松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地方自治の考え方

2011-05-18 | 1.研究活動
 なぜ、地方自治なのか。時には見失いがちになるが、時々、原点に戻って考えてみよう。
 忘れていはいけないのは、地方自治は、目的ではなく、手段であることである。目標は、あくまでも、個人が大事にされる=「個人が尊重」(憲法13条)される社会をつくることにある。
 私たちの社会の設計思想は、人はそれぞれであり、そのそれぞれに価値があり、このそれぞれを尊重しつつ、人それぞれの自由闊達さをエネルギーの源泉にして、市民の幸せをつくっていこうというものである。個人が、その力を存分に発揮することで、幸せな社会をつくっていこうという制度設計である。
 そのために、憲法では基本的人権の保障規定を置き、権力の集中で個人の闊達さを規制することがないように統治機構の規定が周到に用意されている。地方自治は、その仕組みのひとつである。「地方自治の本旨」の内容とされる住民自治も団体自治も、これが目標ではなく、個人の尊重を実現する仕組みのひとつにすぎない。
 では、どうすれば、個人が大事にされる=「個人が尊重」される社会が実現するかであるが、今日では、政府を統制するだけでは実現しない。要するに、自分が尊重(大事に)されるということは、他人も自分を尊重(大事に)してくれるということであり、それは自分も他人を尊重するということである。政府を統制するだけではなく、市民自身が、お互いを尊重(大事に)しあう社会をつくるなかで、憲法が目標とする個人が尊重(大事に)社会をつくっていくことになる。
 よく誤解されるが、憲法の規定は私人間に適用されるかという論点があり、直接適用説は妥当でないとされるが、これは私人間のトラブルを憲法訴訟として訴えることはできないという意味に過ぎず、憲法の理念を私人の間においても、浸透させ、実現すること、つまり憲法政策は、むしろ大いに行うべきことである。とりわけ、地方自治は、民主主義の学校であるから、憲法政策を実現する場としては最もふさわしい。
 自治基本条例で、市民の役割や自治会・町内会の意義を論ずるのは、これらは「個人が尊重」される社会づくりに重要だからであり、私が、「住民自治」を政府との関係だけでなく、住民自身の自律性や貢献性そのものに遡って論じるのは、ここから議論しないと個人が尊重される社会が実現しないと思うからである。
 
 今回の原発、大震災は、私たちが産業革命以降、ずっと続けてきたパラダイムの組み立て直しを迫っている。次の100年の道筋をつける、いまが頑張りどころだと思う。
 
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