あらまあな日々

どこ・ぶろ日記が操作ミスで削除されてしまったので再開設しました

日産3兄弟

2014年08月10日 | 記録
次に我が家のマイカーとなったのは、昭和53年式「日産スタンザ1600マキシマ」。
ラリーで有名になったバイオレットとオースターの兄弟車で、セドグロと共通のヘッドライトを持ったややラグシュアリー系に振られたモデルである。

50年から52年の最悪な排ガス規制を過ごして登場した、53年規制のZ16ツインプラグエンジン搭載車であるが、マキシマGTとは違いキャブ仕様であったので、特筆する程の性能は無かった。節度の無いシフトノブや腰の無いシートなどは510ブルを彷彿とさせる古臭いものだったが、デザインは好きだったな。

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写真は当時全線ダートだった時代の陣見山林道。
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四輪の世界に

2014年08月10日 | 記録
マイカーは持てない貧乏大学生では有ったが、休みに実家に戻れば親父の車があった。

当時の我が家の愛車は、昭和47年式「三菱 ギャランGTO 17XⅡ」
・・・気だけは若い親父の好みで選ばれた車である。
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名車MRのアンダーグレードで1750cc・ソレックスツインキャブという何ともレアなものであったが、排ガス対策の厳しくなる寸前のモデルで有ったゆえ古いとは言えそこそこ楽しい車だった。
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自動二輪へと

2014年08月10日 | 記録
原付の非力さに我慢が出来なくなり、中型二輪の免許を取得したのは4輪免許取得後。

車の免許は取ったものの下宿生にマイカーの維持など出来る訳も無く、足はやはり二輪しかなかったのである。

ダートでノーティーダックスをぼろぼろにしてしまったのに懲りて、今度はロードタイプを選択。
当時、名車RZ250が出たばかりだったのだが、貧乏下宿生に新車購入するほどの財力は無く、4年落ちのRD250を購入する事となった。
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それまでの4ストには無い、鋭いフケ上がりとパワーは楽しかったが、雨が降ると電装系がリークするという持病が有る個体で、遠出して降られる度に難儀なメに遭わされたものだった。
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始まりはここから・・・

2014年08月10日 | 記録
16歳になってすぐ、原付免許を取得。
初めて買った(買って貰った)愛車は「HONDA ノーティーダックス CY50」だった。
エンジンは、今のエイプにまで繋がるご長寿エンジン。
名車CB50と同系であったが、バルーンタイヤという特殊タイプゆえ、デチューンされており、ミッションも4速という仕様だった。

考えれば、これがダートへのいざないの第一歩だったような気がする。
当時は、我が家の周辺でも未舗装路は当たり前のように有ったし、御荷鉾林道も全線未舗装だった。

やがて大学に進学し下宿する事になった際にも、こいつを連れて行ったのだが、ここで夜な夜な丹沢のダートに出没する事となる。

写真は先輩と「犬越路林道」を制覇した時のもの。当時はまだ、車両通行止めでは無かったのである。
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その後、まだ、今の様な賑やかさの無かった「大黒ふ頭」で遊んでいるうちに次第に老朽化していく運命を辿るのであった。

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