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2024年11月の課題本『ナイン・ストーリーズ』

2024-12-03 17:01:07 | ・例会レポ

2024年11月28日、課題本『ナイン・ストーリーズ』(J・D・サリンジャー)の読書会開会にあたって、菊池先生から二つの課題が示されました。


① 収載9編中でどの作品が面白かったか

② 巻頭の禅の公案をどう解釈するか


推薦者を除く5人(+見学者1人)の読み巧者は、はたしてこの課題にどのように応えたのでしょうか? なお、以下の書名や公案は野崎孝訳『新潮文庫』本を底本として記していきます。


一番人気があった作品は「バナナフィッシュにうってつけの日」(と言っても3人だけですが)。衝撃的なラストが影響しているのでしょうか。吉田秋生のマンガ「バナナフィッシュ」を読んで、そこからこの作品を知って読んだという会員は、バナナフィッシュって何だろうと思っていたそうです。サリンジャー初読みの会員は、バナナフィッシュは鬱屈の象徴でそれが溜まった結果が、あのラストになったのではと語りました。一方、この作品で続けて読むのをやめたくなった(でも読み終えたけど)という会員もいました。その会員からは、この9編はストーリーを楽しむためのものではなく、登場人物が何を考えているのかを考えるものでは?という意見がありました。


次は、「笑い男」。その理由は、9編の中ではもっともストーリー性があったということでした。同じくストーリー性があるからという感想があったのが「テディ」。スピリチュアル、神がかかっているという感想に加えて、文章だけでは何が起こったのかわからないラストが印象的だったという感想もありました。


最初はどの作品を読んでもわからなかったけれど、読み進んでいくうちに「読み方」のコツのようなモノが身に付いてきて、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」を読む頃にはわかってきたような気になった、という会員。大学の英語の授業で「エズミに捧ぐ」を読んだことを思い出したと話す会員は、思い出したのは当時の空気感で、ほとんどすべてのサリンジャー作品は若い頃に読んでいたが内容はやはり忘れていたそうです。


続いて二番目の課題、「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」という「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」の解釈については、


「禅は屁理屈、どうでもいいじゃん」「片手をたたく音は聞こえないということか」「相手がなければ何の反応もない、誰かがいて初めて事象が発生する」「自分一人で何かをしても他の人にはわかってもらえない」


など、会員それぞれの解釈がありました。


菊池先生からは、サリンジャーは純粋無垢な作家で、彼の作品には他の登場人物に語らせるなど客観的な視点に始まり、やがて主人公の心情に移行していく主観的な作風――つまり、主人公の内面を外部から描いていく手法が全作に共通している。この手法はよく使われるものだけど、ただサリンジャーのそれはわかりにくいという難点がある、と前置きしたうえで、特に「バナナフィッシュにうってつけの日」にそれが顕著だと指摘されました。また、主人公が戦争に行って人を殺したことの悩みがバナナフィッシュに込められているのでは、との深読み。


「対エスキモー戦争の前夜」の反戦思想。一人称で語られる「笑い男」では、コマンチ団団長の寂寥感。「エズミに捧ぐ」はわかりやすい作品で、壊れた腕時計は希望の象徴。「テディ」に登場する芭蕉の二つの句はともに死と隣り合わせの状況を示すもので、東洋思想に傾倒していくサリンジャーは西洋思想と対峙している。


また、禅の公案「隻手音声」については、既成概念を崩すことを示しているのでは、との考えを示されました。


ところで今回をもって30余年親しんできた牛込箪笥区民センターでの例会は最後になりました。詳しくはあらためてご報告しますが、諸事情により来年1月の例会から、おもしろ本棚は開催日・時間、開催場所を変更して再スタートを切ることになります。会員の皆さま、2025年の第一回例会からは新たな会場でお会いしましょう。

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