還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

友人の絵画展に行く

2008-08-24 04:52:59 | ネタ



「おい、ちょいと金(カネ)貸してくれないか?」

「いいよ」近頃 時々カミさんからお金を借りることがある。

小遣いは自分の通帳から適当に降ろして使っている。

然し、時々財布の中身に幾ら入っているか?忘れる。

きょうも、これから横浜に行かないといけない。ふと財布の中身を見た。

福沢さんが一人寂しそうにいる。これでは少し足りないな~。どうしよう?

そこで久し振りにカミさんに「おい・・・」となったのだ。

「幾ら?」

「う~ん 三万円でいいよ」

「そう・・」

カミさんがお金を出してきた。

「すまないな~」

「月曜日に返すよ」

「別に急がないけど・・・」

「いや~~きのう預金を下ろすのを忘れてね~」変な訳の分からない言い訳をしている。

「今日は土曜日だろう?局のATMが使えないだろう?」

「土曜日だってお昼までは使えるよ」

「えッ!なんだって・・・使えるのか?」

「使えるよ、行ってみな」

「そう じゃ~直ぐ行くよ」

カードを出して、そそくさと出かける。局まで歩いて一分だ!

局は開いていた。ATMは使えた。今月の小遣いを下ろして家に帰る。

「おい 開いていたよ、よかった」

「これ さっきの三万円返すよ」

カミさんはまた我輩に渡したお金を何処かにしまいこむ。 

カミさんに借金を申しこんでもカミさんは

「あんた お金を何に使うの?」などとは先ずは聞かない。

聞くのは「幾ら?」だけだ。

何時も詰まらぬことは聞かない。

さてっと、久し振りに横浜に行くか?家を出たのがお昼前だ。

「すまないが駅まで送ってくれないか?」

「いいよ、私は午後絵の教室に行くから居ないよ」

「帰りは少し遅くなるかも?」

PSMOは便利だ。

電車は少し混んでいたが何とか座れた。

持参の文庫本を読み始めると、上大岡まであっと言うまである。



このような乗降ガード設備は以前はなかった!


地下鉄上大岡駅のホームはスッカリ変わっていた。まるでお上りさんだ。

この駅で横浜地下鉄に乗り換えて「伊勢崎長者町駅」でおり傷む膝を庇いながら階段をあがる。



改札を出たところで地図を見た。情けないな~~


6~7分歩いたところに目指す「横浜市民ギャラリー」のビルは直ぐそこだ。

このビルは「横浜市教育文化センター」と建設時いっていたが?と思う。

そして、このビルは我輩が現役時代に係わった当時 最大のビルで地下20数メートル掘削したのだ。地下工事の工法には随分と苦労したものだ。

会場には約束の時間より早く着いたが既に友人は待っていた。

彼の説明を受けながら会場を巡る。




久し振りに伊勢崎町に来た。懐かしい思い出が一杯だ。

ここには何十年通ったことか?
*** WZNT02-WHEEL12 ***
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この建物だ!ただただ眺める 
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ソースはnon_nonさんから拝借しました


*** WZOT01-SITA-NASHI ***

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ソースはnon_nonさんから拝借しました


絵画展の方の説明を書き入れる「サムネイル」とした心算が例によりよくサンプルを確かめなかった。耄碌したな~

ソース提供していただいたNON_NONさんに失礼なことをした。
注意力散漫な私の不注意をおわびすて・・。


友人の絵は最初の一枚のみだった。スペインに行き描いたといっていた。

現在は絵画三昧らしい?、彼は我輩と同じ聴覚障害者だ。昔の勤務時間中の彼の気持ちが今よく判る。

今、思えば彼はよく耳に手を当てていた。私の小言の時はどうもボリュウムを絞っていたらしい?(苦笑)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
横浜市文化センター (沼じじ)
2008-08-24 11:29:10
今日は38歳の時の子供(建築物)に出会い、友人の絵画鑑賞が出来、至福の一日でしたね。

自分の手がけた建築物があちこちにあるのは羨ましき限りです。当時の苦労や思い出の足跡ですものね。
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沼じじさんへ (osamu)
2008-08-25 05:09:31
建設当時は斬新なデザインも38年経過すると付近の新しいシンプルなデザインに負けてしまいます。外見は兎も角、内部の設備等は明らかに古い感じがします。それにどこか暗く?年月を感じ寂寥感があります。絵画の展示室は明るいパーティションによりまだ見られますが一歩廊下にでるとダメですね。
歳を取るのは私だけではないようでした。

この建物が直径2m長さ40mのリバース・サーキュレイション杭(50本くらい?)に支えられているなどもう誰も知らないことでしょう。

このビルの地下工事は勤めていた会社の技術陣聡出の対応でした。旭川出身のハマちゃん(北大・当社技術研究所土質研究部)の指導を受けました。温厚で礼儀正しい今でも忘れえぬ方でした。走馬灯の如く当時のことを思い出しましたね。
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