丸森病院の菅野武先生が東北大に帰ることになりました。先生のブログです。その中で
皆の悲しみと不安と希望を語ってくださいました。快く講演なども引き受けてくださり、ました。
http://flat.kahoku.co.jp/u/flockofbirds/9fe1OsvQDBR5uMGAwT8L/
よく、遠くの神様がありがたいといいますが、少し離れたところの先生は今よりずっと私達の中に留まるでしょう 下は、菅野先生のブログの一部です。
祈りと決意 震災1年に向けて
寒い日が続いていますね。インフルエンザもまだまだ流行っています。
体調を崩されたりはしていませんか。
今日私は、出先で石巻赤十字病院(被災時石巻市立病院)の内山哲之先生の講演を聞く機会を得ました。石巻市立病院は港の近くにあり、津波によって1階部分が浸水、病院機能が壊滅した中で、私達志津川病院と同じく、患者を守り、皆で支えあったというお話を聞きました。
そして内山先生はその後も石巻で医療をされ、被災地の医療の立て直しに尽力されています。
今日の講演の中で、「今起こったことを今後は全て想定内としなくてはいけない」という言葉がとても響きました。私も含めて、被災した者が語り伝える意味はより良い明日を創ることで、震災の悲劇を少しでも繰り返さずに済むようにしたいという願いです。
サバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt)「生き残った者の罪責感」という言葉があります。事件や災害などあまりに悲しい出来事の中で、生存者が亡くなった方に対して罪悪感を抱く、というものです。実は今回の震災でも多くの方が抱えている感情です。被災地、非被災地に関わらず、「救えなかった。もっと助けてあげたかった。」という気持ちを感じた方は少なくないと思います。
震災からもうすぐ1年。Survivor's guilt は行き過ぎれば自らを追い込んでしまう感情ですが、少し気持ちの方向を変えれば大きなエネルギーを秘めた感情なのではないかと思っています。私自身いまだ津波の光景を忘れられませんし、失った町や友への悲しみは色濃く残っています。死を悼み、別れを悲しむ感情は、それ自体が悪いものではありません。その気持ちの上に、初めて困難を乗り越える新しい力が生まれてきつつあるはずです。
3月11日を前に、皆さんにお願いがあります。
どうか、悲しみに目をそむけないでください。受け止めきれない思いもいまだありますが、でも向き合って手を合わせましょう。
祈りを経てそれから、これから10年20年かけて作る未来を考えましょう。明日への決意を自分の心に記しましょう。
私は、震災1年を過ぎた後はこのブログを書くべきか迷っています。
この心情の変化を書き留めておくことが必要なのか、復興の兆しを私が伝えてゆくべきなのか、などと少し葛藤しています。
必死に走り抜けた1年間でした。
Survivor's guilt は私の中にもあります。震災直後ヒーローのように報道された時に私の中に渦巻いた感情はまさにguilt 罪の意識でした。「あんなに助けられなくて、悔しくて必死に生きただけ。悔しいからその後も生き残った人のために避難所で医療をしただけなんだ」と評価と反対の感情を持っていました。けれど多くの人の支えで、「着目されたことは、伝えてゆく使命を課せられたのだ」と思えるようになり、外に居てもできる支援として仙台に移ったのちも伝え続けました。
この3月11日を前後して、多くの報道・講演・話し合いなどの機会をいただております。でも、そこを突き動かしているのは夢や正義感などよりももっと奥底から押し寄せるguilt に近い感情からのエネルギーのように感じます。
長文でごめんなさい。それと、読まれた方はどうぞ気兼ねなくコメントをください。今後どんな方向で私達からのメッセージを伝えてゆくべきか、ご意見ください。
![](http://flat.kahoku.co.jp/p/flockofbirds/cngqSmCv5urPpYwBsEWN/1.jpg)
震災の1年ほど前に、長女と南三陸の町をお散歩した時の写真です。こんな穏やかな風景に戻りたいです。
菅野 武