横浜市が示す消防団員が有する主な公権力は、次の6つである。横浜市は、消防団の公権力は、破壊消防だけに限らず、消防法に記載のあるものと広く捉えているようだ。
そうすると、6つ以外にも、第25条3項の救助を要する者の存否等に関する必要事項の情報提供を求めること(逃げ遅れの方がいるかどうか、情報提供を求めること)も含まれてくる。
具体的に見ていくと
(1)火災警戒区域の設定(消防法第23条の2) 実際には、現場での最高責任者(消防吏員)の指示で設定
(2)消防車の優先通行(消防法第26条) 緊急自動車の運転
(3)消防隊の緊急通行権(消防法第27条) 民地等を通行・進入
(4)消防警戒区域の設定(消防法第28条) 実際には、現場での最高責任者(消防吏員)の指示で設定
(5)消火活動中の緊急措置(消防法第29条第1項) 破壊消防等
(6)火災現場における消防作業従事命令(消防法第29条第5項) バケツリレーなどの命令
実際の場面に当てはめてみると、
(1)や(4)は、班長になれない外国人消防団員が、独自に設定することはありえないだろう。
(2)は、面白い。
外国人消防団員は、通常走行での消防車の運転はできるが、通常走行中に災害を覚知した場合、緊急走行になり、運転手を日本人に代わらなければいけないことになる。一度停止して、他に乗り合わせている団員に交代することになる。
その場合、助手席に回って、安全確認の仕事で、他の車の誘導をすることになるが、「緊急自動車が通ります。脇に避けろ」は、命令なので、助手席の外国人は、言えないということになる。
ただ、実際は、「避けてください」といったお願い的な誘導なので、この場合は、要請なので、公権力の行使には当たらないということでやればいいのだろう。
(3)では、外国人の消防団員だけ、遠回りして、火災現場に行くというルールになる。これはちょっといい手が見つからない。
(5)外国人の消防団員だけ、緊急措置ができないことになる。ただ、一般的には、班長の命令で行うのだろうから、自ら判断していないということで(補助的なので)、公権力とは言えないという理論構成になるのだろう。
(6)バケツリレーの命令はできないが、これも真摯なお願いはできるので、実際にはそうなので、支障がないであろう。
(2)や(5)のケースは、消防といえば、講学上は、権力行政の代表的なものの典型例であるが、実際は、消防といえども、協働的な要素が濃厚という証左であろう。これは、そもそも地方自治は、共同体における相互扶助が基本なので、国家の理論である信託論では、実態にあっていないという反映の問題である。
理論では外国人消防団員ができないことがいくつか残るが、実際には、どのようになるだろうか。消防団は、仲間意識が強い仕組みである。そうでなければ、お互い命の危険にさらされる。
その組織内の外国人消防団員が、消防車を運転して、途中、火災を認知して、緊急自動車になったからといって、お前は外国人だから運転を変われなどとは言わないだろう。お前は外国人だから、民地から侵入するななどと言う班長はいるのだろうか。
さらに言えば、そもそもは、公権力だから、外国人はやってはいけないという理論そのものが、ずれているということである。外国人がやってはいけない公権力とは何かという問題でもある。
そして、実際にも、緊急時に消防自動車を運転したことを咎め、民地から侵入したことを咎める人はだれもいないだろう。当たり前のことで、もともと目の前の火災を消すことが一番大事で、一生懸命に火を消したのに、火を消した人の国籍が悪いという話は、馬鹿げている。
横浜市のこの政策について、中途半端であるとの批判は簡単であるが、これまでなかなか突破できなかった壁を乗り越えるのは、簡単なことではない。実務は、まず半歩から進んでいく。その点で、窮屈さは残るが、実態に合わせて、物事は動いていき、そのうち、制度も実態にあってくる。
思い出せば、横浜市の公害防止協定が、その後の公害立法につながっていった。今から言えば、「協定などと中途半端な」という批判はできるが、まずは半歩からである。消防局の担当者の人たちや消防団の人たちは、こんなことは意識してないだろうが、横浜市らしい政策づくりだと思う。
そうすると、6つ以外にも、第25条3項の救助を要する者の存否等に関する必要事項の情報提供を求めること(逃げ遅れの方がいるかどうか、情報提供を求めること)も含まれてくる。
具体的に見ていくと
(1)火災警戒区域の設定(消防法第23条の2) 実際には、現場での最高責任者(消防吏員)の指示で設定
(2)消防車の優先通行(消防法第26条) 緊急自動車の運転
(3)消防隊の緊急通行権(消防法第27条) 民地等を通行・進入
(4)消防警戒区域の設定(消防法第28条) 実際には、現場での最高責任者(消防吏員)の指示で設定
(5)消火活動中の緊急措置(消防法第29条第1項) 破壊消防等
(6)火災現場における消防作業従事命令(消防法第29条第5項) バケツリレーなどの命令
実際の場面に当てはめてみると、
(1)や(4)は、班長になれない外国人消防団員が、独自に設定することはありえないだろう。
(2)は、面白い。
外国人消防団員は、通常走行での消防車の運転はできるが、通常走行中に災害を覚知した場合、緊急走行になり、運転手を日本人に代わらなければいけないことになる。一度停止して、他に乗り合わせている団員に交代することになる。
その場合、助手席に回って、安全確認の仕事で、他の車の誘導をすることになるが、「緊急自動車が通ります。脇に避けろ」は、命令なので、助手席の外国人は、言えないということになる。
ただ、実際は、「避けてください」といったお願い的な誘導なので、この場合は、要請なので、公権力の行使には当たらないということでやればいいのだろう。
(3)では、外国人の消防団員だけ、遠回りして、火災現場に行くというルールになる。これはちょっといい手が見つからない。
(5)外国人の消防団員だけ、緊急措置ができないことになる。ただ、一般的には、班長の命令で行うのだろうから、自ら判断していないということで(補助的なので)、公権力とは言えないという理論構成になるのだろう。
(6)バケツリレーの命令はできないが、これも真摯なお願いはできるので、実際にはそうなので、支障がないであろう。
(2)や(5)のケースは、消防といえば、講学上は、権力行政の代表的なものの典型例であるが、実際は、消防といえども、協働的な要素が濃厚という証左であろう。これは、そもそも地方自治は、共同体における相互扶助が基本なので、国家の理論である信託論では、実態にあっていないという反映の問題である。
理論では外国人消防団員ができないことがいくつか残るが、実際には、どのようになるだろうか。消防団は、仲間意識が強い仕組みである。そうでなければ、お互い命の危険にさらされる。
その組織内の外国人消防団員が、消防車を運転して、途中、火災を認知して、緊急自動車になったからといって、お前は外国人だから運転を変われなどとは言わないだろう。お前は外国人だから、民地から侵入するななどと言う班長はいるのだろうか。
さらに言えば、そもそもは、公権力だから、外国人はやってはいけないという理論そのものが、ずれているということである。外国人がやってはいけない公権力とは何かという問題でもある。
そして、実際にも、緊急時に消防自動車を運転したことを咎め、民地から侵入したことを咎める人はだれもいないだろう。当たり前のことで、もともと目の前の火災を消すことが一番大事で、一生懸命に火を消したのに、火を消した人の国籍が悪いという話は、馬鹿げている。
横浜市のこの政策について、中途半端であるとの批判は簡単であるが、これまでなかなか突破できなかった壁を乗り越えるのは、簡単なことではない。実務は、まず半歩から進んでいく。その点で、窮屈さは残るが、実態に合わせて、物事は動いていき、そのうち、制度も実態にあってくる。
思い出せば、横浜市の公害防止協定が、その後の公害立法につながっていった。今から言えば、「協定などと中途半端な」という批判はできるが、まずは半歩からである。消防局の担当者の人たちや消防団の人たちは、こんなことは意識してないだろうが、横浜市らしい政策づくりだと思う。