:「市和商」12期生1971年昭和46年卒業(校舎⇒今福⇒六十谷へ★両方体験!)
◆市和歌山 1957年(昭32)、和歌山市立和歌山商として創立した市立校。09年普通科設置で現校名に。生徒数は779人(女子512人)。野球部は57年創部、部員は57人。甲子園は市和歌山商で春4度、夏3度。OBには藤田平元阪神監督ら。所在地は和歌山市六十谷45。山本昌之校長。
市和歌野球部が県庁と市役所を訪問 甲子園での活躍を誓う(写真付)
大橋市長は「★名門【市立和歌山商業】から★市立和歌山に校名が変わったことを全国に知ってもらいたかったので優勝は嬉しいです。また、自分の退任前にプレゼントをもらい、ワクワクしています。和歌山大会での力を発揮して、全国で旋風を巻き起こしてほしいです」と話していました。
市和歌山 劇的V10年ぶり甲子園/和歌山
- 延長サヨナラ勝ちを決め抱き合う市和歌山(撮影・磯綾乃)
<高校野球和歌山大会:市和歌山3−2智弁和歌山◇26日◇決勝◇紀三井寺
市和歌山が劇的なサヨナラ勝ちで、智弁和歌山を破って10年ぶり4度目の甲子園を決めた。初回に先制されたが7回に追いついて延長戦へ。11回に1度勝ち越されたが、直後に追いつく粘りを見せ、12回に瀬戸口麗一塁手(3年)の左前打で勝利を決めた。驚異の粘りで強豪を倒した勢いを甲子園にぶつける。
校歌を聞き終えると、市和歌山ナインが何重にも抱き合い涙した。「夢みたいや」。そんな言葉も飛び出る逆転勝利だった。半田真一監督(34)も「選手たちがすごいなと。粘り強くここまでの野球がやれるとは」。涙は止まらなかった。
初回1点を先制されても、気持ちは切らさなかった。半田監督はベンチで「お前らならできる」とナインに声をかけ続け、その後は無失点に抑えた。7回に大島空也左翼手(3年)の中前打で追いつき延長戦へ。11回に1点を奪われたが、その裏に代打阿部一将(2年)の中前適時打で食らいついた。12回裏1死一、二塁、瀬戸口の打球は左前に。サヨナラ勝ちで2時間42分の熱い試合を決めた。
半田監督は、それまで5打席無安打と調子の悪かった瀬戸口に、代打を送ることも考えていた。「『3年生の意地で行けるか?』と聞いたら『行けます』と返ってきたんで」。力強い返事を信じて送り出した。瀬戸口は小5の時から野球を始め、父秀一さん(47)と毎日公園でバッティング練習。「けがをしないように」と柔軟体操も続けてきた。この日も、その柔らかい体を生かして難しい送球もキャッチ。堅い守備に貢献した。昨夏は初戦で智弁和歌山に負け、その悔しさを糧に1年間練習を続けてきた。「智弁和歌山を倒して甲子園に行く」と言って、市和歌山に入学。夢を自分のバットでかなえた。
半田監督は「松坂世代」で市和歌山商野球部の出身。「(自分は)県大会初戦で負けました。ブラウン管の前で『PL対横浜戦、すげえ』って見てました」。現役時代にかなわなかった夢を、教え子たちがかなえてくれた。10年ぶりだが、市和歌山に名前が変わってから初の甲子園。強豪・智弁和歌山を倒しての出場に「あのチームをなんとか…と思ってきた。勝てたことは自信になる」。甲子園に新たな風を吹き込む。【磯綾乃】
◆市和歌山 1957年(昭32)、和歌山市立和歌山商として創立した市立校。09年普通科設置で現校名に。生徒数は779人(女子512人)。野球部は57年創部、部員は57人。甲子園は市和歌山商で春4度、夏3度。OBには藤田平元阪神監督ら。所在地は和歌山市六十谷45。山本昌之校長。
◆Vへの足跡◆
2回戦3−2和歌山高専
3回戦11−1田辺工
準々決勝7−3向陽
準決勝4−1和歌山商
決勝3−2智弁和歌山
和歌山市立和歌山高等学校(わかやましりつわかやまこうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市に所在する市立の高等学校。通称は「市高(いちこう)」で、2008年度までは「市商(ししょう)」・「市和商(しわしょう)」。
設置学科[編集]
沿革[編集]
- 1951年 - 開校(定時制)。
- 1957年 - 全日制を設置。
- 1970年 - 現在地に★移転。
- 1987年 - 国際情報科を設置。
- 2002年 - 全日制は総合ビジネス科とデザイン科に学科改変。
- 2009年 - 普通科を設置。それに伴い和歌山市立和歌山高等学校に校名変更。
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