私にとっての「震災記念日」は関東大震災です。
9月1日は防災の日、幼いころから父に連れられて震災記念堂に毎年お参りしました。
もちろん私は関東大震災も第二次世界大戦も知らずに生まれ育ちました。
父も母も子供のころに関東大震災を経験しています。
特に父はこの時に横浜に嫁いだ姉一家を失っています。
正確には行方不明です。
何度も探しに行ったが見つからなかった、今なら情報の断片でも得られたかもしれない。
あきらめるまで時間がかかったことでしょう。
また、父はその後の進学を諦めなければならなかった、悔しかったと何度も言っていました。
小学生になると、何度も避難訓練が繰り返されました。
図画工作の教師は「君たち関東大震災って知ってるかい?」と二時間授業の半分を使って経験談を語りました。
何度も、何度も。
その頃、震災から30年以上たっていたと思いますが、経験した人たちにとってはついこの間の出来事だったのでしょう。
私が20歳位になった冬に、夜中、隣家から出火し我が家も全焼しました。
この時に父の機転が家族を救い、全員無事でした。
震災と戦争を経験した父のとっさの判断に救われました。
何度も繰り返された避難訓練も役に立ったと思います。
語り次ぐことが大事です。
今日はその父の祥月命日です。
斎場に向かう車の中から防災訓練をする人たちを見ました。
お墓参りはできませんがいつも感謝しています。
9月1日は防災の日、幼いころから父に連れられて震災記念堂に毎年お参りしました。
もちろん私は関東大震災も第二次世界大戦も知らずに生まれ育ちました。
父も母も子供のころに関東大震災を経験しています。
特に父はこの時に横浜に嫁いだ姉一家を失っています。
正確には行方不明です。
何度も探しに行ったが見つからなかった、今なら情報の断片でも得られたかもしれない。
あきらめるまで時間がかかったことでしょう。
また、父はその後の進学を諦めなければならなかった、悔しかったと何度も言っていました。
小学生になると、何度も避難訓練が繰り返されました。
図画工作の教師は「君たち関東大震災って知ってるかい?」と二時間授業の半分を使って経験談を語りました。
何度も、何度も。
その頃、震災から30年以上たっていたと思いますが、経験した人たちにとってはついこの間の出来事だったのでしょう。
私が20歳位になった冬に、夜中、隣家から出火し我が家も全焼しました。
この時に父の機転が家族を救い、全員無事でした。
震災と戦争を経験した父のとっさの判断に救われました。
何度も繰り返された避難訓練も役に立ったと思います。
語り次ぐことが大事です。
今日はその父の祥月命日です。
斎場に向かう車の中から防災訓練をする人たちを見ました。
お墓参りはできませんがいつも感謝しています。