昨日は久々の土曜に休みで奥さんも仕事でいないので天気も良いので出かけました。
目的はくじゅうでしたが、長者原は午後のほうが写真的にはいいので午前中は国道387号を小国の方に進んでいきました。
以前から気になっていた、旧国鉄の宮原線の「あそづる」という駅があります。
実は「おとこはつらいよ」の第21作の初めに寅さんが夢から覚めたときにいたのが旧国鉄の宮原駅でした。
宮原線は若いときにくじゅうや阿蘇の行くときに国道210号を通ると上を線路が越えていたのを覚えています。
今は廃線になっていて、法泉寺には法泉寺駅のあったところに小さな道の駅のような施設ができています。
さて「あそづる」の駅のあったところに行ってみましたが、今は看板もなくこのような写真のみがありました。
辺りは、藪の中になっていて面影は全くありません。映画が公開されたときは昭和53年ということで、昭和59年には廃線となっています。
先ほどの法泉寺駅跡地の施設の二階には当時の宮原線の写真や、施設の近くにはポイント切り替え機などの展示があります。
裏には寅さんで使われた当時の写真があります。
この写真があるところには道が繋がっていてここが線路跡かと思っていましたが、今日国土地理院の昔の航空写真を見てみると
この道路は当時の駅に通じる道路だったようです。
この写真の右側に当時宮原線が走っていたようです。
少し進んでいくと少し広い道がありましてそれが実際に宮原線が通っていたところのようでした。
さすがに当時のプラットホームはなかったようでした。
昨日はそのことがわからず写真を撮らずにいましたが今思えばとりあえず写真を撮っていればよかったなと思います。
国道387号は自宅から阿蘇に行くときには一番早い道ですので、最近よく通るのですが、その途中で昔の線路の橋梁が見えるところがあり気になっていました。そこで今回行ってみました。
国道を進むと左に山川へ向かう道路看板があります。
そこを曲がるとアーチ橋が見えてきます。
ちょうど二つの橋が見えます。
グーグルアースで見ると左側の橋には旧国鉄宮原線汐井川橋梁という表示が出ます。
まず右側の橋梁に行ってみました。こちらは川と道をまたいでいます。
三連の眼鏡橋です。近くに行くときれいな三連橋なのですが、
現在は河川敷に竹が生い茂っていてなかなかきれいな三連が見られません。
橋のたもとには照明設備がかつてあったようでライトがありましたが竹に遮られていて使われていないようでした。
竹を伐採して、照明がきれいに橋を照らしてみればライトアップの時に来てみたいと思う橋でした。
さて、左側の橋ですが車ではいけず、歩いていきました。
こちらも3連のアーチ橋です。
こちらもきれいなアーチ橋ですね。
こちらは汐井川橋という名前がグーグルアースに出ていました。
現在は国の有形文化財になっているようです。
コンクリ―トは剥げているところもありますが、歴史を感じますね。
右側の橋も文化財になっているのかもしれませんが標識には気が付きませんでした。
それから、小国の方に少し移動すると、かつての隣駅の北里駅があります。
ここはプラットホームが残っています。
ここは、ノーベル賞でも有名になった北﨑柴三郎の生家の近くにあります。ちかくには木魂館などの施設があります。
この駅のすぐ先に、北里橋梁があります。
こちらは5連のアート橋です。こちらも国の登録有形文化財になっているようです。
こちらは橋の上を歩けそうでしたが、今回は車の移動のためにやめておきました。
橋の写真を少し
今は、ススキ穂がきれいです。
もう少したつとススキも銀色に輝くようになるかと思います。
一番最初の旧「あそづる」の駅ですが、この時にグーグルアースで見ると旧線路の跡もわかりやすかったのにと悔やまれます。
それにしてもグーグルのソフトはすごいのが沢山ありますね。
グーグルストリュートビューもすごいなと思います。私の家の裏の道路も通っていますが、10年近く昔なので娘が最初に持っていた車が写っていて笑いました。
旧宮原線の終点が小国町にあるのですが、今は道の駅「おぐに」になっていまして。そこにもポイントの切り替えなどがあります。
以前はなぜこんなところにポイントの切り替え装置や線路跡があるのかと思っていましたが、宮原線のことを知ってからなるほどと思いました。
こちらは1993年に道の駅に認定されたそうです。第一回の認定らしくて、九州では最初の認定ではないかと思います。
宮原線の詳しいことは、旧国鉄宮原線で検索すると、旧路線に詳しい方のデータがありますので是非ご覧ください。
私は「歩鉄の達人」という方がいてその中の宮原線を見ました。すごく詳しく面白く拝見しました。
その後くじゅうの散歩に行きましたがそれはまた今度。