マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

杜氏たちはどこから来たの?

2009年10月16日 09時31分07秒 | 古代史
さて、ネタ切れではあるが、満州の研究を続けましょう。勿吉という名称が部族なのか、国なのかいまいちはっきりしないが、中国の史書にははっきりとその存在が書かれている。韓国などにとっては蛮族としてよもや自分たちと混血した部族と言う印象はないようである。しかし、「満族、本は満洲と称した。東胡の一支族に属し,白山と水の間で発祥した。族の起源は周代の粛慎に遡り,漢代には挹婁,南北朝時代には勿吉に埋没し、隋唐の時代には靺鞨となり、五代十国・宋・遼・金・元の時代には女真となる。」(『満族』天山網より)
とある。
「長春地区で最も早期に出現した城市(街)は「扶余王城」である。後漢から西晋の時代にかけて、扶余族の国家はずっと中原王朝に臣属していた。西暦493年、北方の勿吉族により滅ぼされた。西暦494年、扶余王は勿吉に国を追われ、妻子を引き連れて高句麗に逃走、ここに国は滅亡した。」(『長春市概史』長春市政府)

結局、5世紀に満州の中心をこの勿吉族が支配し、後に高句麗が滅び、渤海が建国された時にはおそらくは勿吉族が支配部族だったと考える。もちろん、韓国人は高句麗の後継国という主張をするだろうが、たぶんそれは希望であって現実はそうでない可能性が高い。

「北史 勿吉伝」には、「そこの家畜には豚が多く、羊はいない。米を咀嚼して酒を醸す、これを飲めば泥酔する。婚礼では婦人の服は裙広の布、男子の衣服は豚皮の衣、頭に豹の尾を挿す。その風俗は溺れるように手と顔を洗い、諸々の蛮夷で最も不潔である。」とある。つまり、米から酒を造る部族なのである。中国の史書に書かれている以上、これはきっと特殊な製造方法だったのであろう。

日本の歴史の中で酒蔵屋やしょうゆ屋に名士が多いことは皆さん気付かれるはずである。酒は秦氏が日本に持ち込んだですべてを片付けるが、ではその秦氏はどこから来たのか?シルクロードやその当時の中国でどのような酒が作られていたのかは承知しないが、米を咀嚼して酒を醸すと言う技術は秘伝とされ、日本には杜氏という職人集団だけが酒を作るとされていたのである。彼ら酒造り部族が職人集団として渡来し、そのご主人筋から依頼されると杜氏の親方は郎党を引き連れ季節工となったのである。
つまり、彼ら勿吉族の酒職人にとって、依頼主は勿吉族の支配者達だったのだろう。

朝鮮と韓国の二回目

2009年10月15日 06時29分35秒 | 古代史
朝鮮人とか韓国人だとか皆さん平気でおっしゃるが、どれぐらいその意味をご存知なのだろうか。
まず朝鮮だが、古代史に衛氏朝鮮というのが登場し、「楽浪は遼東にあり、古の朝鮮国なり」、と漢書にあるように、古代朝鮮は現在の瀋陽(現在の中国領、遼寧省)にあったと考える。そもそもこれが朝鮮の始まりであり、現在の満州にいたのである。
次に、朝鮮国というのはwikiによれば、「1392年に高麗の武将李成桂太祖が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即いたことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から「権知朝鮮国事」(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられ、国号を朝鮮と改める。明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。」とあり、明が名付けた国名なのである。
渤海が滅びるとき、高麗が大量の難民及び亡命を受け入れたというから、ある程度の朝鮮人が流入したとはいえ、朝鮮民族の国家とは必ずしも言えないのである。勘違いしないようにしてもらいたいが、高句麗の後継が渤海とは証明されないし、高麗は新羅の一部が独立したのであり、高句麗とはほとんど関係がない国なのである。

さて、韓国であるが、やはりwikiに。「「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本と清との間で取り交わした下関条約の後の1897年に当時の大朝鮮国(朝鮮王朝)が国号を大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。1910年の大日本帝国による韓国併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻された。」とある。つまり、韓国という国名は20世紀に清か日本が名付けたのである。
wikiに書かれている古代朝鮮半島の南部にあった三韓、という表現は実は根拠がない。あくまでそう思いたいという希望である。しかも三韓が朝鮮民族だという根拠はどこにもない。
私が以前から主張しているように、三韓は遼東半島にあり、韓半島にはその当時倭国があったのだから、wikiの説明は信じてはいけない。
しかも、韓国という呼称も李氏朝鮮を韓国に変えただけなので、韓国が民族を現すとはいえない。

つまり、私が言いたいのは朝鮮半島という名称は明が名付け、韓国は日本が名付けたのであり、朝鮮人だからとか、韓国人だからという理由からではないのである。

シナ人という言い方が何を意味するかと言えば、清人のことであり、漢人の政府を意味していない。つまり満州族が中国本土を支配した時の国家名称である。現在は政権が変わり、中華人民共和国なのである。学術的にシナと呼ぶのは問題ないが、現在の中国を言う場合、これは失礼に当たる。朝鮮人とは満州に住んでいる少数民族を示し、韓半島にいるのは韓国人と北朝鮮人で、古代の三韓民族や衛氏朝鮮民族とは特定できない。
朝鮮人とチョンとか差別的な発言をしたがる人がネットにはたくさんいるが、その人たちがどれぐらい半島の歴史を知っているのか疑問である。
私から言わせれば、日本も韓国も住民は倭人であり、基本的になんら変わるところはない。ただ、支配者が違ったため混血度合いが違うのである。
差別的な発言をする人の祖先を調べてみるがいい、きっと天に唾していることに気がつくはずだ。





地域エゴ?

2009年10月14日 09時23分55秒 | ひとりごと
前原氏の「羽田をハブ空港として整備してゆきたい・・・」発言で、橋本大阪府知事、そして森田千葉県知事が露骨に怒りを表している。もちろん、地方財政を預かる知事だから、怒るのは当然だ。しかし、「俺は何も聞いてないぞ・・・」という、いかにも日本的な根回し不足を指摘するところは時代錯誤を感じさせ、あまりみっともはよくない。
もともとこの根回しと言う言葉はほとんど談合と同義であり、とりあえず打診し、お互いの利害を調整し、内堀を埋めておいてからいきなり発表へもっていく、という純日本的な儀式なのである。本人たちは納得してるのかもしれないが、裏ですべてが決まり、国民は結果だけを聞くという、中間の議論が表に出ない、極めて閉鎖的なシステムなのである。つまり、庶民は知る必要がないということだろう。
広島市・長崎市のオリンピック誘致にしても広島県知事が、「俺に何の相談もなしに・・・」とは、まるでヤクザ並みのせりふではないか。(ヤクザでももう少し品があると怒りだすかも・・・・)
まったく、日本人の会議べたといおうか、御前会議で戦争を決断したのなら、その会議に出席した人間全員が責任を負うべきもので、いやだったら席を立ち、採決に参加しないか、反対した後、職を辞するしかないのだ。それを根回しし、反対をいえないようにしてから採決するという姑息な手段が多用される。あとで、俺は本当は反対だったでは国民は救われないのだ。
まずもってこの日本談合システムを廃する必要がある。まず問題を提議し、各方面が意見を述べる、そして議論し、最終決着をする。根回し不用、議論歓迎、これが民主主義である。
橋元氏や森田氏の言い分ももっともな部分はあるが、あまり地域のエゴばかりでは笑われるのではないか。利用者からすれば、一番便利なところにハブ空港があったほうが良いに決まっているし、成田、関空、常滑・・みんな遠くて不便で金がかかるのだ。
出来るものなら羽田に集中してほしいというのは国民の声ではないだろうか。私は海外旅行などしないから、別にどこでも良いけど・・・。知事というのが地元の利益を代表する役割があることは承知するが、自分だけが潤えばいいわけではあるまい。
彼らは自分たちの自由になる金欲しさに、消費税を上げようという連中である。国民の声も聞け。そして恥を知れ。

朝鮮人と韓国人

2009年10月13日 09時13分12秒 | 古代史
以前、コメントで「マヨさんはなぜ韓半島と言って朝鮮半島と言わないのですか?」との質問を受けた。
私は、朝鮮族は主に満州周辺、いわゆる遼東(楽浪)近辺を中心に活動していた民族だと認識しているため、朝鮮というと満州しか思い浮かばない。だから朝鮮半島といういい方は自分としては納得できない。だから使わないのですよ、と説明した。
渤海国は高句麗の後継国との認識が多いようであるが、これは根拠がない。ただし、住民はほぼ同じようなものである。つまり、支配層は変わっても、人民の移動というのはそれほどあるはずがない。
当時の国の概念は国境を設け、首都を定め周辺国と条約を結ぶという現在の国家概念とは違う。ある部族が突然やってきて王城を取り囲み、降伏させるか亡ぼすかであり、占領した王が旗を立てたとき国家が出来るのである。さらに、各地に使者を送り、国としての存在を認めさせるのである。つまり、国は常に移動していくのである。しかし、住民特に農耕部族は動かないものだ。
現在、中国の吉林省、遼寧省には朝鮮部族がたくさん暮らしている。これが北朝鮮と同じ部族だとは誰が証明できるのだろう。
北朝鮮と中国領の間には大きな隔たり、即ち鴨緑江が存在し、朝鮮戦争のとき、北朝鮮へ進出した中国軍に対し、マッカーサーはこの川にかかる橋を爆撃しようとして解任された。仮にこの橋を爆撃すれば中国軍が全滅するのは間違いなく、現在の歴史は大幅に書き換えることになっただろう。この話は二十世紀のファウストで書かれているように、朝鮮戦争が八百長戦争だった確かな証拠である。八百長の話はここでは関係ない、問題は橋である。二十世紀でも重要だったこの大河に掛かる橋が古代にも存在したのかが大いに疑問なのである。私の解釈では、そう簡単にこの大河を渡れるわけがないという認識である。つまり、この川の両側にまったく違う領域であり、民族的にも混ざらないようお互い努力(紛争)した地域だと思うのだ。

さて、この北朝鮮地域は高句麗が亡びた後、統一新羅の一部となり、新羅の武将がそこへ高麗国を建国した。つまり、高句麗と高麗は直接の後継国とはいえない。その高麗の首都が平壌であるからと言って、高句麗の首都、平壌が同じところにあったとはとても思えないのだ。教科書では簡単に高句麗が北朝鮮地域にまで進出していたように書いているが、そこには倭国があったのだからそう簡単に進出できるわけないだろう。

倭国が現在の北朝鮮にあり、そこに倭人がいたとすれば、今もそこには倭人が住んでいる。そしてその倭人の指導者が九州から列島に侵略し、列島にすでに進出していた満州人(高句麗人・新羅人)と覇権を争ったのである。
つまり、日本の西部は倭人が多く、東部は満州人が多いのである。日本がなぜ韓国を併合し、植民地化するのではなく、日本の一部にしようとしたのかこれでわかるであろう。しかし、日本の中も二分されていたように、韓国人も同じように日本人を歓迎する部族と反対する部族がいたのである。

難しいね、また続きを書くつもりです、お楽しみに。

お種の最終回

2009年10月12日 06時07分14秒 | 古代史
ちっとも反響がないので、お種の話は今日で三回目だけど最終回にします。
私が言いたいことはおそらくという注釈つきでしかないが、と言うのも本当の事を知る人は本当に少数しか居ないはずだからである。しかし、絶対に日本には「お種管理専門官」がいて、天皇家、親王家、その他藤原家に関わる正確な系図、あるいは日本の古代からの名門家の血、即ち血統書を管理しているはずである。(これが全国にいる大江山系霊媒衆のお仕事なのではないか。)
そこにはVIPの血流の配合割合(失礼!)が登録されていて、表示と現物に相異がない事を保証する。したがって、貴族の婚礼、あるいは閨閥の作成時には此処が利用され、また正確に情報は書き込まれる・・・と思っている。
現在ではあまり考えられないが、村には必ず長老がいてその長老がすべての婚儀を取り仕切り、顔を見たこともない相手と結婚したものである。事実、私の両親も、さらに祖母・祖父もそのように結婚しているのである。八切氏がいう「宗旨」が違う部族との通婚は絶対に許されなく、それを犯すと「村八部」になりかねなかったのである。時代が変わったものだ。どちらがよいことかは私には関係のない話だが・・・。八切氏の「姓でわかる相性診断」はかなり面白かったが、当てはまらないんじゃないかということもあり、参考程度にしておいた方が無難であろう。

私は藤原北家と佐々木源氏が格別深い関係にあると指摘してきた。これは遠くアルタイからウガヤ王朝という家系を引き継ぎ日本にやってきたお種が大事に保存されている家系であろう。また、匈奴から始まり鮮卑慕容氏に引き継がれ、やがて韓半島南端から日本に進出した燕国王家、平家の血も藤原のどこかの家系で引き継がれたはずだ。さらに、日本国王になる資格を持つ百済王のお種が天皇家に保存された。
しかし、一番問題なのは、ある種だけはあまりにも貴種で、一度薄くなると濃くするための家系が少ない場合である。

コーヒーで言うならブルーマウンテン種などが格別貴種である。これは特に選ばれた品種を限られた高地で栽培するため、非常に高価で、量も限られている。

日本には孤立したで、他の部族と混ざる事を拒否し、親近相姦を繰り返している部族がいくつか存在するようである。いわゆる非差別と呼ばれる地域であり、タブーとして研究者が一番困惑するのである。これはある意味、種を保存するための究極の方法だったのではないかともいえるのではないか。こんな事を言う人間は日本で私だけだろうから、信じてもらわなくてもいいが、私がお種保存の仕事をするとしたら、必ずある地域に押し込め、よそ者が近寄れず、さらに通婚させないようにするはずである。

ブレンドコーヒーというのは各種の豆の特性からお互いに長所を引き出しあい、その店の個性を作るためのテクニックであり、方便でもある。ストレートコーヒーはその種の持つ良さを素直に味わうものである。色々な種類の混ざったブレンドの方が万人に好まれる事は間違いないが、混ぜ方を間違えると悲惨な結果になりかねない。ブレンド技術は奥が深いのであるぞ。

細かい事でたくさん言いたい事があるが、あまり皆さん理解してもらえないようなので、この話はこの辺で終わりにします。又続きはいずれ・・・・。