『まっぷたつの子爵』イタロ・カルヴィーノ
タイトルが気になっていながらなかなか手が出せないという本があるもので、
イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』もそのうちの一冊、
10代終わりにその存在を知りながら半世紀が過ぎて
ようやく読む機会が訪れました。
私が手にしたのは晶文社版で表紙は土橋とし子さん(中にも数か所挿絵入り)。
キモかわいい原色の表紙のイメージはいきなり裏切られ
むごいお話が始まりました。
メルヘンは、グリムでもペローでも
無邪気に見せかけた差別意識や残酷さがあって
決して子供のためのお話ではない、
この作品もそんな「メルヘン」の世界が展開されます。
半分の「悪」となって戻ってきたメダルドの
無慈悲さに私はワクワクしてしまい、
むしろあとからやってきた「善」の退屈さと頑なさにイライラさせられ、
人間の本質は悪であるというのは真実だなあと感じました。
「ぼく」が責任と鬼火とに満ちたこの世界に
残される最後は
読み終えた後もずっと心に残ります。
「ぼく」に寄せる思いはそのうちに自分ののどこかに沈んで見えなくなるけれど
何かのきっかけでふっとよみがえる、
そう感じる作品に出会えたのは幸福なことでした。
ご参加の皆さんからは
* 科学的にはあり得なくても納得してしまう
作者の力
* 薄い本なのに読みづらかったが、
音読することでイメージが浮かんできた
* 終わりに善と悪が混じり合う面白さ
* 残酷なのにユーモラス
* 鬼火の意味がわからない
* 時代も国も異なる作品をどこまで理解できた
だろうか
などの感想がありました。
菊池先生からは
イタリアは内戦の絶え間ない国であり、
作者カルヴィーノが生きた時代はファシズムへの
パルチザン運動があった。
つまり、彼はつねに引き裂かれているという意識を持っており
人間の業としてのらい病、ユグノーとカトリック、
人間と自然との共生を描くことで
「まっぷたつ」のイメージを読者に訴え納得させようとしている。
「ぼく」とは作者にほかならず、
責任と鬼火という対義的な概念のもとで
責任を抱えて生きるほかないことを示しているのだ、
とまとめて頂きました。
追記:カルヴィーノには『木のぼり男爵』という作品もあってこのタイトルも気になります。
これもいつの日か……
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