くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

傷とおめでたい話

2009-05-18 17:59:33 | 日記
先日、親友から「結婚することになりました」という報告を受けた。

嬉しい。

素直に、心から嬉しいと思った。

2年前、2007年の2月。

周りの友人たちから、

「今年のボードはどうするの?」

「スノーボードをやってみたいんだけど連れてって。そして教えて」

「ボード旅行企画してください」

等々もちかけられ、
お世話になっているバイクショップが、
ちょうどスキー場ツアーを企画していたので、
知り合い全員に声をかけた。

私はボード初心者の友人たちをコーチするのが目的だったのだが、
当時、私自身もまだまだ自分が滑りたくてうずうずしていたので、
ゲレンデに出て一通りコーチをし、彼らがなんとなく滑れるようになった後は、
困った人を放っておけない親友に彼らを託し、
私は経験者のその他の友人達とコースに出て行ってしまった。

「ひどいよね、私達を放っておいて自分だけ楽しんでさ」

「コーチ失格ですよ」

「最低」

などと夕飯時には散々叩かれた。

自分が叩かれているにもかかわらず、
なんとなくその話題で会話や雰囲気が盛り上がっているので、

「これは叩かれ得だ。
 やっぱりヒールがいるからプロレスだってなんだって盛り上がるのだ、
 わはははは、愉快愉快」

と、快感を覚えると同時に、
おいしいなとさえ思っていた。

そんなちょっぴり薄情で自己中心的な行動が、
まさか今回のような結果を生むとは、誰が想像できただろうか。

私がコーチを託した親友(男)と、
そのコーチを受けていた私の友人(女)が結婚することになるとは。

結果オーライ。

勝てば官軍。

私の少々身勝手な行動が、
逆に功を奏したというわけだ。

そういうこともあるのだ。

前向きな言い方をすると、
自分自身に素直に生きていたら、
周りの人間にも幸福が訪れた。

後ろ向きな言い方だと、
自分勝手に行動した結果、
たまたまカップルが誕生したが、
彼らはなるべくしてなったのであり、
別にお前の存在があろうがなかろうが全然関係なくて、
まるでお前が恋のキューピットみたいな言い方をしているが、
勘違いも甚だしい、
とんだ自己中妄想ボケ野郎だな。

となる。

この先、彼らの未来にどんな事が待ち受けているか誰にも分からないが、
少なくとも彼らの人生に、私という存在が少しでも残ってくれたならば、
また死ぬ間際に、ああこんな人もいたなぁと思い出してくれるようなら、
生まれた意味が少しだけでもあったのだなと思える。

いまは彼らのことを考えると、
気分が落ち込んでいたとしても、
なんだか明るい気持ちになれる。

やっぱり自分の幸せよりも、
周りの大切な人たちの幸せな空気を感じる方が、
心が満たされる。

それとは別に、
やはり私は人を傷つけていたらしい。
私自身は気が付かなかったのだが、
どうやら他人から見ると明らかに傷つけた結果になっているらしい。

上記のとおり、完全に記憶から欠落していたのだが、
思い起こせばやはりそうかもしれないという節もある。

そのときは色々な出来事が重なって、
私の心は滅茶苦茶で、自暴自棄で、
そのときの私の態度と言葉が問題の発端となっている。

当事者に確認しないことには、真偽のほどは分からないのだが、
だからたまに思い出して悶々とする。

ことあるごとに周りの人間はそのネタで私をいじり倒し、
私もその場は調子を合わせるのだが、
それが終わった後の疲労というか、
気持ちの落ち込みようといったら物凄いものがある。
いじった後はちゃんとフォローしてくれるのだが、
それでも落ちるものは落ちる。

会って話をつけようか。

しかし相手が本当の気持ちを言うとも限らないし、
もしかしたら私と周りのただの勘違いかもしれない。

たぶんこの話は永遠に本当の答えは見つからない。
私が死ぬまで、私はこの問題を抱え続けることになるのだ。

たとえ勘違いだったとしても、
その答えも分からないまま、
私は死んでいくのだ。

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