戦うってのは勝ってる時の便乗じゃないんだよ。
負けの局面でしんがりを務める気概あってこそ戦ってるってことだ。
負け続けてる面構えも見せぬ輩は、近くにあると実害がひどくかさむ。
負けてもしねえ弱さしかないことを刻みなよ。
色よく明るくいられるとこにパラサイトしてるだけだった人が抜けたって、周囲がありがとうをいうとは思えない。
重く苦く噛み砕きにくいものへ、共に立ち向かう前にケツをまくるのに慣れた人は、どこででも無用な人。
コスプレじゃなく、真摯な肉弾のむさ苦しさの中を共に歩調を合わす機会だったのに。
この局面で逃げ出せる人が、どこで伸びれるってんです?
馬鹿だ。
小泉氏は、辞任について、「選挙の結果責任は選対委員長が全て引き受ける。当然のことだ」と説明した。さらに、石破首相や森山幹事長の責任について記者団から問われた小泉氏は、「選挙の結果は選対委員長の責任だ。すべて私が責任を取ることだ」と強調した。そして、「自民党に、このままではダメだ、変わらなきゃいけないといった審判を素直に受け止めて、反省の上に立って、党改革を進める一員として、役割を果たしていきたい」と述べた。
なるほど。
もっともらしく響く言葉尻たちですが、「何をしての結果責任」としたかが判然としません。何を果たされてこう結論されたかが正直市井には伝播しておりません。故に、しくじったかどうかもわかりかねます。
「選挙の結果は選対委員長の責任」とするのもやや軽率に見受けます。
彼の挙動や言質などで結果がこれに至ったのであるなら、妥当と言えましょうが、今回の選挙の審判は「前政権が投げ出したものを、火中の栗を拾うが如く」で順序した現首相なりの禊の一つです。
それを選対委員長の肩書を拝命し、さも選挙全体の敗因を彼の現在の地位の去就一つに「担わせる」が如き性急は、いささか慢心がすぎやしませんでしょうか?
選挙という審判を経た現状こそ、立ち位置がはっきりとし、挽回と新しいモラルの構築に勤しむべき「ようやくのスタートライン」でした。
それを早々・軽々に自らの思い込み一つで逃げ果せたかのような性急さしか印象させない上に「責任を取る」とは、どこを見てそう判断していいか、全く素人然としてはいませんか?
彼自身が見えていないものをとてもたくさん感じます。
ましてや、上層の方らの思案・配慮のうちに、この軟弱な状況下で「一層の弱体化」に手を貸すが如き軽率であっては、「ただ離脱」以上の価値を周囲が見出さないことを想像する余裕がなかったかと無念を覚えます。
周りがどう見ていくかを勘案されてなさを強く印象しました。
当人の気が済む、ではてんで足りないのだとなぜ思えないんでしょう。
誰を助力したつもりで、こうした所作に至ったのか、迷うのです。
このままではダメだ、変わらなきゃいけないといった審判
ほぅ・・・で、この行動の論拠・原因としますか?
ふむ。
ずれてますね。仲間がやりにくくなるのを加算したようなものです。
おっしゃってる言質と行動に籠るものにギャップがあります。