それは「調子が悪いっていう普通」「うまくないっていう普通」と済ませばいい。
調子のいい時を待たないでいい。
普通になるためにシャカリキにしなくていい。
少しペース配分しながら「こういう時なりの普通なのだ」を、お天道さんも見てれば、ちょこっと贔屓にしてやるか、くらいの気は起こすだろうさ。
悪態つくな、悪びれるな。雑にしていなけりゃ、ちゃんと良くなっていく。
頼りにしてたものが損なわれるまで、自分のハツラツがそこに依存してた大きな柱だったと、初めて知るみたいなショックを覚えるものです。
本当は頼ることなくハツラツであったはずだったのにね。自分からみなぎるなにかだったって、思ってた。
言わずもがなのうちに、自分があてにして、救われてたものが、損なわれかねぬとなって、狼狽して気づく。
狼狽すら自分で驚くほど、自分の方に「居場所」を用意してたのに気づくんです。
それもとても人らしいのです。
遠からず、そこに占めてた存在が場所を空ける時、本当の密度をやっと知るんです。
埋めるのもためらうそこは、「あった」からこその空洞でもいい。
埋めれる箇所と、自分が覚えてるから、それでいい。