故郷の海 2024年03月22日 | 歴史 お彼岸なので、2軒のお寺へお参り。それぞれ小さな納骨堂ですが、父や祖父母、伯父伯母に挨拶。室津の西方寺は、幕末に奇兵隊の駐屯地だったお寺で、本堂には当時の刀傷が柱に残っています。当時の上関町室津は海上交通の要衝であり、吉田松陰も詩を詠んでいます。当時町を闊歩した奇兵隊隊士もこの海を眺めたのかなと思いました。
周南市福川 若山城跡 2024年03月12日 | 歴史 前から行ってみたかった若山城跡へ行ってきました。大内氏の重臣だった陶氏の本城跡。陶晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗れてから、毛利勢に攻められ、ここ若山城も落城したという歴史があります。連郭式城郭で、城は残っていませんが、空堀、竪堀などの防御施設はよく残っているとありました。国道二号線から車で林道に入って道なりに進んでいくと、ニの丸・三の丸跡に。広い駐車場になっています。狭かったらどうしようと思いながら、進みましたが、対向車もなくスムーズにいけました。林道入り口には、幟と説明が。そして、吉田松陰の「東遊日記」で若山城について書かれた文の碑もありました。二の丸三の丸跡からは、徳山湾が一望できました。ここから、また尾根を一旦下り、また登った先に本丸跡が。海軍の碑もあり。ここから、さらに西側に、西の丸跡と、蔵屋敷跡が尾根伝いにあるはずですが、本丸跡からの道が分からず、諦めました。本丸跡の下に細い道があったんですが、説明版の文字が完全に消えていて読めず。空堀も残っているんだろうなーとは思うけど、木立が茂っていて、わかりにくかったです。見る人がみたら、わかるのかも?一応写真撮ってみましたが、これじゃないかも城跡から見る景色が素晴らしくて、当時の人々もこの海や島々を見ていたんだなあと感慨深かったです。3月に、「仕事」を卒業したので、平日にプチ歴史散歩ができるようになりました。近場が主ですが、知らないことが多いので、勉強していこうと思ってます。
栗原英雄さんトークショー 於:毛利博物館 2022年04月23日 | 歴史 防府市・毛利博物館企画展「大江広元〜鎌倉殿を支えた毛利氏の祖」のオープニングセレモニーで、栗原英雄さんを招いたトークショーがありました。内覧ツアーは外れたけど、トークショーの抽選に当たったので、ワクワクしながら、参加。「鎌倉殿の13人」での大江広元役。すごく締まった演技でいい役者さんだなあと思ってて、実際に間近に拝見すると、おお!広元様、降臨!って感じで、テンション上がりました💕とても素敵なお声。そして思いがけずお茶目な面もあって、楽しいトークでした。毛利博物館の柴原館長の説明もわかりやすく、毛利氏に続く系譜がとても理解できました。毛利邸の庭園も藤やツツジが美しかったです。青い紅葉葉もきれいでした。また行きたいなあ。追記:鎌倉殿の13人と、山口県の関わりってピンと来なかったけど、そういえば毛利氏の祖先は大江氏だった!とか、瀬戸内海での源平合戦では、壇ノ浦だけでなく、山口県の沿岸の各地に伝説も残ってるなあとか。今更ですが、無縁ではなかったなと思いました。
岩国 散策 2020年09月23日 | 歴史 連休中に、岩国徴古館の企画展を見に行ってきました。四境戦争時の岩国の動きについてで、当時の文書などから、詳細にわかるようになってました。大きな博物館ではないですが、いつも見応えのある企画展をされるので、いい学芸員さんがおられるのだろうなと思ってます。建物も歴史を感じさせるいい建物です。吉川史料館へも行ってきました。毛利氏、関ヶ原の時の吉川がどういう動きをしたのかなど。こっちは新しく綺麗な建物です。廊下の窓から、岩国城が見事に見えます。この風景を吉川家の方々はみていたのだなあと。吉香公園を散策。行ったことがなかった日本庭園にも行ってみました。それにしても、人が多かった!!コロナの前より多いんじゃないかなってくらい。この連休は天気も良かったし、そろそろ外出したくなりますよね😅コロナ広がらないといいけど。
室津 西方寺 2020年03月10日 | 歴史 週末、室津の西方寺へお参りに。目的は法要のためだったんですが、ここは第二奇兵隊が駐屯してたお寺で、当時の彼らがつけた刀傷等が残っているお寺。本堂の大きな柱に傷もくっきりと残っていて、まさにこの場所で彼らがあの時代を生きていたんだなという実感がありました。ご住職さんにお聞きすると、本堂だけでなく寺のあちこちに傷が残ってて、ならず者の集団みたいな若者たちだったのかもと笑って話されてました。室津・上関は下関、中関(防府)と同様に重要な港町で、江戸時代は北前船が寄港し、栄えた町です。当時は朝鮮通信使を迎える毛利氏の迎賓館(御茶屋)もありました。幕末には、四境戦争に備えて砲台を備えたりと、軍事拠点でもありました。今も江戸時代の家並みが残っている味わいのある町です。上関大橋の近くの高台には、石城山にあった第二奇兵隊の駐屯所での立石孫一郎の脱走事件の際、立ちはだかって殺された楢崎剛十郎の碑もあります。他にも幕末を感じられる場所も多々あり、松陰や龍馬が立ち寄った港町と思うと、路地を歩いても一興です。室津に向かう途中の波止場にある小さな古い祠。昔からあるそうですが、鳥居も倒れてて、荒れてました。88歳の母は小さい頃遠足で来てたと話してました。この日は天気も良くて、海がきれいで、泳いでる魚も見えました。こんな時期なので、海を眺めるのは、とても気分転換になりました。
田原坂 2019年11月22日 | 歴史 先日の熊本旅行の最後に田原坂に行ってきました。道は歩いてはないのですが、資料館で係の方の解説を聞いて、資料を拝見しました。7月に「翔ぶが如く」を再読したので(若い頃に読んだけど、また読み直しました。時間かかった😅)この風景に感無量です。宮崎八郎はとてもモテたようですが、写真もなかなかいい男ぶりです!熊本は色々なところに西南戦争の跡が残ってるので、まだまだじっくり見たかったです。山鹿にもいったけど、ここも激戦地。熊本城の神風連の乱の碑も見れたし。やはり実際の場所にいくのは、いいです!
明治維新と四境の役 〜白井小介の歩み〜 2018年08月26日 | 歴史 歴史三昧な一日でした。 だいたい知ってる事だったけど、整理できた。質問者から、長年疑問に思ってることだが、という質問があって、さすが地元の方々は深いところをご存知なんだなあと感心しました。 この講演会の後、午後から、山陽小野田市歴史民俗資料館、東行記念館、下関市立歴史博物館へ行ってきました。 様々に、明治維新150年の企画展示があって面白かった 去年の企画もよかったけど、今年もますますパワーアップしてるなあ。 お昼は下松SAで、長州薩摩盟友御膳をいただきました。 1500円です。山口県をあげて!というところです。
周南の独眼竜 白井小介 2018年08月14日 | 歴史 今日は柳井の月性展示館、田布施町郷土館、平生町歴史民俗資料館に行ってきました。幕末維新回廊キャンペーンだから。ではありますが、なかなか充実していました! 郷土の歴史資料に触れるのはとても新鮮でワクワクします! 月性展示館では、係の方に案内していただきました。大河ドラマの影響で、月照と間違えてくる人が多いそうです。間違えた!と言って帰っちゃう人もいるそうで、ビックリ。なんてもったいない!! 月性と月照は全然別人だけど、月性は幕末維新に欠かせない人物だと思うのですが。というか、幕末ならどんな人物のエピソードでも知りたい!と思いますがね、私は。 田布施町郷土館は岸さんと佐藤さんの遺品などの展示があって、イギリスからも見にこられる人がいたとか。(日本の政治史を研究してる人だったらしい) 田布施町には富永有隣が住んでいたところに碑があったり、第二奇兵隊の陣屋跡があったりと、行ってみたいところがあり! 平生町には「周南の独眼竜」と呼ばれた白井小介の私塾跡、お墓、顕彰碑がある。 顕彰碑は以前国木田独歩の碑と同じ場所にあったので、知ってはいたけど、どういう内容の碑文なのか知らなかったので、勉強になった。 第二奇兵隊を作った人。でも明治になっても頑として中央には行かず、平生で私塾を開き一生を終えたというイメージなんだけど、本当はどういう人となりだったのか、とても興味があります。 こういうチラシもありました。 これは行かねば!!
明治維新と阿知須〜堀雅昭先生講演会 2018年03月18日 | 歴史 新聞に載ってたインフォメーションを見て、阿知須で開催された講演会に行ってきました。 今年は明治維新150年ということで、こういった講演会が多くて嬉しい。 この前室積を散策した時、各地域に明治維新前後の歴史があって、表舞台には出ないのでなかなか知ることができないけど、紐解いていくと面白いなあと思ったところでした。 今回のは阿知須の幕末から明治にかけての人物や時代との関係などが明らかにされた研究でとても面白く聞かせていただきました。 地元の方々は周知の人物だと思うけど、私にとっては初めて知るひとたちばかりで、すごく新鮮! 山口に民権運動があったとかも知らなかった。 終わってから、せっかくなので、いぐらの館に行って見ました。 室積の海商通りみたいな廻船業で栄えた町並みでした。 講演会に参加した人に配布された本。もらえるの知らなくて行ったので、わーいラッキー でした。じっくり読めます!! 大局的な歴史も面白いけど、こういうその土地で生きてた市井の人たちならではの歴史を見ていくと、そこから見える時代の風景はまた一味違ってて面白い。
赤禰武人のお墓 2018年02月06日 | 歴史 日曜日に、連れ合いが阿月の克己堂を見たいというので、阿月歴史探訪。 あたしは以前から行きたかった赤禰武人の屋敷の跡と、お墓にお参りすることに。 克己堂は元の阿月小にあって立派な門が残っていた。 そして赤禰武人の屋敷跡。 「奇兵隊総督」という銘に、高杉に裏切り者と断じられ、非業の死を遂げて、以降名誉回復するまでに随分長くかかった人なのに、ここ阿月では大切にされているのだなあと思いました。 近くにはあの世良修蔵の屋敷跡の碑もあり、ここにも「奥羽鎮撫総督参謀」とあり、阿月の人々の熱い思いを感じます。 戊辰戦争の際にものすごく横柄な態度で奥羽列藩を怒らせて殺された長州の恥みたいなイメージしかないのにね。 ある面そうだったのかもしれないけど、克己堂で赤禰たちと日本の将来を論じていた頃だってあったはず。本当はどんな人だったのか?第二奇兵隊の歴史とともに、今一番興味があります。 そして、海岸沿いを離れ、道を山側にいくと、赤禰武人のお墓があるという看板が。 しかし、これがとんでもない山道で、マジかと挫折しそうになるくらい。ってか、文字通り山道で、お墓は山の上にあったのでした。 ふもとの矢印から250m。 しんどかった 帰りの風景。こんな素晴らしい瀬戸内海が見れて良かったです。 冬で良かった。夏の山登りは蛇とか虫とか怖くていけないところだった