しないで済ませられた怪我は「負いに出向いた」側の過失。
思惑は「自分側次第」で済まなくなる時、やっと収めようのなさに翻弄されながら、足掻く困難の存在を知りだす。
沈黙してたものまで動員されだす突端は、招かぬに越したことはなかったと、後々体得で知るが、当事者のうちは目配せのうちに入れない。
見渡せるものだけでは、判断には足りないものです。
北朝鮮兵、ロシアに3000人 「インド太平洋にも悪影響」米が懸念
モーションしたこと以上に、事態は拡大解釈やスピンの餌食にもなる時「国際政治」の洗礼を受けに行くことの「思い通りのなさ」の怖さに直面しに行った。
慎まないことの怖さはここから以降に開示される気がします。
手だしには責任がねじ込まれもする。無謀だった。
何か戯言を取り上げてもらえてるうちはいいが、とどのつまり「なにを言ったところで」まで剥がれ切るので、こうなれば馬耳東風に化し、1カウントもされぬ扱いまで蔑まされる。
信を失うは人としての通底が損なわれる。