時代は幕末といったところでしょうか。
野根山街道の岩佐の関所を預かる木下家の娘由里さんに佐喜浜の大庄屋寺田家の跡取り息子雄五郎さんとの縁談がまとまり、
岩佐御殿のおゆるさん
佐喜浜庄屋へ嫁ぐそうな
若い衆喜ぶ ほういのほい
こんな歌が歌われたそうな。
互いに好きおうた、2人にやがてかわいい男の子が生まれたのですが、由里さんは、ふとしたことからお姑さんとの間で隙間風が吹き始めたのです。そして夫の雄五郎さんが留守の間に里の岩佐に帰されてしまうのです。
実家の岩佐では何の心配もなく暮らしていたものの、寺田の家に残してきた我が子のことばかりを考えていたのです。思いは重なっても会いにもいけず、そのうち病を得て安政4年(1857年)12月の寒い日になくなってしまいました。
それから妙な噂が囁かれだすのです。
由里さんが佐喜浜へ行くのを見たとか、駕篭に乗って川下に下っていたとか・。
寺田の家の近くでも、下駄の音を夜な夜な聞いたとか、・・まことしやかに巷で話されていたのです。
それから暫くたってから、雄五郎さんの碁の友人、医師の寺谷伝良さんが、由里さんに出会ってしまうのです。死んでしまった由里さんにです。
聞けば子供に会いに来たのですが、門前の神札のおかげで家に入れない。
神札をはがしてくれないかといったそうな。
不憫に思った伝良さん、お札をはがして、我が家に帰っていったのです。
それからです。寺田の家では乳児の悲鳴ににた泣き声が響き渡るのです。
さて、それからのことはわかりません。連れて行ったとも・・。
由里さんの墓所ハ岩佐の関所のうらにありますが、墓所を後の子孫が他の場所に移そうとしたようですが、雨が降って出来なかったともいわれています。墓に触ると雨が降るともいわれているのです。
野根山街道には、こんな話しが伝わっています。
再婚をした雄五郎さんの次女須美さんに面白い話が伝わっています。
縁談の口が掛かったのです。相手は安芸井口村の岩崎家の長男弥太郎さん。
岩崎家は地下浪人。寺田の家は大庄屋。寺田の家では家柄が違うとしてこの縁談を断って、須美さんは佐喜浜で一番のお金持ち植村家に嫁ぐのです。
この話のおちは、弥太郎さんは後年、大三菱の創業者となるのです。
須美さんは日本一のお金持ちの夫人にはならなかったが、佐喜浜の1番の奥さんになったそうです。 そんな話です。
野根山街道の岩佐の関所を預かる木下家の娘由里さんに佐喜浜の大庄屋寺田家の跡取り息子雄五郎さんとの縁談がまとまり、
岩佐御殿のおゆるさん
佐喜浜庄屋へ嫁ぐそうな
若い衆喜ぶ ほういのほい
こんな歌が歌われたそうな。
互いに好きおうた、2人にやがてかわいい男の子が生まれたのですが、由里さんは、ふとしたことからお姑さんとの間で隙間風が吹き始めたのです。そして夫の雄五郎さんが留守の間に里の岩佐に帰されてしまうのです。
実家の岩佐では何の心配もなく暮らしていたものの、寺田の家に残してきた我が子のことばかりを考えていたのです。思いは重なっても会いにもいけず、そのうち病を得て安政4年(1857年)12月の寒い日になくなってしまいました。
それから妙な噂が囁かれだすのです。
由里さんが佐喜浜へ行くのを見たとか、駕篭に乗って川下に下っていたとか・。
寺田の家の近くでも、下駄の音を夜な夜な聞いたとか、・・まことしやかに巷で話されていたのです。
それから暫くたってから、雄五郎さんの碁の友人、医師の寺谷伝良さんが、由里さんに出会ってしまうのです。死んでしまった由里さんにです。
聞けば子供に会いに来たのですが、門前の神札のおかげで家に入れない。
神札をはがしてくれないかといったそうな。
不憫に思った伝良さん、お札をはがして、我が家に帰っていったのです。
それからです。寺田の家では乳児の悲鳴ににた泣き声が響き渡るのです。
さて、それからのことはわかりません。連れて行ったとも・・。
由里さんの墓所ハ岩佐の関所のうらにありますが、墓所を後の子孫が他の場所に移そうとしたようですが、雨が降って出来なかったともいわれています。墓に触ると雨が降るともいわれているのです。
野根山街道には、こんな話しが伝わっています。
再婚をした雄五郎さんの次女須美さんに面白い話が伝わっています。
縁談の口が掛かったのです。相手は安芸井口村の岩崎家の長男弥太郎さん。
岩崎家は地下浪人。寺田の家は大庄屋。寺田の家では家柄が違うとしてこの縁談を断って、須美さんは佐喜浜で一番のお金持ち植村家に嫁ぐのです。
この話のおちは、弥太郎さんは後年、大三菱の創業者となるのです。
須美さんは日本一のお金持ちの夫人にはならなかったが、佐喜浜の1番の奥さんになったそうです。 そんな話です。