くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

50円

2008-05-15 17:37:14 | 日記
天気もいいし気候もおだやかで過ごしやすいというのに
体の調子はいまいちで自分だけはパッとしない。

パッとしたいな。

もう10年以上前になるが、大好き過ぎてしょうがなかったゲームがある。
雨が降ろうと雪が降ろうと自転車をこいでそのゲームが置いてある
ボロボロの駄菓子屋に足しげく通った。
大雨で誰もいないから自分でその筐体の電源を入れて、
1回50円のゲームを2回プレイする。
そのゲームとは『ストリートファイターⅡ』である。

そのゲームがスーパーファミコンに移植されるという情報を
入手したときにはそれこそ鼻血が噴き出るほど興奮した。
雑誌に載っていたゲームの画面は、アーケードのそれとはやはり
異なっていて、本当に移植されるんだ!!と
やはり鼻血が噴き出しそうになった。

発売予定のスーパーファミコン版をおもちゃ屋さんで予約してからの
毎日といったらそれはそれはテンションが高かった。

学校でどんなに嫌でつらいことがあったとしても、
「ストリートファイターⅡが家にやってくる」と想像しただけで
にやけながら突然道を走り出してしまったのを今でもよく覚えている。

あのときの感情が鮮烈すぎて今でも忘れられない。

中学生の自分にとっては『スーファミ版ストⅡ』であったものが、
今の自分にとっては何なのだろうか。

これだというものが全然浮かばない。

友人に「寝起きハイテンション世界ランキング3位」という人物がいる。
実際に目の前でそのハイテンションぶりを見ているので間違いないと思う。
ただし私は「寝起きローテンション日本ランキング24位」なので、
そのハイテンションぶりが非常にうっとうしかったのだが、
「寝起きローテンション世界ランキング13位」の友人と鉢合わせになった場合
喧嘩になりかねない。

その友人から「ハイテンションとは」を教示してもらいたい。
たぶん理解できないけど。

なんだか五月病かなと思ったのだけれど、
中二病のような気がしてきた。

ビール飲んで屁ぶっこいて寝よ。

これも友人の名セリフ(「ビール飲んで屁ぶっこいて寝よ」)なのだが、
別に屁はぶっこかなくてもいいよなといつも心の中でツッコんでしまう。

一緒に泊まりに行くとその友人は「おやすみ」代わりにいつも言っているから
ついついこちらも使いたくなってしまう名セリフだ。

なんだかやさぐれてどうでもよくなってしまった時は
大体この名言を拝借させてもらっている。

結局何が言いたかったのかというと、
体調もすぐれないし、パッとしないし、解決方法も見つからないということを
言いたかっただけなのでした。

はぁ~あ。

空気

2008-05-15 13:23:48 | 日記
当たり前の事が
とても幸せな事なんだ。


もし、その当たり前の事が
当たり前じゃなく
なってしまうとしたら…、
それはとても悲しくて、
不幸な事なんだ。


でも、人は
そうなってしまうまで
「当たり前の幸せ」
に気付かないんだよ。


(泣ける2ちゃんねる「兄の話」より)


例えば大切な人がこの世から去っていくときに、

「彼女とすべきことはすべてやったし、
 与えられるべきものはすべて与えたし、
 もうすべてのことを共に分かち合った。
 そして彼女も最後に笑いながら『ありがとう』と言って
 この世とさようならをした」

のであれば、僕は笑って彼女の最後を見送ることができるのだろうか。
いや、たぶんそれでも号泣するような気がするんだ。

僕はやっぱり「当たり前の幸せ」には一生気付かない気がする。
「空気の大切さ」に気がつかないように。

でもたまにお酒を飲んで、大脳新皮質が麻痺したときに
「おれはなんて幸せなんだ・・・・幸せすぎる」
と思ったりすることがある。
世界中で一番幸せな人間なんじゃないかと思うこともある。
それとこれとはちょっと違うか・・・。

むかし何かで、「人間は他人のために泣くことはできない」という
言葉を聞いた覚えがある。

誰かを失った時も「その人を失ってしまった自分がかわいそう」で
涙を流すそうだ。

そう言われるとそんな気がしなくもないが、
そうじゃないだろうと思いたい自分もいる。

話はそれたが、「当たり前の幸せ」に心の底から、本心で感謝をする。
これが普通にできるようになるということは、
人間としてすごい成長なのではないだろうか。

口で言うのは簡単だけれど相当難しい。
上でも書いたが、私は一生かかっても出来る自信があまりない。

常に笑顔でいられるなんてことは、
それこそ仏の境地なのではないか。

「イライラしたいぜ」
「誰かをおとしめて困らせたいぜ」
「誰かを傷つけてその悲痛な叫び声が聞きたいぜ」

なんでみんな語尾に「ぜ」が付いているのはともかく、
そんな人はそうそういないと思う。

それこそ人として相当次元が低いというか、
もし地獄があるなら間違いなく地獄行きの人だけだろう。

当たり前の幸せに感謝して心穏やかに過ごしたいと
ほとんどの人が思っているはずだ。

その道は果てしなく遠く永い気がするが、
当たり前の幸せに気が付ける人間になりたい。