だ!」という日野日出志ワールドだったのです……。