新品P社製ウォシュレットがまだ7~8年しか経っていないのに
1カ月ほど前からノズルの湯の出が悪くなり「強」でも「弱」以下
ビデに至っては届かないほどだそうです。
フィルターやノズル穴の洗浄をしても改善しないばかりでなく
同時に「ノズル掃除」スイッチを押してもノズルが
出たり出なかったりの不具合も。。。
「ウォシュレット」は、国内最初のTOTO製の商品名で
一般的には「温水洗浄便座」と呼ぶとのことですが
ここでは一般名称として使っています。
推測するにポンプやスイッチという電気的な故障と思われ
メーカーの症状別修理サービスサイトによると
「修理を要する。18000円以上の可能性」
そもそも修理に出すにしても、配管や
元の便座(保管してあったか?)の脱着は極めて面倒です。
止むなく「水が全く出なくなる」という致命傷に至る前に
同程度の出費で済む新品に替えることにしたのは
今さら"ウォシュレットなし"の生活など
とても考えられなくなっているからに他なりません。
スキーで伺う志賀高原の多くのホテルの便器には
和式、洋式(便座暖房なし)、洋式(暖房付)、ウォシュレットの
4種類が未だ混在していて、もちろんウォシュレットしか
利用しませんが、どうしても"止むを得ない場合"もあるので
「厚手ウェットティッシュ」は常時持ち歩いています。
これほど病みつきになるウォシュレットが登場したのは
30年位前の1990年代だったはずで、TDLのオフィシャルホテルでの
衝撃的な体感()が初だったと記憶しています。
振り返るに、我々の世代、というか我家のトイレ事情は
この70年間で極めて激しい変貌を遂げて来ました。
1950年代の小学生まではいわゆる「ボットン便所」の形態で
天秤棒の肥桶で汲み取られた後、下肥にするため郊外の畑の片隅には
必ずあった肥溜めに保管されていた糞尿でしたが、いつの頃からか
バキュームカーになって街中にはどこかで必ず
その臭いが漂っていた時代でした。
ちなみにこの仕事に携わる多くは韓国人でした。
「お落し紙(尻を拭く紙)」については、適当な大きさに
切って置いてある新聞紙をその場で手で揉んで柔らかくしたものから
「塵紙(ちりし)」と称する黒ずんだ鼻紙の一種に移り、その後
中学生(1960年代)頃には水洗式和式(場所によっては洋式)とともに
トイレットペーパーに移行し、40年後には地方の一般家庭にも
ウォシュレットが普及して行ったはずです。
かように、便槽からの跳ね返りという"おつり”がくることさえあった
臭い汚い「便所」から、便所と呼ぶ人さえ激減した感がある
綺麗な今風「トイレ」へのこの50年間の変貌ぶりは
まさに劇的と言っても過言ではないでしょう