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家賃1万2千円、風呂無しトイレ共同の木造アパートに、大きな荷物を背負ったイタリア人男性が入っていく。
2階のいちばん奥が彼の部屋だ。
部屋に入り、荷物を下ろすと、大きくため息をつき、
「今日も1台も売れなかったな……」
とつぶやく。
荷物は売れ残った電子レンジだ。
小さな片手鍋をコンロにかけ、インスタントラーメンを茹ではじめる。卵を割ろうとしてやめる。
できあがると鍋から直にラーメンをすすりはじめる。
こんなに上手く麺をすすることのできるイタリア人は自分の他にはいないだろうな……と、ラーメンやソバを食べるたびに彼は思う。
ラジオをつける。
野球中継が流れる。
野球は好きじゃない、チューニングを変える。
何局か野球中継がつづき、やがて、雑音のなかに切ないメロディが混じって聞こえ、ふいに彼は胸を締めつけられる。
西崎みどり『旅愁』。
聞き入りながら彼はある思いにひたる。
◯
1年前……。
彼はまだイタリアにいた。
ある日、ひとりの日本人女性と知り合った。
旅行中、道に迷い疲れて道端に座りこんでいるところを、彼が声をかけたのだ。
下心からではなく、ただ困っている人を放っておけなかったのだ。
彼は彼女にホテルまでの道を教え、そのまま別れるはずが、なぜか街を観光案内することになってしまう。
きっと彼の天性の明るさや親しみやすさに、彼女が自然と甘えてしまったのかもしれない。
街じゅうを案内しながら、退屈させまいと彼はときどき冗談を飛ばした。
彼女は予想以上に大きく反応し笑ってくれた。どんなつまらない冗談でも、声をあげて笑ってくれた。
やがて……
陽が暮れかかり、街はうっすら暗くなりはじめ、すると、それまで明るかった彼女の表情にも影がさす。
ふいに立ち止まり、うつむいてしまう。
「大丈夫?」
彼の問いかけに彼女は、顔をあげ、
「大丈夫」
と笑顔を浮かべた。
それは、どう見てもつくり笑顔で、
そして、その眼が濡れていることに気づいたとき……
彼は彼女に恋をした。
しかし
思いを告げることもできないうちにふたりは別れ、彼女は日本へ帰ってしまった。
◯
彼女を忘れることができない彼は日本へ来た。
しかし考えてみれば彼女の下の名前しか知らない、住んでいる場所はもちろん連絡先さえ知らない、当然、彼女は見つからず、彼はただ、日々の生活に追われるだけだった。
1台も売れないとわかっていて、駅前の路上で電子レンジを売る毎日を、むなしく送るだけだった。
逢いたい……
逢いたいな……
◯
そのころ、
彼女を乗せた惑星探査ロケットが、冥王星に到着した。
完
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