墓前祭が行われた時
吉良の歴史の本を買い求めました・・・
その中から
吉良義央公の妻富子は米沢藩〔山形県〕30万石上杉家の娘です
富子の兄、上杉家の当主綱勝は27歳で急死し
後継者のない上杉家はとりつぶしになるところを
吉良家の長男三之助を上杉綱憲として当主に迎え
上杉家の存続をはかりました・・・
幕府への届出を怠り15万石に減封になりながらも
存続が認められました。
義央公にはその後二男が誕生しましたが
8歳で死亡
後継者を失い実の孫に当たる上杉綱憲の二男義周〔よしちか〕を養子に迎えました
以上が
上杉家と吉良家の関係です。
義周は18歳の時討ち入りに遭遇し
負傷します
翌2月
幕府からの裁定で所領は没収
諏訪へ配流となる・・・諏訪高島城南の丸で22歳で生涯を終える
悲運の最期でした。
吉良の歴史の本を買い求めました・・・
その中から
吉良義央公の妻富子は米沢藩〔山形県〕30万石上杉家の娘です
富子の兄、上杉家の当主綱勝は27歳で急死し
後継者のない上杉家はとりつぶしになるところを
吉良家の長男三之助を上杉綱憲として当主に迎え
上杉家の存続をはかりました・・・
幕府への届出を怠り15万石に減封になりながらも
存続が認められました。
義央公にはその後二男が誕生しましたが
8歳で死亡
後継者を失い実の孫に当たる上杉綱憲の二男義周〔よしちか〕を養子に迎えました
以上が
上杉家と吉良家の関係です。
義周は18歳の時討ち入りに遭遇し
負傷します
翌2月
幕府からの裁定で所領は没収
諏訪へ配流となる・・・諏訪高島城南の丸で22歳で生涯を終える
悲運の最期でした。