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本日は
曙会月釜に出かけてきました
朝から生憎の雨模様でしたが
待合には大勢のお客様がお待ちでした
今日は
池下亨子先生社中の方々によるお席でした
寄付に掛けられた
柔らかな大津絵風の藤娘は
食満(けま)南北という
歌舞伎作者の作品なのだそうです
明治から昭和にかけて
上方文化に貢献された方らしく
大阪ならではの珍しい掛物に
心を和ませていただきました
本席は
大徳寺第十五代管長 高田明浦師筆
「薫風自南来」
南蛮粽写し大樋の花入に入れられた
清楚な大山蓮と可憐な姫檜扇に
新しい風炉の季節の始まりを
感じさせていただきました
正客に上げられて
「卯の花」と銘のつけられた
やや平茶碗かとも思われる形の
はんなりした萩茶碗で
お茶をいただきました
桐の江岑棚の上に置かれた
トルコ釉青海波の蓋置
その鮮やかな色合いに
近づく夏が予感されました
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さて今日のお茶会では
何人かの知人とお顔を合わせ
お話をさせていただく機会を得ました
その中で
あらためて感ずることがありまして
ここに少し書かせていただきます
私はこれまでもお茶を通じて
図らずも
色々な方の人生の転機
とも言えるような場面に立ち合い
”私”という導管を通して
天の意志を
伝えさせていただく役割を
与えられているように
感じたことが
何度かありました
それは
ある意味では
その人のあるがままを許し
受け入れることであり
また同時に
私自身のあるがままを許し
受け入れる過程でもありました
私にとっては
その学びの最終テストとも
思えるような出来事が
今年に入ってから
矢継ぎ早に起こっておりました
本日
出会って言葉を交わした方
一人一人の笑顔を見た時
私はその最終試験に
何とか合格をもらったような
気がいたしました
お茶会そのものとは
直接関係のないお話かもしれませんが
”人と人の真心の交わり”が
お茶の真髄であると
捉えている私にとりまして
今日のお茶会に出かけて
受け取ったメッセージが
何よりも喜ばしい確信へと
私を導いてくれましたことを
ここに記しておきたく思います