松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆住民投票を考える(9)遠因としてのブログ規制問題(三浦半島)

2015-06-10 | 地方自治法と地方自治のはざまで

 住民投票に関連して、新城市のブログ規制問題について書いたところ、コメントがありました。コメントを寄せた方は、「議会における不適切発言を隠すため」にブログ規制が行われたと誤解しているようでした。その誤解に驚くとともに、それに関連して、感じたことがありますので、項を改めて、書くこととします。

 まず、新城市のブログ問題は、それまでの会派制を廃止して、常任委員会で、相談、アドバイスをする仕組みを始めたことに由来します。

 自治体で会派制を採用するところが多いですが、その本来のねらいは、政策提案機能の強化です。ところが、実際の運用では、会派が議長選挙の選出単位になるなど、党利党略の舞台にもなっています。

 なぜそうなるか。国の場合と違って、日々の暮らしがテーマの地方自治では、政党間の違いが出る政策はほとんどないからです。防災、防犯、高齢者福祉、子どもの安全、まちづくりなど、大枠は国が決定していて、地方はその実践になります。国とは違って地方では、会派ごとにまとまって、独自の政策を出す余地があまりないからです。だから、議長選挙に走ります。

 つまり、国とは違って、地方自治の場合は、住民間での協力・助け合いの中で、地域の課題を解決するのが基本なので、華々しい政策の対立は生まれず、地域におけるベストを探り、そのための知恵や行動がとることが、自治体の政策になります。それゆえ、党派ではなく、議員一人ひとりの判断や行動が重要になるのです(政党の方針と議員の行動が違ってくるのは、沖縄がいい例です。自民党那覇市の市会議員さんは、基地問題に反対します)。

 新城市では、その会派制を廃止するとともに、市長に負けない政策提案をする議会・議員を目指すために、議員同士で、事前に質問事項を出し合い、みんなで勉強するシステムを始めます(つまらない質問は、議員の品位を疑われるからです)。

 ところが、これを、ある議員さんが、「自分だけ干渉された」、「発言制限である」と感じて、議長に抗議文を出すとともに、ブログにアップします。

 それを受けて、議会は、あらためて調査を行い、その結果、干渉も発言制限もなかったこと、議員さんの誤解であったことを確認して、この議員さんに、ブログの撤回を求めます。これが「ブログ規制」問題です。単にそれは誤解ですよと、間違いを正そうとしたのがブログ規制問題です。

 そうこうしているうちに、突然、1か月も前の、みんなが忘れかけていた「不適切発言」がブログで取り上げられます(発言があった時に、すぐに指摘すれば、是正も早くでき、風評被害もなかったと思います)。

 不適切発言には、みんなはあきれますが、なぜか、それと以前からあった「ブログ規制」がつながっていきます。つまり会派制の廃止を発端とするブログ規制は、「不適切発言があったことを指摘しようとするブログを規制しようとしている」といった話に変わっていきます。

 その次は、ネットによる怒涛の「正義の指摘」です。議会・議員が不祥事をもみ消すために、それを糺す正義のブログを規制している。とんでもない。なんとも、低次元の田舎議会だという論調です。

 なぜ、こうなったのかは、いくつかの推測ができますが、何よりも、議会・議員=悪代官が、自らの不祥事をもみ消すという、みんなのイメージ(時代劇の見すぎ)にぴったりと、はまったからだと思います。知らぬ間に、不適切発言=ブログ規制になって広がっていきます。

 そのなかで、市議の白井倫啓さんは、バッシングを受けながらも、誤解を解く論を述べます。私と白井さんとは、今回の住民投票の評価に関しては、意見を異にしますが、この時の対応は、高く評価していますし、今でも立派だと思っています(だから、励ますために、投稿もしました)。

 この一連の「正義の指摘」は、まさに怒涛のようで、当初の問題であった誤解の訂正問題は、完全に吹っ飛ばします。そして、新城市市議会がやろうとしていた議会改革の試み、つまり会派制をやめて、議会・議員の政策提案能力を高めるという、もともとの試みも粉みじんに吹っ飛ばします。

 「たら・れば」は、言っても詮無いことですが、もしあの時、きちんと対応していたら、今回の住民投票問題も違った展開になっていた気がします。住民投票も、なかったかもしれません。

 議会改革の基本は、市民と向き合い、市民とともに考える議会・議員であったはずなのに、ブログ問題では、積極的に発言したのは白井さんだけでした。当時、1,2名の議員さんが、この問題を発信しているのを見かけましたが、不適切発言=ブログ規制と思い込んでいる人に説明しても、ちっとも理解してもらえず、あきらめてしまったようでした。

 じっと黙っていて、嵐が過ぎるのも待つほうが得と考えたのでしょうか。あるいは、みんなにいい顔をするというこれまでの議員さんの行動原理から、あえて火中の栗を拾わないほうがいいと考えたからでしょうか。

 「たら・れば」ですが、この時、議員さんの一人ひとりが、ブログ規制を巡って、自分の考えを表明し、行動に出ていたら、それが当たり前の行動になり、今回の住民投票にあたっても、自らが正しいと思う案を市民に説明し、投票結果は、違ったものになっていたかもしれません。あるいは、住民投票そのものがなかったような気がします。どうでしょうか。

 最近、議員さんに対して、「救いようがない」と議論も目立ちます。しかし、こういった見方や物言いは、私は好みません。これは私が教員をやっているからかもしれません。ちょっと後押しすれば、人は、どんどん伸びていくからです。

 私は議員になったことがありませんが、でも、議員は簡単になれるものではないでしょう。どこか光るところがあるから、議員になっているのでしょう。その長所を伸ばし、あるいは長所を寄せ集める仕組みや努力の道を探っていくべきでしょう。その仕組みのひとつとして期待したのが、会派制の廃止です。たいして多くない人数なのだから、自由に知恵を出し合えば、町の将来にとっていいヒントが生まれてくるはずだからです。
 
 今回の住民投票の一件は、改めて、議員さんたちに、住民と真摯に向き合い、思いを伝えていかないと、自分たちの考えていることが伝わっていかないことを知る機会になったと思います。私は、突き放さず、粘り強く、そこをさらに後押しすることが大事だと思います。そういう展開にもっていくよう、関係者の努力を期待しています。
 
 
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3 コメント

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ありがとうございます! (大沢真)
2015-06-22 17:29:56
こちらのブログ記事が「以前、新城市で、ブログ規制問題が起こり、ネット上で話題になったことがあった。内容は、若い市会議員がブログを発信するのを議員の多数が咎めたというものだった。」「そこで、よく調べてみると、ブログ規制と言っても、規制しようとしているのは、未確認で不確定な情報を出すのはやめよう、誤った情報は訂正してほしいという、極めて常識的なことを言っているに過ぎなかった。だから、多くの議員が支持したのである。」とあるので、未確認で不確かではなくこうしてビデオに残ってますので確かなことですよ、という指摘を書いたまでです。不適切とされる発言はありましたよ、というところの私の書き込みです。
CGかも知れませんので当時見ていた人に聞くと間違いないそうなので。
ブログ規制されたと騒ぐ議員に対しての未確認で不確定のどうこうの話はまた別の次元で、実際住民からすれば流れがそういうものでしたので、そこを勘違いと言われても多くは勘違いしているはずです。まあその問題はともかく、私はこのことについては議事録とビデオで残しておけばいいだけ、という見解です。

地方議会は傍聴0人の場合もあるので、議事録やビデオもまずいなあというとこが削除されれば、市民は知らずに済んでしまいます。
私が思うのは、この長田議員が少子化対策で克服例を述べているのに削除している、というとこです。長田議員がうちはこうやってもう子供要らないって嫁に穴開きので妊娠させてますエッヘン!という発言ではありません。
あくまで市の少子化対策案を言っています。
これを削除しだすと、多数派閥・あるいは全員同方向のコントロール下に置かれた内容になってしまうということです。誰かがチクらない限り知るところではなくなります。個人的に飲み屋で言ってた話ではなく、議会の本番です。

新城市長・穂積亮次さんは過去殺人事件を犯してはいますが、傷害致死として処理され実刑も受けています。しかし選挙選ではこのことについて住民の多くは知っていませんでした。言うべきか適度に濁すべきかはともかく、市長としての選出基準の判断材料としてあるべきか、あらざろうべきかは、コントロールできてしまいます。
これが極端な方向に行かないとも限らない。
新城の根本的な市制や議会への斜め見にならざろうえないとこは、この市長選から始まっているので、ひととこ取ってこうではない、と言われても不信感がつのるばかりです。

たとえば逆にお伺いしたいのですが、私は本心は市長と議会議員市政をもっと本当は明るく信頼し多くをゆだねたいとは常々思っています。これは現市長議員という限った話ではありませんが、現市政にももちろんそうありたいと思います。
こういう心境はすでにあるので、この不信感を払拭するにはそこからどうしたらいいでしょうか?
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Unknown (大沢真)
2015-06-23 20:51:59
不適切発言=ブログ規制、ではないというのは実は後者の話はどうでもいい話です。
確かに間違った発信をするのはまずいことですが、ブログ自体の性質上、感情も入りますし、個人が勘違いしてというのが0にはできないかと思います。公式発信ではないので、突っ込みも入りますし、かといって発信するものを検閲もできないでしょうし。
それはそのつど「訂正お詫び」でいいんじゃないでしょうかね。

ミスリードを狙うこともありますし、既成事実として「あの(優れた)~でも」とかも根拠もない言い方する場合もありますよね。
ネットなんてのは検索すれば誰が評価してるのかとか一目なので、お互いほめあってるだけじゃん、となっても、記事を読んで検索しない人には「あの」が印象に残りいい印象です。

まあそれは個人の自由ですし仕事や関係上よくある事情でもありますので別段いいのですが、あのコンドーム発言をした長田市議は未だにFacebookでも自分の発言が書けない書いてない状況で、そんなに逆に引きずるものなのか、と思いますね。すんませんでした、がんばります、でチャラにできる事なんですがね。
オレオレ30億(詐欺)チラシを実質つくった小野田議員も滝川議員もアカウント抹消し、次世代の会も抹消・・・・・反対派のほうはみなさんブログやらなんやらでおおらかに発信できているのに、熟議案賛成派はなぜもっと発信しないのでしょうか。突っ込まれて削除してれば、そりゃ正義が悪を討つ、という構図にしかなりません。
熟議されてれば多方向からの反論の反論もできるはずです。
私的には、この多少間違っていようが感情的になろうが妙な意見だろうが、炎上を恐れていても何も始まらないと思うのですが。
返信する
住民投票に関連して (マロン教授)
2015-06-23 21:45:40
 ブログ規制問題では、誤解・憶測に基づく情報が、どんどん積み重なり、、それが正義の指摘となって、有無を言わさぬ圧力となりました。そのとき、私は、国民を煽るナチスを思い出しましたが、そんなのんきなことではなく、私たち自身も、こうした小さな善意に追い詰められていくのですね。

 庁舎問題も同根で、何人かの発言を読みましたが、郵便ポストが赤いもの、電信柱が高いのも、みんな市長と議員が悪いのよ・・・といった感じでした。

 奥三河の人たちの真面目さ・正義感を逆手にとって、不信を煽るような人がいるということでしょう。

 さて、ご質問についてですが、調査では、コミュニティ活動をしている人は、人や社会に対する信頼感が高いとのことです。だとすると、汗をかきながら、みんなが幸せに暮らせる仕組みづくりを行政と一緒にしてみるといいですね。別の市政が見えてくると思います。
 
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