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政府の重点項目が地方創生である。19日の有識者会議の初会合で安倍首相は「地域の声に徹底して耳を傾ける。国の示す枠にはめるような手法をとらない。そういった視点で検討を進めていただきたい」とあいさつしたという。
国の枠に無理に当てはめないという決意表明は、当然のことだと思う。なぜならば国は主権という統治の思想で動くのに対して、地方は、自助、助け合いという行動原理で動くからである。枠が違うからである。
地方政府論は、地方を単なる国の下請けではないとした点は優れているが、反面、そこで思考停止して、国のシステムを地方に導入した点が弱点だと思う。結果的に、ミニ国家ができ上がってしまう。これは論者たちの地方で行動するという原体験の不足・弱さが要因だったのではないか。
地方の行動原理である自助と助け合いを基本に、実際に地域で暮らす人が自治経営のルールを考えようと始めたのが、自治基本条例である。自治基本条例でも、当初は、統治的な動きであったが、地域のなかで、住民と一緒に検討する中で、大きく変わっていった。私の体験では、小田原市の自治基本条例あたりが、大きな転換点だったと思う。
江戸時代を庄屋などの記録を読むと、庄屋さんなど地域のリーダーは、「地域のために自らの財産、ときには命まで投げ出さないと続けることができない」ことがよく分かる。他方、一般の農民のほうは、むしろしたたかである。庄屋さんが、お代官と結託して私腹を肥やすなどはテレビの時代劇の世界だけのようだ。
周知のとおり、自民党は、自治基本条例には、消極的な立場に立っている。当時、政権にあった民主党に対抗するためということもあったと思うが、ようするに自民党が変わったということなのだろう。地域の名望家をよりどころにする自民党ではなくなったということである。名望家をよりどころとすれば、自助と助け合いは、基本の基本となり、自治基本条例は大いに進めるべきとなるからである。
党と政府は違うということなのだろう。「国の示す枠にはめるような手法」は採らないということなので、それを大いに実践してほしい。地域の住民一人ひとりが、まちに愛着を感じ、まちの価値を再認識し、まちを元気にするさまざまなアイディアを出し、後ろ向きな批判ではなく前向きな提案をする-こうした自治の基本を地域から積み上げていかないと、私たちの未来はないことは明らかなのだから。