ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

発刊の辞

2009-12-29 22:58:25 | 高知県東部人物列伝
 「高知新聞生る、何がために生まれたるか、時代の要求に伴ふて、我が県民と相携へ、倶に共に新天地を拓開せんとして呱々の声を揚げたるなり・・」

 高知新聞の発刊の辞です。明治37年高知新聞の発刊に参加した富田幸次郎の筆によるものです。当初は主筆として、後に第2代の社長に就任して、高知新聞の土台作りに努力するのです。
 今日はその富田幸次郎を紹介したいと思います。

 明治以降100年を越える国会の歴史の中で、高知県から5人の衆議員議長を出しているのですが、その1人でもあるのです。さらに衆議員当選10回というのですから、半端では在りません。明治41年の第10回総選挙に出馬。当選して議員活動を始めるのですが、胆力があり人情味あふれる政治家だったそうな。

 「踏まれてももえ出る草の力かな」彼が衆議員議長に推されて詠んだ俳句です。
 濱口の陰に隠れて、党務でも幹事長などまとめ役に徹していた彼が、議長という晴れがましい地位に就いた感慨が感じられます。
 
 出身は現在の安芸市川北。川北小学校から芸陽学舎に学びます。卒業後教員をするのですが、政治問題に関心を持ちはじめて、土陽新聞記者となります。記者としても活躍をしていたのですが、会社内の内紛に嫌気がさして、先に紹介したような高知新聞の発刊に参加するのです。

 先に紹介した濱口雄幸の政治活動を支えた一人でもあります。金融恐慌への対策や、軍部からの圧力に苦悩する浜口の仲間でした。
 明治のジャーナリストであり政治家。さらに乞われていくつかの会社の経営者としても実績を残しています。

 しかし贔屓目に見ても、幕末から明治にかけての男達のかっこいいこと。
 すごいねえ。

野根山街道散策ツアー

2009-12-29 08:04:10 | Vision East
 野根山街道散策ツアーが参加者募集を締め切りました。

 総員80人が、1月3日に野根山街道に向かうことになりました。

 こうしたイベントの日は、普段静かな街道もにぎやかになって、小さな獣達も緊急避難をするのでしょう。
 私はスタッフの一人として、同行しますがいつものことですが、最後尾になります。だいたい80人もの方々の中には、何人かは具合の悪い方や動けなくなる方が出てきますから、大変ですが自分の体調に合わせて動ける自由度もありますから、いつもどうりの最後尾を勤めるつもりです。

 奈半利の街中から米ヶ岡まで、野根山街道の入り口辺りなのですが、結構きついのです。登ってしまえば後はなだらかな稜線になるのですが、どうしても登り口は急傾斜ですからきついです。

 ま、しっかりと歩いて正月の酒を抜きましょう。