ひばりヒットコミックス
「わたしの赤ちゃん」に収録されている短編「おかしなおかしなプロダクション」「水色の部屋」の紹介。
「おかしなおかしなプロダクション」はまるで赤塚不二夫作品のような絵柄のギャグ漫画。日野日出志作品の中にはギャグっぽいものもいくらかありますが、ここまで紙面が白い作品は私は知りません。
雑誌の編集者が血野血出死の漫画プロダクションに原稿を取りにきたところ、現れたのはアシスタントの一人の女性(?)。スリッパにゴムが仕込まれており、引っ張られた編集者は入り口に置いてある花瓶に激突して顔を突っ込んでしまいます。このページの看板の血や女性アシスタントの前髪が日野日出志作品であることを感じさせます。非常に単純な絵柄ですが、構図や位置関係やセリフの前後関係について読みやすいように構図が考えられているのがわかります。
さらに別の二人のアシスタントから暴行まがいの歓迎を受けた後、血野血出死先生が待つ作画室に入ってみると、真夏だというのにストーブが焚かれていて室温が60℃に。暑さに耐えながら原稿が出来上がるのを待っていると、アシスタント達が調子が悪いと言いながら編集者をいびり倒してきます。さらには血野血出死先生まで日本刀(竹光)を振り回しながら襲ってきます。編集者が発狂する一歩手前まで追いつめられていると、出版社の社長から電話があって編集者を激励します。
こちらのヒゲの人こそ、大天才 血野血出死 大先生さま。編集者の飛び出した目玉に対して「ぐちゅぐちゅ」「ベロ~リ」というあたりがいいですね。手の指が全て4本に統一されているのもさりげなく不気味。そして原稿を受け取って編集部に帰ったところ、血野血出死先生が原稿に仕組んだ秘密のせいで編集者はついに発狂し、周辺を大火災に巻き込んで話は終わります。
なんでも
Wikipediaによると、日野日出志は「子供時代からギャグ漫画が好きでギャグ漫画家を志すも、赤塚不二夫作品を見てとてもかなわないと挫折」とあります。この作品は赤塚不二夫に対するリスペクトが込められていることは容易に想像がつきます。そういえば赤塚不二夫の『天才バカボン』はギャグで包んでいても全体的に狂気じみていて、中には結構シュールで不気味で残酷な話もありました。そういう面も合わせ持った赤塚不二夫に感服していたのかも知れません。そういった狂気への憧れも感じる作品です。
もう一つの「水色の部屋」はうって変わって重苦しく、狭苦しく、湿度が高い作品です。冒頭では見開きで不可思議な胎児の海の絵が示されており、そこにはこんな詩が添えられています。
遥か……… 遥か彼方の この世の果てに 胎児の集まる 海があるという
闇から闇に葬むられた 胎児の墓があるという 無数の胎児達が漂う 海の墓場があるという
そして この死の海に 今日もまた 名もない一人の 胎児が流れついた
そして産婦人科から出てくる若い夫婦に焦点が当たります。どうもこの夫婦は生活に余裕がないために苦渋の決断で堕胎をしたようです。まさに映画を意識したかのような導入部で、大変な湿気がありますが、夫婦の顔は比較的かわいらしく描かれています。ところがこの妻は堕胎した罪悪感のためか胎児の幻覚に苛まれることに。
夫は妻の気を紛らわそうとグッピーを買ってきます。グッピーとは熱帯魚の一種で、メスは体内で卵を孵し稚魚として産むという胎生魚です。狭い水色の部屋の外は降り続く雨で、まさにグッピーのいる水槽と鏡像関係にあり、自由に子供を産めるグッピーと産めなかった罪悪感で押しつぶされる妻が対比されていくことになります。
そして次々に産まれる稚魚が胎児に変容し、水槽を飛び出して妻に飛びかかり、ついに妻は発狂してしまいます。ただこれだけの短い作品なのですが、同じように赤ちゃんをテーマとしていても、あっけらかんとしてどこか滑稽な
「わたしの赤ちゃん」を陽とすれば、この「水色の部屋」は陰であり、余計に救いが感じられません。
考えてみると、堕胎された胎児は病院でその後どのように供養されるのでしょうか。この作品では心象風景として冒頭で胎児の海を示し、それを一種の救いとして答えとしています。余談ですが、同様の疑問はプレイステーションのホラーゲーム
『夕闇通り探検隊』でも提起されていて、そこでも現実とも幻覚とも言えない回答となっていますので、興味がある方はどうぞ。
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