歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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君死にたまふことなかれ

2013年08月15日 | 日記

今年も終戦の日を迎えました。

身内で唯一の戦争経験者であった父を亡くしてから初めての終戦記念日です。

父の生前の言葉を思い起こし、餞として手向けることにより安らかに眠る先人の御霊に祈りをささげたいと思います。

 

父は所属していた部隊の唯一の生存者でした。

直属の上官だった方は、敗戦濃厚な現状を冷静に見た上で、できれば自分の指揮する部隊をみな残したかったもののそれは叶わず、

せめて一人だけでもと父を戦地へ派遣しない選択をしました。

実に危険で自らをも厳しい状態になることを覚悟して、上官は一世一代の芝居を打ったと父は戦後その上官に会った時に明かされたと聞きます。

上官は「〇〇(父の名)は吐血しておりました。病人を連れて行けません」と上層部に伝えました。

実際は父その時健康で、内地に残留決定を聞いた時、自ら派遣を志願したそうです。

しかし上官はそれを許さず、父は結局上官と共に内地に残りました。

その後、父の所属していた部隊は沖縄で全滅したとの知らせが届いたそうです。

 

父が病床に就く前まで、私は子どものころから繰り返し聞かされた記憶があります。(おそらく兄姉たちも同じ記憶があるでしょう)

 

戦争は人間から人間らしさを奪うものなのだ

 

戦時下においては、冷静さや本来の人間らしい心が失われるのだと父は語っていました。

確かに今なお地球上から消えない戦火を見るにつけ、戦闘状態における人間性は本来のものではないのだと

いろんな映像やニュースで私たちは知ることがあります。

 

様々な紛争を回避し真に平和な社会を構築することがいかに困難なことかは筆舌に尽くしがたいことです。

世界中から紛争を無くすことができればどんなにいいことか、しかし分かっていても誰しもできないことでもあります。

けれど、戦争経験がある方はその経験を語り継ぎ、それを聞いた私たちはまた次の世代に語り継いでいく、

そうしていくことと共に、先人が命がけで護って下さったこの国を私たちもしっかりと護り子々孫々に大事に引き継いで

いかなければならないと思います。

そうしなければ、靖国神社に限らず戦地や日本の各地で眠る先人に申し訳が立たないではありませんか。

 

いたずらに諸国と揉めることを良しとは思いません。しかし、許されざることや護るべきことはきちんと主張していく。

そんな日本人でありたいと祈りの日に思いをいたす次第です。

まずは身近なところから、何をなすべきか、何をしてはならないのか、思慮深くありたいものと自らを律して参りたいと思います。


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