ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:
・交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」
・序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調 作品72a
指揮:レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック
FIC: FCC-05
ある日、嫁が私に「ベートーヴェンの『田園』のCD持ってない?」と聞いてきました。ところが当時私が持っていたベートーヴェンの交響曲のCDは奇数番号(第1、3、5、7、9番)だけでした。その後間もなくしてスーパーの在庫整理の安売りワゴンの中に
500円の『田園』のCDを見かけたので、せっかくだから買ったのでした。ジャケットを見てもわかる通り、
安物CDです。ちなみになぜそれまで奇数番号だけしか持っていなかったかというと大した理由は無く、奇数番号だけ持っているという状況がなんとなく面白かったというだけの話。
この「田園」についてはベートーヴェン自身が「絵画的描写ではなく感情の表出」と言ったらしいですが、
何を寝ぼけた事を言っているのかねベートーヴェン君! この言葉はベートーヴェン君の方便だろうという気はします。だけど後の人が「描写的な音楽は格下である」と信じ込んでしまいかねない物言いはよろしくありません。
同時期に作曲されたあの「第5交響曲」は精神性の高い純音楽で、この「田園」も同様だとベートーヴェン君は言いたげですが、あからさまに描写音楽のような部分もあります。第2楽章では小川がせせらぎ小鳥がさえずり、第4楽章ではゴロピカドーンという嵐の描写。それでも私は「田園」だって精神性が高いと思うし、ベートーヴェン君ならテーマが
「ちくわ」だろうが「口内炎」だろうが「ブログの炎上」だろうが精神性の高い音楽を作る事ができるはずです。
では(ベートーヴェン君の流儀での)音楽の精神性とは何でしょうか。勘違いしてはならないのは、「精神性」は音楽が表現しているものではない、ということです。。
交響曲は極めて人工的な音楽ジャンルです。交響曲ってのはいわば
壮大な4コマ漫画みたいなもので、ある種の断片化と行間を読ませるイメージ力が大事。そういうジャンルの型に音楽素材を加工して押し入れる作業が重要なのです。この曲においては田園風景的な素材が増殖し、変化していく様子は見事です。そしてそのように音楽を作り込むという態度そのものがベートーヴェン君の「精神性」ということなのです。つまりベートーヴェン君に代わって言い切ると、
単なる田園風景をここまで作り込んだというのがこの曲の価値なのです。したがって描写音楽を軽んじるべきではないし、そのジャンルに合わせて作り込まれた音楽ならば何だって精神性が高いのです。
さてこのディスクの演奏は1963年に録音されたもので、それが安さの秘訣。今から50年以上も前ですが、別にノイズがあったりモノラルだったりということはなかったのでひと安心。
こちらの第1楽章の動画はディスクと同じくバーンスタインの指揮ですが、オケはウィーンフィルで演奏は1978年。私程度ではディスクとの違いはようわかりません。でもあまり仰々しい演奏だとか分析的な演奏だとかは田園風景にふさわしくない気がするので、あまり気にしないで気軽に楽しめればいいという事にします。
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