私は、手土産やちょっとしたお礼は、決めている。お土産は崎陽軒のシウマイ、ちょっとしたお礼は海軍カレーである。
書いたことがあるかもしれないが、私は、半年間、崎陽軒で働いていた。横浜市で係長になって、市のほうは、すこし鍛えてやろうと考えたのだと思うが、半年間、民間研修に行けということになった。それが崎陽軒である。
今では、役所と民間の交流は、普通であるが、私のころは、ほとんど例がなく、試行錯誤だったのだろう。
崎陽軒では、半年間で、いろいろな部署を回った。最初は、シウマイ弁当の添え物を入れる係だった。両手に割りばしを持ち、ラインで流れてくる弁当に、昆布と何かを入れる。たしかご飯を詰める人が、一番偉かった。駅の売店は、大半のところは、行った。そのころの従業員は、どのくらいいたのだろうか。ほとんどの人と、話をし、知り合いになった。
先代の野並社長が、私たちの知らないことを松下さんは知っていると、冗談めかして言っていた。たしかに、職員の悩みや不平、あるいは夢や希望など、仕事をしながら、あるいは休み時間などに、みんなとよく話をした。市長から金一封を2回もらった話を書いたが、そういえば、野並社長からもいただいた。
あるとき、職場の若いあんちゃんから、チョコがやめられないという相談にものった。甘いもの好きなのかと思ったが、大麻かシンナーの隠語だった。当時は、中卒で入った子がたくさんいて、私は、お兄さん的な位置だったのかもしれない。あんちゃんの運転する暴走バイクの後ろに乗ったことがあるが、正直、怖かった。今思うと、浜田光男と吉永小百合の時代のようだ。
みんなまじめに、よく働いていた。市役所も、松下は、市役所に戻ってこないのではないかと心配したようだ。
崎陽軒のまじめな商売とシウマイの質のよさは、そのとき、よく知っているので、以来、お土産は、シウマイにしている。
この前の若者フォーラムを手伝ってくれた人たちには、海軍カレーを送った。横須賀市の海軍カレーもバリエーションが増えて、レアものもある。この前は、護衛艦シリーズを送った。
おいしかっただろうか。
書いたことがあるかもしれないが、私は、半年間、崎陽軒で働いていた。横浜市で係長になって、市のほうは、すこし鍛えてやろうと考えたのだと思うが、半年間、民間研修に行けということになった。それが崎陽軒である。
今では、役所と民間の交流は、普通であるが、私のころは、ほとんど例がなく、試行錯誤だったのだろう。
崎陽軒では、半年間で、いろいろな部署を回った。最初は、シウマイ弁当の添え物を入れる係だった。両手に割りばしを持ち、ラインで流れてくる弁当に、昆布と何かを入れる。たしかご飯を詰める人が、一番偉かった。駅の売店は、大半のところは、行った。そのころの従業員は、どのくらいいたのだろうか。ほとんどの人と、話をし、知り合いになった。
先代の野並社長が、私たちの知らないことを松下さんは知っていると、冗談めかして言っていた。たしかに、職員の悩みや不平、あるいは夢や希望など、仕事をしながら、あるいは休み時間などに、みんなとよく話をした。市長から金一封を2回もらった話を書いたが、そういえば、野並社長からもいただいた。
あるとき、職場の若いあんちゃんから、チョコがやめられないという相談にものった。甘いもの好きなのかと思ったが、大麻かシンナーの隠語だった。当時は、中卒で入った子がたくさんいて、私は、お兄さん的な位置だったのかもしれない。あんちゃんの運転する暴走バイクの後ろに乗ったことがあるが、正直、怖かった。今思うと、浜田光男と吉永小百合の時代のようだ。
みんなまじめに、よく働いていた。市役所も、松下は、市役所に戻ってこないのではないかと心配したようだ。
崎陽軒のまじめな商売とシウマイの質のよさは、そのとき、よく知っているので、以来、お土産は、シウマイにしている。
この前の若者フォーラムを手伝ってくれた人たちには、海軍カレーを送った。横須賀市の海軍カレーもバリエーションが増えて、レアものもある。この前は、護衛艦シリーズを送った。
おいしかっただろうか。