いつも連絡をくれる方が、ある市における広域連合をめぐる議会の議論の顛末を教えてくれた。
そこの議会では、広域連合に議員さんを選出するが、候補の人がそれにふさわしいかで、延々と議論があったとのことである。私の感想は、「え、そこなの?」というものである。そうした議会内部のことは内部で、粛々とやってもらって、本来、もっと注力してほしいとこに、力を注いでほしい。そんな返事を書いた。
言葉足らずなので、ここで補足しておこう。
総務省研究会の「2040構想」では、来るべき2040年頃に予測される「内政上の危機」に対処するため、「個々の市町村が行政のフルセット主義を排し、圏域単位で、あるいは圏域を越えた都市・地方の自治体間で、有機的に連携することで都市機能等を維持確保する」と書いてある。
フルセット主義とは、簡単に言うと、どんな小さな市町村でも、今やっているような公共サービス提供を同じようにフルセットで持って、続けていくという考え方である。2040構想では、市町村ではなくて、圏域でやっていこうという考え方である。
実は、フルセット主義の限界は見えていたので、それを乗り越えるために、平成の大合併が行われ、フルセットで行政サービスを提供できる大きな自治体を目指した。しかし、合併も進まなかったし、今では、それでも追いつかないくらいの人口減少、職員の減少、仕事の増加が起こって、合併自治体でもフルセット主義はおぼつかなくなっている。そこで、より大きな圏域で考えようということである。
ちなみに、平成の大合併の評価は、様々であるが、合併しなかったら、地方交付税などがもっとひどいことになっていたと思う。ただ誤解を受けないように確認すると、合併の意味は、自治体そのものは大きな自治体にして、全体でやることが効率的なものは市役所全体でやり、身近なことは、どんどん小さな地域の自治区に下ろすやり方である。この使い分けがポイントであるが、そこがうまく整理できなかった。
繰り返すと、総務省の認識では、大きな自治体でもフルセットが苦しくなったきた。もう一度の合併はないので、次には、中核市を核とした「圏域」を設定して、フルセットサービスを維持確保しようという考え方である。
小さくてもキラリと光る自治体があるではないかという意見もあるが、これらの大半は、国の地方交付税頼りで光っている。
その地方交付税はパンクしている。地方交付税の原資は、1990年代初頭のバブル崩壊以降、全国の自治体で必要とされる地方交付税の必要総額を大きく下回る状況が恒常化している。
財源不足を補う意味で、1994(平成6)年度から,地方交付税特別会計からの借金をし始め、さらには、2001(平成13)年度からは、地方財政法5条の特例として,臨時財政対策債(赤字国債)に手を出した。これは禁じ手といわれるもので、将来世代にツケを回しながら、地方交付税制度を維持している。
簡単に言うと、「この子が、大きくなったら、借金を返します」と言って、親が暮らしている状態である。角兵衛獅子の姉弟のようで、「江戸時代か」と突っ込みたくなるが、これでは若者が可愛そうだし、無責任の極みともいえる。
だから、圏域でまとまって、それぞれの自治体が、負担やサービスを手分けしてやろうというのは、一つの考え方である。その方法の一つが、広域連合で、広域連合が窮屈でうまく機能しない仕組みならば、新たな仕組みを考えて行くというのが、今議論すべきことである。
あくまでも圏域は一つの考え方なので、もっといいアイディアがあったら、どんどん対案を出してもらいたい。国は、そのように地方に喧嘩を売っている。それが今の地方自治の立ち位置である。喧嘩の相手が違うというのが、これが、冒頭、「え、そこなの?」と、がくっとなった理由である。
圏域にしても別案にしても、どちらにしても、痛みが伴うもので、最後は、住民の覚悟が問われる。それを「がんばってやっていこう」と励まし、リードするのが議員さんの役割である。それこそが、いま議論すべきものなのに・・・。
ちょっと、力が入った。
そこの議会では、広域連合に議員さんを選出するが、候補の人がそれにふさわしいかで、延々と議論があったとのことである。私の感想は、「え、そこなの?」というものである。そうした議会内部のことは内部で、粛々とやってもらって、本来、もっと注力してほしいとこに、力を注いでほしい。そんな返事を書いた。
言葉足らずなので、ここで補足しておこう。
総務省研究会の「2040構想」では、来るべき2040年頃に予測される「内政上の危機」に対処するため、「個々の市町村が行政のフルセット主義を排し、圏域単位で、あるいは圏域を越えた都市・地方の自治体間で、有機的に連携することで都市機能等を維持確保する」と書いてある。
フルセット主義とは、簡単に言うと、どんな小さな市町村でも、今やっているような公共サービス提供を同じようにフルセットで持って、続けていくという考え方である。2040構想では、市町村ではなくて、圏域でやっていこうという考え方である。
実は、フルセット主義の限界は見えていたので、それを乗り越えるために、平成の大合併が行われ、フルセットで行政サービスを提供できる大きな自治体を目指した。しかし、合併も進まなかったし、今では、それでも追いつかないくらいの人口減少、職員の減少、仕事の増加が起こって、合併自治体でもフルセット主義はおぼつかなくなっている。そこで、より大きな圏域で考えようということである。
ちなみに、平成の大合併の評価は、様々であるが、合併しなかったら、地方交付税などがもっとひどいことになっていたと思う。ただ誤解を受けないように確認すると、合併の意味は、自治体そのものは大きな自治体にして、全体でやることが効率的なものは市役所全体でやり、身近なことは、どんどん小さな地域の自治区に下ろすやり方である。この使い分けがポイントであるが、そこがうまく整理できなかった。
繰り返すと、総務省の認識では、大きな自治体でもフルセットが苦しくなったきた。もう一度の合併はないので、次には、中核市を核とした「圏域」を設定して、フルセットサービスを維持確保しようという考え方である。
小さくてもキラリと光る自治体があるではないかという意見もあるが、これらの大半は、国の地方交付税頼りで光っている。
その地方交付税はパンクしている。地方交付税の原資は、1990年代初頭のバブル崩壊以降、全国の自治体で必要とされる地方交付税の必要総額を大きく下回る状況が恒常化している。
財源不足を補う意味で、1994(平成6)年度から,地方交付税特別会計からの借金をし始め、さらには、2001(平成13)年度からは、地方財政法5条の特例として,臨時財政対策債(赤字国債)に手を出した。これは禁じ手といわれるもので、将来世代にツケを回しながら、地方交付税制度を維持している。
簡単に言うと、「この子が、大きくなったら、借金を返します」と言って、親が暮らしている状態である。角兵衛獅子の姉弟のようで、「江戸時代か」と突っ込みたくなるが、これでは若者が可愛そうだし、無責任の極みともいえる。
だから、圏域でまとまって、それぞれの自治体が、負担やサービスを手分けしてやろうというのは、一つの考え方である。その方法の一つが、広域連合で、広域連合が窮屈でうまく機能しない仕組みならば、新たな仕組みを考えて行くというのが、今議論すべきことである。
あくまでも圏域は一つの考え方なので、もっといいアイディアがあったら、どんどん対案を出してもらいたい。国は、そのように地方に喧嘩を売っている。それが今の地方自治の立ち位置である。喧嘩の相手が違うというのが、これが、冒頭、「え、そこなの?」と、がくっとなった理由である。
圏域にしても別案にしても、どちらにしても、痛みが伴うもので、最後は、住民の覚悟が問われる。それを「がんばってやっていこう」と励まし、リードするのが議員さんの役割である。それこそが、いま議論すべきものなのに・・・。
ちょっと、力が入った。