豊橋、豊川の屈曲部の丘に吉田城があります。
戦国の入り口付近で地方小勢力間の小競り合いの戦略拠点として置かれ、取ったり取られたりを繰り返した城と言います。
その後、江戸時代に至っても街道要地として重臣を封じた街、城だったということです。
そして明治まで存続したと・・。(失火により焼失)
豊川から直接交通があった痕跡となる水門。
(豊川と鉄櫓)
城壁は土累、石累ではなく、多聞だったようです。
そして、深い堀。
現在鉄櫓(くろがねやぐら)が復元再建され、博物館として利用されています。
平和の到来ですかね?
大河には橋を架けないとの方針をはずれ、橋と城が同じ視界におさまるという名所だったようです。
物流拠点だった様子が見えます。東海の名城です。